海月玲二

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ここは旅行ブログなので(そうか?)旅行情報もちょっと書いておこう.2018年9月現在の情報なので,あとから検索で見つけた人は注意してね.

シムケントとタシケントの間の国境は観光客でも越えられるので,ここを越えた体験談はたくさん見つけることができる.ただし現在のところ,そのほとんどがミニバスとかタクシーとかを乗りついで行くパターンだ.しかし,実はシムケント←→タシケント間直行バスという楽な手段も存在している.しかも値段は1500KZT(450円弱)であり,そんなに高くもない.なぜこの情報があまりない(ガイドブックにさえ書いてない)かというと,2017年の12月にはじまったばかりだからだ.



シムケントでは,南側Darkhan地区にある旧バスターミナルから発着する.上の写真のような建物で,場所はこのへんだ(googleマップではもうちょっと東に「アフトヴァグザール」という表示が出るが,こんなに奥ではないと思う).俺は市バス27番で近くまで行ったけど,そのへんはホテルの人とかに聞いたほうがいい.がんばれば中心部から歩いて行けなくはないかな.

タシケントでは,地下鉄Olmazar駅近くのバスターミナルから発着する.現在このバスターミナルは建物を全面改修中なので一瞬休業中かと思うが,ちゃんとその裏でやってるのでご安心だ.

シムケントのバスターミナルには両替所があり,タシケントのほうではそのへんの売店にいる人が両替を持ちかけてきたりする.さらに,国境付近でも両替商が乗りこんで来たりもする.いずれにせよどこかでKZTとUZSは両替できるだろう.

そういえば,タシケント側のバスターミナルでは,ほかにアルマティ行きとかビシュケク行きとかの切符売り場も見かけた.「タシケントに直接国際バスを乗り入れては駄目」という規制は撤廃されたということなんだろうか.

あと最近噂の「ウズベキスタン入国のとき書かされるめんどくさい税関申告書は,陸路空路を問わず撤廃された」というのは事実のようだ.俺のときもそんなのは一切出てこなかったし,それで後日出国するときも何も問題なかった.

というわけで,シムケントの町中には観光客などほとんどいない.ツーリストインフォメーションにさえ誰もいなくてびっくりした.いや,客がいないだけじゃなく担当者さえいなかったのだ.しかも,二回のぞいてみて二回とも誰もいなかった.バスの情報とか聞こうと思ったのに.まあ確かにここに座っててもほとんど仕事ないだろうけどさあ.

でも,この町は雰囲気がおだやかで,比較的住みやすそうだ.いくつか現代的なショッピングモールなどあって,わりと地元の人達が集まっていてにぎやかだった.中心街のちょっとしたカフェだとかもそれなりにあり,のんびり過ごすにはいいと思う.

カザフスタン滞在最後の晩はちょっとオサレに食事しようと,大きなモールのレストランに入ってみた.しかしここでビールおつまみセットを頼んでみたところ,どうにも塩辛いやつばかりで大変だった.なんか見た目はそれっぽいんだけどなあ.まあ本来はビールを何杯も注文するという前提なのかもしれないが,国境を越える直前ってどのくらいお金使うか悩むよね.カード払いにするには中途半端に現金が残ってたし.

その後,ネットでも見ようとWiFi接続を求めて適当に喫茶店に入り,何の気なしにアイスを頼んだら,なんかむにょーんと伸びるやつで思ったよりうまかった.こっちは得した気分.どうも喫茶店というかトルコ料理店だったようだ.飲み物は緑茶ではなくて,あのいわゆるトルコ式チャイを頼むべきだったか.

ところで町並みマニア的には,ロシア勢力が来る前の古い町並みがちょっとだけ残ってるエリアをチェックするとよいと思う.この地域の他の町の旧市街と同様,土壁の小さい家が細くて曲がった通りに並んでいて,散歩すると雰囲気が違ってなかなかよい.具体的に言うと独立記念公園の北西あたりである.



シムケントはまあまあでかい町だが,観光名所があるわけではない.ここに観光で来る人というのは,おそらく周辺の遺跡だとかを見にきているのである.周辺の見所はいくつかあって,その中でも一番有名だと思われるのがトルキスタンにあるヤサウィという人の霊廟だ.

イスラム式の巨大な霊廟なんだが,まあその,単にこういう雰囲気のものが見たいだけ,というならウズベキスタンに行ったほうがいいと思う.宗教上の目的というか巡礼先として来るんなら意味があると思うけど.じっさい,建物の奥のほうにヤサウィの墓本体が見える場所があるんだけど,そこでお祈りしてるひとはけっこういた.

あーでもアレだ,同じエリアにある半地下のモスクはちょっと変わってておもしろいと思った.あと,霊廟のうしろ側にすごい荒地が広がってるのは何なんだろう.発掘調査中なのか?

ところでトルキスタンはシムケントとは別の町であり,160km離れている.つまり大阪−名古屋間に近いぐらい離れており,日帰りってどうなのという気がしなくもない(ホテルの人にトルキスタンにどう行くのか聞いたら,一瞬「えっ」って顔をされた).でも道はまっすぐで車はかなり飛ばすため,実際は片道2時間ぐらいで行けるのである.

