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そもそもなんで東スロバキアに来たかというと,このお城を見物しようというのがひとつの目的だった.
ヨーロッパでも有数の大きな城跡である.なんでもラピュタのモデルのひとつであるとかなんとかいう話があるらしい.この城の一番の特徴はその立地ではないかと思う.遠くまで見わたせる感じの平地に丘がひとつあって,その上に城があるわけで,それはもう目立つこと目立つこと.この近辺からだと,およそどこにいても目に入る.
観光客的には,近づきながらその威容を楽しむのが一番重要だと思うので,車で裏の自動車道から行くよりは,ふもとの町から歩いて丘を登るほうがおすすめだ.ふもとの町には道案内もある.つまり,地面にちょっとした矢印マークが描いてあった,という意味だが.
実際入ってみると,まあ基本的には廃虚なので,そういろいろあるわけでもない.でもある程度は中心部の構造が残ってるので,そのへんは想像力でカバーしたいところである.詳細な音声ガイドがなんと無料で借りられるので,想像力の手助けも万全だ.
廃虚なので,それなりに草が生えてたりプレーリードッグみたいな小動物が住んでたりするが,別に園庭ロボットはいない.それより,塔に登ると羽虫がわんさかいるのには閉口した.もちろん冬なら関係ないだろうが,今の時期だと長時間滞在するのはキツイ.塔の入口に「羽アリに注意!」とか書いた貼り紙まであるけど,注意したらどうにかなるものだろうか?

空港でYと合流したあとはスロバキア東部に移動し,旅行の後半戦である.このスロバキア東部というのは,どうにもアクセスしにくい地域だ.
首都ブラチスラバのある西部はそうでもなくて,ウィーンから列車で1時間ほどしかかからない.それに,仮にも首都だから航空便もなくはない.しかし東部はそういうわけにはいかないのだ.ブラチスラバからコシツェ(東部の中心都市)までは列車で5〜6時間かかる.コシツェ(や中部のポプラド)にも一応空港はあるが,スケジュールや旅程がうまいこと合わなければ使えない.たまにプラハ便やブラチスラバ便がある程度だ.
実際,コシツェにはブダペストから行ったほうがまだ近いのである.列車でも3〜4時間ぐらいだ.ハンガリー領は平地が多いからな.
そこで今回は,ブダペスト空港→コシツェというミニバスサービスを使った.事前予約と支払いが必要だが,一人40EURなので値段は比較的リーズナブルだし,時間帯の選択肢も多い.交通手段が限られてることを考えればアリだと思う.
でも帰りは列車にした.こっちは早朝と夜しか便がないので,正直便利とは言いがたいが,もっとお安い.一人22EURだった.
Yを出迎えに,俺がルーマニアからブダペストに移動したのは9月1日である.この時期にブダペスト東駅を利用したので,やはりどんな様子だったか一言書いておこうと思う.
東駅に隣接する地下通路や駅正面が難民でいっぱいだったのは,ニュース等でさんざん報道されたとおりである.最初に降りたときは全然知らなかったので,かなりびっくりした.
ただ,正面の門はいちおう警官隊がかためて通行禁止になっており,駅構内は秩序が保たれていた.地下道にしても,市民や旅行者が単に通行するぶんには別段問題はなく,地下鉄も正常に運行されていた.難民の側としても,暴徒化してもあまり利はないだろうな.
というか,ブダペスト市民としては「ドイツに行ってくれるなら別にこっちには関係ないし」ということかもしれないが.ブダペストのその他の地区は至って平常運転だったんだよね.
運行休止になったりしてたのもドイツ行き関係だけで,ルーマニア線とかスロバキア線とかは全く普通で,おおかた予定時刻にちゃんと発着していた.そんなことより,ルーマニアから来る列車のエアコンが全然効いてなかったことのほうがよっぽど大変だったよ.そりゃそうだよな,ルーマニアとか行っても別にいいことなさそうだしな.
トランシルバニアの中心都市である.観光地としてはそんなにメジャーではないと思う.ここでは何が困ったってとにかく道路工事である.たまたまだと思うが,そこらじゅうの道で工事をやっていて,歩きにくいことこの上なかった.
この町には大きな大学があるというので,せっかくだから行ってみた.しかし当然のことながら夏休みであり,あまり人がいなかったので残念.もちろん全然いないというわけではないが,授業はほぼやってないし食堂とか図書館も閉まっているのだった.
