ミント
今週のAERAは特大号なので390円(360円握って駅の売店に行くとカックリくる)。真ん中辺りの特集は学童保育の件なので、色々と考えている人は読んでみるといいかも。首都圏が主眼になってしまうが、大雑把にだが俯瞰できるデータもある。

コスト削減のあおりを受けて学童保育が無くなったり全児童対象の放課後学級のような形になってしまうところも多いようだ。この点は川崎市がよく例に出てくるのだが、ここは学童保育は全廃して、放課後の学校開放する趣旨の「わくわくプラザ」に吸収させる方向らしい。今まで万年定員待ち状態だったのが解消される分、質の低下が心配されている訳だが…。

各自治体とも工夫はしているようだけれど、どこも一長一短だね。後はどう落としどころを見つけていくか、なのだろうけれど、まさか「おやつ問題」なんぞがあるとは思わなかった。ふと、自分が子供だったとしたら、学童保育の子供とそうでない子供とでは放課後に一緒に遊べなかったりすれば寂しいかも、と思うのだが、そこまでかっきり分けている訳では無いのだろうか?

私は子供は持たないつもりだけれど、もしも一日が36時間あったら、働いているあいだの子供の保育体制がもっと整っていれば違っていたかも、と思うにつけ、このような問題は他人事では観ることができない。

また、別の記事では代理母の話を採り上げている。不妊の問題については今まで数週に渡って記事にしてきたのでその関連とも言えるのだろう。

私は、不妊に悩む人が多いのは、「子供を持って一人前」とか「女は子供を産み育てるのが幸せ」とか、そういう意識を植え付けてしまっているところにも問題があるのではないかと考えている。また、どこかで読んだ覚えがあるが、婚外子の差別が無くなり公的な補助ができたならば、もっと出生率は上がるのではないか、という話もあった。もっと、多様な生き方が普通にできる時が来ればいいと思う。そうすれば、純粋に自分(たち)の問題として考えることができるのでは無いだろうか。
環和我話 2003-11-14 00:15「覚悟」へのコメント:
日頃から社会的な男女の差異に異論を唱えている私ですが、こと戦争・軍隊のことになると歯切れが悪くなります。例えば私は月のものが重い方なのですが、今実際に過酷な状況にある人たちは一体どう対処しているのでしょう?先の大戦の時には女性は徴兵されなかった訳ですが、次(あるとは思いたくないが)はどうなるか分かりません。性差の話だけではなく、最近だいぶ一般的に知られてきた精神的な病の場合はどうなるのでしょうか?

どちらも、薬である程度回避することはできますが、そのしわ寄せがどこに来るか分かりません。長期化した場合など尚更でしょう。そして何より。有無をいわさず戦地へ送り込まれることがあるとすれば。ヘタレかも知れませんが、逃げて逃げて逃げまくって、捕まったらひと思いに殺された方がどんなに楽なことか。

子供がいないので配偶者に置き換えて考えてみたのですが、子供に対する「戦争へ行かせたくない思い」とは違っているような気がするので、ちょっと内容を変えてこんな反応をしてみました。

それにしても、どうしたら「本当の民意」が国に反映されるのでしょうか。こうやって意見を言えるだけましかも知れませんが、本当にこの国は民主主義国なのでしょうか。選挙の投票に行っても空しいばかりです。
【このトピックへのコメント】
  • 環和我話「Re:戦場にて」何度でも反復使用が可能なナプキン、なんていうのを発明して特許をとれば、女性も戦地に狩り出されるようになったとき、一儲けできるかもしれません。とまあこれは冗談ですが、結局、戦争というような通常とは違う状峡..(2003-11-18 23:32:57)
私は頭の中身が古いので、「ひとだんらく」と聞いただけでも目くじらを立ててしまいそうになるのだが、そんなことを言っていると最近巷でよく聞く言葉だけで発狂してしまいそうだ。

巷では結構話題になっていることだが、私も「ありえない」の用法の変化にはかなり違和感があった。「ありえねー」と連発するカレ、カノジョ。先日など、近所のとんかつ屋で隣テーブルになった私と同年代の男女四人が5分間の間に「ありえない」を4度も連発していて、「すごい密度」とここまで来ると感心するほか無く、笑ってしまった。

