「いやぁ、何とかご希望通りの札幌と岡山を割り当てましたよ!」

来月の全国研修ツアーのスケジュールと担当トレーナーが昨日の会議で発表された。研修ツアーでは、トレーナーは2人1組でそれぞれ7〜8ヶ所の研修会場を巡って行くのだが、1月の研修ツアーでは、私のようなベテラン年代のトレーナー達は、雪と極寒が予想される北海道や北陸は避けてもらっていた。と言うより、強引に避けさせた。寒いのはイヤじゃ。

だが、今年は雪が少なく、寒さも予想されたほどでもなかった。しかも札幌では、またしても魚介類の安くて旨い「揚子江」という店を知った担当トレーナー達は、毛ガニやらウニやらをしこたま食べてきたと言うではないか! そんなオイシイ話を黙って見過ごすテはない。3月では旬の終わりに近いが、何としても駆け込みリベンジしに行かねばならん!

一方、南に目を移せば、昨年3月に食べた岡山の鰆の刺身がある。担当トレーナー達によれば、1月の研修ツアーの時もノドグロと共に鰆の刺身があったそうだが、やはり瀬戸内の鰆の旬は早春だろう。行く店は決まっている。時折メルマガが来る「岩手川」である。

という訳で、冒頭の同僚のセリフに気を良くしつつ、配られた3月研修の担当表に強い希望通りの札幌と岡山が入っていたのを無事確認したのである。(感謝

だがその直後、なぜか私は一抹のドンヨリとした不安を本能的に感じた。

で、もう一度スケジュール表をよくよく眺めた途端、そのワケが分かった。今回の最大の目玉である札幌研修の日が、なんと月曜日だったのだ! 目当ての毛ガニやウニにありつけるのは、当然前泊移動の夜である。研修当日は、終わればとっとと帰京するのでそんな余裕は皆無だ。誰だって早く帰りたい。

前泊の日は日曜日。ご当地の社員も常連だというその店に恐る恐る電話した。
「いつもお世話になってます。ところで、おたくの定休日は?」
「はぁい、日曜・祝日で〜す!」という元気な声。orz

それを聞いてフロアに湧き上がる同僚達の大笑いの声。をい、こりゃもしかしてイジメか? いいや、きっとそうに違いない!

かくなる上は、自腹で後泊するか、急いで食べて最終便を目指すしかない。それともスッパリ諦めるか・・・まぁじっくり考えるさ。(涙

9時前にゆっくりと目が覚めた。そういえば、今朝は3万人が走る大都市市民マラソン「東京マラソン2007」である。スタートは9時過ぎで、その号砲は家からでも聞こえるはずだ。

この東京マラソンは、今まで「東京国際マラソン」と「東京シティロードレース」で別々に行われていたレースを統合して初めて行う大会だという事である。都庁をスタートし、皇居、銀座、浅草など都心の観光名所を巡って東京ビッグサイトにゴールする新コースで、同時に10キロレースや車いすレースも実施される。

だが、図ったかのような生憎の雨天。それでもTV画面には、東京メトロから配られたビニールカッパを着た驚くほど大勢の参加者が都庁前の道路を埋め尽くしていた。3万人という数の群集とは、これほどの景色を作るものだとしみじみ感じ入った。まさに「人間絨毯」である。

参加選手で記憶にあるのは、歴代2位の2時間4分台の記録保持者のコリル(ケニア)、04年東京国際優勝者で6分台の記録保持者のダニエル(ヤクルト)、アテネ五輪で最も有名な銅メダリストのデリマ(ブラジル)などの外国勢。

日本選手では、アテネ五輪5位の油谷(中国電力)、福岡国際出走後2ヶ月の佐藤(旭化成)、同じくアジア大会出走後2ヶ月の入船(カネボウ)、5年前の箱根駅伝で花の2区でリタイアした記憶も新しい初マラソンの徳本(日清)あたりが耳にしている選手である。