ところで,この手の旧市街にある古い大学としては,理系の学部が多いのはちょっと珍しいと思う.理系の学部はどうしても広い敷地を必要としがちなので,だいたい学部まとめて新市街の広めのキャンパスに移動してしまうのがパターンなのだが,ここでは物理学科とか情報学科とかがわりと中心部の建物に入っていた.主に理論系の教室が多いんだろうか.さらに,医学関係とか動物関係とか,本部の建物にない学部も,それほど郊外ではない近くの場所に集められていた.
大学町らしく,周囲に学生が集まりそうなカフェだとか飲み屋だとかそういうものが多い.夏休みでも,もう終わりも近いからか,カフェには学生らしき人達がたくさんいるのを目にした.どうでもいいが,ルーマニアのカフェはやたらとレモネードが充実している.普通の以外にも,ミントだとかバジルだとかジンジャーだとか,自家製シロップやハーブを混ぜて味付けしたものがいろいろあった.店にもよるがなかなかおいしい.

ここも城塞都市である.シギショアラと比べると町の規模が大きいし,街路も複雑だ.なにより,旧市街中心部でもそれなりに普通の生活が行われているところがだいぶ違う.服屋とか雑貨屋とかスーパーとかそういった施設もあるし.ただ,中世の城塞都市の構造がそのまま残ってる率については,シギショアラのほうが圧倒的に高いそうだ.素人が見ても,まあこっちのほうが壁とか塔とかが少ないかな,ぐらいのことしかわからないけどね!
ここではツーリストインフォメーションで宿を紹介してもらったのだが,係の人が地図につけてくれた印の位置が微妙に間違っていて,見つけるのにえらいこと苦労した.しかし,困った顔でうろうろしていたら,通りががりの人が助けてくれて,携帯で住所を検索したりあたりの店の人に聞きこみをしてくれたりして,大変助かった.この結果,シビウの人々に対するイメージは総計で若干プラスである.
さて,ちょうど滞在していたときに,中世フェスティバルなるイベントが実施されていた.とにかくこの地方は中世推しのようである.それらしい仮装行列とか演劇とか踊りとかいろいろやっていた.出演者はわりと地元のグループが主のようで,なんとなく地域のイベント的なのどかな雰囲気だった.
ステージでは音楽なんかもやっていた.ちょっと意外だったのは,ヨーロッパの伝統楽器を使ってロックミュージックの類をやると,いわゆるシンフォニックメタル的な曲になるということである.よく考えると意外でもなんでもないか.日本でも,夏祭りで三味線ロックとか和太鼓ロックとか遠慮なくやるといいと思った.

速さとか車体のレベルとかは,バルカン半島スタンダードである.つまり遅いし設備はイマイチだ.ただ,遅いのは最初からわかってるので,例外的な事情でなければさほど予定から遅れるわけではない.
今回,シギショアラからシビウまで鉄道で移動してみたところ,途中,工事をしてたせいかかなりスピードを落としてる区間があった.それでも,別に予定を大幅に超過したとかそういうことはない.ちゃんと工事中は臨時ダイヤになっているのかもしれない.
それはいいけど,シギショアラからシビウまでは直通列車がほとんどなくて,コプシャ・ミカという駅で2時間ぐらい待つことになった.この駅のあたりは,街道沿いに工場と小さい集落があるぐらいで,観光客的にはほとんど何もない.切符を買うときに「メディアシュ乗り換えにするか,それともコプシャ・ミカ乗り換えにするか」と聞かれたのはそのせいだったのかもしれない.メディアシュ駅のほうがちょっと手前にあるが,もっとちゃんとした町っぽいのだ.
とりあえず小さな喫茶店をみつけて,アイスを食べながら時間をすごしたのだった.

中世の城塞都市がほぼそのまま残っているので有名.ルーマニアでもわりとメジャーな観光名所である.
ここは現在,非常にテーマパーク的な雰囲気の旧市街である.もちろん城塞都市内部にも人が住んではいるのだが,生活感は非常に薄い.そもそも,中で営業しているのはホテルやおみやげ屋やレストランの類だけで,普通の商店はほぼ存在しない(一軒だけ雑貨店らしい店があった).城塞を降りて周辺の市街に行くと普通の店や市場などが存在するので,たぶん内部の住人は買い物などは外に出かけてするのだと思う.
