海月玲二

ミャンマー東部の高原にある町.三月のミャンマーはもう暑季に入っていてかなり暑いのだが,いちおう高原にあるのでそこまで暑くはならない,というのがウリ.さりとて人里離れた山奥というほどでもなく,大都市マンダレーから一,二時間で到達できる(タクシーなら一時間,トラックの荷台なら二時間だった).

というわけで風光明媚な避暑地,ということになっているのだが,どっちかというと国内向けで,外人観光客的にはわりとどうでもいいような気がしないでもない.推して知るべし.なんかそれなりにテーマパークとか植物園とか観光名所もあるのだが.

ここでびっくりしたのは,喫茶店でたまたま近くにいた人が「お近付きの印に」とか言ってお茶をおごってくれる,などというテレビ番組の仕込みのようなことが実際に起きたことである.本当にどうでもいい雑談などをしていただけで,俺がちょっとトイレに行っている間にその人は立ち去っていたし,そのあと会うこともなかった.日本円にすれば30円ぐらいの話ではあるが,実に驚いた.

あと,某歩き方の情報では「マンダレーからのトラックは町中心部が終点」みたいに書いてあるのに,ぼんやり乗ってたら町外れのバスターミナルに着いてしまった.まあGPSと地図があるから別に迷ったわけではないが,無駄に苦労したな.


ミャンマー第二の大都市.ここは普通に暑い.

碁盤目状に区画分けされた町で,地図で見るとかなり広い範囲に碁盤目が広がっているので,行く前はずいぶん広い町なのかと思っていた.実際は,碁盤目状に道路がひいてあるからと言って,各ブロックに建物がすきまなく建っているとは限らないのである.東のほうは建物より木のほうが多く,ほとんど単なる田舎道だ.西にはずれていくと,だんだん建物が籐で編んだ素朴な形式になってくる.都市になっているのは碁盤目の中心部分だけなわけだな.

ここは中心部に城壁でとりかこまれた王宮ブロックがあって,再建された王宮の建築群を見物することができる.ただ,城壁の内部が隙間なく王宮というわけではなく,城壁内部のそのまた中央部に王宮建築群がある.じゃあその間は何なのかということだが,見たところでは普通に人が暮らしているようだった.店や学校らしきものもある.
「城の周りを町が囲み,その周囲を城壁や堀が囲む」という形式はわりとよくあるので,それ自体は別に驚くようなこともない.ただマンダレー王宮での奇妙な点は,なぜかそのエリアには外人は一切立入禁止という点である.ただの集落にしか見えないが,一体何があるというのだろう.

ところでミャンマーの経済はかなりの部分を中華系資本が動かしているのではないかと思うが,この町では特にその印象が強かった.お店もホテルもそれ系ばっかりである.

二十階建てのビルにも匹敵する超巨大な仏像と,そこらじゅうびっしりと大量の仏像で埋めつくされた変な寺が二大名物だ.前者はおそらく世界最大の人型建造物ではないだろうか.いやもう本当アホかと思うが,別にネタではなく普通に参拝している人がたくさんいるわけである.ただ,現地の人にしても観光気分で来てる側面もあるようだ.マンダレーの名所マンダレーヒルでも思ったが,要するにこの国では,有名寺院がテーマパークとして機能しているらしい.というか,テーマパークのネタが基本的に仏教になることが多い,と言ってもいいのかもしれん.それが何故なのかはいろいろ理由はあろうが.

この町では,着いたのが15時過ぎで,次の朝には出発だったので,観光に取る時間があまり取れない.そこで,バイクタクシーをチャーターして見どころを回ってもらうという,普段やらない行動をする羽目になった.そもそも,件の二大名物は町からやや離れており,公共交通機関などももちろん発達していない.

ところでそのバイクタクシーであるが,最初に運転手のおっさんに金額を聞いたら全部で10000チャット(1000円)だと言うので,まあそんな高くもないかなと思い頼んでみた.さて観光がひととおり終わって,俺が「10000Kって言ったよね?」と言うと一瞬言いよどみ「あと1000上乗せしてくれ」などと言い出す.タクシー運転手が後から違う値段を言うのはよくある話だが,あまりにもささやかな吹っ掛けかたなのでちょっと笑ってしまった.

あとこの町ぐらい田舎になるとあまり英語が通じない.通じないのだが,ミャンマーの人はわりと親切に応対してくれるので,なんとかなる場合も多い.食堂で困っていたら厨房に並んでるのから選ばせてくれたりとか.


