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今回の計画では,Yが合流したあとの主な行き先はスロベニアである.そこで,プリトヴィッツェに寄ったあと,なんとかしてスロベニアまで移動せねばならない.プリトヴィッツェからまず北上し,カルロヴァツでバスを乗りかえて西へ行くと,リエカまではわりと簡単に行くことができた.しかしここからが大変で,西部の国境を越えてスロベニアに入る公共交通機関はそんなに充実していないのだ.しかも日曜なので例によっていろいろ減便されている.
スロベニアに行けるバスは18時発だとか,鉄道に至っては明日の10時だとか言われてけっこう弱った.今回はいつもより予定が詰まり気味なので,リエカで半日足止めは苦しい.吝嗇旅行者の俺としては相当悩んだのだが,止むを得ず今回はタクシーを使うことにした.多少負けてもらっても85ユーロかかったけど,まあ二人分だしな,と自分をなんとか納得させたのだった.
ところで,クロアチアとスロベニアの国境付近には,両替所がやたらとたくさんある.国境検問所の建物の中とかじゃなくて,道路沿いに個人がてきとうにブースを建てて営業しているようなのだ.つまり,このへんは自家用車やレンタカーの類で通る人が多いということなんだろう.もともと,この付近はわりと車社会なのかもしれない.スロベニアに入ると,どういうわけかバイクに乗ってる人も増えたような気がした.
あとプリトヴィッツェを出発するバスの発車時刻が,案内所で聞いた時刻より15分ぐらい早かったのはいかがなもんだろうか.たまたま早めに行ってみたから乗れたけどさ.
ザグレブでYと合流し,ここからは二人旅である.俺の旅行では普段は基本的に都市しか行かないのだが,今回はYの希望でここに来ることになった.クロアチアで最も有名な国立公園であり,観光客もわんさと来ているところだ.
正直,敷地がかなり広いので,無計画にうろうろしてもなかなかうまくいかないというか,無用に大変な目にあうというか,そのへんは注意が必要である.というか俺たちはまあ大変な目にあったわけだ.一番の失敗は,宿泊先から遠いほうの入口でバスを降りてしまい,荷物を持ったまま長時間移動するはめになったことである.しかもわざわざ遊歩道を歩いたのでかなり疲れた.
あと,暗くなる前に宿泊先に戻れるよう,ちゃんと計画してなかったのも失敗だ.終盤は道が見えるか怪しいぐらいで,少々危なかった.なんとなく,夜になったら明かりがつくかなとか,営業時間が終わりに近づいたら係の人がチェックして回るかなとか思っていたけど,もちろんそんな都合のいいことはない.よく考えたら国立公園てそういうもんじゃないよな,テーマパークじゃあるまいし.ホームページとかに書いてある「営業時間」というのは,要するにその時間を過ぎたら各ブースが閉まっちゃうよというだけの話だ.某ガイドブックに書いてある「営業時間7時〜20時」という表現は正直誤解を招くと思う.
それと,どうもよくわからないのは,チケットのシステムである.別に入口にチェックポイントがあるわけではなく,園内の遊覧船に乗るときだけチケットをチェックされた.つまり,遊覧船に乗らないなら別にチケットを買わずとも園内を自由に散策できる気がするし,実際泊まったロッジの人もそう言っていたのである(正確には,「明日の朝はそのチケットは無効になるけど,別に散策するだけならできるから」と言われた).ルート的には遊覧船に乗らないと行けないような場所があるわけでもないし.なんかガイドブックに書いてあった内容と全然違う気がするんだけど.これは寄付的な意味の強いチケットなのだろうか?
いや,うん,ブルーの湖や滝の多い景色は確かに綺麗だったよ! ちなみに,ネットによく下の写真とそっくりな写真があるのは,ちょうどこの角度から見ることができる見晴し台があるからだ.

ヤイツェよりさらに北までやってきた.もうすこし行くとクロアチアである.
ボスニア・ヘルツェゴビナという国は,内部でセルビア人主体の「スルプスカ共和国」とそれ以外が主体の「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」の二つの「国」(というか何というか)で構成されている.そのスルプスカ共和国のほうの事実上の「首都」がバニャルカである.なるほどややこしい状態だ.
ボスニア・ヘルツェゴビナはどうも国土のほとんどが山奥のようなのだが,バニャルカのあたりは多少たいらな土地があるようだ.バスに乗っていて,町に近づくと突然視界がひらけたのでびっくりした.土地に余裕があるためか,この町はロシアの町のようなわりとおおまかなつくりである.大型で低い建物が多く,道は広めで,建物と建物の間も広い.いわゆるヨーロッパ的なぎゅっと詰まった市街地はほんの少ししかない.
観光客が少ないせいか,レストランがあまりないのにはちょっと苦労した.中心部には,カフェバーの他はファーストフード店ばっかりだったのである.というかファーストフード食べたらよかったのかもしれないが,もうすぐ国境を越えるので兌換マルク(ここの通貨)を使いきりたかったんだよなあ.
でも,「観光客でなくて住民向けの大型書店」というものを見つけられたのも,この町の特徴のおかげかもしれない.前書いたかもしれないが,俺は「外国で数学のテキストを買う」という趣味がある.この際,内容が比較しやすいように,だいたい大学入試程度のレベルのものを探すことにしているのだが,この国では高校(相当)のテキストは初等教育のテキストとは別に扱われているらしい,というのをこの店で初めて知ったのだった.道理でなかなか見つからないはずだ.

