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ルーマニア中部,トランシルバニア地方では,外敵から守るために城壁をつけたりして武装した教会や貴族の邸宅などがいろいろ残っている.というわけで,シギショアラ滞在中にタクシーをチャーターして3つほど観光に行ってみた.タクシーをチャーターとか豪勢な感じだが,そもそも公共交通機関がほとんどないので,ほかに方法はないのである.宿で紹介してくれたプランにそのまま乗った感じ.ルーマニアで流しのタクシーを使うのはためらわれるし.
・ビエルタンの要塞教会
最初に見たこの教会はわりと有名なやつで,わかりやすく城っぽいナリの教会だ.有名なだけに観光バスとかもどかどか来る.ここは普通に見物して楽しんだ.
・マルンクラヴの教会
次の教会からちょっと様子が違ってくる.ここはほとんど人も来てなくて,そもそも鍵が開いてない.まず鍵を管理してるおばちゃんのいどころを探すのに,ちょっと村を行ったり来たりする羽目になった.さらに,このおばちゃん外国語はドイツ語しか話せない(トランシルバニアには歴史的理由でドイツ人の観光客が多く,ドイツ語だけは話せるという人がけっこういる).
このとき偶然,国内旅行中にここを観光に来た一家が現れ,一緒に見物することになった.そして一家の父親氏は英語が堪能で,なんとおばちゃんの話を簡単に通訳してくれたのである.説明を教えてもらいながら,中世の壁画とか見て楽しんだ.ここはルーテル派なのに東方正教会みたいな壁画があるのが珍しいんだそうだ.
さらに,みんなで(母親氏だけは待機してた)教会の鐘楼に登ったり,近くにあった貴族の館を再現したものを見たり,リンゴジュース工場でジュースを買ったりした.どうでもいいが,鐘楼のハシゴや床がかなりボロくて危ない感じだった.もし観光客がいっぱい来たりしたら確実に事故が起きそう.
・クリシュの城
一家と別れ,最後に城というか城壁のついた貴族の邸宅のようなところを見にいった.
ただ,ここは現時点では思いきり修復中である.あちこち作業が丸出しだ.しかし,それにもかかわらず観光客として入れてしまった.なんかやたらにこやかな男が時々案内してくれて,それなりに建物とか地下牢とか見物していた.地下なんか全然明かりもなくて大変だった.リアリティがあるようなそうでもないような.
さて,いろいろ見ていたら,件のにこやか男が何か人がたくさんいる長いテーブルに案内してくれて,座ったら料理をよそってくれた.……?? これはつまり修復チームが昼食を食べているところでは?
最初にこの男に見物料を払ってチケットを買っているし,何か作業するわけでもなくぶらぶら見ていただけだし,作業スタッフと勘違いしたということはないと思う.どうも単に親切で食事をすすめてくれたようである.一応近くに座っていた人に「これ,修復チームの食事ですよね? 俺,単なる観光客なんですけど」と聞いてみたら,「うん,別に誰も気にしないし,いいんじゃない?」みたいな返事.
別に何かの罠でもなさそうなので,せっかくだから食べさせてもらったのだった.ついでに付近の人にちょっと聞いてみたところ,作業メンバーは国内外のいろんな大学から集まっているらしい.考古学とかの発掘ボランティアみたいなもんだろうか.
さらに,食事のあと,二人のメンバーが簡単に解説しながら案内までしてくれた.実に親切なことである.
まあ,おかげで予定より大幅に長くタクシーに待っててもらうことになって,あとで若干割増料金を要求されたわけだけど.もっともな言い分なので,ちょびっと上乗せして払ったのだった.
ここの空港は小さな地方空港で,飛行機から降りたあと建物まで自分で歩くクラスである.両替所やお店などの旅行者向け設備はほとんどないし(いちおうATMは一台だけあった.出発側にね),英語の通じるシャトルバスとかもあんまり期待できない.入国管理官も外人に慣れてないようだし,詳しいツーリストインフォメーションとか当然ない.ガイドブックにも情報はあまりない.
さて,俺はわりと焦っていた.今日中にシギショアラまで行かねばならないのだが,Wizz Airの便が2時間以上遅れ,すでに18時を過ぎていたのである.シギショアラまでバスで1時間はかかるはずなのだ.まず,空港バスにとりあえず乗りこみ,英語のできる親切な乗客に降りる場所を教えてもらったりして,なんとか長距離バス乗り場らしい場所に到達した.しかし,行き先表示を見ても「シギショアラ」という地名がどこにも見当らない.
違うバスの運転手になんとか聞いてみたところ(ほとんど英語が通じない),どうやら,シギショアラ行きのバスは別のバス乗り場から出ているらしい.さらに不安になりつつも教えられた方向にしばらく歩いていくと,なんとかそれらしい場所を見つけることができ,まだ最終の20時発というのがあることが判明した.ああやれやれ.
でも20時までは1時間強待つはめになった.ほとんど人もいない空き地みたいな場所で,だんだん暗くなる中,ほんとに来るのか不安なバスを待つのはわりと緊張した.犬に吠えかかられたり物乞いが来たりもした(係員の人が追い払ってくれたけど).そのあと近くにあった商店に行ってパンとか買っていたら,同じ物乞いがいて気まずい感じ.

