今日、ウチの部署でまたひとつ辞令が出た。単身赴任していた新人研修担当セクションの課長が、自宅のある愛媛県へ異動する事になった。彼は50代半ばだが、組織統合で本社へ来る2年前までは広島や九州にいたから単身赴任歴は長かった。

問題は異動先でのポストだ。なんと課長でもない一営業社員なのである。とても本社の管理職経験者の行くポストじゃあるまい。瞬間、またウチの部長殿お得意のベテラン切り異動作戦かと思った。

だが、もしも本人の自己申告で、しかも自宅へ帰る事を最優先とする希望を出していたとすれば、それもむべなるかなである。聞くところによれば、子供が独立した後は自宅には奥さん一人が住んでいるそうである。こちらへ呼ぶかどうかも含めて相談して出した結論だったのだろう。確かに今さら家を丸ごと空けるのも難しいに違いない。

そんな家庭の事情もあっただろうが、不慣れな新人研修という仕事に少なからず消耗したというのもあったかもしれない。なんせ、赴任していきなり翌月から始まる新人研修の指揮を取らされたのである。企画段階からタッチしていない彼は、当然の如く戸惑った。それが新人研修だけにはやたらと口出ししてくる年下の部長殿の攻撃の的になった。この業界の営業社員が全員取得しなければならない資格試験の合格率が、その年極めて悪かったというのも追い討ちをかけた。

大人の彼はたちまちイエスマンとなり、懸命に上司の要求に応えようとしたが、今度はその事が、新人研修では自分よりベテランの部下からクレームを受ける原因となった。それでも持ち前の押し出しの強さと一本気で何とか持ち堪えたように見えたが、結果的には、部長殿からは年齢も含めて総合的に不十分と判断されてしまったようだった。

そこへもって来てこの話である。察するに、今回の件はどちらにとっても「渡りに船」だったのかもしれない。その証拠に、部長殿は彼の後任として、わずか1年前に現場の課長に戻ったばかりの元部下を呼んだ。部長殿お気に入りの年下課長がまた一人誕生したのである。

配属先での担当製品分野が不得手だという事で、彼は来月予定されている中途入社社員の研修に参加するそうである。その中の一部の製品研修は私が担当するので、図らずも思わぬ受講生の飛び入りとなって楽しみが増えた。

いかんせん急な話で、部署全体の送別会などとてもできない。代わりに研修の夜くらいは彼とゆっくり一杯やろうかなと思っている。

12日から始まる全国研修ツアーの準備作業も一段落し、久々に余裕のある午後の時間帯となったので、これまた久しぶりの更新。

新薬専任営業部隊への研修実施を昨年8月から手掛けてきたが、その新薬がいよいよ来月にも国からの輸入製造承認が得られる運びとなってきた。しかも同時承認が予想されていた他社の競合品は3ヶ月以上遅れるという「神風」も吹いた。このまま予定通りに発売を迎えれば、まさにウチの新薬の独壇場となる。

思えば数年前、別の大型新薬の時も専任営業部隊が組織され、その研修の企画・実施に私も携わってきた。だが、国からは大掛かりな追加試験の実施を求められた挙句、結局承認取得には至らず、無念の解散に追い込まれたという苦い経験がある。これを機に会社を去ったメンバーが何人もいた。

さらに昔、ある特効薬の競合品出現という脅威に晒された時、思ってもみなかった「神風」が吹き、競合品は発売3ヶ月余りで姿を消し、窮地を救われたという経験もある。この神風の原因となった事件は、有名な薬害事件としても記憶に新しい。

通常、新薬は最低でも10年以上の歳月と数百億円以上の費用をかけて開発され、国の数年に渡る審査を経て輸入製造承認を取得する。さらにその後、公定価格(保険薬価)が収載されて、ようやく発売を迎えるのである。