まあ,商業的な中心地域は昔から,現在の繁華街のあたり(城壁のすぐ下)だったんだろうとは思う.でも城塞内部でも市場はあったそうだし,元職人ギルドの建物とかもあったりするので,それなりには生活があったんじゃなかろうか.現在,市場とかスーパーとか大きめの家とかがある地域は,明らかに古くはない感じである.というわけで,旧市街は「中世の建築を見物する」ということがメインであり,町というよりは遺跡を見るような感覚で行くとよいかもしれない.
なお旧市街一番の名物は時計塔である.(たぶん)毎正時になるとからくり人形が動くということで,観光客が集まってきたりする.でも,正直かなり地味な動きなので,過大な期待は禁物だ.
ところで,旧市街中心部の丘の上には教会があって,横に大きな墓地がある.どういうわけか,観光客がけっこういたのが不思議な感じ.いやまあ歴史ある場所かもしれないが,普通に最近でも使ってる墓地だよなあ.散策するような場所でもないと思うんだけど.
ルーマニア中部,トランシルバニア地方では,外敵から守るために城壁をつけたりして武装した教会や貴族の邸宅などがいろいろ残っている.というわけで,シギショアラ滞在中にタクシーをチャーターして3つほど観光に行ってみた.タクシーをチャーターとか豪勢な感じだが,そもそも公共交通機関がほとんどないので,ほかに方法はないのである.宿で紹介してくれたプランにそのまま乗った感じ.ルーマニアで流しのタクシーを使うのはためらわれるし.
・ビエルタンの要塞教会
最初に見たこの教会はわりと有名なやつで,わかりやすく城っぽいナリの教会だ.有名なだけに観光バスとかもどかどか来る.ここは普通に見物して楽しんだ.
・マルンクラヴの教会
次の教会からちょっと様子が違ってくる.ここはほとんど人も来てなくて,そもそも鍵が開いてない.まず鍵を管理してるおばちゃんのいどころを探すのに,ちょっと村を行ったり来たりする羽目になった.さらに,このおばちゃん外国語はドイツ語しか話せない(トランシルバニアには歴史的理由でドイツ人の観光客が多く,ドイツ語だけは話せるという人がけっこういる).
このとき偶然,国内旅行中にここを観光に来た一家が現れ,一緒に見物することになった.そして一家の父親氏は英語が堪能で,なんとおばちゃんの話を簡単に通訳してくれたのである.説明を教えてもらいながら,中世の壁画とか見て楽しんだ.ここはルーテル派なのに東方正教会みたいな壁画があるのが珍しいんだそうだ.
さらに,みんなで(母親氏だけは待機してた)教会の鐘楼に登ったり,近くにあった貴族の館を再現したものを見たり,リンゴジュース工場でジュースを買ったりした.どうでもいいが,鐘楼のハシゴや床がかなりボロくて危ない感じだった.もし観光客がいっぱい来たりしたら確実に事故が起きそう.
・クリシュの城
一家と別れ,最後に城というか城壁のついた貴族の邸宅のようなところを見にいった.
ただ,ここは現時点では思いきり修復中である.あちこち作業が丸出しだ.しかし,それにもかかわらず観光客として入れてしまった.なんかやたらにこやかな男が時々案内してくれて,それなりに建物とか地下牢とか見物していた.地下なんか全然明かりもなくて大変だった.リアリティがあるようなそうでもないような.
さて,いろいろ見ていたら,件のにこやか男が何か人がたくさんいる長いテーブルに案内してくれて,座ったら料理をよそってくれた.……?? これはつまり修復チームが昼食を食べているところでは?
最初にこの男に見物料を払ってチケットを買っているし,何か作業するわけでもなくぶらぶら見ていただけだし,作業スタッフと勘違いしたということはないと思う.どうも単に親切で食事をすすめてくれたようである.一応近くに座っていた人に「これ,修復チームの食事ですよね? 俺,単なる観光客なんですけど」と聞いてみたら,「うん,別に誰も気にしないし,いいんじゃない?」みたいな返事.
別に何かの罠でもなさそうなので,せっかくだから食べさせてもらったのだった.ついでに付近の人にちょっと聞いてみたところ,作業メンバーは国内外のいろんな大学から集まっているらしい.考古学とかの発掘ボランティアみたいなもんだろうか.
さらに,食事のあと,二人のメンバーが簡単に解説しながら案内までしてくれた.実に親切なことである.