シムケントとトルキスタンのバスターミナルに行って「バス」に乗るわけだが,そのバスと称するのは実際にはちょっと大きめの乗用車に過ぎない(大型バンですらない).これはシェアタクシーと言うんじゃないかとも思うが,バスターミナル間を行き来するだけなのでやっぱり「バス」なのかな.

あとシムケントのバスターミナルは郊外にあるし,しかも複数あるのでわりと面倒だ.普通「サマール」というバスターミナルからトルキスタンに行くのだが,帰ってきたら全然別の「ベクジャン」というバスターミナルに下ろされた.てきとうに中心部に行くらしい市バスに乗ってみたら,見覚えのあるエリアに戻ることができてやっと一安心である.



2018-08-30(木)

タラズ

ここは俺のブログなのでちょっと自慢をすると,俺はほんの少しだけロシア語ができる.そこで,探してるホテルの場所をそのへんの人に聞いてちゃんと情報を得たり,英語のほぼできない駅係員となんとか意思疎通して次の日の切符を買ったりしたのが,タラズ滞在のハイライトである.英語が通じにくいのは旧ソ連地方都市の醍醐味だ.

というかタラズは一泊しただけであり,そもそもどんな町なのかさっぱり不明なのだ.なにしろタラズの鉄道駅は町の中心部からだいぶ離れているし,滞在したのは17時〜翌朝9時ぐらいまでだし.めんどくさかったので,駅周辺を散歩しただけである.ウィキペディアで見たところによると,世界史の「タラス河畔の戦い」がこの近辺だったらしい.へー.

散歩のあと駅前のスーパーでビールとかサモサとか買って,ホテルでゲームしながらビール飲んだりしていたらわりと楽しい気分になったので,我ながら全く適当なことだなと思った.

俺の旅行はバックパッカー寄りなので,特に一人のときは,「別にたいしたことしてない日」の出現率が上がる.最近はわりと適当なホテルでもHDMI端子を備えたテレビがほとんどなので,raspberry piは外こもりのお供にいいよ.軽いし.



アルマティからどこをどう通ってタシケント(ウズベキスタン)に行くかは,実は決めてなかった.

1) 北ルート カラガンダ〜アスタナを通って飛行機でタシケント入り
2) 南ルート キルギス〜フェルガナ盆地経由で
3) 西ルート カザフ南部を鉄道で西に進み,シムケントから国境を越える

あたりが案だったのだが,カラガンダ(アスタナ)方面の鉄道がすでに満席だったので1案は没.なんか夏休みシーズンが終わるから混んでたらしい.2案はけっこう悩んだが,日程がやや厳しいのとフェルガナ盆地の国境は今だに渡航中止勧告なんか出てるのとで,今回は没.というわけで一番フツーの3案だ.

しかし,このルートの場合,シムケントまで時間がかかるので夜行列車を使うのが普通なのだが,これまた満席で昼の便しか席がなかった.アルマティからシムケントまで昼便で行くと,8時発21時過ぎ着みたいなけっこうシンドいスケジュールになるので,途中のタラズという町で降りて一泊休むことにした.

実際カザフスタンは国土が広すぎて,都市間の移動がたいへんなのである.
以前何かのサイトで見た記述で,「カザフスタンの地図を見てると,『ああ,この真ん中へんはなんもないんやな,じゃあさっさと抜けちゃうか』などと思うかもしれない.でも2点ほど間違いがある.ひとつ,何もないということはない.ふたつ,『さっさと抜ける』ことなどできない.距離をナメすぎだ」とかいうのがあってちょっと面白かった.

列車で乗り合わせた人たちが言っていたことによると,彼らは北部のセメイから来ていたそうだが,そこからアルマティまでまず21時間かかるそうである.
また,翌日タラズからシムケントまで乗った列車の時刻表には,アルマティから西部のアクトベまでの日程が書いてあって,乗り通すと丸3日ほどかかるようだ.

そういうのに比べれば,この程度の距離でいちいち途中下車してんじゃねえという気はしないでもないが,まあいい.ちなみに列車は二段寝台で,上の段はけっこう狭くて坐ることさえできず,けっこうな時間寝て過ごした.……そしたら次の日タラズから乗った列車はもっとアレで,なんと寝台が縦に三段だった.もう登るのも面倒なので,荷物だけ置いて廊下の席でずっと座っていた(こっちは4時間ほどだったので).



今年の夏の旅行は,各種手続き簡略化記念ということでカザフスタンとウズベキスタンに行くことにした.

この町の名前は,キリル文字的にはАлматыと綴る.このыの文字に対応するカタカナ表記が統一されていない上,そもそもロシア語とカザフ語ではこの字の発音が違うようだ.結果としてアルマトゥだとかアルマトイだとか表記に揺らぎが出てくるんだな.めんどうなことである.ラテン文字だとAlmatyと綴るようなので,とりあえず「アルマティ」で行く.

名前はともかく,ここはカザフスタン最大の町である.中央アジア最大と言うには,タシケントのほうが人口が多いか.でもこっちのほうがより普通の先進国寄りなので,ウズベキスタンよりは外人にとって滞在が楽ではないかと思う.両替所はそこらへんにあるし,スーパーやちょっとした青果店,外国料理の店なんかもたくさんある.地下鉄乗ってもいちいち荷物見られたりしないしな.