【このトピックへのコメント】
  • ごんぞなんか大仏がコラに見える…(2012-03-20 21:26:36)
  • 海月玲二実際,自分の目で見てすら一瞬コラかと思うレベルです.あとこの大仏,中にも入れたりしますが,窓が汚れているので別に眺望はよくないですw(2012-03-20 22:47:57)

モンユワから次の目的地バガンに向かうのに,マンダレーに戻らなくてもそのまま行く方法があるとガイドブックその他で情報があった.まずエーヤワディー(イラワジ)川沿いのパコックという町までバスで行き,そこから船で一時間かそこら川を下ればバガンに着くんだとか.同じルートを戻らなくてすむし,川の風景も楽しめて,なかなかよさそうだ.

そう考えた,俺を含む八人の外人観光客が12時近くにパコックに到着.しかし,寄ってくるタクシー運転手たちに聞くとなぜか一様に「船はないよ,バスで行け」と言う.情報では昼過ぎまで船はあるはずなのだが.中年夫婦二人は,この時点でさっさとバス乗り場に行ってしまった.

残った六人はとりあえず川岸の船着場まで行ってみることにした.しかし,あたりにいる人達もやはり「客船はないよ」としか言わない.英語が微妙にしか通じないのでいまいち要領を得ないが,話を総合すると,(1)最近新しい橋ができたので,客船はあまりなくなった.(2)もうすぐ正月祭り(東南アジアによくある,いわゆる水かけ祭.四月にある)なので,状況が不確定だ.ということらしい.結局,「この船をみんなでチャーターすれば行けないこともないよ」とか言ってきた人がいるだけである.

その「チャーター」だと一人二万チャット(2000円)とかそれぐらい払うことになるらしい.俺だったらたぶんこの時点でもうそれでいいよとか言いそうなのだが,外国のバックパッカーの人はそういうのがんばるね.高すぎてご不満らしい.どうするのか見ていたら,最終的に白人の兄ちゃんが直接船主と交渉し,一人5000チャットぐらいで話をまとめてきた.いやー助かった.


バガンの近くにある山.山の途中に大きな岩があり,その上に寺院が建ててあることで有名.有名なので訪れる観光客も多いが,例によって交通手段はあまり整備されていない.

バガンからバスで行こうと思っていたのだが,宿の主人がちょっと待てと言って何やら電話をかけはじめ,タクシーのシェアでいいなら往復8000チャット(800円)で行ける,などと言いだす.ふつうにタクシーを使えば当然もっとかかるのだが,8000ならバスで行くのと2000程度しか変わらない.そりゃいいと思ってそっちにしたら,やって来たのは軽トラだ.そして荷台(椅子が設置してある)には既に親子らしき三人が乗っており,俺は助手席に乗せられた.つまり,この親子がシェア相手(というか,多めに負担してくれる人)を探していた,ということか.

件の岩山寺院をそれなりに見物する.ここの特徴は,サルがやたらにいることと,仏教じゃない土着の神もたくさん祀ってあるという点だろう.土着の神が仏教寺院に吸収されているのは,ほかの寺院でもたまに見かけた.ミャンマー以外でもときどきあることだな.

帰り道,同乗した親子と運転手が,近くにある丘の頂上にある寺院(ポッパ山とは全く別物)を指して何やら言い出した.英語がもひとつ通じないので意思疎通に苦労したが,どうやら,親子はその寺院も参拝したいらしい.しかしこの車はシェア中なので,俺をほっといて行くわけにもいかない.ついては,俺も同行し,そこまでの追加料金の一部3000チャットを負担してくれないだろうか,ということらしい.

まあたいした金額でもないし,せっかくだから同意してついていってみた.外国人からするとそんなに違う内容とも思えんが,何かこの寺にもそれなりにいわれでもあるんだろう.寺院の名前はTu Yin Taungだそうだ.


2012-03-11(日)

バガン

アンコール遺跡,ボロブドゥール遺跡クラスだと称される大仏教遺跡エリア.狭い範囲に大量の仏塔や寺院が建っている.中世,王侯貴族が権勢を示すために建てまくったため,王国が滅びたあとも大量の仏塔はそのまま残っているそうな.というか,今でも普通にお参りされてる寺院が多いので,「遺跡」と言うと語弊があるかもしれない.
仏塔がとにかく大量にあるのが面白いので,上の段に登れる仏塔などに行って広く見渡したりすると面白い.正直,個々の仏塔の違いとか言われても,普通の人にはアレだろう.まあ確かに様式とかいろいろあるんだけども.