また、女子ランナーは初マラソンの新谷(豊田)を始め、有森、市橋のラストラン、おなじみの谷川、山下、山口らも走る。7時間にわたる都心の交通規制も含めて、まさに市民挙げての大フェスティバルである。スターターの石原都知事もご満悦の表情だった。

それにしても銀座4丁目を大勢のランナーが走っている画は壮観だ。雨天のせいか沿道の人もまばらで、ほとんどの道路に車も走っていない。24時間人も車も動き続ける大都会で、年に一度くらいはこんな日があってもいいだろう。

レースは25kmでジェンガがスパートし後続を引き離す。必死に追う日本勢の入船、佐藤、徳本。しかしその差は開いていく。結局、2時間9分45秒でゴールの東京ビッグサイトに駆け込んだ彼が初代優勝者となった。日本人トップは2位の佐藤。

来日15年のケニア人、ダニエル・ジェンガは優勝インタビューでも流暢な日本語で答え、涙を浮かべ声を詰まらせていた。その表情からは、日本人となんら変わらないという印象を受けた。自分でも言っている通りに、30歳の彼の半分は日本人と言ってもいい。それほど日本に溶け込んでいる。

それにも増して感銘を受けたのは、彼の給水場面だった。

普通、スペシャルドリンクによる給水が終われば容器は路上に投げ捨てられる。だが、彼は手にするドリンクに添えられていた仲間からのメッセージフラッグを丁寧に読みながら走り、なおかつその都度それを外してトランクスにしまって走り続けたのである。

シビアなレース中にも関わらずそんな行為ができるのは、彼の感性という他ない。今まで見た事のないそんな光景を見て、彼の中に宿っている日本人という枠を超えたすばらしい何かを感じた。

50代後半でマラソンフリークの元上司だった人は、惜しくも抽選に漏れて走れなかったそうだが、来年の幸運を祈る。長距離走は、たぶん見ているよりも走っている中にこそステキなドラマがあると思うから。

「首相が閣議で入室した時に起立できない、私語を慎めない政治家は、美しい国づくり内閣にふさわしくない」

毎日新聞記事によれば、中川秀直幹事長が仙台の講演会で政権内の緊張感欠如に苦言を呈したそうだ。「起立しろ、私語を慎め」なんて、まるで学級会での発言レベルだ。しかも中川氏は閣僚でない部外者だ。それにしても言葉通りの閣僚がいるのもさる事ながら、そんな事をあげつらわなければならない事態の方が問題である。

「閣僚、官僚には首相に対して絶対的な忠誠、自己犠牲の精神が求められる」
「首相を先頭に一糸乱れぬ団結で最高峰を目指すべきだ」

思わず、どこの軍隊の訓示だと突っ込みたくなるセリフである。まあ、軍隊とまでは言わなくても、まるで昔のモーレツ社員時代の会社組織みたいである。それほどまでに今の内閣はタガが緩んでしまっているのだろうか。

そういえば、安倍首相の後見人を自任する森元首相も同じように「首相への忠誠心が足りない」発言をしていた。

これらの発言は、首相を庇っているつもりでも効果は正反対。よそからそんな事を言われてはトップとして立場がない。それを分かっているだろうに、敢えて言いまくる彼らはリッパなホメ殺しである。またまた支持率低下は必至だ。

「安倍人気」の原点は、拉致問題を含む対北朝鮮政策への強硬姿勢だった。小泉訪朝時の北朝鮮の態度に「向こうの態度が変わらないのなら帰りましょう」と小泉前首相に進言したと伝えられている。その結果、拉致を認めた金総書記は、何人かの拉致被害者を返還した。