サラエボ北西の小さな町.ここの名物は,町の真下にいきなり滝があることだ.小さな丘の上が旧市街で,その下に滝が落ちている.20mぐらいのサイズの滝で,近づいてみるとそれなりに迫力があった.所持品の水濡れを心配したほどである.というか,仮にも滝なのに,かなりぎりぎりまで近づけるおおらかさに感心した.
ここは中世ボスニア王国の最後の首都だそうで,まあ旧首都ジャンルの町と言えないこともない.というわけで旧市街はそれなりに歴史ある町並みなのだが,なにしろ三民族の勢力圏の中間あたりなので,戦争時にはそうとうな打撃を受けたらしい.現在ではかなり修復が進んでいて,よくある「綺麗な旧市街」みたいな感じになっている.町の門だけはそこそこ古そうな見た目だったけど,古いものが残ったんだろうか.なお例によって,旧市街の周囲には多少住宅街がある.古い集合住宅などは今でも穴だらけの建物がわりと残っていて,「そうとうな打撃」がどんなものだったかうかがわせる.
丘の頂上には城跡が残っており,周囲を眺めることができる.眺めてみるとわかるが,この町のあたりは本当に山の中であり,そもそも町として便利に使えるような平地はほとんどない.現代の基準ではヤイツェは小さな地方都市だが,もともと現代的なでかい町に成長できる場所ではなさそうだった.
旧市街は,おおざっぱには城周辺の「上半分」と商店街などがある「下半分」に分けられるように思う.人がたくさん集まるメインストリートがあるのはもちろん下半分のほうだ.今回は,メインストリート近くにある雰囲気のいいホテルに泊まってみた.まともなホテルに泊まるのは珍しいな.というか,そもそもこの町の宿泊施設はホテル二軒とユースホステル一軒しか存在しないんだけども.

サラエボは横長だ.川の作った谷が東から西に走っていて,その地形にそって町が作られている.一番東のどんづまりが旧市街であり,西に行くにつれて中心街→ショッピングセンターや大型ビル街→旧共産圏型集合住宅→郊外の住宅街と変わる.ふつう,おおむね同心円的に変わっていくものが,一方向だけに向いてるかんじ.ちょっとめずらしい構造だな.
また,南北の山というか丘というかそういう地区も,今では住宅街になっている.つまり,モスタルやベラトなんかの谷沿いタイプの町の大規模なもの,と言うこともできると思う.斜面はかなりきつめなので,住宅街を散歩するとかなり骨が折れる.ガイドブックに,東南の丘の上にいいレストランがあるとか書いてあったので,がんばって行ってみたのだが,それはもう大変に苦労した.確かに眺めはよかったし,飯もうまかったけども!
ところで,そのレストランに行く際,間違った道を曲がろうとしたら通りががりの人が間違いを指摘してくれた.しかもかなり遠くから.つまり,こんなところまで外人観光客が登ってきたということは件のレストランに行くんだろう,ということが容易に想像できるらしい.いずれにせよ,親切でありがたいことだ.
サラエボは戦争時にそうとうひどいめにあったことで有名だ.でも現時点ではまあなんとかそれなりに復興が進んでおり,日常生活を送る上でそれほど不都合がないぐらいには回復している.観光客だってわりと来ているのだ.まあ,郊外に行くとまだ弾痕の残ったビルがあったり,博物館や研究機関などの文化的組織が財政危機になってたりというようなことはあるようだが.
観光的には,西欧風の町並みとトルコ風の町並みが共存しているというのがウリである.まあ,ひとつぶで二度おいしい的なアレだ.……トルコ風の建物やお土産に興味があるなら最初からトルコ行けばよくね,と多少思わなくはない.