だが、前述の事例以外にも、地道なデータの積み重ねを経てようやく国への承認申請に至り、やっとゴールが見えて来るかなという時に事態が一気に暗転するという事がこの業界にはままある。莫大な費用と時間をかけて開発した薬物が一瞬のうちに水泡に帰し陽の目を見ないまま消えていく。新薬開発とはある意味、壮大なバクチとも言えよう。

そんな労力をかけて発売した新薬も、数年〜10年程度経つと同じ成分のものが他社から発売される。最近CMが活発な、いわゆる「ジェネリック医薬品」である。横文字だと何やらカッコイイが、新薬を「先発医薬品」と呼ぶのに対し、ジェネリックは「後発医薬品」と呼ぶ。

後発医薬品メーカーは、先発医薬品の開発時間と費用を一切掛けずに、その製品特許が切れた途端、同じ成分の薬を作って売り始める。当然、先発医薬品より価格(薬価)もはるかに安いが、納入価格も安いので医療機関側の利幅も大きい。それでも、莫大な開発費用をかけていない後発医薬品メーカーにとっては十分な利益が得られるのである。

中でも、広く多くの患者に処方されている先発医薬品ほど参入できる余地も大きいので、そんな先発医薬品は、多数の後発品医薬メーカーのターゲットになる。このように雨後のタケノコの如くゾロゾロと多数のメーカーから出てくる事から、後発医薬品を別名「ゾロ品」とも言う。

患者にとっても、ゾロ品がCMで言われているような「新薬と同じ効き目」なら、薬価が安いので自己負担も少なくなる。だが、医薬品に求められるのは「効き目」だけではない。安全性や副作用発現時の対処などのリスク面のデータは効き目以上に重要なものだ。ところがゾロ品には先発医薬品に義務付けられている発売後の有効性・安全性調査の実施がなく、使用実態下のデータの蓄積も行われない。

したがって、そういったデータが求められた場合は先発医薬品のデータを流用するしかないのである。その上、それらのデータはあくまでも先発医薬品のデータであって、ゾロ品のものではない。当然の事ながら、そのデータの持つ意味を先発医薬品と同一と見なす事はできない。

つまりゾロ品とは「医薬品として持つべきバックボーンを持たない医薬品」なのである。

だから「ゾロ品」=「新薬と同じ効き目」=「新薬と同じ安全性」かは疑問である。そもそもゾロ品の製造承認に求められるデータは、錠剤であれば成分の含量と溶出率(一定時間に胃の中で成分が溶け出す割合)が先発医薬品と同等範囲であれば良いという程度なので、製剤の精度によっては「効き目」の部分も先発医薬品と「全く同じ」とならない場合もあるのだ。ゾロ品には有効性に関するデータはほとんど存在しないし、安全性に関わるデータに至っては皆無と言っていい。

それでもあなたは「ジェネリック医薬品」を選びますか?

一升瓶を含む3本の吟醸酒が届いてからふと思った。今後は四合瓶を中心に購入しながら、それをじっくりと熟成させていったら面白そうだな、と。

そうと決まれば、まず形から入っていくのが私の流儀だ。専用の冷蔵庫が必要なので、ネットで小型冷蔵庫を探す。だが、思った以上に大きく値段も高い。早くも挫折か、と思ったらひらめいた。そうだ、ワインセラーならいいかもしれない。

で、たどり着いたのがこれである。マトモそうなワインセラーの中でも12本入りで19800円という価格はこの機種のみである。さっそく函館に行ってる財務大臣にメールして承認をいただく。無断で注文なぞしようモンなら後が恐いので。

続いてその中に入れるべき四合瓶を現在お気に入りのつちたつ酒店のサイトでゆっくり眺める。さすがにこの時期ともなると、人気蔵や限定モノは売り切れとなっているものが目立つ。それでも何とかこの6本を選んだ。