グルジア料理店なんかけっこううまくてよかった.旅行に行ったときってつい「その国の産物を食べる」ということにこだわりたくなるけど,よく考えたらあんまり気にしなくてもいいんじゃないだろうか,と最近思う.そもそもグルジア料理なんて日本ではあまり食べられないし.さらに言えば,スシバーとかタイ料理店とかにしたって,たぶん本来の日本料理やタイ料理とは変わってる(それぞれの国の常識や好みに合わせて)だろうから,別に無意味ということもないのだ.

まあちゃんとしたレストランだと多少は金がかかるので,それなりに節約した日もある.泊まった部屋の家主に「お店で冷凍ペリメニを買ってきてゆでる」というのを聞いて試してみたら,これはなかなかよかった.「だいたい味がついてるのでゆでるだけで食べられる」というのは知らんかった.

ところでこの町では,お店の表示とかそのへんで歩いてる人の話し声とかはロシア語がだいぶ多数派という感じだったのだが,国立大学とか駅とか公共施設とかだと,新しく作ったらしいカザフ語の表示プレートがわりとたくさんあった.なんというか,「こうあるべきだ」という理想にあわせて現実を変えようとするのは大変だなあと思った.



2018-03-08(木)

無題

俺はバックパッカーとしては致命的なレベルで値段交渉が下手だ.下手というか全くできない.つうかめんどくさいんだよ.物を買うぐらいでいちいち何度もやりとりしたくないよ.

ただ,俺は高い買い物をしないので買い物についてはたいして問題ないし,宿泊費に関しても最近はBooking.com様に全部お任せなので交渉なんてしなくてすむようになった.でも,どうしても徒歩では行けない距離はあるから,これが最後の問題なのだ.

というわけで俺はバス代やセルビス(ルートの決まった相乗りタクシー)代やタクシー代を一切交渉してないわけだが,今回ちょっと驚いたのは,ガイドブックに載っている値段の目安より「安かった」という事例があったことだ.

考えられる原因としては,

  • 単に値段が変わった
  • アラブ世界では,本当に値段が固定でない場合がある
  • 値段を聞くのではなく,当然のような顔をして適当な額を出してお釣りをもらうほうが,結果的に安くすむ場合がある
あたりだろうか.まあ数十円の話なのでよくわからんが.バス代とかが「去年より安くなる」とかって考えにくいし,最初のは無いか?

なお,もちろん目安より高く払った回数のほうが多い.

ワディ・ムーサやサルトもそうだし,サラエヴォやヴェリコ・タルノヴォなんかもそうだが,谷の周辺に広がった斜面の多い町というのはけっこうある.アンマンはその親玉みたいなやつだ.複数の谷と丘の広がるエリアにまたがって町が続いている.もちろん移動は大変に面倒くさい.ちょっと散歩する程度であれば,「立体的で面白い」ですむけど.

ただ,いまや「気楽に散歩に行ける,一般的なアラブ世界の大都市」というのは貴重になってきている気がする.ドバイとかアブダビとかはちょっとジャンルが違うよな.ほかはせいぜいモロッコの町ぐらいじゃなかろうか? そういう意味で,アンマンはわりと散歩しがいがあると思う.まあその,いわゆる観光名所的には城塞跡の丘とローマ劇場跡ぐらいしかないんだけども(でもこの二つは思ったよりしっかりしている).

途上国にはよくあることだが,ヨルダンも格差社会のようで,地区によってかなり雰囲気が違う.他所者として散歩するぶんには興味深い.中心のダウンタウンには個人経営の小さい店がぎっしり並んでいる一方,アップタウンに行ってみるとちゃんと外資チェーンとか大型モールとかこじゃれた店とかがゆったり並んでいるのだ.たとえばアップタウンの喫茶店でコーヒーとか飲むと,普通に日本なみの値段を取られるのだが,たくさん客は来てるしどんどん注文もしているようだった.

アンマンにちゃんと滞在したのは最後の3日ぐらいだ.でも,アンマンは今回の旅程のハブになっているので,それ以外の日もけっこう通過,というか短時間滞在している.何度も行ったり来たりしていたので,最終的にはこの巨大な町もなんとなく様子がわかってきた.

  • 別の地区に移動する場合,だいたい谷を越える必要がある
  • 外食はあまり安くないが,食材は外国人でもかなり安く買える
  • ダウンタウンから一番近いスーパーは,しいて言えば1st・2nd Circleの間にあるやつ
  • アブダリ地区北側は,わりとリーズナブルで利用しやすい店が多い
  • 南バスターミナル〜北バスターミナル間のセルビス(シェアタクシー)は,外人でも利用しやすい


2018-03-04(日)

サルト

旧首都ジャンルの町である.旧首都とはいえ,今となってはアンマンと全然規模が違う,ごく小さな町である.

本来,この地域で取れる黄色い石を使った建物で伝統的な町並みが形作られている,という話である.ただまあ現状ではそこまでしっかり残ってるという感じではなくて,わりと適当なコンクリートのビルも多かった.町の入口で大規模に工事していたので,そのうちもうちょっと見栄えがする感じになるのかもしれない.