まあ,おかげで予定より大幅に長くタクシーに待っててもらうことになって,あとで若干割増料金を要求されたわけだけど.もっともな言い分なので,ちょびっと上乗せして払ったのだった.
ここの空港は小さな地方空港で,飛行機から降りたあと建物まで自分で歩くクラスである.両替所やお店などの旅行者向け設備はほとんどないし(いちおうATMは一台だけあった.出発側にね),英語の通じるシャトルバスとかもあんまり期待できない.入国管理官も外人に慣れてないようだし,詳しいツーリストインフォメーションとか当然ない.ガイドブックにも情報はあまりない.
さて,俺はわりと焦っていた.今日中にシギショアラまで行かねばならないのだが,Wizz Airの便が2時間以上遅れ,すでに18時を過ぎていたのである.シギショアラまでバスで1時間はかかるはずなのだ.まず,空港バスにとりあえず乗りこみ,英語のできる親切な乗客に降りる場所を教えてもらったりして,なんとか長距離バス乗り場らしい場所に到達した.しかし,行き先表示を見ても「シギショアラ」という地名がどこにも見当らない.
違うバスの運転手になんとか聞いてみたところ(ほとんど英語が通じない),どうやら,シギショアラ行きのバスは別のバス乗り場から出ているらしい.さらに不安になりつつも教えられた方向にしばらく歩いていくと,なんとかそれらしい場所を見つけることができ,まだ最終の20時発というのがあることが判明した.ああやれやれ.
でも20時までは1時間強待つはめになった.ほとんど人もいない空き地みたいな場所で,だんだん暗くなる中,ほんとに来るのか不安なバスを待つのはわりと緊張した.犬に吠えかかられたり物乞いが来たりもした(係員の人が追い払ってくれたけど).そのあと近くにあった商店に行ってパンとか買っていたら,同じ物乞いがいて気まずい感じ.

今回の旅行の行き先はルーマニアとスロバキアだ.でも,日本からの航空券はブダペスト(ハンガリー)往復のものを買った.エミレーツ航空がセールしてたからである.夏のヨーロッパ往復で10万切ってるのは珍しい.
というわけでブダペストからルーマニアへの移動が必要だ.今回は,LCCであるWizz Airがブダペスト→トゥルグ・ムレシュという便を出しているので,これに乗ってみた.トゥルグ・ムレシュというのはルーマニア中部の町でそれほど観光地ではないが,ここからシギショアラなど有名な観光地まで比較的簡単に行けるらしい.
Wizz Airには重大な注意点がふたつある.まず,オンラインチェックインしたときに搭乗券を「紙に印刷して」いかなければならず,スマートフォンとかでpdfを表示しても乗せてくれない.もうひとつ,手荷物の制限が異様に厳しく,バックパック程度でも「大きめ手荷物」の権利を買っておかないといけない.ていうか「大きめ」でもかなり小さい(56x45x25cm)ので,今回は念のため小さめのバックパックを使った.ふだん使ってるやつだと高さが56cmギリギリで微妙なところだったんだよな.実際の運用を見てると,ギリギリぐらいだったら通してくれそうな気はした.でも,「大きすぎる」と判定され,その場で追加料金を払うことになってる人もやっぱりいたけど.
あと,ブダペスト空港で,エミレーツ便から降りたあと乗り継ぎの通路に行こうとしたら,入国審査のほうへ行けと追い返された.ちゃんと搭乗券は持っていたんだけど,なんでかよくわからない.いちいち一回入国するはめになってめんどうくさかった.

なにしろアメリカ大陸だから,珍しく米系の航空会社を使った.
常々聞いてはいたけど,アメリカ合衆国経由便というのはめんどくさいな.まず事前に例のESTAとかいう謎の認証を受けないといけないし,乗り継ぎだけなのにしっかり入国審査があるし,荷物を預けてたら一旦受けとって預けなおさないといけないし.
ところで,帰りはメキシコシティからサンフランシスコを経由して関空に行く予定で,これが1時間半しか時間の余裕がなく,国境審査や荷物の処理が間に合うのかけっこう心配していた.しかしサンフランシスコで急ぎ国境審査を抜けてみると,関空行きは欠航だという.成田経由に変更になり,1時間ほど余裕ができてしまったので,急いだのは全く無駄であったことである.機体のメンテナンスのためとか言ってたが,なんかやっぱりボーイング787はまだまだ安定性に難がある感じ?