高知「赤野 純米吟醸 吟の夢」有光酒造場
佐賀「東一 純米大吟醸 山田錦」五町田酒造
新潟「根知男山 純米吟醸酒」渡辺酒造店
青森「豊盃 純米吟醸 豊盃米55%」三浦酒造
滋賀「松の司 大吟醸 愛山50%」松瀬酒造
宮城「伯楽星 純米吟醸 生詰」新澤醸造店

これに前回注文した四合瓶の
石川「獅子の里 純米大吟醸 愛山」松浦酒造店
愛知「醸し人九平次 純米吟醸 雄町 生」萬乗醸造
を併せて総勢8本のラインナップの完成となった。

これが半年、1年とワインセラーの中で低温で眠り続け、やがて熟成された後の味を想像するだけでも生きがいが出てくると言ったら言い過ぎか。いやいや、掛け値なしにそんな気持ちになるのなら、それはもう立派な「趣味」の領域なんだろう。

ならば、たった今、私はまた一つステキな趣味を持ったと宣言しようではないか!

いつものように夕方のJAL便で、函館から息子が帰ってきた。今日から春休みに突入である。

つい昨日まで例の事件の後始末で、カミさんが早くも今年2回目となる息子の寮へ行ってきたばかりだったが、いろいろと情報を聞いているうちに、さまざまな裏事情が見えてきたそうだ。もちろん、あくまでもウワサだろうが・・・。

今の学校には成績上位で悪事にも聡い生徒がいて、そんな一部の生徒が、例えば自分達にとって目障りだったり邪魔だったりする生徒を標的にして、わざと怒らせて殴らせたり、校則違反をそそのかしたりしてはそれを先生に注進する。言われた生徒は先生に叱責され、中には寮や学校から去って行く生徒もいる。・・・というウワサだ。

学校側は全ての生徒に平等に対していると言っているそうだが、そう単純ではなかろう。これも世の中の縮図に違いない。成績上位者で、いったん品行方正のイメージを先生が認識してしまえば、その生徒の発言は常に信用されるし、仮にバレても成績上位者ゆえ黙認されるケースも多い。なんせ近い将来、ノドから手が出るくらい欲しい東大合格者の一人になるかもしれない「おいしい生徒」だからである。・・・というウワサだ。

まるで「女王の教室」の中学生版みたいだが、中には信じられないウワサもある。

同級生と共犯し同級生の持ち物を壊した事にして、その親に自作自演の「振り込め詐欺」まがいの電話をかけ、まんまと多額の弁済金を振り込ませたという話だ。真偽のほどは定かではないが、一部に目先のトラブルへの対処として安易に金で済ませようとする裕福な親がいるという。要は「たかだか2、3万の金で済むなら、それでいいじゃない」のだから、学校に知れる事はない。・・・というウワサだ。

だが、これはイタズラの域を超えた、れっきとした犯罪である。それを見抜けない親の目も先生の目も節穴じゃなかろうかと思ってしまう。一応標準以上の頭の持ち主の多いこの学校の生徒なら、悪事も巧妙に企てるだろうと、なぜ考えられないのか? 

知らないところで生徒が学校が壊れていかないうちに、ウワサとは言え、一度きちんと状況把握をしたほうがいいと思うぞ。

そして発覚しないからと陰でほくそ笑んでいるヤツは、この先どんな大人になるのかと他人事ながら心配になる。お前ら、「因果応報」という言葉を知ってるか? 一時は得したかもしれないが、長い人生、いつか報いが来る日が訪れるぞ。

先週の木曜日、去年復活してから初めて吉野家の「牛丼大盛りツユダク」を食べた。「牛丼」と言わずに「大盛りツユダク!」と言ったら、「牛丼ですか?」と訊かれ、牛丼以外のメニューが存在するに至った時の流れを感じた。吉野家では、数年前にBSE問題で話題になった米国産バラ肉でないとあの味が出せないという事で牛丼が封印され、先日ようやく事実上終日に相当する午前0時までの提供が再開されたのである。