観光名所としては地味すぎるし,博物館の展示やおみやげ屋なんかもすごい素朴な感じなので,外国人観光客はほとんどいない(子供たちが好奇心で挨拶してくるレベル).でもなんだか国内からの観光客がそこそこいるような感じなので,ヨルダン的にはやはり古い伝統ある町ということなのかな.じっさい泊まったホテルでは,おそらく国内からと思われる団体客に二組ほど遭遇した.

ところでこのホテルはどうも奇妙な店だった.宿泊もできることはできるのだが,なんかレストラン営業のほうがメインのような雰囲気.そもそも宿泊用の部屋は3部屋しかないようで,それはまあいいけど,レストランとして使ってるエリアと分かれていないのが決定的に変だった.つまり俺が部屋でのんびりしてても,壁のすぐ向こうで誰かがお茶とか飲んでたりするのだ.部屋自体は伝統的イメージに合わせたつくりで,なかなかよかったんだけどね.ジュースが無料でついてきたし.

そういえば某「歩き方」には「2016年現在,宿泊施設は存在しない.ゲストハウスがオープン予定」とか書いてあったけど,そのゲストハウスだったんだろうか.そう思ってみるとなんか宿泊対応の段取りも悪いようだったし,最近宿泊客の受け入れを始めたように見えた気もしてくる.


2018-03-03(土)

マダバ

ヨルダンに戻って,ちょっと南のマダバなる町に行ってみた.ここはビサンツ帝国時代の教会跡,特にモザイクで有名である.調べてみたところ,どうも8世紀ぐらいに地震で壊滅して,そのあと最近まで誰も住んでなかったらしいので,そのせいで直前の時代の建物跡がよく残っているということかな.

せっかく来たので,まず中東地図を描いた大作をはじめいろんなモザイクを見物したわけである.さて,そのあと丘の上にある教会に行ってみたら,展示室に各所のモザイクのレプリカが展示されていた.そしたらこのレプリカが,レプリカだけに色あざやかで綺麗なのである(本物は当然経年変化で色あせている).まとまって見れるし,もうこれでいいんじゃないかという気さえしたほどだ.

考古学的資料の展示というのは,そもそも実物である必要はないのではないだろうか? というか,芸術作品だとしても,違いがわからないぐらい精巧なレプリカならそれで問題ないのではなかろうか? というのが,俺がこの町で思ったことである.そういえば,エルサレムにあったいわゆる「死海文書」の展示も,傷んできてるやつはコピーだったりしたな.あれこそ実物じゃなくても全然問題ない気がする.

ところでホテルの展望レストランで夕食を食べたとき,鶏の焼いたのを頼んだら「すいません,鶏肉を切らしてるので別のメニューにしてもらえませんか」とか言われてびっくりした.仮にもホテルのレストランで鶏肉がないってすごいな.まあ,かわりに頼んだ牛肉のシュワルマがけっこううまかったので,個人的には不満はない.というかイスラム教って牛肉もアリだったっけ.


これはキングフセイン橋と同じものである.イスラエルではアレンビー橋と呼ぶのだ.同じ国境を往復するのははじめてだが,別にだから簡単ということもなかった.なにしろヨルダンとイスラエルのイミグレは別物だからな.

ここを通る場合のイスラエル出国税はべらぼうに高いことで有名だ.俺が通った時点では180NIS(5500円ぐらい)だった.現金がほんとうにギリギリで,財布からもたもたと小さなコインまで出して数えてたら,隣で出国税を払っていたアメリカ人に「大丈夫? なんなら余ったコインあげようか?」などと哀れまれる始末.そもそもカードで払えるんだから,無理して現金で残さなくてもよかったのだ.

高い出国税にしろ,橋を渡るバスの外国人用がどうなってるのかすごくわかりにくいことにしろ,ここでビザが出ないことにしろ,やはりイスラエル的にはこの国境で外国人も通してるのは「あくまでついで」なんだろうなあ.バスなんか,パレスチナ人向けのものはどんどん来るし.

まあでも,一番の問題はヨルダン側についた後の話で,国境からアンマンまで行くバスが全然見あたらなかったことである.周りにはタクシーしかいないようだし,警察の人に聞いてみてもタクシーの話しかしない.実に困ったものである.ネットの体験記を見るとバスに乗ってる人もいるようなのだが,なんか探す場所が違ったのだろうか?

しょうがないので,俺はてきとうにそのへんにいた台湾人とタクシーをシェアしてアンマンまで行ったのだった.

さすがに,散歩してまわってもなかなか楽しめるところだった.旧市街はそれなりに複雑(ガイドがないと歩けないほどではない,というのもポイント)だし,地区ごとに雰囲気が変わるというのがすごい.普通の旧市街の4つ分楽しめるわけである(言いすぎ).しかも,ここではおみやげ売りとかのセールスをスルーするのが非常に楽である.観光客が多すぎるので,一人あたりの対応の必要が減るのだ.観光客があまり通らない通りでは,セールスもほとんどなくなるし.

一方西エルサレムの新市街では現代的な町並みを楽しむことができる.けっこう広いのだが,ちゃんと路面電車やバスもあちこち走ってて,外国人でも使いやすいのでご安心だ.停留所に「あと○○分で来ます」みたいな表示さえあって,もう完全に先進国の雰囲気である.レストランやカフェなんかも,先進国的に洗練されたものを出す店が多く,それなりにグッドだった.