今回の旅行の行き先はルーマニアとスロバキアだ.でも,日本からの航空券はブダペスト(ハンガリー)往復のものを買った.エミレーツ航空がセールしてたからである.夏のヨーロッパ往復で10万切ってるのは珍しい.
というわけでブダペストからルーマニアへの移動が必要だ.今回は,LCCであるWizz Airがブダペスト→トゥルグ・ムレシュという便を出しているので,これに乗ってみた.トゥルグ・ムレシュというのはルーマニア中部の町でそれほど観光地ではないが,ここからシギショアラなど有名な観光地まで比較的簡単に行けるらしい.
Wizz Airには重大な注意点がふたつある.まず,オンラインチェックインしたときに搭乗券を「紙に印刷して」いかなければならず,スマートフォンとかでpdfを表示しても乗せてくれない.もうひとつ,手荷物の制限が異様に厳しく,バックパック程度でも「大きめ手荷物」の権利を買っておかないといけない.ていうか「大きめ」でもかなり小さい(56x45x25cm)ので,今回は念のため小さめのバックパックを使った.ふだん使ってるやつだと高さが56cmギリギリで微妙なところだったんだよな.実際の運用を見てると,ギリギリぐらいだったら通してくれそうな気はした.でも,「大きすぎる」と判定され,その場で追加料金を払うことになってる人もやっぱりいたけど.
あと,ブダペスト空港で,エミレーツ便から降りたあと乗り継ぎの通路に行こうとしたら,入国審査のほうへ行けと追い返された.ちゃんと搭乗券は持っていたんだけど,なんでかよくわからない.いちいち一回入国するはめになってめんどうくさかった.

なにしろアメリカ大陸だから,珍しく米系の航空会社を使った.
常々聞いてはいたけど,アメリカ合衆国経由便というのはめんどくさいな.まず事前に例のESTAとかいう謎の認証を受けないといけないし,乗り継ぎだけなのにしっかり入国審査があるし,荷物を預けてたら一旦受けとって預けなおさないといけないし.
ところで,帰りはメキシコシティからサンフランシスコを経由して関空に行く予定で,これが1時間半しか時間の余裕がなく,国境審査や荷物の処理が間に合うのかけっこう心配していた.しかしサンフランシスコで急ぎ国境審査を抜けてみると,関空行きは欠航だという.成田経由に変更になり,1時間ほど余裕ができてしまったので,急いだのは全く無駄であったことである.機体のメンテナンスのためとか言ってたが,なんかやっぱりボーイング787はまだまだ安定性に難がある感じ?
予定より3時間ほどよけいに時間がかかって家にたどりつき,ああやれやれと思っていたら,なんか125USDぶんのクーポンをもらえた.意外な対応でちょっとびっくり.しかしユナイテッドで有効期限一年か…….うーん.
ところで,米系の会社は機内食がマズいと聞いていたけど,これは別に何とも思わなかった.というか,エコノミーの機内食なんてどこも大差なくね? まあ,アルコールが全部追加料金というのはちょっといただけないかも.
この記事は2015年3月現在の話で,俺の個人的な印象である.注意されたし.
要するに,メキシコではマフィアの抗争が激化している地域が危険で,そうでなければ普通の注意でいいようである.俺が今回滞在したオアハカ・グアナフアト・メキシコシティ中心部では,現在はそれほど大変なことにはなっていないようだ.散歩してて気付いた点としては,
- 一般人もよくスマートフォンを路上で使っている
- 公衆電話はだいたい壊れていない
- 夜になっても若い女性が一人で犬の散歩なんかしている
- でかいカメラを下げた観光客も普通にうろうろしている
というあたりが,町の治安が最悪ではないことを示していると思う.まあスリとかは出るかもしれないが,拳銃強盗とかが日常的に出る雰囲気ではなかった.
あと,なんか警官が多かった.特にメキシコシティはものすごく多くて,いつでもそこらじゅうにいる.深夜早朝でもいる.しかもけっこう重装備だ.まあこれも治安維持のために役立ってるんだろうけど,あんなに多いと別の問題が発生しないか気になってしまう.実際警官が起こした事件とかもあるようだし.
メキシコ全体として旅行に行くべきではない,とまでは言えないと思う.どの地域は避けておくべきか,情報収集は必要だろうけど.
メキシコの首都だ.中央広場周辺は,さすがにきれいで大きな建物も多い.しかしちょっと離れるとかなりボロい建物が目立つようだ.ボロくても色は派手だったりするのがラテンアメリカっぽい気はした.郊外のほうまで行ってみると,鉄格子でガードされたスタイルの店が増え(客は店内に入らず,外から欲しいものを店員に言う方式),ちょっと夜とかは通らないほうがよさそうな雰囲気のところも見うけられた.
さて,巨大都市なので面積も広く,それなりに交通機関を駆使しないと大変である.でも先進国みたいな信頼性はないので,多少は余裕を見て行動すべし.地下鉄に乗ったら目的方向のホームに行く階段が封鎖されていて,よく見たら「こっちは今使えないから,逆方向に一駅行ってから戻ってね」とか貼り紙がしてあったりとか.バスのドアが壊れて30分ぐらい外に出られなくなったりとか.地下鉄は時々何の説明もなくしばらく止まったりすることもあった.いや,説明されてもたぶんわからないけど.
「メトロバス」という専用軌道を走るバスがあって,路面電車的に使われているのだが,これが夕方ラッシュ時になるとそうとう混雑する.実際ホームの客が乗りこめなくて諦めたりしてるわけだが,当然ながら次に来たやつだってやっぱり満員なのだ.毎回せいぜい1〜2人ぐらいしか乗れない時間帯,ホームにたくさんいる客は結局どうしてるんだろうか.
まー色々と大変そうな町ではある.今はなんとかだましだまし都市機能を動かしてる感じ.もちろん首都なので,お店とかレストランとかはたくさんあるし,市内の見所だって多いのだが.
あと国立宮殿の中庭には猫がいっぱいいる.