トレビニェからサラエボに行く場合,北上してボスニア・ヘルツェゴビナ東部の山地を抜けるバスに乗る.国立公園にもなっている山地であり,ガイドブックによればなかなか景色がよろしいそうなので,期待してバスターミナルに向かった.
昨日調べてみたところ,サラエボ行きのバスは,早朝の次は16時である.11時発があるとかいう話だったのだが,なぜか無くなっていた.しかたがないので,途中のフォチャという町まで行くバスに乗って,そこでサラエボ行きに乗りかえることにした.
しかも,フォチャ行きなら11時にあるはずと思って行ってみたら,これも12時40分までないらしい.よくあることだが日曜はバスの便が少なくなっているようだ.ふむー.結局,一旦戻ってカフェでひとやすみ.
あらためてフォチャ行きに乗った.しばらくはモスタルから来たバスと同じ道だが,途中から東の道に分岐.ガツコなる町を過ぎると急に周囲の山が険しくなってきて,山水画みたいな岩山が聳える景色になった.確かになかなか見応えがある.バール鉄道のときの風景と似てるな,と思ったのだが,よく考えたら同じ山系の反対側と言ってもいいぐらい近いな.まあ,時間も短いし,バール鉄道よりは楽かもしんない.
フォチャからサラエボまでの間も,木は若干増えたけれども険しい山を縫って走ることには変わりない.荒く掘っただけでコンクリートで固められたりしてないトンネルとか,少々スリリングな場面もある.正直,「わりと長さがあってカーブもしているのに,明かりがないトンネル」というのは,さすがにいかがなものかと思った.

サラエボから単純にモスタルまで往復するのもつまらんと思ったので,帰りはトレビニェに寄ってから東側の山地を北上するルートで帰ることにした.モスタル発トレビニェ行きのバスは朝6時15分発とか言うので,早起きするのが大変だった.
いわゆるセルビア人共和国側の町であり,詳しくは知らないがセルビア人にとってはそれなりに重要な町らしい.でもまあ,基本的には単なる地方都市である.別に観光客がたくさん来るようなところではない.町並も普通のものだ.
それはまあ別にいいのだ.観光客的に重要なのは,現在のこの町がわりと明るい雰囲気で過ごしやすい町だ,という点である.ちょっとした旧市街や町を見わたせる丘や渋い橋のかかった川なんかがあり,散歩するにもいい感じであった.旧市街周辺でコーヒーでも飲みながらのんびりするような過ごしかたにも,この町はわりとおすすめである.ここは地中海文化圏にはいるらしく,夏の午後などは人通りが減ったりもするが,夕方になるとカフェはほとんど満席だし散歩してる人は増えるしライブイベントなども開催されていた.
あとこのへんはワインの生産がさかんだそうなので,夕食はワイン会社のレストランで食べてみた.ちょっと坂の上のほうにあるので,歩いて行くのは大変だったけど.というか,本来ここの町に寄った目的はワインなのである.ガイドブックにそう書いてあったので.
調子にのって二杯ぐらいワインを飲んだりして楽しんだ(アルコールに弱いとこういうとき不便である).料理の味付けが若干からい気もしたが,ワインをどしどし飲むという前提なんだろうか.

橋の町.町の象徴もであり主な観光名所であるところのスターリモスト「古い橋」を中心とした町である.観光客的には,ほぼこの橋周辺しか見るところはないので,ドブロヴニクやサラエボからの日帰りで来る人が多いと思われる.じっさい,日が落ちたらずいぶん静かになった.コトルなんかと同じパターンだ.
この町のあたりは,ボスニア・ヘルツェゴビナ戦争のときは激戦地になったらしい.橋もそのとき落とされたのだが,十年ほど前に再建されている.それでまあ,最近は観光客の皆さん来てくださいねアピールもしてるようである.……のだが,まだ壊れたままのビルはけっこう残っていた.弾痕がどうこうという以前に,見るからに廃ビルな感じのものが中心部にもわりとあるのだ.やはりそう簡単にはいかんものである.まあ,少なくとも橋を中心とした旧市街はおおむね修復が完了しているので,とりあえずそこだけ見ておくぶんには大丈夫といえば大丈夫.何が大丈夫か知らんが.
戦時中に川の両岸をそれぞれクロアチア人とムスリム人(ボシュニャク人と呼ぶほうがいいのか?)勢力が押さえ,今でもそのまま分かれて住んでいるそうだ.一見,川の両側に同じような感じでそれぞれの勢力の町があるようにも思えるが,クロアチア人側のほうが奥が広い.ショッピングセンターやきれいめなホテルなんかもだいたいこっち側にあるようだ.ショッピングセンターにはそこそこ人が入っていて,それなりに賑わっていた.
この町を見ていてどうも不思議だったのは,町のみんなが集まるような中心地がどこなのかよくわからなかったことである.ふつう中心街や中央広場のようなものがあって,夏の晩などはみんなでそこに繰り出したりするもんだが,ここでは町のいろんなところでばらばらと人の姿が見られる感じだった.というか今でも川の両岸の行き来は少ないのだろうか.確かに橋を渡ってるのは観光客ばっかりだったけど.