予定より3時間ほどよけいに時間がかかって家にたどりつき,ああやれやれと思っていたら,なんか125USDぶんのクーポンをもらえた.意外な対応でちょっとびっくり.しかしユナイテッドで有効期限一年か…….うーん.
ところで,米系の会社は機内食がマズいと聞いていたけど,これは別に何とも思わなかった.というか,エコノミーの機内食なんてどこも大差なくね? まあ,アルコールが全部追加料金というのはちょっといただけないかも.
この記事は2015年3月現在の話で,俺の個人的な印象である.注意されたし.
要するに,メキシコではマフィアの抗争が激化している地域が危険で,そうでなければ普通の注意でいいようである.俺が今回滞在したオアハカ・グアナフアト・メキシコシティ中心部では,現在はそれほど大変なことにはなっていないようだ.散歩してて気付いた点としては,
- 一般人もよくスマートフォンを路上で使っている
- 公衆電話はだいたい壊れていない
- 夜になっても若い女性が一人で犬の散歩なんかしている
- でかいカメラを下げた観光客も普通にうろうろしている
というあたりが,町の治安が最悪ではないことを示していると思う.まあスリとかは出るかもしれないが,拳銃強盗とかが日常的に出る雰囲気ではなかった.
あと,なんか警官が多かった.特にメキシコシティはものすごく多くて,いつでもそこらじゅうにいる.深夜早朝でもいる.しかもけっこう重装備だ.まあこれも治安維持のために役立ってるんだろうけど,あんなに多いと別の問題が発生しないか気になってしまう.実際警官が起こした事件とかもあるようだし.
メキシコ全体として旅行に行くべきではない,とまでは言えないと思う.どの地域は避けておくべきか,情報収集は必要だろうけど.
メキシコの首都だ.中央広場周辺は,さすがにきれいで大きな建物も多い.しかしちょっと離れるとかなりボロい建物が目立つようだ.ボロくても色は派手だったりするのがラテンアメリカっぽい気はした.郊外のほうまで行ってみると,鉄格子でガードされたスタイルの店が増え(客は店内に入らず,外から欲しいものを店員に言う方式),ちょっと夜とかは通らないほうがよさそうな雰囲気のところも見うけられた.
さて,巨大都市なので面積も広く,それなりに交通機関を駆使しないと大変である.でも先進国みたいな信頼性はないので,多少は余裕を見て行動すべし.地下鉄に乗ったら目的方向のホームに行く階段が封鎖されていて,よく見たら「こっちは今使えないから,逆方向に一駅行ってから戻ってね」とか貼り紙がしてあったりとか.バスのドアが壊れて30分ぐらい外に出られなくなったりとか.地下鉄は時々何の説明もなくしばらく止まったりすることもあった.いや,説明されてもたぶんわからないけど.
「メトロバス」という専用軌道を走るバスがあって,路面電車的に使われているのだが,これが夕方ラッシュ時になるとそうとう混雑する.実際ホームの客が乗りこめなくて諦めたりしてるわけだが,当然ながら次に来たやつだってやっぱり満員なのだ.毎回せいぜい1〜2人ぐらいしか乗れない時間帯,ホームにたくさんいる客は結局どうしてるんだろうか.
まー色々と大変そうな町ではある.今はなんとかだましだまし都市機能を動かしてる感じ.もちろん首都なので,お店とかレストランとかはたくさんあるし,市内の見所だって多いのだが.
あと国立宮殿の中庭には猫がいっぱいいる.

メキシコシティ近郊の古代遺跡.ちなみにスペイン語の発音だと「テオティウアカン」みたいな感じだ.「カ」のところが強い.
紀元前からある都市で,7世紀ごろに滅びたいきさつはよくわかっていないらしい.いわゆる謎の古代文明だ.まあ実際のところ,単に戦争に負けたとか疫病が流行ったとか別の町に勢力を持ってかれたとかその程度の話なのだろう.アメリカ大陸の古代文明については,スペイン人に荒らされたのもでかいけど,文書がほぼ存在しないのが痛い.アレだ,文書があれば歴史学で,文書がなければ考古学なのだ.具体的なお話は残らなかったのだ.ロマンがあるという見方もあるかもしれない.
実際に歩いてみると,でかい.とにかくでかい.ピラミッドもでかいがなにしろ敷地がでかい.はじからはじまで2キロ近くある.この距離を,直射日光を受けながら,ピラミッドとか見物して歩くわけだ.飲み水と帽子の用意は必須である.忘れた人向けに,入口に帽子屋が何軒もあるほどだ.