メキシコシティ近郊の古代遺跡.ちなみにスペイン語の発音だと「テオティウアカン」みたいな感じだ.「カ」のところが強い.
紀元前からある都市で,7世紀ごろに滅びたいきさつはよくわかっていないらしい.いわゆる謎の古代文明だ.まあ実際のところ,単に戦争に負けたとか疫病が流行ったとか別の町に勢力を持ってかれたとかその程度の話なのだろう.アメリカ大陸の古代文明については,スペイン人に荒らされたのもでかいけど,文書がほぼ存在しないのが痛い.アレだ,文書があれば歴史学で,文書がなければ考古学なのだ.具体的なお話は残らなかったのだ.ロマンがあるという見方もあるかもしれない.
実際に歩いてみると,でかい.とにかくでかい.ピラミッドもでかいがなにしろ敷地がでかい.はじからはじまで2キロ近くある.この距離を,直射日光を受けながら,ピラミッドとか見物して歩くわけだ.飲み水と帽子の用意は必須である.忘れた人向けに,入口に帽子屋が何軒もあるほどだ.
3世紀ぐらいに最盛期を迎えてるこの遺跡と,中世に近いアステカ遺跡とを比べたりしても,建築とかにはそれほど大きな変化がないような気がする.まあ現代みたいな科学技術が使えるわけじゃないからそんなもんか.
どうでもいいがトラロック神像はなんとなくシシマイに似ていると思う.

某ガイドブックとか,「グアナファト」というカタカナ表記がときどき見られるけど,これはスペイン語の音と似てない気がする.断じて「ファ」ではない.「フ」のとこにも母音が入るのだ.
それはともかく,グアナフアトは町並みマニア大歓喜の町だ.ここに来るのは今回のメインイベントである.コロニアル都市であるにもかかわらず格子状の町ではなく,旧市街は入り組んだ路地で構成されている.アップダウンのはげしい立体的な地形で,さらに,何本も地下道が走っていて,離れたポイントが相互に結ばれていたりする.無意味に散歩するだけでも数日間余裕で過ごせた.
ところでこの地下道,地球の歩き方には「危険なので歩くのはおすすめできない」とか書いてある.だがどう危険なのか書いてないのだ.交通事故的に危険なのか? 強盗が出やすいから危険なのか? 実は昼間にちょっとだけ歩いて通ってみた(もちろん他にも人が歩いているタイミングを狙った)けど,とりあえず何もなかった.移動手段としては便利だし,観光的にもおもしろいので,監視カメラを入れたりガードレールを付けたりして安全面に配慮すればいいのにと思うなあ.
それとグアナフアトは大学も有名なので,大学見物家の俺としてはこっちも見物することにした.斜面に作られた本館の複雑な構造は大変すばらしい.方向によってフロア数が違ってたり,複数の建物が結合されたりしているタイプだ.こういう建築はぜひ日本の大学でもやってほしいけど,やっぱり値段的にアレなんだろうか.思うに,こういう建物を一度に作るとコストがかかるから,無計画に建増ししながらちょっとずつ作ったらいいんじゃないか.
正直,建物や町並みの面白さについては,装飾や彫刻の類いはそれほど重要ではないというか,要するにあれはフレーバーだと思う.構造のほうがずっと重要だ.
グアナフアト郊外に,銀鉱山のあるエリアがある.というか,鉱山が発見されたから,近くにグアナフアトの町が発展したと言うほうが正しいか.
というわけで,ここでは鉱山の跡なんか見物できる.……のはいいんだが,ガイドブックにもあるとおりガイドの説明は全てスペイン語だ.見物できるところは二箇所あって,最初に行ったほう(San Cayetano)は客がたまたま俺一人だったので,ガイドのおっさんはかなりゆっくり話してくれて,なんとか言ってることが理解できた.でももう片方(San Ramon)では,俺のほかにスペイン語圏の客が四人もいたので,ガイドの兄ちゃんはふつうの速さで話し,ほとんどわからんかった.まあ,別にそんなたいした話でもないだろう.
San Cayetanoにはそれなりに観光客がいたのに,San Ramonのほうはちょっとだけ離れてるせいか客がすごく少ない感じだった.でもSan Ramonのほうが,展示品は充実しているし周囲の建物も整備され,若干テーマパーク感が出ている.もういっそのこと共通チケットにして,バス乗り場のあたりで売ったらいいと思うんだがどうだろうか.
どうでもいいけどSan Cayetanoでは「ここはまだ掘っている」とか言ってたような気がする.ほんまかいな.
オアハカはわりとはなれたところにあるので,次の目的地であるグアナフアトまではかなり遠い.バスを途中で乗りついで12時間以上かかる.たいへんめんどくさいので,途中で一泊することにした.なお,プエブラ→グアナフアトというバスは6時と13時に存在する(プチ旅行情報).
さて,恒例の失敗談のコーナーだ.
到着してから,次の日のバスの切符を買ったりホテルを探したりしてるうちに夕方になってしまった.それでも,少しぐらいは観光をと思って中心部に出てみるつもりが,市バスを降りるポイントを間違えて大幅に時間をロスし,結局夕食を食べただけになったという話.
バスターミナルからの市バスは中心部をダイレクトには通らないようで,近いところで降りて2ブロックほど歩かないといけなかったらしい.乗ってるうちに,明らかに「降りるタイミングをのがした」ということはわかったので,じたばたせずに終点まで行って逆向きに乗ろうとしたところ,町外れの終点までは1時間以上かかったのだった.しかしまあ途中のよくわからない地点でうかつに降りても,そのあとどうするか悩むところだ.逆行きが同じところを通るとも限らないし.
終点で,さすがにバスの運転手が不審に思い,どこに行きたかったのか聞いてきた.中央広場に行きたかったと答えると「このバスがそのまま折りかえすから,ちょっと待ってろ.降りるところで教えてやる」とかなんとか言って,なんか缶コーラをくれた.人の情けが身にしみる.