このエントリーからしばらく夏の旅行.今回も性懲りもなくバルカン半島にやってきた.主な行き先はボスニア・ヘルツェゴビナとクロアチアとスロベニアである.
今回はサラエボ着ザグレブ発で飛行機を取ってみた.サラエボ空港は,地方都市の空港によくある,到着ホールと出発ホールが別に分けられてないタイプである.ティラナとかザグレブとかの空港と同じような規模だ.まあ規模は別にいいが,町までの公共交通機関が存在しない,という点はちょっと難儀なことである.基本的にはタクシーを使えということらしい.ヨーロッパの空港でこういうのは初めてである.トビリシ空港なんかも需要のかなり少なそうな空港だったが,あれはまだ,空港近くの住宅街に向かう市バスが空港にも行ってくれてるのでなんとかなった.サラエボでは,空港に直接向かうバスは廃止になってしまったらしい.
しかたがないので,タクシーが嫌いだという俺みたいな手合いは,空港からちょっと歩いて市バス(トロリーバスだけど)停留所まで行く必要がある.具体的に言うと,(1)空港を背にして進み,なんとかしてBraće Mulićなる大通りに出る (2) その通りを,空港を背にして右方向にしばらく進む (3) Mercatorというでかいスーパーの手前が停留所なので,103番のトロリーバスに乗るべし.
というかLonely planetとか読めば書いてあるけど.あたりは単なる住宅街なので,夜じゃなければ別に危険なことはないと思う.たいして遠いわけではないし.バス停の前に売店もあるので,ちゃんと切符も買えるぞ.

各種カレー.カレーをかける対象はけっこういろいろあって,ごはん,ロティ(小麦粉にココナツを混ぜて生地を作るクレープ状のやつ),ホッパー(お椀状のクレープ),ストリングホッパー(麺状の食べもの)などなど.わりと粉もん天国だと思う.でもいわゆるナンはあまり食べないようで,そのへんはインドとは違うみたい.あとホッパーとストリングホッパーは全然違う食べ物に思えるのだが,なんで同系統の名前がついてるんだろう.
カレーはともかく,カレーじゃないものもなくはない.結構パンも食べられているのがやや意外だった.まあ,中にカレーが入ってることもあるが,そうじゃなくて普通の食パンとか甘い菓子パンとかもちゃんとある.あとチャーハンみたいのにカレーをかけて食べたりするが,別にチャーハンだけでも頼める.だからときどき辛くないものを食べたい,というぐらいだったらなんとでもしようがあるので安心だ.
まあでも,カレーや辛いものが全くダメ,という人はやっぱ少々つらいかな.俺は胃腸が弱いので,旅行中は基本的にずっと腹の調子はよくなかった.
今回一番うまいと思ったのは,ヌワラエリヤのレストランで頼んだ卵カレーとトマトスープである.けっこう辛かったけど.あとカタラガマの食堂で食べたカップケーキみたいのが,ほんのりバナナ風味ですごくうまかった.

スリランカの鉄道は,本数が少ないしコロンボ中心の放射状路線だしいまいち使い勝手はよくない.基本的にはバスのほうが便利である.でも,別にすごく遅いわけではないし(というかバスがそんなに速いわけではないし),狭い席にじっと座ってなければならないバスよりは楽といえば楽だし,旅行者的には使える路線は使ってみると気分が変わってよいと思う.内戦中は「鉄道は危ないからバスで行け」とか言われたらしいが,今は安全面でも特に問題はない.
俺は普通に当日朝に駅に行って切符を買って乗ってみたところ,なんかボール紙の小さい切符だった.そうでないような切符を持ってる人もいて疑問に思っていたら,座席を確保するために前日に予約を入れる人もいる,と途中で会った別の旅行者に教えてもらった.でも予約すると値段が倍ぐらいになるそうで,微妙なところである.
いくつか評判の景勝路線があって,そういうところは外国人観光客もわりとたくさん見かける.個人的にはコロンボから南下する路線の,海のすぐそばを走ってたり海辺の村をぬって走ってたりする区間が面白いと思った.正直,コロンボ近くの区間はあまりにも海に近すぎてむしろ怖いぐらいである.津波が来たときはそれこそイチコロだったろう.