さて先進国みたいということで予想できることだが,エルサレムは物価が周辺と比べて超絶に高い.あまりに高いので,さすがの俺もドミトリーに泊まらざるを得なかった.食事も,外食は一日一回までに制限して,ホステルのキッチンにはお世話になった.新しいホステルなので設備もわりと綺麗で快適だったし,ふつうの観光客より早寝早起きなのでシャワー等の時間が他人とかちあうことも少なかったけど,やはり部屋で一人になれないというのは落ちつかないな.

新市街の博物館を見ていたら,「一時期たくさん来たソ連系の移民とそれ以外の市民との軋轢」みたいのをテーマに,わりとえげつない画風の絵を描いてる人の展示がなかなか面白かった.「ユダヤ人」というアイデンティティをもってしても,それでも人は「あいつらは俺らと違う」とかいうようなことをやりたがるものなんだなあ.


2018-02-27(火)

分離壁

いわゆる分離壁を見た.パレスチナ自治区とイスラエル領の間に建てられたコンクリートの壁である.反対の落書がどっさり描いてあって,監視塔からは普通にイスラエル兵が見てたりする.こんなところが観光地化するというのもどうなのかと思うが,普通に観光客が来て記念写真とか撮ってた.まあ,イスラエル軍としてもそうおいそれと外国人観光客などに手は出せんだろうけど.

ベツレヘム近郊には実際観光以外の産業はあまりないわけで,ある意味飯の種にもなってるのかもしれない.ベツレヘムを散歩していると,タクシー運転手の「バンクシーの絵を案内するぞ」という営業がわりと来る.バンクシーというのは有名なストリートアーティストらしいが,壁の落書の意味的に考えて,そこだけピンポイントで見て回るのはなんか変な気もする.

ところで,そもそも外国人観光客は普通に壁を越えられる.というか,壁の一部が開いていて,その中に国境チェックポイントがあるので,パレスチナ自治区からイスラエルに入国できる者はそこも越えられるのだ.だから,ベツレヘム旧市街から歩いて分離壁まで来て(30分かそこらだと思う),チェックポイントを歩いて越え,イスラエル領に入ってからバスに乗ってそのままエルサレムに向かう,ということは普通に可能である.たまに「バス乗り場はベツレヘムの町のほうにしかないから,タクシーに乗る必要があるよ」などと言ってくるタクシー運転手もいるので注意.

ただ,車で通るためのチェックポイント入口と,徒歩の入口は別なので,これまた注意が必要だ.車用の入口の(ベツレヘムから見て)左のほうに,タクシー乗り場みたいな広場があって,その奥から徒歩で通路に入れるようになっている.


「あの男」の生誕の地だそうである.エルサレムの名所を見物してても思うけど,人間というのは妄想だけでここまで壮大で複雑なものを構築できてしまうものである,という事実に感銘を受ける.人間の知能の本質とは,頭の中で考えただけのことと現実とを区別しないことである.

さて,町を見物したあと,夕食を食べようとレストランでメニューをしばらく睨んでいたら,なんか横の席で食べていた人が「メニューを見ても何なのかわからなくて悩んでない? 俺が頼んだ料理を実際見てみたらどうかな」などと言いにきて大変びっくりした.別に店の関係者とかではなくて,単に親切な人だったらしい.まあその,俺はフムスとかファラフェルとかが何なのかは知っていたのだが,それでもこの店の分量とかトッピングとかがわかったのはありがたかった.

食い終わって外に出てみると,観光地にもかかわらず,夜になると通りにほとんど人がいなくなっている.つまり,だいたいの観光客はエルサレムから日帰りで来ているんだなフーン,でも俺はここであえて泊まっちゃうんだもんねーなどと低能なことを考えていたら,あとで旧市街の外側にけっこうな数の大型ホテルが建っていることに気づいた.よく考えたら,ここの旧市街はかなり狭いので,そもそも大型ホテルが旧市街近くに建ってるわけないのだ.

どうも,聖誕教会とかそのへんに巡礼にくる団体というのがけっこういるようである.おみやげ屋やホテルでロシア語表記をかなり見たので,ロシア人の団体とか多いのかもしれない.


トランプ大統領のせいでどうも不安は残るのだが,まあとりあえずテロ等の情報もないので,エルサレムまで足を伸ばしてみることにした.

アンマンからエルサレムまで往復するとき,最短ルートとなるキングフセイン橋を通るルートがよく知られている.よく知られているので,このルートのめんどうさもよく知られている.ちょっと検索すれば,日本語ですら体験記がいろいろ出てくるぐらいだ.

詳細はそのへんと違いはないので割愛.しいて言えば,「今ではイスラエル入国でパスポートにスタンプは押されないので,必死でノースタンプとかアピールしなくてもいい」というのは事実のようだった.というかそんなことより,ヨルダン出国手続きの待合室に猫がいたことを特筆しておきたい.イスラム教の国はだいたい猫に甘いものだが,イミグレにまでいるとは……

あとイスラエル入国の審査がけっこう厳しいみたいな話も聞くけど,俺のときはすげえフレンドリーで簡単だった.たぶん運がよかったのだろう.たまに別室送りになる人が出て,そうなると数時間拘束されるらしいね.