ところで,バガンは暑い.超暑い.気温自体はたぶんマンダレーとそう大きくは違わないだろうが,現在のバガン周辺は小さな村が点在するだけなので,日光を遮るものもほとんどないし,気楽に休む場所もない.クーラーの効いた店に逃げこむなど無理な相談である(ヤンゴンやマンダレーにはたまにそういう高級店もある.明らかに周囲と別世界になっている).
遺跡があるのは狭い範囲と言っても数キロぐらいはあるため,馬車をチャーターするか自転車を借りるかして見物するわけだが,自転車で行ったら一日行動しただけでもかなりギリギリだった.あやうく日射病になるかと思った.

ここはこの国きっての観光地なので,外人率がとても高い.もともと田舎なので人口がそんなに多くないぶん,余計にそういう印象が強くなる.というか,ここって別に住みやすい土地では全然ないよな.軍事的な理由とか物流上の理由とかの状況が変わった現代に,人がたくさん住んでるはずはないな.

あとバガンで一番衝撃を受けたのは,道路の舗装を直す作業で,アスファルトをバケツに入れて手で塗っていたシーンである.道を通るたびに,なんか小さいサイズで補修してあるなあと思ってはいたのだが.


ミャンマー西部,エーヤワディー川河口付近の町.バガンからここに来るのには一旦ヤンゴンを経由するしかなく,けっこう面倒だ.ヤンゴンのバスターミナルはとてつもなく不便だし.

さてここはまあはっきり言えば単なる地方都市である.外人客もほとんどおらず,なんでわざわざ来たのかと言われると困るが,まあのんびり過ごしに来たということで.数日前に来ていれば有名な満月祭りがあったらしいが,もうそれも終わっているのだった.

というわけでのんびりそのへんを見物していたら,ある寺院の中にいたじいさんに「暑いだろうから中で休んでいけ」などと言われて,籐椅子と扇風機を使わせてもらったり,喫茶店の店員の子供(たぶん小学生ぐらい)が無料で水をくれたり,なんか親切にされてしまった.俺のような者に親切にしてくれるとは有難いことだ.

なんとなく鉄道駅も見物してみた.この国ではありがちだが,駅前は全然一等地ではなく,町の中心からだいぶはなれている.あたりは建物もだいぶ簡易な感じだ.それでも,駅はいちおうそれなりに使ってはいるらしい.たまたま一両編成の列車というかレールバス的なものが止まって,人が乗り降りしていた.そういえば,帰り道でしばらく近所の子供が無言でついてきたのだが,あれは何だったのだろう.やはり外人などはあまりお呼びでない地域だっただろうか.

ところでこの町の中央商店街では猫に何度も会った.いい町だ.


パテインからヤンゴンに戻る際は船を使ってみた.なんと十九時間かかり,しかも42$という高額の外国人料金を取られる.行きと同じようにバスに乗りさえすれば,四時間かつ8000チャット(800円)程度で戻れるのに.ちなみに船室でなくてデッキで雑魚寝するなら外国人でも7$である.ということは,おそらく地元の人ならデッキだと相当安いのかもしれない.けっこう客は乗っているのだ.

なお船室といってもそんなに快適なものではない.この日記屈指の人気エントリであるルーシ号などとは比べるべくもない.エアコンやトイレ等が付いてるわけでもないし,内側からしか鍵がかからない.それほどきれいでもない.寝てる間吹き曝しでないこと,部屋にいれば鍵をかけられることが主なメリットである.

夜は寝るとしても,十九時間はさすがに退屈である.起きてから四時間以上あったわけだしな.テレビがあるわけでもなし,風景もそんなに変化があるわけでもない.別にどうしようもないので,青空文庫の小説など読んでヒマを潰したりした.地元の人も漫画や小説を読んだりしているようだった.

一旦川を下って海に出るのかと思っていたが,別にそういうことはなくて,複雑に拡がった支流を通って直接ヤンゴンに行くルートだった.途中にも寄港地があったので,そのためかもしれない.寄港地では乗客や荷物の乗り降りがあるほか,物売りの人が来たりもする.食べもの飲みもののほか,本屋なんかも来ていた.なるほど.