「ウチのカミさんがね……」(綴りが違う).
スリランカの事実上の首都.なんか長い名前の,国会議事堂だけ建っている地区のことはこのさいおいておく.コロンボは首都だけあって,この国で唯一の大都市である.外国人がスリランカに期待する見どころがあまりないし,しょうもない詐欺も多いので,正直旅行者にはあまり人気がない.
とりあえず,途上国の大都市にありがちだが,急速な都市化で巨大になっているわりに交通が不便なのはなんとも厄介だ.地下鉄の類はないし,車は多くて慢性的に渋滞してるし.俺は嫌いだがトゥクトゥクの類を使わざるをえない場面もあった.市バスはけっこう充実しているので,目的地の地名が言えるならそれでもいいのだが(スリランカのバスは均一料金じゃないので,車掌に「〜まで行く」と言う必要がある).
でもアレだ,ローカル食堂とかパン売りの車(ロバのパンみたいなやつ)とかどうでもいい軽食を売ってる屋台とか,スリランカの町の風情はコロンボでもあちこちにあるんだよね.確かにほかでは見ないような高級住宅や高級ショッピングモールとかもあるし,プリウスとかの高級車乗ってる奴もいるけど,高層マンションのそばでも普通に移動販売車からパンを買ってたりもする.将来的にはどうなるんかねえ.
あとペター地区は観光する価値があると思う.コロンボ唯一の徒歩サイズの市街であり,活気もあって人と物と荷車でいっぱいだ.

ゴールという名前の町だが,旅行はまだ終わりではなくてもうちょっと続く.
ここの旧市街は世界遺産であり,有名な観光地だ.さすがにわりときれいにしていて,外人観光客向けの店も多く,いかにも観光地である.コロニアル風の町並みということだが,あまり高い建物はない.ヨーロッパ風味の入った南国の町並みという感じ.スリランカには珍しく,猫がわりといた.
旧市街でぼんやり海を見ていたら,後からやってきたフランス人の家族が海を指して何か騒いでいる.聞いてみたらウミガメが見えるとのことで,確かによく見ていると時々甲羅が見えたり水面から首を出していたりした.そういえばここの海はそのままインド洋なわけで,砂浜もあるし,ウミガメが来たりもするんだな.スリランカは自然が豊かなので,町の近くでさえもいろんな動物が見られたりするようだ.カタラガマやキャンディなんかでは普通にサルの群れとかいたしな.
現在の町の本体は旧市街の外側である.この地域では一番大きな町なので,それなりに賑やかだ.ハプタレーやカタラガマのあとで来たので,かなり文明圏に戻ってきた気分だった.町の中心部から30分ぐらい散歩すると,クローゼンバーグホテルとかいうイギリス提督の屋敷を改装したかっこいいホテルがあって,お茶を飲んで休んだ.というか,宿泊せずに喫茶コーナーだけ使っていいのかわからなくて,前をうろうろしたあげくに帰ろうとしたら,フロントの人が声をかけてくれた.ここはウェイターも感じがよかったし,お茶もうまかったし,なかなかよかったと思う.
まったくどうでもいいのだが,工事中の建物のところに「PARKING AT YOUR OWN RISK」とか書いた貼り紙があったのには笑った.別に禁止ではないんだ.

さてカタラガマの町だが,ここはいわゆる門前町であろう.南海岸街道のどんづまりであり,基本的にはド田舎なのだが,ここにはカタラガマ神という「なんでも(善悪を問わず)願いを叶えてくれる」という神様の神殿がある.このため,スリランカ中から人が来るらしい.この神殿がなければ,町というほどの規模にはならないと思われる.
ふつうセイロン島南東部に来る外人観光客というのはサファリツアーを目当てに来るわけで,その拠点であるティッサの町に泊まる人がほとんどだ.カタラガマまで来る奴もいなくはないが,まあサファリツアーのついでだろう.ティッサとカタラガマは30分ぐらいしか離れていないので,わざわざこの町に泊まっていく外国人というのはほとんどいないようだった.食事をするところなどもほぼローカル食堂しかないので,うかつにカレーを頼んだらかなりハードな辛さだった.
宿も,いわゆる外人向けクオリティのものは少ない.最初に見たところはかなり薄汚れた感じだったのでさすがにパス.二軒目に見たところは比較的マシだったのだが,泊まってみたら,隣の部屋との仕切りがいいかげんであることが判明した.バスルーム使用中の音が互いに丸聞こえ,というすげえ仕様だ.まあ値切りもせずに1500ルピー(1200円ぐらい)だったし,あまり期待しても仕方がない.
もちろんせっかくなので神殿は見に行ってみた.夕刻のお参りの時間になると本殿前には人が行列しており,何かの踊りがあったり火をたいてみたりいろいろやっていた.行列した人達は順に中に入っていき,近くの店で買った供物を神官に渡すわけである.やっぱりそれなりに本気でお参りしてるんかなあ.