3世紀ぐらいに最盛期を迎えてるこの遺跡と,中世に近いアステカ遺跡とを比べたりしても,建築とかにはそれほど大きな変化がないような気がする.まあ現代みたいな科学技術が使えるわけじゃないからそんなもんか.
どうでもいいがトラロック神像はなんとなくシシマイに似ていると思う.

某ガイドブックとか,「グアナファト」というカタカナ表記がときどき見られるけど,これはスペイン語の音と似てない気がする.断じて「ファ」ではない.「フ」のとこにも母音が入るのだ.
それはともかく,グアナフアトは町並みマニア大歓喜の町だ.ここに来るのは今回のメインイベントである.コロニアル都市であるにもかかわらず格子状の町ではなく,旧市街は入り組んだ路地で構成されている.アップダウンのはげしい立体的な地形で,さらに,何本も地下道が走っていて,離れたポイントが相互に結ばれていたりする.無意味に散歩するだけでも数日間余裕で過ごせた.
ところでこの地下道,地球の歩き方には「危険なので歩くのはおすすめできない」とか書いてある.だがどう危険なのか書いてないのだ.交通事故的に危険なのか? 強盗が出やすいから危険なのか? 実は昼間にちょっとだけ歩いて通ってみた(もちろん他にも人が歩いているタイミングを狙った)けど,とりあえず何もなかった.移動手段としては便利だし,観光的にもおもしろいので,監視カメラを入れたりガードレールを付けたりして安全面に配慮すればいいのにと思うなあ.
それとグアナフアトは大学も有名なので,大学見物家の俺としてはこっちも見物することにした.斜面に作られた本館の複雑な構造は大変すばらしい.方向によってフロア数が違ってたり,複数の建物が結合されたりしているタイプだ.こういう建築はぜひ日本の大学でもやってほしいけど,やっぱり値段的にアレなんだろうか.思うに,こういう建物を一度に作るとコストがかかるから,無計画に建増ししながらちょっとずつ作ったらいいんじゃないか.
正直,建物や町並みの面白さについては,装飾や彫刻の類いはそれほど重要ではないというか,要するにあれはフレーバーだと思う.構造のほうがずっと重要だ.
グアナフアト郊外に,銀鉱山のあるエリアがある.というか,鉱山が発見されたから,近くにグアナフアトの町が発展したと言うほうが正しいか.
というわけで,ここでは鉱山の跡なんか見物できる.……のはいいんだが,ガイドブックにもあるとおりガイドの説明は全てスペイン語だ.見物できるところは二箇所あって,最初に行ったほう(San Cayetano)は客がたまたま俺一人だったので,ガイドのおっさんはかなりゆっくり話してくれて,なんとか言ってることが理解できた.でももう片方(San Ramon)では,俺のほかにスペイン語圏の客が四人もいたので,ガイドの兄ちゃんはふつうの速さで話し,ほとんどわからんかった.まあ,別にそんなたいした話でもないだろう.
San Cayetanoにはそれなりに観光客がいたのに,San Ramonのほうはちょっとだけ離れてるせいか客がすごく少ない感じだった.でもSan Ramonのほうが,展示品は充実しているし周囲の建物も整備され,若干テーマパーク感が出ている.もういっそのこと共通チケットにして,バス乗り場のあたりで売ったらいいと思うんだがどうだろうか.
どうでもいいけどSan Cayetanoでは「ここはまだ掘っている」とか言ってたような気がする.ほんまかいな.
オアハカはわりとはなれたところにあるので,次の目的地であるグアナフアトまではかなり遠い.バスを途中で乗りついで12時間以上かかる.たいへんめんどくさいので,途中で一泊することにした.なお,プエブラ→グアナフアトというバスは6時と13時に存在する(プチ旅行情報).
さて,恒例の失敗談のコーナーだ.
到着してから,次の日のバスの切符を買ったりホテルを探したりしてるうちに夕方になってしまった.それでも,少しぐらいは観光をと思って中心部に出てみるつもりが,市バスを降りるポイントを間違えて大幅に時間をロスし,結局夕食を食べただけになったという話.