観光客が多い感じの町なのであるが,実は市内にはそれほどたくさん観光名所があるわけではない.ただ周囲には,現地の人々の生活を垣間見ることができる村々,モンテアルバンをはじめとした古代遺跡,トレッキングできる山とかそういうのがいろいろあるのだ.市内では,教会とかをひととおり見たら,あとはおみやげ屋めぐりが定番らしい.なんか町としては先住民デザインを元にしたアート雑貨が重点らしく,そういう店はたくさんある.別に興味ないので行ってないけど.
周囲のスポットでは,モンテアルバンのほかにはトラコルーラという村に行ってみた.ここはあたりで最大の聖堂があるので,日曜に人が集まり,大規模な市が開かれるので有名である.まあ別に買うものがあるわけではないけど,裂けるチーズ(オアハカ地方名物)とかよくわからない飲みものとか買って,教会の庭で座って食べたりした.横に座っていたじいさんにスペイン語で話しかけられて大変だった.のどかでいい雰囲気だとは思う.
オアハカで町並み的にまず気になるのは,なんかアレだ,建物が低い.平屋かせいぜい二階建ての建物が多い.これは景観的に意図してやっているのだろうか,それとも単に地方都市で人口が少ないだけなんだろうか.道路も広くて,なんか日射しをさえぎるところが少ないんだよな.公園とか中央広場とかの木陰は大変重要である.なお,中心部だけは少し高くてきれいな建物で揃えられていて,街路も石畳で仕上げてあったりする.このへんはいわゆるコロニアル調というやつだろう.
構造としては,ラテンアメリカに多い街路が格子状になった町だ.地形も単純なので,路地を迷ったりするような楽しみはほぼない.

メキシコ南部,オアハカ近郊にある古代遺跡.
なんとなくメキシコの古代遺跡というとジャングルの中にあるようなイメージだったけど,よく考えたらメキシコ国土でジャングルなのはユカタン半島だけなのか.ここの遺跡は,大きくひらけたところに建物の跡が並んでいる感じだ.おかげで,とにかく日射しがきつくて暑かった.基壇の上にあったはずの建物はほとんど破壊されてしまっているし,小高い丘の頂上に位置していて,遮るものが何もないのだ.なんとなく帽子を持ってきておいてよかったと本当に思う.
あと変な絵とか絵文字とか描いてある石碑も,別にマヤ文明の専売特許じゃないようだった.全然知らんかった.
丘の上に建物跡が集まっているということで,雰囲気としてはベラト(アルバニア)の城やシーギリヤロック(スリランカ)のような天空城系である.人間,やはり高いところには惹かれるものなんだろうか.どれも建物自体はあまり残ってないのが残念なことである.この手の遺跡で,ちゃんと建物がしっかり残ってるのってあったっけか?
というか古代メソアメリカ文明は結局のところ全面的に滅亡してるからどうもよくわからん.一部勢力だけでも現在まで存続してたら面白かっただろうになあ.