ここはジャンクションの町である.つまりバスを乗りつぐために降りる人が多く,この町自体に用があるという人は別にあんまりいない.だから町はすごく小さくて静かなわりに,バスターミナルだけは巨大で人が多い.俺も,乗りつぐためだけにここで降りた.そもそもハプタレー(やその他の中央高地の町)から直接南部海岸地方まで行くバスはほとんどないので,やはり一旦ウェッラワーヤ行きに乗るのが便利なようである.
さて,ここからカタラガマの町まで行ってみようと思ったのだが,あたりで案内などを見ていると例によってトゥクトゥクの連中が「カタラガマ行きは三時間以上ないよ」「俺が直接2000ルピーで連れてってやるよ」とか何とか言ってくるが,まあ普通に「いや,バス待つんで」などと答えてスルー.
本当に三時間以上ないのか確認しようと思ったのだが,バスの事務所の部屋に行っても係員が誰もいない.ときどき現地の人も部屋をのぞいては諦めて去っていったり,あたりを探したりしている.しかたがないので,誰か戻ってくるまで待ってようと思っていると,さっきの連中がときどき現れては,微妙に安い値段で再営業をしてきたりした.
そのうち,連中の言葉が「何時間も待つのはいくらなんでも無駄だし,途中まで行ってバスを乗りかえたほうがいいと思うよ」に変わってきた.それは俺もそう思う.しまいに,「あのバスに乗って乗りかえればいいよ」とか教えてくれた奴がいたので,それに乗ってみることにした.車掌にも話しておいたら,ちゃんと分岐点のところで下ろしてくれて,無事カタラガマ方面に向かうことができたのだった.めでたしめでたし.

中央高地をさらに奥に進んだところにある,山の上の町.本当に山のてっぺんあたりに町がちゃんとあるのだ.なかなかすごい景色でおもしろい.当然ながら町からの眺めもいいのだが,わりと朝晩霧が出るのでそんなに遠くまで見えない場合も多い.霧というか,単に雲が町の近くの高さにあるだけのような気もする.
もちろんそんなところにあるので,小さな町である.でも四〜五階建てぐらいの建物は普通にあるし,中心部は商店街と言って差しつかえないぐらいには建物が並んでいる.住人だってそれなりにいるのだ.正直,町の建設はけっこうな手間だったろうと思う.周辺地域の茶生産の拠点として町を作る必要があったから発展したそうだが,イギリスが来る前はどんな感じだったんだろうか.
周辺は茶畑ばっかりで,宿から徒歩ですぐ茶畑である.ヌワラエリヤと違いバスに乗る必要すらない.まあしかし,ひとが汗水たらして働いてるところをただ見物するというのもどうなのだろう.ほどほどにしておいた.
ここで泊まった宿,チェックインから退出まで,結局一度も名前を書かなかったしパスポートも見せなかった.要するに部屋番号ごとの勘定書きだけですべて管理しているらしい.こういうシステムは珍しい.外国人を泊めるのに,(建前だけでも)名前やパスポート番号がなくても平気なのかな?
スリランカ中央高地の中心都市.リトルイングランドとか言ったりするらしい.アレか,なんかいつも曇ってたり雨が降ってたり,どんよりした天気だからか.いやまあ,たまたまだと思うけども! いずれにしろ,かつてイギリス人はここの気候が気にいって避暑地にしたらしく,ヌワラエリヤにはゴルフ場だとか乗馬クラブだとかでかい庭園だとかそんなんまである.
実はこの町自体にはそんなに行くところはなくて(ゴルフでもするつもりなら知らんが),観光客の多くは周辺の国立公園とか植物園とかそういう所に出かけて自然と触れあうらしい.俺は自然と触れあわないタイプなので,町の中心街とか住宅街とかを無意味に散歩して楽しく過ごした.リトルイングランドだけあって小洒落た建物なんかもときどき目にする.
あと行き先としては周辺のお茶工場に行ってみるというのもあって,これは俺もひとつ行ってみた.まあ工場をちょっと見学してみたり,お茶を摘んでるところを見たり,即売所でお土産を買ったりとかそういう感じ.もちろん,ここで買ったお茶がコロンボでも売ってたりするのはお約束である.どうでもいいが,なんか日本人の観光客が俺に話しかけてきてびっくりした.俺に話しかけるような奴など,普通は客引きぐらいのもんなのだが.
ほかにびっくりしたことといえば,夕食にとあるレストランに入ったら,現地の男でいっぱいで,みんな煙草を吸ったりビールを飲んだりしてたことである.スリランカの道徳観念的にはあまり飲酒や喫煙は誉められたことではないそうで,確かに街中でそういうシーンを見ることは少ない.それでも,やっぱり飲酒喫煙したいと思ってる奴はけっこういるようだね.