そもそもイスラエル人も,世界からどういうイメージを持たれてるかぐらい知ってると思うんだよね.だったら,特に問題がなさそうな状況では,愛想よくするぐらいのことは考えるのかもしれないな.

ペトラ遺跡最寄りの町で,中心部から遺跡エリアの入口までは1キロ半ほどある.距離はそんなでもないのだが,坂がきついので帰りが大変だった.ただ坂になってるぶん,町並みの見た目はおもしろくて,夜景など意外にきれいでよかった.

ヨルダンの町にはよくあることだが,涸れ川というか谷のあるところに町ができているので,坂が多いのはわからなくはない.でも,なんでわざわざ急坂になってるところをメインストリートにするのか謎だ.勾配と平行に通りを作ったらいいのに.予約サイトとかで宿泊先を選ぶとき,地図上でたいした距離じゃないように見えてもすげえ坂があったりするので要注意である.ちょっと離れただけでかなり行き来が面倒になる.

あとアンマンに帰るとき,泊まってたホテルの人にバスについて聞いたら「うんうん,じゃあ明日バスを呼ぶから」とか不可解な返答を受けた.「呼ぶ」? アンマンからは普通のバスで来たので,帰りも普通のバスがあるはずで,俺はその乗り場とか時間とか聞いたつもりだったのだが.さらに次の日の朝には「タクシーが来たよ」とか言われ,ますます何だかわからん.別に値段はバスと違わなかったのもわけがわからない.「タクシー」と称する車は単なる自家用車で,相乗りだったし.


ヨルダン南部の砂漠というか岩山の中にある遺跡群.なんか世界七不思議のひとつだそうで.

ここを訪れる楽しみというのは,遺跡自体より,遺跡を見ながら峡谷を歩くトレッキング的楽しさのほうが大きいような気がした.歩くのはちょっと大変だが,峡谷の景色はかなりよいと思う.というか,前から俺は疑問なのだが,みんなは遺跡だけを見てそんなに楽しめてるもんなんだろうか? 俺はどうも想像力が貧困なのか,遺跡だけ見ても往時の活況とかなかなか想像できなくてぴんと来ない.

いやまあそのつまり,ヨルダン最大の観光名所だけあって,別に面白くないとかそういうことはないのだ.確かにエル・ハズネはすげえ出オチだが,それ以外にもいろいろ見どころがあり,一日二日いても楽しめるだろう.問題は,だからと言って入場料に八千円弱も払う気が起きるかどうかである.俺は結局払ったわけだが,うーん.

ところで,入場料を払うのにカードはちゃんと使える.手数料は1JD(150円ほど)だけど,決済時の換算レートに比べればたいした問題ではないだろう.ヨルダンでは,「カード使えます」みたいに書いてあっても実際は機械が動かないとか言い出すのはよくあることなので,ちゃんと使えるのはわりとありがたい.

もうひとつ旅行情報としては,SIMカードを入手しておけば,遺跡エリアの奥のほうとかでも普通にメールしたりできる.写真撮って「ペトラなう」とかやりたい向きにも安心だ.俺はメールとかしただけだが.


日本でLCCを使ったのははじめてだ.まあ別に欧州と違うということもないか.関空のLCCターミナルは,さすがにはっきりと外国人観光客向けの感じ.軽食屋も日本食だしおみやげ屋も日本の商品がほとんどだし.国内線のほうはまた違うのかな.

帰りは30分ほど遅れた(たぶん,前の便がちょっと遅れたせいであり,LCCにはよくあること)けど,おおむね問題ないフライトだった.3時間程度であれば,食事とかいちいち回ってこないほうがむしろ気が楽だと思う.

というか,何が一番びっくりしたかと言うと,フライトアテンダントの人が機内でペンを貸してくれたことである.いつも,飛行機で入国カードの類が配られてから,「しまったペン持ってきてねえ」とか思うんだよな.いや,もしかするとふつうは貸してくれるのだろうか? 普通,飛行機でアテンダントにそんなことを頼んでる人を見たことがないのでよくわからない.今回はなぜか何人もそういう人がいたのだ.アテンダントの人達も,ピーチのロゴの入ったペンを何本も持っていて,どうも想定内のような感じだった.

LCCで近くの国に遊びに行くというのは,いわゆる「海外旅行」と言うより,東京とか大阪とかに遊びに行くのの延長の感じだった.ガイドブックより,新しくできたお店とかが載ってる情報誌が必要な感じ.住んでるところと似た町でも似てない町でも,散歩すればそれぞれの面白さがあると思う.


2018-02-04(日)

台南

というわけで,新企画の単発短編型旅行である.

台南というのは台湾最古の都市であり,旧首都ジャンルの町であるが,なんというか京都と言うよりは奈良の感じだった.全体にわりとヌルい雰囲気.京都はもっとサツバツと(以下略).さらに,古い建物や町並みが残っているところをきれいに改装して,オサレな雑貨屋だとか喫茶店だとかを入れて観光名所化しているのも,現代の奈良と似た感じである.というか,これは最近ひさしぶりに奈良を訪れたときに知ってびっくりしたんだけども.