今度はクロアチアの首都だ.関係の深い二国の首都同士,しかも電車で二時間ほどの距離というのに,電車やバスの便が日に数本というのはいまいち理解に苦しむ.日本人の感覚では一時間に一本出したいぐらいだ.まあ人口が全然違うわけだけど,でも,リュブリャーナからのバスに乗ろうとしたら「次のバスは満席だよ」とか言われたんだよな.もうちょっとあってもいいじゃん.
それはともかくザグレブの町は大都市である.今回訪れた町の中ではぶっちぎり最大級であろう.人も多いしかなり栄えている様子である.むかし一度来てるはずなのに,「こんなにでかい町だったっけ?」という感じだった.いや,10年前に比べるとやっぱり経済成長してるのかもしれないな.郊外のでかいモールなんかはわりと新しそうなのも多かったし.
で,大都市なんだけど,まあ,観光的には地味で,観光名所の多いクロアチアではわりと残念扱いにされるかわいそうな子でもある.いや,大都市でインフラもまあまあだし,町歩きするぶんには十分おもしろいところだと思うよ.買い物や食べ歩きしてもいいし.
某ガイドブックの読者投稿欄で,あるレストランについて全然だめとか時間の無駄とかぼろかすに書かれていて,むしろ逆に気になったので入ってみた.確かに大衆食堂ふうでそれほど洗練されてない料理だったけど,別にまずいとか時間の無駄だとかまでは思わなかったなあ.ビールもつけて二人で1700円ほどだったし,コストパフォーマンスは悪くないと思ったんだけど.カツレツとかむしろうまいほうだと思った.

スロベニアの首都.10年前に一度来ているのだが,そのときは雨が降っていたのでろくに観光もせずにショッピングセンターとかに引きこもっていた記憶しかない.まったく雨は苦手である.今回は雨じゃなかったので,それなりに散策できて満足だ.
リュブリャーナはなんというかオサレにちいさくまとまった町だな.正直言って目玉となる観光名所は別にこれといってないんだけど,ヨーロッパの町の雰囲気を楽しむにはなかなかよいと思う.町のディスプレイなどもなかなか洗練されているし,なによりヨーロッパの大都市としては飛び抜けて安全だし.それとヨーロッパの大都市ではときどきあることだが,ここでも,中世からのいわゆる旧市街だけでなく,外側の新市街もみどころのひとつだと思う.なかなかいいビルが並んでいておもしろい.
いちおう丘の上の城跡が観光名所であるが,なんというかアレは市民の憩いの場というか,公園の豪華な奴というか,そういう感じがした.普通にイベントごととか写真ギャラリーとか結婚式とかそういう用途に使われてるし.
ところでリュブリャーナは,一応観光客が来る町にもかかわらず,安い宿の選択肢が限られてるのがちょっとつらい(ノヴァ・ゴリツァなんかも宿の選択肢が少ないが,あそこはそもそも来る観光客が少なかろう).スロベニアはもともと物価が高めなので,ある程度はしょうがないのだが.前回来たときは,安めのゲストハウスを探すのにけっこう苦労して,しかも町の中心からだいぶ離れたところになり,めんどくさかった覚えがある.今回は,インフォメーションに行ってみたら,中心部近くなのに一泊58ユーロの宿が紹介してもらえて助かった.

スロベニアとイタリアの国境にある町だ.
第二次大戦後,ゴリツィア市(イタリア)の郊外がユーゴスラビアに割譲
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冷戦で東西に分断されたままそれぞれ発展
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冷戦終了,ユーゴスラビア解体
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スロベニアがシェンゲン圏加入,イタリアとの国境審査も撤廃
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再び往来が自由に
というような歴史を辿った町で,冷戦期はベルリンよろしく分断されていたそうである.スロベニア側のノヴァ・ゴリツァはもともと郊外だったので,旧市街だとかそういうものは一切ない.中心部はまっすぐな道路に四角いビルが等間隔で並び,いかにも20世紀後半に新しく作った町である.いかにもイタリア風の旧市街が残るイタリア側ゴリツィアと,ずいぶん違ってておもしろい.
実際,今ではある種役割分担のようなことが起きているのかもしれない.ノヴァ・ゴリツァのカジノにはイタリア側から客が来ているらしいし,駐車場完備の巨大ショッピングモールなどもイタリア側にはなさそうである(どうでもいいが,スロベニアには妙にこの手の巨大モールが多い気がする.どんだけ車社会なんだ).逆にイタリア側でスロベニアナンバーの車を見かけることもあった.どういう用事なのかは知らないが.
夕食はノヴァ・ゴリツァのレストランで食べた.人気の店らしく混雑していたのだが,けっこうイタリア語を話すお客も来ているようだった.店員の人達も,普通に両方の言葉を使って応対していた.さらに当然俺達には英語であり,いろいろ大変だと思った.スロベニア語とイタリア語と英語ってそれほど似てないよなあ.なお,主なメニューはピザなどのイタリア料理であった.