しかし、思いつくままに意見を言うのと、本当に決断するのとでは大違い。日刊ゲンダイ記事の政治評論家山口朝雄氏のコメント。

「安倍首相には政治家として欠かせない決断力や判断力が備わっていません。これといった苦労もなく総理大臣になってしまったのだから、それも当然でしょう。幹事長に抜擢されたのは選挙用のお飾りのため。官房長官の時は、森元首相がバックについて根回しを担当した。まるで箱入り娘のように扱われてきたのです。修羅場を経験していないから、物事を深刻に捉え、熟慮し、苦しみながらも決断するという作業ができない。政治家としては致命的な欠陥です」

どこの組織でも将来を嘱望され、それなりのポジションが約束された人材がいる。だが、残念な事にそんな人材に限って弱いのである。組織が事あるごとに傷を付かせないよう「温室栽培」をしてしまうからである。

安倍氏もそんなプロセスを経て一国のトップになった事で「伝わる言葉がない」「判断・決断ができない」「指導力がない」が露呈してしまい、おまけに再三の発言ミスに「本当は、おバカ?」とまで言われる始末である。

こんな事なら、その気になってウッカリ総裁選なんかに出なきゃ良かった?
いやいや、それもあなたの「決断」だったんでしょ、坊ちゃん。

普段使っているメガネのフレームがまた緩くなってきたので、買った店がある中野のデパートに一週間ほど前に行ってきた。

フレームの修正はすぐにできたのだが、店員の「最近、見え具合はいかがですか?」という言葉に思わず反応してしまった。つい、「遠近両用レンズを体験できますか?」と言ってしまったのである。

実は1年半ほど前から、手に持った文庫本の文字が見えづらくなったのだ。40年も前から強度の近視持ちの自分に限って、老眼なんて発症するはずもないと信じてきた。あくまでも緊急避難用に近距離用メガネがあればいいと思い、安売り店で作った1万円のメガネを必要に応じてかけていた。だが、これはこれで結構めんどうだった。

その後、徐々に症状が進んできたので、やはりこれは紛れもなく老眼だと認めざるを得なくなった。それなら遠近両用メガネがあれば1つで済む。でもそのレンズは、遠くと手前の見え方にギャップがあって、ひどい時は階段でコケるとも聞いていた。

で、とりあえずお試しできる機会があればと思っていた矢先に、この店員の言葉だったのである。さっそく検眼室で、今の度数のレンズ+近距離レンズの合体をかけてみる。30cm以内の新聞の文字がキレイに読める。歩いてもさほど違和感がない。

「遠近両用メガネの感触は十分わかりました。考えておきましょう」と言って検眼室を出たら、そこにカミさんが座っていた。「どうだった?」「うん、遠くも近くも問題なく見えた」「じゃあ、作っちゃいなさいよ!」

ガ〜ン! おいおい、ここはデパートだぞ。今のメガネもここで勢いで作っちゃったけど、11万円もしたじゃないの! だから態度保留で検眼室を出てきたのに・・・。

でも財務省のカミさんがそう言うならと思い返し、「じゃあ、作ろうかな」とつぶやいた私の言葉を店員はしっかり聞き漏らさなかった。「そうですか! さあ奥様もご一緒に、こちらへどうぞ!」と来たもんだ。

結局、バネ式蝶番の世界的元祖「ローデンストック」のフレームに、遠近両用のため割高になったレンズを組み合わせて、なんと合計金額15万円也! どしぇ〜っ、パソコンが買えるわ〜!

おまけにカード会員になると10%オフだと言うので、使いもしないカードも無理やり作らされた。まあ、そうは言っても目は大切な器官には違いない。デパートゆえ思いっきり定価だが、その分品質とサービスに信頼が置けるのは確かだ。

そうそう、その安心を買ったと思えば、決して高い買い物じゃないよな・・・あれ? このどこかで聞いたような負け惜しみのセリフは・・・まさか中野伝説誕生?

