海月玲二
2019-07-19(金)

無題

たのしい期末試験の時期ですね.

こういうまとめとか,掛け算の順序論争とかを見てるとよく思うんだけど,そもそも「学生(生徒)の思考の流れを試験で判別する」という発想に無理があるのではなかろうか.特に初等教育段階では顕著だと思う.問題が単純すぎて,だいたい「変な考え方をしてたら正解できない問題」を作れないか,作れてもすごく不自然な問題になってしまう.試験問題としては,いろいろな問題を出してどこかでボロが出るのを期待するぐらいしかないと思う.

結局,そもそも子供がどうやって考えて答を書いているか知るには,時間をかけて対話するしかないわけで,その余裕が取れないことが根本的な原因である.だからせこい技を考えてなんとかしようとするのだ.

ちゃんと対話できずに放っておくとどうなるか,というのは大学の学生を見るとわかる.「考えたことを言葉にして説明する」という技術が全く身につかないまま大人になった奴がわんさかいるのだ.実際,そういうことをやらずに大学まで来れてるんだろう.やるべきことだと思っていないようだ.試験の答案というのは「俺はちゃんと理解しているぜ」とアピールするためのものなのだが.