鍾乳洞やピランに観光に行く拠点としては,この地方の中核都市たるコペルに滞在していた.ここはいわゆる港町である.クレーンやコンテナがいっぱいだ.
コペル自体にも旧市街はあって,それなりに雰囲気がよさそうではあった.でも周囲の観光をするにあたって大変非効率的に行きあたりばったりで動いた結果,コペルの町自体を観光する時間がなくなってしまった.結果として,コペルの町については宿泊した家とか(一般家庭の一部を借りて泊まるタイプ),住宅地にあるちょっとした商店街とか,バスターミナルの窓口がひとつしかなくていつも行列ができてることとか,てきとうな店に入ってアイスを食べたりしたこととか,そんなことばかり記憶に残っている.
それでも鍾乳洞から戻ってきた夜,夕食を食べに旧市街に行ってみたりもした.この町自体に観光に来る人は少ないせいか,ふつうの店はほとんど閉まっていたしカフェやレストランの類も静かなものだった.そのわりには,ときどき人が歩いているのが不思議な感じである.静かだけど雰囲気はわりと平和な感じだ.あと夕食で食べたイワシの空揚げみたいのが思いのほかうまくてびっくりした.
ところで,この町も周囲の住宅地はものすごい坂道ばっかりである.今回の旅行は山国が多いので,こういうパターンが多いなあ.

俺は雨と寒さが苦手である.大変残念なことに,スロベニア西部に滞在していた数日間は,ほとんどずっと冷たい雨が降っていた.ピランはアドリア海岸の古い町で,ヴェネツィア風の町並みを散歩するのが楽しいステキな観光名所……というはずなのだが,どうにもそういう気分じゃない雰囲気だった.雨もさることながら,なにしろ海に突き出した半島なので,風もけっこう強いのだ.特に外周の道はひどくて,観光シーズンなのに閉めてる店まであったほどだ.
あとオープンカフェが多いのも,いい天気ならよかろうけども悪天候ではつらかった.路地裏にあった小さなカフェに一旦逃げこんで,やっとなにかする気力が出てきたものである.というかそのままカフェにこもってようかと思ったぐらいだ.でもヨーロッパ人の観光客たちはわりと寒さに強いのか,普通にオープンカフェにも客がいたりしてびっくりした.
まあせっかく来たのでがんばって散策してみたところ,確かに小規模ながらそれなりに入りくんでいて,わりといい路地ではあると思った.これで天気がよければ猫の一匹や二匹出てきただろうに.あとはまあ,町を見下ろせる城壁に登って,ありがちな写真を撮ってみたりとか.

というわけでスロベニア観光だ.ここの鍾乳洞は,鍾乳石などの一般的な鍾乳洞の景観が楽しめるのはもちろん,途中から地下に川が流れてるエリアが観光できるのがハイライトである.俺たちが行ったときはちょうど雨が降ったあとだったので水量が増えており,巨大な空洞に逆巻く地下大河という,他ではちょっとお目にかかれない景色を楽しむことができた.
ここは内部の撮影は禁止ということになっている.でも,実際にはけっこうみんな写真を撮ってるし,ガイド氏も気づいてるだろうに見ぬふりをしてるフシがあって,なんだかおかしかった.さすがにフラッシュを使う奴はいなかったようである.参加したグループはイタリア人が多かったんだけど,ひとつ前のドイツ人が多いグループでは,みんな決まりを守ってたりして.
ところで,ここは例によって交通が大変に不便である.まず最寄り駅のディヴァチャまでの列車は日に数本しかない.たとえばコペルを出発点とすると,事実上10時発か13時50分発の二択である.しかも夏以外は後者は不可(鍾乳洞の営業時間が短くなるため).さらに,ディヴァチャ駅から鍾乳洞までは歩くと小一時間かかる.無料の送迎バスがないこともないが,これも日に数本であり,なおかつ時刻もそれほど便利ではない.シュコツイヤン鍾乳洞はガイドツアーでないとそもそも入れないのだが,そのガイドツアーが出発した直後に平気で到着したりする.夏季以外はガイドツアーが日に二〜三回しかないので,下手すると送迎バスで到着したと思ったら「もう終わりましたよ」とか言われて,そのまま引き返すようなことにもなりうるようだ.
あとディヴァチャまでバスでも行けるみたいだが,別の行き先のバスに乗って途中下車する感じなので,時刻などは窓口でちゃんと確認する必要がある.コペルのバスターミナルの窓口はいつも混んでるので,微妙にめんどくさいな.
ともかく,行こうと思ってる人は,公式ホームページなどでツアー開始時刻を調べ,何時ごろ到着できるかちゃんと検討してから行ったほうがいいと思う.切符売場には「切符の販売はツアー開始の30分前までです」みたいにも書いてあったが,どの程度厳格にしているのかは知らない.
というか,適当に行くならディヴァチャに泊まるのが楽だな.