ここ数年口にしていなかったが、久々のあの味は健在だった、と書きたいところであるが、実際に口にした感想はちょっと違っていた。まずはその肉だが、かつてのような脂身の勝ったモノではなく、赤身のスライスと見えるほど脂身は少なかった。たまたまだったかもしれないが、後にも先にも吉牛のこんな肉は初めてだ。

次にツユ。こちらの味も記憶に刻み込まれたあの味とは違った。すぐにまた食べたくなるような後を引く味(昔は絶対麻薬みたいなモノが混ざっているに違いないと思ってた!)ではなく、昔の味を残しつつも無難に落ち着かせた味とでも言うべきか。なんだか日本一のB級グルメ独特の個性が薄まってしまったなと感じられた。

であるから、あれから3日経っても別段食べたくてしょうがなくなるという事もない。

そんな時、牛丼に牛骨混入のニュースが飛び込んできた。牛丼をテイクアウトした人が食べると「ガリッ」とした歯応えが。見れば、まるでケンタのチキンのような数センチの骨が数本混入していたという。

買った吉野家の店舗にそれを告げたら、謝罪どころか「よくある事で、今日は少し多かったかな」「もう火を止めちゃったから明日じゃないと代わりは作れませんよ」などとのたまった挙句、終いには悪質クレーマーのような扱いを受けたともいう。

その後、吉野家本社も混入を認めたが、その言い訳が「BSEの原因とされる異常プリオンが含まれる可能性のある特定部位は、脳、脊椎、扁桃、回腸遠位部であり、骨自体は特定危険部位ではない」ときたモンだ。骨は脳や脊椎のような危険部位と内部でつながっているだろうが!

ニュースによれば、韓国では骨はすべて危険部位としており、米国からの輸入牛肉をレントゲン検査して、小さな骨がたった1つ見つかっただけで、同時期に輸入した約9トンの牛肉をすべて返品したり廃棄処分にしたという。

それでもわが国の農水省は動かない。

動かないどころか動けないのだろう。ヘッドの松岡利勝農水相は、今や最も旬な「ダメ閣僚」である。光熱水費無料の議員会館しか事務所がないのに01〜05年の5年間で約2880万円、11年間合計で約4500万円もの光熱水費を計上した。それを追及されると「ナントカ還元水や、暖房とか別途そういうものが含まれる」と答弁。誰が見たっておかしいだろうが!

後日さらに「某新聞の記者さんが事務所に飛び込んで行ったそうです。そしたら浄水器はなかった。記者さんは『故障ですか?』『取り外したのですか?』と質問したが、秘書は文書で回答しますという。どうして文書で回答する必要があるんですか!」と畳み掛けられ、ウソがバレた。おまけに「今、水道水を飲んでいる人はほとんどいない」とまで言い出す始末。おいおい、農畜産物と水はあんたの本業の分野だろ?

先般の「女性は産む機械」発言の柳沢伯夫厚労相といい、明らかにおかしな発言を繰り返す官僚が目立つ。柳沢厚労相は「娘には男並みの教育をした」と言い、男尊女卑的見解も晒してしまった。

さらに労働問題のWCEでは「生産現場で働く人はベルトコンベヤーの仕事で、労働時間だけが売り物ですというところ」、医療問題では「産科の医師の減少は、出生数の減少によって医療ニーズが低減している事の反映です」「勤務医師は病院に着いてから帰るまでの時間は長いが、その中には待機時間や休憩時間、自分の研究時間も含まれてる。本当の勤務時間である『診察時間』だけを見たらたいした事はない」と、本業の厚生労働分野に対してもトンデモ認識なのである。

伊吹文明文科相も負けてはいない。長崎で行われた自民党支部大会で「大和民族がずっと日本の国を統治してきた」と発言。さらに「人権は大切だが、尊重しすぎたら日本社会は人権メタボリック症候群になる」と意味不明なことも言っている。とても国語を含めた教育分野に携わるヘッドの言葉と思えない。