ヌルい雰囲気といえば,町の中心がどこなのかがどうもよくわからなくて不思議だった.どの地域にもそれなりにぽつぽつ人がいて,みんなが集まるところというのが見当たらないのだ.ただ,単に寒くて出歩いてる人が少なかったからという可能性はある.店に入ると突然人がたくさんいて驚くことも多かったし.でも,店もいろんな地域にばらばらとあるような気がしたなあ.

まあ,この日は十年に一度級の大寒波が来ていたらしく,南国のはずなのにわりと本格的に寒かったのは確かである.日本で空港まで移動するためにフリースを着ていたのだが,そのまま台南でも必要になるとは思わなかった.

ほかの人はどうか知らないが,俺としては台湾旅行というと,露店だとか夜市のような外の席で軽食を食べたりかき氷を食べたりするイメージだ.しかしながら今回は,室内のお店で鍋ものを食べたりぬくい麺やスープを食べたりして,ずいぶん想定と違った感じ.いわゆる小籠包も食べてないし.鍋料理にもいろいろおいしいものがあるとは知らなかった.

まあ,台湾土産の定番パイナップルケーキは今回もたくさん買いこんできたけども.好きなんだよねアレ.


ヴァレッタのまわりにも町が続いていて,海を隔てて南東にあるのがスリーシティズ,北西にあるのがスリーマやサンジュリアンといった町である.観光客がいるのはだいたいこのあたりまで.正直,ヴァレッタ周辺全部まとめてひとつの市扱いでもよくね,と思わなくもない.小さい国の行政は日本などとは全然違うんだろうか.

スリーシティズは,ヴァレッタとあわせて,観光におけるいわゆる「旧市街」のポジションだ.ヴァレッタと比べると小規模でおちついた感じである.特にビルグについては,道が他と比べて入り組んでいてまっすぐではないので,また雰囲気が違って面白い.たぶんヴァレッタ都市計画より古い町だからだろう.さらに,ヴァレッタよりはだいぶ観光客が少ない点も,観光における雰囲気として重要だ.まんなかの広場にある店では地元のおっさんたちがビールとか飲んでた.

スリーシティズの先にもまだ岬があって,なんか砦跡なんかも見える.しかし,試しに歩いて行ってみたところ,どうも工事中のようで入れなかった.炎天下にはるばる小一時間歩いたあげく収穫なしで,ひとけのないバス停で帰りのバスを待ったりして,わりといつもの俺の旅行っぽい.途中に超小さい海水浴場があったのもちょっと面白かった.

一方スリーマやサンジュリアンは,首都圏の「新市街」の一部だ.新市街の中でも,観光客向けの施設が多いエリアである.最後の二日はここに滞在してみたところ,買い物も食事も不自由せず大変便利だった.スーパーもショッピングセンターもあるし,お店が22時ぐらいまで普通に営業してたりする.便利さだけで言えば,滞在するのは旧市街より圧倒的にこっちである.町並みはすごい普通のビルとかだけど.


騎士団がやってきてヴァレッタ周辺が首都になる以前は,島中央部の高台にある町が首都であったそうな.中世にアラブ人が中心部を要塞化して,イムディーナの町(城壁で囲まれた部分)がラバトの町(それ以外)と別ものということになったが,基本的にひとつの町と言っても差し支えないと思う.

というか,観光客としては,イムディーナというのは全体で「この町におけるアトラクションのひとつ」というポジションではなかろうか.中世からある町に多い,高台の要塞みたいなポジションである.そもそもイムディーナは現代の町としては小さすぎるし,今は町としてはほぼ機能していない.住人も数百人だし,店はレストランや土産物屋だけ,通りを歩いているのはほぼ全員が観光客である.シギショアラ旧市街と同様で,ここを観光するのはいわゆる「街歩き」ではないのだ.

イムディーナには「静寂の町」というニックネームがあるそうだが,静寂というか,住人が去った町なのだ.古い国にはときどきこういう,「町の思い出」みたいなエリアがあると思う.建物だけはしっかり残ってたりするのが,むしろ寂しげである.

一般的な商店とか,公的施設とか,実質的な町の機能はラバトにある.ある日の昼,腹がすいたので広場にあったてきとうな店に入ったら,地元の人が大勢いて雑談などしており,憩いの場的な感じだった.どうでもいいがこの店,バーかカフェにしか見えない店構えなのに,メニューには普通に食べものが載っているので,ちょっとびっくりした.ピザを頼んでみたら,どこからともなく焼きたてピザが出てきたし,料理は別の場所で作っていたんだろうか.

なお,このエリアのもうひとつの観光客アトラクションは,ラバトにある大量の地下墓地だ.行ってみる場合,何度も階段昇降運動をするハメになる点は覚悟しておくとよい.あと,地下墓地の「入口に」注目すべき点が全部書かれたパネルがあって,内部では何も書いてない方式はどうかと思った.短期記憶に厳しい.内部に「ここに古代の壁画が残っています」とか案内板を置けばいいのに.


ヴァレッタはマルタ共和国の首都である.

クリーム色に統一された中世っぽい町並みでかっこいい.まずクエンカのように「外から見たときのまとまった感じがかっこいい」に加え,「石の旧市街が海から突然にゅっと生えてるのがかっこいい」という点もある.さらに,「中の街路がまっすぐな上アップダウンがあるので,妙に遠くまで見渡せてかっこいい」というのもポイントだ.外側から見ても中に入って見ても楽しめて二度おいしいと思う.