今回の計画では,Yが合流したあとの主な行き先はスロベニアである.そこで,プリトヴィッツェに寄ったあと,なんとかしてスロベニアまで移動せねばならない.プリトヴィッツェからまず北上し,カルロヴァツでバスを乗りかえて西へ行くと,リエカまではわりと簡単に行くことができた.しかしここからが大変で,西部の国境を越えてスロベニアに入る公共交通機関はそんなに充実していないのだ.しかも日曜なので例によっていろいろ減便されている.
スロベニアに行けるバスは18時発だとか,鉄道に至っては明日の10時だとか言われてけっこう弱った.今回はいつもより予定が詰まり気味なので,リエカで半日足止めは苦しい.吝嗇旅行者の俺としては相当悩んだのだが,止むを得ず今回はタクシーを使うことにした.多少負けてもらっても85ユーロかかったけど,まあ二人分だしな,と自分をなんとか納得させたのだった.
ところで,クロアチアとスロベニアの国境付近には,両替所がやたらとたくさんある.国境検問所の建物の中とかじゃなくて,道路沿いに個人がてきとうにブースを建てて営業しているようなのだ.つまり,このへんは自家用車やレンタカーの類で通る人が多いということなんだろう.もともと,この付近はわりと車社会なのかもしれない.スロベニアに入ると,どういうわけかバイクに乗ってる人も増えたような気がした.
あとプリトヴィッツェを出発するバスの発車時刻が,案内所で聞いた時刻より15分ぐらい早かったのはいかがなもんだろうか.たまたま早めに行ってみたから乗れたけどさ.
ザグレブでYと合流し,ここからは二人旅である.俺の旅行では普段は基本的に都市しか行かないのだが,今回はYの希望でここに来ることになった.クロアチアで最も有名な国立公園であり,観光客もわんさと来ているところだ.
正直,敷地がかなり広いので,無計画にうろうろしてもなかなかうまくいかないというか,無用に大変な目にあうというか,そのへんは注意が必要である.というか俺たちはまあ大変な目にあったわけだ.一番の失敗は,宿泊先から遠いほうの入口でバスを降りてしまい,荷物を持ったまま長時間移動するはめになったことである.しかもわざわざ遊歩道を歩いたのでかなり疲れた.
あと,暗くなる前に宿泊先に戻れるよう,ちゃんと計画してなかったのも失敗だ.終盤は道が見えるか怪しいぐらいで,少々危なかった.なんとなく,夜になったら明かりがつくかなとか,営業時間が終わりに近づいたら係の人がチェックして回るかなとか思っていたけど,もちろんそんな都合のいいことはない.よく考えたら国立公園てそういうもんじゃないよな,テーマパークじゃあるまいし.ホームページとかに書いてある「営業時間」というのは,要するにその時間を過ぎたら各ブースが閉まっちゃうよというだけの話だ.某ガイドブックに書いてある「営業時間7時〜20時」という表現は正直誤解を招くと思う.
それと,どうもよくわからないのは,チケットのシステムである.別に入口にチェックポイントがあるわけではなく,園内の遊覧船に乗るときだけチケットをチェックされた.つまり,遊覧船に乗らないなら別にチケットを買わずとも園内を自由に散策できる気がするし,実際泊まったロッジの人もそう言っていたのである(正確には,「明日の朝はそのチケットは無効になるけど,別に散策するだけならできるから」と言われた).ルート的には遊覧船に乗らないと行けないような場所があるわけでもないし.なんかガイドブックに書いてあった内容と全然違う気がするんだけど.これは寄付的な意味の強いチケットなのだろうか?
いや,うん,ブルーの湖や滝の多い景色は確かに綺麗だったよ! ちなみに,ネットによく下の写真とそっくりな写真があるのは,ちょうどこの角度から見ることができる見晴し台があるからだ.

ヤイツェよりさらに北までやってきた.もうすこし行くとクロアチアである.
ボスニア・ヘルツェゴビナという国は,内部でセルビア人主体の「スルプスカ共和国」とそれ以外が主体の「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」の二つの「国」(というか何というか)で構成されている.そのスルプスカ共和国のほうの事実上の「首都」がバニャルカである.なるほどややこしい状態だ.
ボスニア・ヘルツェゴビナはどうも国土のほとんどが山奥のようなのだが,バニャルカのあたりは多少たいらな土地があるようだ.バスに乗っていて,町に近づくと突然視界がひらけたのでびっくりした.土地に余裕があるためか,この町はロシアの町のようなわりとおおまかなつくりである.大型で低い建物が多く,道は広めで,建物と建物の間も広い.いわゆるヨーロッパ的なぎゅっと詰まった市街地はほんの少ししかない.
観光客が少ないせいか,レストランがあまりないのにはちょっと苦労した.中心部には,カフェバーの他はファーストフード店ばっかりだったのである.というかファーストフード食べたらよかったのかもしれないが,もうすぐ国境を越えるので兌換マルク(ここの通貨)を使いきりたかったんだよなあ.
でも,「観光客でなくて住民向けの大型書店」というものを見つけられたのも,この町の特徴のおかげかもしれない.前書いたかもしれないが,俺は「外国で数学のテキストを買う」という趣味がある.この際,内容が比較しやすいように,だいたい大学入試程度のレベルのものを探すことにしているのだが,この国では高校(相当)のテキストは初等教育のテキストとは別に扱われているらしい,というのをこの店で初めて知ったのだった.道理でなかなか見つからないはずだ.