それと、時々聞かれるようになった「よろしかったでしょうか」という話法。
http://www.ifnet.or.jp/~akizuki/
こちらのサイトの「サブカルチャー言語学試論」ではかなり肯定的な結論が出ているようだが、私には単に、店側の責任を回避する効率のよい方法を編み出したとしか思えない。
この言葉を聞くと「現在のことなのに、もう過去形かよ!」と三村ツッコミをしてしまう。

文化というものはあるところではどんどん細分化し先鋭的になるのに対し、共有できるところはとことんまで丸められて(つまりは効率優先)しまう性質を持つのだろう。その「丸め」に抵抗するなんて、無駄な労力だとは思うのだが、生きている限りこうなんだろうな、きっと。

※お恥ずかしながらこんな文章で言葉の使い方を間違えてしまったため、一部変更しました。
【このトピックへのコメント】
  • ダク?? 僭越ながら申し上げますが「流れに棹さす」の本来の意味は「傾向に乗って勢いを増すような行為をする」です。棹さすも「機に乗じる」という意味です。「勢いを失わせるような行為をする」ではありませんよ。勘違いなさっていると想います。(2003-11-18 18:45:38)
  • ダク……すみません、メールにすれば良かったですね。(2003-11-18 18:51:36)
  • bmああ!勢いで書いてしまった。こんな文章に間違った言葉を書いちゃいかんと思っていたのに。ご指摘ありがとうございます。昔勘違いしていたのが時々こうやって出てきちゃいますね…。(2003-11-18 19:33:07)
  • ダク言葉尻を捕るような真似をして申し訳ありません……。でもフッと気を抜くと勘違いが出てしまうことってありますよね。直していただけて嬉しいです。(2003-11-18 19:41:30)
環和我話 2003-11-18 23:32「Re:戦場にて」へのコメント:
なるほど、痛みと不快さ以外は解決の糸口はあるということですね。気が散って戦闘なんかできそうにないですが。

それにしても、戦争とは正義ではなく、それで金儲けできる人が力を持っていれば始まるのだというのはごもっともですね。アメリカだと大統領の周囲の利権などが色々と取りざたされているので分かり易いですが、日本だとどうなるだろうか?

世界というのはイデオロギーで回ってるんじゃないんだなあ、というのは、大人になって分かったような気がします。子供の頃は、まだ夢を見ていたような。
そういえば、イアン・マキューアンの『贖罪』には、チョコレートバーを軍に納めることで一儲けする家が出てきます。こんなところにも利権が。

近頃叫ばれている「強い日本」というのが、どうも私の考えている強さとは違っているような気がしてなりません。少し前のAERAの政治家向けのアンケートでは、核保有や軍備も積極的選択肢に入っている人が結構大勢いたのを覚えてます。「これが本当の強さか」という問いが目の前にあるのは誰もが分かっていながら、見ないようにしている感じ。

それにしてもDI:DO、こうやって日記間でコメントを書くのがとても楽ちんですね。ライコスダイアリーの時は、参照元の本文が出てこないので、別のところにペーストして見ながら文章を書いていたような(下書き無しに、フォームのボックスに直接書き込むワタクシ)。
ウムイ 2003-11-25 12:52「Re:なんともはや」へのコメント:
…連鎖どす。

最近、明治以降の文士のエピソードが入ってる作品を読む機会があったのですが、その昔は長男が家長として家族の金銭的な不始末を引き受ける、といったケースは当たり前にあったようですね。もう、だいぶ少なくなっているのでは無いかと思っていたのに、そういうことを引き受ける覚悟のあるくろひょうさんは、責任感がとても強いのだな、と感じました。私にはとてもできません。

昨日、丁度、谷口ジロー(絵)・関川夏央(原作)『「坊っちゃん」の時代』を読んでいたのですが、文庫本でいうと3巻目が丸ごと石川啄木の話です。この人は抒情派詩人であり、あの少年のような風貌に騙されている人が多いようですが、借金地獄から抜け出ることができなかったのは彼を少し知る人には当たり前にのエピソードだと思います。しかし、この漫画で読むと分かりますが、この窮乏生活には、彼の性格にも大きな原因があったようですね。その辺りの心理が実にうまく表現されていて、驚きました。
そういうのを読むにつけ、借金という状態に慣れてしまうのは、絶対に良くないな、と感じています。