というか,丘の傾斜を無視して直線の街路を作ったから変な景色になった,という気もするな.ハバロフスクと一緒だ.坂や階段がきつくて歩くのがちょっと大変,というのも同じ.

ヨーロッパの古い町にはよくあることだが,今のヴァレッタは観光を主目的とした作りになっている.滞在したらしたで朝や晩の様子が見られていいのだが,生活するのにあまり便利ではない.いろいろと慣れが必要だ.例えば,スーパーの類はたぶん存在しない.食料品や生活用品の小さい店はないこともないが,19時とかに閉まることが多いし,日曜日はだいたい閉まっている.

レストランも,だいたい観光客向けのようだ.ただ,ウォーターフロント地区(フェリーとか来るあたり)だけはそうでもないらしく,わりと地元の客で混雑している感じだった.なんというか「最近近所にできたオサレスポット」みたいな雰囲気で,それはそれで面白かった.なお,別に地元客が多いエリアだからと言って安いわけではない.ヴァレッタは全面的に物価が高いのだ.

ウォーターフロントのお店で,ワインとマルタ風つまみ盛り合わせみたいのを頼んだところ,なんかドライトマトをオリーブオイルに漬けたみたいなやつがうまかった.マルタの名産でもあるらしいが,そもそもオイル漬けドライトマトなどというものを初めて食べたので,単にドライトマトが俺の好みに合っただけかもしれない.


2017-09-01(金)

ナポリ

ナポリを見たので,あとは死ぬだけである.

いや,そもそも件の名言はナポリのどの景色を差して言っているのか知らんけども.とりあえず丘の上から眺めた景色はそれなりにかっこよかった.

そもそも今回は飛行機(easyjet)に乗りに来ただけなので,散策したと言っても2〜3時間程度である.実はryanairのバーリ→マルタ便というのも存在しており,これにすればわざわざナポリまで行く必要はなかったのだが,こっちはちょっとスケジュールの都合で避けたのだ.

ナポリにはそんなに観光客は多くないようだった.みんなカプリ島だのアマルフィだのに移動しちゃうのかな.ナポリはナポリで旧市街は広いしいろいろ凝った建物もあるし,またいつかちゃんと見たいと思う.

まあ確かに,なんか建物は薄汚れてるし,観光客があんまり安心できなさそうな,スリぐらいは出そうなアトモスフィアがあるのも事実ではある.特に,鉄道中央駅の周辺はすごくアレな感じだ.あのあたりだけ,通りに屯してる人達がほとんど黒人なのも,どうも気になる.別に何をされたということもないのだが.朝起きてみたら,駅前のでかい広場が青空モスクと化していた.もともと住んでたイタリア人はどう思っているのだろうか.

せっかくナポリに来たので,ホテルの人におすすめの店とか聞いてピザを食べてみた.さすがになかなかうまくて満足.うまいピザというのは要するに,生地やトマトソースがもともとうまいのだ.具がチーズだけみたいなピザってあるけど,あれは,あれでもうまいから成立するんだな.あと「コーラは本場のピザにも合う」という事実を知った.地元の人も普通にコーラ飲んでたし.


バーリに渡ったあと,ナポリからマルタ行きの飛行機に乗るまでイタリア国内で二泊ほど余裕がある.まずバーリから1時間ほど電車に乗ってアルタムーラという町に向かった.正直,南イタリアにはほかにマテーラの洞窟住居とかアルベロベッロの妙な形の家とかいろいろ観光名所がある中,なんでこの町にわざわざ来たかと言うと,パンを買うためである.この町は独特のパンで大変有名なのだ.

さて,31日の午前中にパンを買ってそれからナポリに移動するというスケジュールだ.バーリの港に着いたのが30日の朝で,それから喫茶店でWiFi接続してホテルを予約→アルタムーラまで移動してチェックインしても,まだ昼過ぎだった.だから午後は別にマテーラに観光に行ったりしてもよかったのだが,今回はアルタムーラを散策したりホテルでのんびり休憩したりという感じで過ごした.マテーラはマテーラで別の機会にゆっくり見たいものだ.いや別に,ホテルの綺麗な部屋でシャワーを浴びて休んだらめんどくさくなった,というわけではない.と思う.

というか,そもそもアルタムーラで過ごすのだってそれなりに面白いものである.旧市街は小さいけどしっかり旧市街してるし,ここ特有の袋小路が多い構造もちょっと面白い.なんかアラブ圏の町みたいだ.実際イタリアというのはさすが観光大国だけあって,別に観光で有名な町じゃなくてもけっこう町並みが凝ってたり,料理がうまかったりする.すげえ.

12時前に駅からホテルに向かっていたときは,旧市街の大通りにもカフェにもたくさん人がいてにぎやかだったのに,13時を過ぎてあらためて町に出てみたら,店は全部閉まってるしほとんど人もいなくてびっくりした.さらに,夜になるとまたたくさん人が出てきて,大聖堂前の広場など22時を過ぎても人でいっぱいだった.イタリア南部では,地中海周辺によくある「夏の午後は誰も出歩かない」文化のようだが,とても極端だな.