当初は、発言全体の主旨を踏まえれば、せいぜいちょっとした「失言」程度だろうと静観していたが、さすがにここまで来ると、彼ら本来の思想信条・見識意見によるものだと確信せざるを得ない。少なくとも業務に適性を欠く人材であるのは明らかだろう。

それでも彼らをかばい続ける安倍首相。ついに支持率は「不支持」が「支持」を上回った。

【このトピックへのコメント】
  • ごんぞ結局なんというか、まだまだその器じゃなかった…ということなんでしょうね>安倍首相。 小泉時代の彼はまた全然違って見えたんですけど。
    それはそうと吉野家ですけど、ジャンクフードは総じて 「何かこれ麻薬入ってんじゃね?」 というものかと。 マクドとか一ヶ月に一回くらい猛烈に食べたくなります。
    (2007-03-12 00:19:58)
  • Chaieボッチャン首相の安倍さんの周りには優秀なブレーンがいない。だがら閣僚の任命に厳しい目が入らず、ナアナアにもなる。あげく閣僚からもナメられ、緊張感すらない。「類は友を呼ぶ」でしょうね。
    ケンタのチキンにも入ってます(笑)>麻薬
    (2007-03-13 09:04:44)

今朝、出掛けに呼び鈴が鳴った。こんな朝からなんだろうと出てみると、注文していたワインセラーが届いた。一昨日届いた熟成目的の吟醸酒6本と共に、これで全ての段取りが完了した。後は飲みたい時まで寝かせるも良し、イベントに供するも良し、酒の声を聞きながらじっくりと楽しもう。

・・・・・・・

3月度の全国研修ツアーも昨日の千葉を皮切りに、明日から京都、大阪、週明けから札幌、岡山、広島と続いて行く。さらに翌々週からの2回の東京で私の担当は全て終了するのだが、初日を終えた翌日の今日は、全員が集まって「試し斬り」の状況をシェアする毎度恒例の会議があった。

とりあえず各グループが初日の研修をやってみて、プログラムやコンテンツの不具合、受講者の反応などを持ち寄り、改善すべき点を改善し2回目以降の研修に臨むという、トレーナーにとって非常に有意義な会議である。

そこでいつも話題になるのが、受講者の意識のギャップである。e-Learningによる事前学習の履修状況は毎度お寒い限りだし、つい1〜2ヶ月前に受講したごく基礎的な部分でさえ質問して来たり、そうかと思えば最初から最後まで斜に構えて静観を決め込む者、会場によっては内職をしている管理職までいる。

いったい何のための、誰のための研修だと思っているのか? 例えば、3ヵ月後に発売予定の新薬は、強力な競合品の申請が遅れたために最低3ヶ月間はウチの新薬の独壇場となる神風が吹いた。

普通、それを知った営業部員なら「これで自分の担当先全てに採用できるぞ!」とばかりに嬉々としてファイトを燃やすものだろうが、昨今の連中は意外とそうでもないのだ。逆に、こちらがそう言おうものなら「研修の場でプレッシャーをかけるような事はしないで欲しい」などと事後アンケートに書かれるのである。

他は知らないが、少なくともウチの会社では、昔の営業マンの持っていた意気と感性とが、ずいぶん変ってきてしまってるなと感じる事が多い。

彼らの行動は、大掛かりなPDAをノートPCでスケジュール作成し、その行動結果を毎日入力する。別のデータベースでは、担当地域の売上げとシェアが随時集計され、それを標準値以上に上げる事こそが営業目標であり、そのための訪問軒数や面談人数、訪問頻度やカバー率までが実に細かく定められている。

要するに個人のスケジュールに自由度がないのである。その日に必ずこなすべき事は時間に関係なく取り組み、その代わり優先順位の低い事には無理にこだわらない。好調の時は予定より多く頑張り、不調の時は思い切って早めに切り上げる。気の置けない得意先を作っておいて、必要な時はそこでリラックスとリフレッシュさせてもらう。時には短時間の昼寝も良し。