サラエボ北西の小さな町.ここの名物は,町の真下にいきなり滝があることだ.小さな丘の上が旧市街で,その下に滝が落ちている.20mぐらいのサイズの滝で,近づいてみるとそれなりに迫力があった.所持品の水濡れを心配したほどである.というか,仮にも滝なのに,かなりぎりぎりまで近づけるおおらかさに感心した.
ここは中世ボスニア王国の最後の首都だそうで,まあ旧首都ジャンルの町と言えないこともない.というわけで旧市街はそれなりに歴史ある町並みなのだが,なにしろ三民族の勢力圏の中間あたりなので,戦争時にはそうとうな打撃を受けたらしい.現在ではかなり修復が進んでいて,よくある「綺麗な旧市街」みたいな感じになっている.町の門だけはそこそこ古そうな見た目だったけど,古いものが残ったんだろうか.なお例によって,旧市街の周囲には多少住宅街がある.古い集合住宅などは今でも穴だらけの建物がわりと残っていて,「そうとうな打撃」がどんなものだったかうかがわせる.
丘の頂上には城跡が残っており,周囲を眺めることができる.眺めてみるとわかるが,この町のあたりは本当に山の中であり,そもそも町として便利に使えるような平地はほとんどない.現代の基準ではヤイツェは小さな地方都市だが,もともと現代的なでかい町に成長できる場所ではなさそうだった.
旧市街は,おおざっぱには城周辺の「上半分」と商店街などがある「下半分」に分けられるように思う.人がたくさん集まるメインストリートがあるのはもちろん下半分のほうだ.今回は,メインストリート近くにある雰囲気のいいホテルに泊まってみた.まともなホテルに泊まるのは珍しいな.というか,そもそもこの町の宿泊施設はホテル二軒とユースホステル一軒しか存在しないんだけども.

サラエボは横長だ.川の作った谷が東から西に走っていて,その地形にそって町が作られている.一番東のどんづまりが旧市街であり,西に行くにつれて中心街→ショッピングセンターや大型ビル街→旧共産圏型集合住宅→郊外の住宅街と変わる.ふつう,おおむね同心円的に変わっていくものが,一方向だけに向いてるかんじ.ちょっとめずらしい構造だな.
また,南北の山というか丘というかそういう地区も,今では住宅街になっている.つまり,モスタルやベラトなんかの谷沿いタイプの町の大規模なもの,と言うこともできると思う.斜面はかなりきつめなので,住宅街を散歩するとかなり骨が折れる.ガイドブックに,東南の丘の上にいいレストランがあるとか書いてあったので,がんばって行ってみたのだが,それはもう大変に苦労した.確かに眺めはよかったし,飯もうまかったけども!
ところで,そのレストランに行く際,間違った道を曲がろうとしたら通りががりの人が間違いを指摘してくれた.しかもかなり遠くから.つまり,こんなところまで外人観光客が登ってきたということは件のレストランに行くんだろう,ということが容易に想像できるらしい.いずれにせよ,親切でありがたいことだ.
サラエボは戦争時にそうとうひどいめにあったことで有名だ.でも現時点ではまあなんとかそれなりに復興が進んでおり,日常生活を送る上でそれほど不都合がないぐらいには回復している.観光客だってわりと来ているのだ.まあ,郊外に行くとまだ弾痕の残ったビルがあったり,博物館や研究機関などの文化的組織が財政危機になってたりというようなことはあるようだが.
観光的には,西欧風の町並みとトルコ風の町並みが共存しているというのがウリである.まあ,ひとつぶで二度おいしい的なアレだ.……トルコ風の建物やお土産に興味があるなら最初からトルコ行けばよくね,と多少思わなくはない.

トレビニェからサラエボに行く場合,北上してボスニア・ヘルツェゴビナ東部の山地を抜けるバスに乗る.国立公園にもなっている山地であり,ガイドブックによればなかなか景色がよろしいそうなので,期待してバスターミナルに向かった.
昨日調べてみたところ,サラエボ行きのバスは,早朝の次は16時である.11時発があるとかいう話だったのだが,なぜか無くなっていた.しかたがないので,途中のフォチャという町まで行くバスに乗って,そこでサラエボ行きに乗りかえることにした.
しかも,フォチャ行きなら11時にあるはずと思って行ってみたら,これも12時40分までないらしい.よくあることだが日曜はバスの便が少なくなっているようだ.ふむー.結局,一旦戻ってカフェでひとやすみ.
あらためてフォチャ行きに乗った.しばらくはモスタルから来たバスと同じ道だが,途中から東の道に分岐.ガツコなる町を過ぎると急に周囲の山が険しくなってきて,山水画みたいな岩山が聳える景色になった.確かになかなか見応えがある.バール鉄道のときの風景と似てるな,と思ったのだが,よく考えたら同じ山系の反対側と言ってもいいぐらい近いな.まあ,時間も短いし,バール鉄道よりは楽かもしんない.
フォチャからサラエボまでの間も,木は若干増えたけれども険しい山を縫って走ることには変わりない.荒く掘っただけでコンクリートで固められたりしてないトンネルとか,少々スリリングな場面もある.正直,「わりと長さがあってカーブもしているのに,明かりがないトンネル」というのは,さすがにいかがなものかと思った.