スリランカ第二の都市ということだが,キャンディの町はあまり大きくない.中心部は歩いて散歩しても一〜二時間で一周できてしまうような規模である.なので,路地とかもそれほどない.複雑な構造になるようなサイズではないのだ.よく田舎に,街道一本に沿って建物が並ぶ形でできている町があるが,ああいうのが五本分ぐらい組みあわさったような感じの町だ.
中心部を取り囲んでいる丘の上や,街道沿いにも,それなりに町があることはある.いつもの俺の旅行からするとこのへんも散歩してまわるところなのだが,すげえ暑かったことと便利な公共交通機関がないことが原因で十分には見てない感じ.あと主な宿泊施設があるのも丘の上が多く,まあ眺めはいいのかもしれないが,町に出かけるのには不便でしかたがない.なんとかしてほしいなあ.
いちおう旧首都ジャンルの町だが,歴史的な町並がどうこうという話は微妙である.ときどき町の建物にユネスコマークが付いてるときもあるけど,なんかそんなに見てびっくりするようなものではない.というか,この町の「歴史と伝統」パートは,仏歯寺のある一角が一手に引きうけている感じだ.メジャーなコロニアル建築であるクイーンズホテルもこの近くだし.
仏歯寺というのは,仏陀の歯をお祀りしてるとかいう寺である.スリランカでは伝統的に,これのある町が都になったらしくて,三種の神器みたいに王権の象徴でもあるそうな.しかしまあ,こういう聖遺物信仰って,(「プ〜ねこ」のネタじゃないけど)もし仏陀とかキリストとかそのへんが実際に見たとしたら「ちゃうねん」とか言いそう.「ワシそないなこと言うてへん」みたいな.でも,具体的なモノを拝まないで信仰なんかできちゃう特殊な人って少数派なんだろうね.

スリランカでも一二を争う大観光地,シーギリヤロックを見に来た.五世紀に,巨大な一枚岩の上に宮殿を作っちゃった奴がいるらしくて,その残骸が残っている.実際見てみると,五世紀という時代に,そもそもなんでそんなことが可能だと考えたのか理解しがたいな.資材とか全部人力で運んだんだよな,200m近くの切り立った崖の上に.
彼の王朝が長続きせず,町は残らなかったのが実に惜しい.そのまま現代も町になってたらとても面白かっただろうに.石を登り降りするエレベーターとか作られてたかもしれんな.
現代では,小さな集落と,あと外人観光客向けの店や宿泊施設が並ぶ一角があるぐらいだ.集落のほうに行ってみると,シーギリヤロックを逆側から見ることができるので微妙に面白いと思う.なんか蓮でいっぱいの貯水池のあたりが見やすい.すわってぼんやり眺めていたら,象に乗った観光客が入ってきてちょっとびっくりした.
ところで,微妙に離れた場所の宿に泊まってしまったので,いろいろ行ったり来たりするのが面倒だった.しかも夜は道が真っ暗になるので,なんとなくシャレで持っていったLEDライトが意外に役立つことに.

俺の「旅行」というのは結局のところあちこちの町をうろうろ歩きまわることなのだが,それでもせっかくだから多少は観光地にも行くのだ.今回は,まずシーギリヤは見てみようと思い,ついでに途中でダンブッラにも立ち寄ることにした.ダンブッラは街道の交差点の小さな町で,観光名所は中世からある巌窟寺院.
泊まるところを選ぶとき,トゥクトゥク(屋根つきバイクタクシー的なやつ)の兄ちゃんが客引きもやっていたのについていって決めたところ,こいつがその後もちょいちょい現れてめんどくさかった.
というか,観光地でタクシーとかその手の商売をしている連中に,「ローカルバスとかでちんたら行くことそのものも旅行の目的のひとつなのだ」とかいうことを説明するのはめんどうくさい.だからだいたい俺が説明を放棄しちゃってまともな会話にならない感じ.むこうも「なにこいつ話通じねえ」とか思ってたりしてな.
「シーギリヤまで行くなら,このまま俺が安く乗せてってやるよ」
「いや,バスで行くからバス乗り場まで行って」
「なんで? そんなに高くないし,バスだと不便だよ」
「バスで行くからバス乗り場まで行って」
「バスはまだしばらく出ないし,効率悪いよ」
「バス乗り場行って」
「……」
一応こっちを説得しようとしてるし,嘘もついてこないのがかわいいね.最終的には普通にバス乗り場まで行ってくれた.