(追伸)出来上がったメガネを受け取りに行ったら、渡された包みの中に補聴器のビラが・・・。

昨日見たNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」は、専門看護師、北村愛子氏の話だった。

生死の境をさまよう重篤患者のケア(クリティカルケア看護)のライセンスを持った専門看護師。高度な専門知識をバックボーンとした看護に対する発想は、しばしば主治医を動かす。だが、ICU4年目で担当した幼い少女の死、親友の死など、経験20年の彼女には乗り越えて来たいくつものつらい経験があった。

これらの経験を重ねて行くうちに「医療ってどうあればいいのか、看護ってどうあればいいのか。何もできないな」と嘆いていた彼女は、一つの事に気づいた。「看護に限界はなく、その限界を作っていたのは自分だった」

そして彼女は看護の仕事を極めるため、「専門看護師」の道を突き進んだ。

番組では、スタジオインタビューの最後に本人にこう訊く。
「あなたにとってプロフェッショナルとは?」

「自分のやる事を分かっていて、本当に責任を持って仕事をする人ですね。そして行動に移す人です。考えてばかりいないで、きちんと行動に移す。責任を持って行動に移すという事ですね」

いつ見てもこの番組には心が洗われ、同時に引き締められる。それはきっとすべての出演者がプロフェッショナルとして仕事をし、その現場から言葉を発しているからに違いない。だから、例えどんなに不器用に聞こえる言葉であっても、聴く者の心にズシンと響いてくるのである。

そのほか過去出演のプロフェッショナル達の「プロフェッショナル」とは?

ベンチャー経営者、秋山咲恵氏 「プロフェッショナルとは、自分が信じた道をまっすぐにひたむきに歩く人。本当にできるのかと思ったような理想が形になる。それを目指して努力する人が、プロフェッショナルだと思います」

ユニセフ、杢尾雪絵氏 「やっぱり『信念を持って人間の仕事をする』、自分の信じている事に忠実に、それに自信を持って仕事をするという事かしら」

パティシエ、杉野英実氏 「永遠の未完成でいたいと思っているんです。だから、今日よりも明日、明日よりもその次の日が、もっとおいしいお菓子ができるように、あきらめないで自分を高めていきたい。それがプロなんですかね」

小児心臓外科医、佐野俊二氏 「誇りと責任です。誇りを持たないといけない。誇りだけで責任がとれない人はだめです。それをしようと思えば、やっぱり努力しないといけない」

玩具企画開発、横井昭裕氏 「素人が千人集まっても一人の人にかなわない。その一人の人がプロだと僕は思っているのですけれどもね。圧倒的に力の差があるという、その技量、ノウハウを持った人がプロフェッショナルですね」

テストドライバー、加藤博義氏 「嘘をつく必要はない。できる事はできると言えばいい。できないというのは、プロがやすやすと言う事じゃない。なんかやってくれるかもしれない、どうにかしてくれるかもしれない、そう思わせてくれるのがプロでしょ」

商品企画部長、佐藤章氏 「やっぱり愛情がある人だと思いますね。テクニカルなプロじゃだめなんですよね。だから人の気持ちの中に入っていける、その中に入っていける人って、やっぱりプロ」

庭師、北山安夫氏 「逃げられない人。要はアマチュアというのは辞められる、いつでも辞められるんですね。プロは辞められないですよ。引き受けたと言うたら最後までやり通さなければならない」

WHO医師、進藤奈那子氏 「やっぱり情熱じゃないかな。プロフェッショナルとは技と情熱。託されたミッションをきっちり遂行するためには必要な事。漠然と仕事をしてはいけない」

経営者、新浪剛史氏 「ぶれなく信じて率先するという人だと思います。信じた事を常にぶれずに率先する。常に率先してやる人、それがプロフェッショナルだと思います」

樹木医、塚本こなみ氏 「一生この道を究めてみたいと思い続ける人。ここまで行っても、ここまで行っても、究めきれない道なんですけど・・・。でも、究めてみたい」

どんな大家の書いた啓蒙書より燦然と輝く言葉の数々。これだけで人生指南に十分である。

昨晩、「行く人と冬、来る人と春」で書いたAさんの送別会があった。場所は、Aさんお気に入りの会社近くの宿泊研修施設のレストランを借り切った。

参加人数は20名前後という事で、ブッフェスタイルの料理に着席テーブル付きという余裕のレイアウトだった。乾杯から始まり、飛び入りの私も含めて何人かのスピーチ、記念品贈呈で和気あいあいのうちにお開きとなった。