でもそれは現在のPCの管理体制下ではままならない事なのだ。最新のマーケティング理論とやらに基づいた効率第一のシステムだからである。でも、私の昔の経験では、大きな成果が挙がった時というのは、得てして心身に余裕を持って臨んでいる時が多かった。反対に、何かに追われあせって切羽詰まった時ほど空振りに終わっていたものだった。

そう考えると、自らが行動に強弱を付けられる自由度を持つという事は、効率を優先する事よりも効果的で重要な事なのかもしれない。自由度は余裕につながるはずなのに、この会社では、いつから営業マンの余裕を奪うような事態になってしまったのだろうか。彼らが不憫でならない。余裕のなさは肉体のみならず精神をも腐食させる。事実、精神的な理由から療養する社員も年を追う毎に増えているのである。

だから彼らは結論を近道で求めてくる。これこれについて相手の状況を教えて欲しい、それに対処できるマニュアルを作って欲しい、相手に効果的な言葉を教えて欲しい・・・などなど。相手の事が分からないのなら、相手に訊けばいい。相手は専門家だし、それを通じてコミュニケーションも進むだろう。いいお題が見つかったというものだ。

だが、彼らの少なからぬ人数が、そうしようとする意識が薄く、逆になぜか事前の完全武装を求めたがる。わざと短所を指摘して会社としての見解とやらを求めたり、すぐに身近な社内の人間に答えを訊きたがるのである。すべてに万能の答えなど、求めたところであるはずもないのに。

・・・・・・・

お昼近くに会議が終わり、昼食後からコンテンツの修正を済ませるとやる事がなくなった。明日から2回目の研修を行うグループもすでに出かけて行った。何とか私も5時過ぎまで粘ったものの、ついに耐え切れず、早々と帰路に着いた。

届いたワインセラーに吟醸酒の四合瓶を一本一本納めながら、京都から始まる2回目以降の研修の進め方のシミュレーションが頭をよぎり始めてきた。

第一報を今朝のワイドショーで見てびっくり!

昨日、JR新小岩駅構内の立ち食いそば「あじさい茶屋」で、ネズミが入った鍋で煮たカレールーを使ったそばやうどんなど18食を客に提供していたと発表した。店長が鍋にルーを足してかき混ぜる際、お玉に約8センチのネズミの死骸が引っ掛かり、混入が分かったという。「ご申告頂いたお客様には深くお詫びし、ご返金をさせて頂きます」と謝罪している。

ネズミが鍋に侵入したのは、12日の閉店後の深夜から未明にかけてだと推測される。でも大きく鍋をかき回す作業はルーを入れた時だけだとすれば、カレー類の売れ行きによっては、すでにその前から入っていたという可能性も捨てきれないだろう。

いずれにせよ、この事実を知らされた客もたまったモンじゃない。私だったら当分立ち直れない。このニュースを耳にした人で、この日の朝はもちろん、この日に限らずともここでカレーライス・うどん・そばを食べた人は、少なくともカレーを見るたびに想像してしまうだろうし、立ち食いを始めとする外食そのものが食べられなくなる、一種のPTSD状態になるかもしれない。

いっそ知らなかった方が幸せだったかも。かと言って、これを隠蔽して後でバレるような事があれば、不二家の二の舞だし、これが食品を扱う仕事の厳しさなのだろう。

新小岩駅構内のこの店は、店名こそ移り変わってきたが、同じ場所で40年以上前にもあったと記憶している。電車通学していた小学生時分、いつも慌しくそばをすすっている大人たちを目で追いかけていた。「早い」「安い」という立ち食いの簡便性は昔も今も変わらない。

それにしても、私のこれまでの人生の半分を過ごした新小岩で起こって欲しくはなかった事件である。