仕事で行ったので,「趣味日記」というカテゴリーは不適切かな?
喫茶店に入って休憩していたおり,「座席に荷物を置いて場所取りをし,注文をしにいく」という行動が普通に行われていたのにかなり驚いた.あれを日本以外で目にしたのは初めてである.
すばらしい治安に加えてやたらに日本の商品・サービスが進出しているので,特に中心部では日本とほとんど同じ感覚である.せいぜい言葉が違うという程度だ(案外英語が通じないことがあるのも日本と同じだな).10年前にも一度行ったことがあるけど,あそこまでファミリーマートだの吉野家だのがそこらじゅうにあっただろうか?
ところで,中国語では本来ゴシック体というのは例外なのだろうか? 周辺部に行ってみると古い店や建物も多いのだが,そういうのの看板はほぼ全部が明朝体(というかそれに相当する中国語の書体)で書いてある.注意書きや案内板などもそうだ.そういえばPCのフォントも中国語用はセリフ付きが多い気がするし.
まあ,今回一番驚くのは,俺のような者に「仕事で外国に行く」などという事態が発生したことであるが.実際にはそれほどたいした仕事はしてないのに,そのわりにいろいろおいしいものが食べられてよかった.残念なのは滞在した三日間ずっと冷たい雨が降りつづけていたことで,多少空き時間ができても散歩に出る気にもならないぐらいだった.
今回旅行に持ってって役に立ったもの.
- Bluetoothキーボード
俺は旅行中日記を書く習慣がある.今回はついにIS01をやめてME173Xを持っていったので,ふつうはフリック対応にしたAndroidSKKで書いていたけど,やっぱり机とか確保できたときはキーボードのほうが楽だよな.ということでREUDOの折り畳みキーボードを買ってみた.
最近のAndroidだと,ハードウェアキーボードのキーマップもわりと簡単に変更できて便利である.検索やホームやmenu等の機能キーの位置を使いやすいように変更したらすげえ捗る.あと,最近は「iOS用」という名目で,英語キーボードが豊富に出回るようになったのもなにげにありがたい.まさかこんなことでiOSに感謝しようとは思わなかった.
・ノイズキャンセリングイヤホン
五千円程度の最下級ランクの商品だが,それでも飛行機のゴーッというノイズには絶大な効果を発揮した.映画の音がこんなにはっきり聞きとれたのは初めてである.この品は電車に乗ってるときの騒音とかにはたいして効果がないし,音質もお察しなので,飛行機専用だけどな.
- 気圧変動対応の特殊耳栓
以前,機内で耳がすごく痛くなって以来おまじないとして使っているものである.やはり効果があるように思う.今回使ったフライトは関空→ドーハ→バクー→トビリシなのだが,バクー→トビリシ間があまりにも短くて気圧変動が激しいので,帰りの便で耳の調整に失敗した.ドーハで乗りつぎ待ちの間もずっと耳に違和感をかかえたままで,最悪ドーハ→関空でまたずっと耳が痛むことも覚悟していたのだが,これが全然痛くならなかったのである.ありがたいことだ.
でかい小籠包みたいのとか,牛肉スープとか,チーズパイとか,グルジア料理は独自の文化があるし,しかもおおむねうまい.バリエーション豊富だし,味付けもなかなかだ.ただ,コリアンダーをやたらに使うので,あの香りが苦手な人はちょっと選べるメニューが減るかもしれない.観光客向けの店だと,「ハーブ抜き」が頼める場合もあるが.
でかい小籠包は「ヒンカリ」と呼ぶ.まあ,ロシアのペリメニや中国の餃子,チベットのモモなど,ユーラシア一帯に存在する「小麦粉の皮で具を包んだ料理」の一種である.あまりにでかくて,俺は切って食うしかないと思っていたので,どうやっても中の肉汁がこぼれてしまったのだが,あとで調べてみたら手ではじっこを持って食べるとかいう話である.あれに一気にかぶりついたら口の中を火傷しそうな気がするがなあ.
それと「トマトと胡瓜を切って,コリアンダーと塩で味付けしただけ」にしか見えないサラダがとてもうまかったので,だいたいどこの店でも頼んでいた.しかしこれは家で再現してみても微妙に違うような気がするな.単にもともと野菜がうまかったのかもしれない.
あとグルジアといえばワインであるが,わりと気楽に頼めるブランドやハウスワイン,自家製ワインが豊富な感じなので,俺のような貧乏人には助かる.高級ワインもそれなりに値段分はおいしいんだろうか.
また食べてみたいが,日本でグルジア料理店というと,さすがに東京ぐらいにしかないようだ.ぐぬぬ.

グルジア滞在最終日,トビリシのちょっとはずれのほうを散歩していたら,どうも俺に声をかけてくる奴がいる.何の勧誘かと思ったら,なんとアハルツィヘで会ったG氏であった.これには本当に仰天した.仮にも百万都市の,それも名所でもなんでもないところで偶然再会するとは!
あまりにびっくりしたのでろくに言葉も出てこず,挨拶もそこそこに立ち去ってしまった.正直彼には世話になったわけで,もうちょっと丁寧に話をしたってバチは当たらなかろうと思う.というか若干失礼な応対になっていたかもしれず,けっこう後悔している.こういう予期せぬ事態に遭遇すると,俺本来のコミュニケーション能力の低さが露骨に表れるのだ.