10歳年上のAさんだが、いっとき私の部下だった事もあった。最初の印象は、昔は営業のマネジャーをしていたとは思えないほど生真面目な紳士然とした人だった。だが、その内面は意外にガンコな面があり、研修トレーナーとしての自負に満ちていた。それでも法規制度を専門に担当していたせいか、製薬会社の研修部門にいるくせに医学薬学や製品知識などの習得には全く消極的だった。

ある時、私はAさんに「せめて主力製品の知識だけは身につけた方がいい。研修トレーナーとしての理論武装にもなるし、営業の現場にいる受講生とのギャップも埋められるから」と勧めた事がある。その時のAさんの答えは「今さらそんな勉強はやる気ないですね。そんな時間があるなら、カウンセリングの勉強をもっとやりますよ」だった。

それ以来、Webトレーニングでも取り上げる事になった法規制度のコンテンツ作りの会議でことごとく意見が対立するようになった。複数のトレーナーがマイクに向かって1時間しゃべり続けるためのシナリオは、とにかく受講者を惹きつけ理解しやすいものが求められる。そのために安易な妥協をしてはならない。

研修プロの自負を持つAさんが担当するからには、最初からある程度高いレベルのコンテンツが出されて当然なのだが、現実は望むべくもなかった。原色が目に痛い、字ばかりのスライドに専門書の記述のようなセリフ。とてもこのままでは使い物にはならないという事で、何度も検討会議が重ねられた。

次回こそ改善してくるだろうと思って回を重ねても、一向に改善されてこない。その原因はAさんのPCスキルのせいもあったが、それよりむしろAさん個人の感性によるものだと気がついた。だったらそれをいい方向に変えさせようと、ついついこちらの語気も荒くなる。カンカンガクガクのやり取りの末、研修直前にやっと予演会に漕ぎつけた事もしばしばだった。

たぶんAさんも私の顔を見るのもイヤという時があっただろう。それでも別の件では、お互いに同じ意見を通じ合わせる事も少なからずあった。そんな時は、まるで子供が示し合わせたようないたずらっぽい目と実にいい笑顔の交歓となるのである。

そんなアップダウンの激しい付き合いだったAさんがこの日を最後に去って行く。今となっては懐かしさだけがこみ上げるが、当たり障りのない関係よりも、そんな付き合い方をした同僚が一人くらいいてもいいじゃないか、と思うのである。

最後はもちろん、笑顔と握手で別れた。朝から降っていた雨は、もう上がっていた。

そろそろ家に置いてある日本酒がなくなってきたので、ネット通販ショップをいろいろと見て回った。そこでたどり着いたのが下田の「つちたつ酒店」だった。

私の目的は、まずは適正価格で手に入れる事と送料節約のためにできるだけ一つのショップでほしい酒が賄えるという事だった。その条件に最も近いショップがここだったのである。

まずは、私のテーブルワインならぬ常飲酒とも言うべき「鷹勇 純米吟醸なかだれ」である。10年以上も前に初めてこの酒と出会った時、「うまい酒の基準は名前でも値段でもない」を身をもって知った、文字通りカルチャーショックを受けた酒の一つだった。おまけにこの「なかだれ」は、純米大吟醸の香りと風味がありながら一升瓶で3000円強というコストパフォーマンス抜群の一本である。まずは文句なしにこれを押さえた。

次は、件の「沙蘭亭」閉店以来、久しく飲んでいなかった「醸し人九平次 純米吟醸 雄町 生」の四合瓶。名古屋にいた時分、そこの一流料亭の女将でも知らなかった名古屋市内の蔵で造られている銘酒である。10種を優に超えるアイテムの吟醸酒を出している事から、私は秘かに九平次を「尾張の十四代」だと思っている。私はもともと原料米の「雄町」のふくよかさが好きだったので、今回の九平次はそれにした。

3本目は、これも最近お目にかかっていなかった石川県の「獅子の里 純米大吟醸 愛山」の四合瓶に決定。この「愛山」は、十四代でも使用されている豊かな香りと味に奥行きのある原料米である。名だたる酒造メーカーのひしめく石川県にあっても、この蔵は私はトップクラスだと思っている。緑のボトルに薄墨の洒落たラベルもその味を十分に連想させる。これは来月のカミさんの誕生日用とでもしておくか。

注文から2日で届いた久々のご対面の3本の酒は、瓶ごと冷蔵庫で静かに眠っている。このレベルの酒は慌てて飲む必要はない。冷蔵保存さえしておけば、月日と共により芳醇な酒へと熟成が進むので、敢えて半年〜1年くらい寝かせてから飲むという人もいるくらいだ。5年も寝かせたら立派な古酒にもなり得るポテンシャルを秘めているのだ。

どんなものでもそうだが、きちんと手間隙をかけて作ったものなら、その分野の「本物」が楽しめる。こんな酒がいつでも適正価格で飲める店さえあれば、私だって「プレミア価格を払ってまで飲みたくないわ」とか「寄る年波のせいか、日本酒だと翌日に残るからねぇ」などと言い訳しながら、いつしか嵌って行った焼酎ボトルの呪縛から解き放たれるだろうに・・・。

偶然とは恐ろしいモンである。昨日のDiaryでたまたま取り上げた「沙蘭亭」の元店長が、銀座7丁目の串揚げ店にバイトで行っているという情報が入った。元常連として、その後の彼の元気な顔を拝めればと、4人で馳せ参じた。

念のため、同僚に予約を入れてもらっていたが、着いた時には我々が口開けの客だった。件の彼もまだ出勤していなかったようだ。メニューを見ると、この店は前菜、串揚げ、〆め、デザート込みで4800円が最低のコースらしい。少々高いと思いつつも、しょうがないので人数分それを注文した。

グラス生ビールでさえ800円! 銀座価格だからこれもしょうがないとする同僚に私はひと言、「本来銀座は、旨いものや本物を求めたいう欲求が支払う対価を上回った人に、その価値をもたらす街なんだ」と言った。そう、銀座という街は値段より質にこだわる人が来る街なのである。この街に来て「安くて・・・」とか「そこそこの・・・」は通らない。銀座とは、それをわきまえた「大人の街」だからである。

串揚げにこだわった店というからには、鮨屋の如くプロの揚げ師がいて、目の前で揚げ立てのものを供するものと思っていたのだが、目の前にあったのはテーブルに内蔵された油壺であった。訊けば、運ばれて来た衣が付いたネタを、油温をコンピュータ制御しているこの油壺で客自らが揚げるシステムらしい。おいおい、確かにそれは串揚げの本場の大阪ならよくある話だ。だからと言って、今さら銀座でやるシステムじゃないだろ。しかも値段は大阪の倍近いし。

焼酎ボトルが最低でも4000円強、4人だからそれもすぐに底をつく。到底追加なぞできる金額でもないし、する気もない。最後にとろろ飯とデザートが出て、その場はジ・エンド。収まりきらずに行った新橋駅近くの焼酎居酒屋の方がよっぽど盛り上がった。

昔の銀座ブランドだけでは商売が成り立たないという現状も確かにある。今ならかなり相場の下がった銀座に進出しやすい状況もあるだろう。とは言え元店長、一週間程度の短期バイトで良かったね。店の雰囲気に全くそぐわない金髪チョンマゲスタイルのこの店の店長は、最後まで我々の前に挨拶にすら来なかった。彼は普段から客の様子にほとんど注意を払っていないらしい。それでよくやってられるなとも思うのだが・・・。

銀座で長い間生き抜くためには、それなりの要素が求められる。この街は他とは違って、客の求めるニーズに対する満足度を満たす事こそが最優先で、それを満たすために付随する価格は二の次という街だからである。それが例えクラブホステスとの同伴目的の店だとしても。

たぶん、我々が再びこの店に行く事はないだろう。見かけをいくら上品にこさえても、その中身は訪れた客がきちんと評価する。その厳しさで銀座の店は鍛えられて来たのである。だからこそ盛衰激しいこの街で、生き残った老舗が一流なのは至極当然の事なのである。昨日今日ポッと出の店では、とてもこうはいかない。

そういうワケで、会社帰りに珍しく遠出した銀座の夜は過激に、そして穏やかに更けて行ったのである。

服用患者の転落死などの異常行動が問題視されている、インフルエンザウイルス感染症治療薬「タミフル」だが、被害患者家族達が訴えているこの薬剤の副作用かどうかの判定には難しいものがある。

その大きな要因は、この疾患の病態による。ウイルスは発熱等の症状発現後48時間程度で血液を介して脳細胞に進入し、生理活性物質(サイトカイン)異常を引き起こし、異常行動などの症状を引き起こす。これを「インフルエンザ脳症」と呼ぶが、タミフルの服用時期も症状発現から48時間以内とされているため、どちらの理由によるものかが極めて不明瞭なのである。

厚生労働省研究班は、小学生を中心としたタミフル服用患者と非服用患者との間に異常行動発現に差が見られなかったという報告をしている。最近報道されているケースはいずれも10代の患者であるため、今後さらに18歳までの患者について再調査を行い、夏には発表するとしている。

この問題にはもう一つ、隠れた部分がある。タミフルは2001年に国内発売されたが、そもそもこのA、B型両方に効く抗インフルエンザウイルス薬は、2000年に国内発売された吸入剤が第一号だったのである。これが発売された時は、ゴールデンタイムのニュースに何回も取り上げられたほど期待されていた。

インフルエンザウイルスは気道上皮細胞で増殖するので、そこへ薬剤が到達すれば良い。その方法には2つあり、タミフルのような内服による全身的投薬と吸入による局所的投薬である。

全身的投薬では、薬剤は血液に運ばれ、全身を循環し増殖部位に到達する。同時に脳にも到達する。もし薬剤が神経系に作用を及ぼすとしたら、神経症状=副作用が発現するだろう。発病初期は気道にさえ薬剤が到達すれば良いのだから、その意味では内服薬よりダイレクトに届く吸入薬の方が理にかなっていると言えよう。今までのところ、この吸入薬には異常行動の副作用報告はないという。

だが、こういった分野の感染症治療薬は、その売上げには季節性と流行の変動による影響が大きく、企業にとっては不安定要素となる。そのため、この吸入薬のメーカーは販売活動を世界的に終息させたと聞いた。最近になって国の要請により復活させているようだが、もはやこの吸入薬はほとんど忘れられ、今ではインフルエンザウイルス感染症の特効薬と言えば内服薬の「タミフル」を指すようになってしまった。

マスコミや医師は、少なくとも10代までの患者には、適切な治療薬の選択肢を示すべきだと思うが・・・。

・・・書き終わった途端、目の前の携帯が鳴った。カミさんからで、函館の息子がインフルエンザになったと言う。ワ〜オッ! なんという偶然だろうか!

カミさん、すかさず「タミフルは飲ませてませんよね?」と寮の先生に訊いたそうな。
先生の返事は「吸入剤があるという事で、それを処方してもらいました」
それを聞いた私、思わず「でかした! それでいい。万一にも寮のベランダから飛ばれたら困るからな(笑)」

そう、これでいいのだ。患者も自分の病気と治療法・治療薬くらいは、少し勉強してでも自らの選択肢を知っておくというのは大事な事である。