バスターミナルからの市バスは中心部をダイレクトには通らないようで,近いところで降りて2ブロックほど歩かないといけなかったらしい.乗ってるうちに,明らかに「降りるタイミングをのがした」ということはわかったので,じたばたせずに終点まで行って逆向きに乗ろうとしたところ,町外れの終点までは1時間以上かかったのだった.しかしまあ途中のよくわからない地点でうかつに降りても,そのあとどうするか悩むところだ.逆行きが同じところを通るとも限らないし.
終点で,さすがにバスの運転手が不審に思い,どこに行きたかったのか聞いてきた.中央広場に行きたかったと答えると「このバスがそのまま折りかえすから,ちょっと待ってろ.降りるところで教えてやる」とかなんとか言って,なんか缶コーラをくれた.人の情けが身にしみる.

観光客が多い感じの町なのであるが,実は市内にはそれほどたくさん観光名所があるわけではない.ただ周囲には,現地の人々の生活を垣間見ることができる村々,モンテアルバンをはじめとした古代遺跡,トレッキングできる山とかそういうのがいろいろあるのだ.市内では,教会とかをひととおり見たら,あとはおみやげ屋めぐりが定番らしい.なんか町としては先住民デザインを元にしたアート雑貨が重点らしく,そういう店はたくさんある.別に興味ないので行ってないけど.
周囲のスポットでは,モンテアルバンのほかにはトラコルーラという村に行ってみた.ここはあたりで最大の聖堂があるので,日曜に人が集まり,大規模な市が開かれるので有名である.まあ別に買うものがあるわけではないけど,裂けるチーズ(オアハカ地方名物)とかよくわからない飲みものとか買って,教会の庭で座って食べたりした.横に座っていたじいさんにスペイン語で話しかけられて大変だった.のどかでいい雰囲気だとは思う.
オアハカで町並み的にまず気になるのは,なんかアレだ,建物が低い.平屋かせいぜい二階建ての建物が多い.これは景観的に意図してやっているのだろうか,それとも単に地方都市で人口が少ないだけなんだろうか.道路も広くて,なんか日射しをさえぎるところが少ないんだよな.公園とか中央広場とかの木陰は大変重要である.なお,中心部だけは少し高くてきれいな建物で揃えられていて,街路も石畳で仕上げてあったりする.このへんはいわゆるコロニアル調というやつだろう.
構造としては,ラテンアメリカに多い街路が格子状になった町だ.地形も単純なので,路地を迷ったりするような楽しみはほぼない.

メキシコ南部,オアハカ近郊にある古代遺跡.
なんとなくメキシコの古代遺跡というとジャングルの中にあるようなイメージだったけど,よく考えたらメキシコ国土でジャングルなのはユカタン半島だけなのか.ここの遺跡は,大きくひらけたところに建物の跡が並んでいる感じだ.おかげで,とにかく日射しがきつくて暑かった.基壇の上にあったはずの建物はほとんど破壊されてしまっているし,小高い丘の頂上に位置していて,遮るものが何もないのだ.なんとなく帽子を持ってきておいてよかったと本当に思う.
あと変な絵とか絵文字とか描いてある石碑も,別にマヤ文明の専売特許じゃないようだった.全然知らんかった.
丘の上に建物跡が集まっているということで,雰囲気としてはベラト(アルバニア)の城やシーギリヤロック(スリランカ)のような天空城系である.人間,やはり高いところには惹かれるものなんだろうか.どれも建物自体はあまり残ってないのが残念なことである.この手の遺跡で,ちゃんと建物がしっかり残ってるのってあったっけか?
というか古代メソアメリカ文明は結局のところ全面的に滅亡してるからどうもよくわからん.一部勢力だけでも現在まで存続してたら面白かっただろうになあ.

今度はクロアチアの首都だ.関係の深い二国の首都同士,しかも電車で二時間ほどの距離というのに,電車やバスの便が日に数本というのはいまいち理解に苦しむ.日本人の感覚では一時間に一本出したいぐらいだ.まあ人口が全然違うわけだけど,でも,リュブリャーナからのバスに乗ろうとしたら「次のバスは満席だよ」とか言われたんだよな.もうちょっとあってもいいじゃん.
それはともかくザグレブの町は大都市である.今回訪れた町の中ではぶっちぎり最大級であろう.人も多いしかなり栄えている様子である.むかし一度来てるはずなのに,「こんなにでかい町だったっけ?」という感じだった.いや,10年前に比べるとやっぱり経済成長してるのかもしれないな.郊外のでかいモールなんかはわりと新しそうなのも多かったし.
で,大都市なんだけど,まあ,観光的には地味で,観光名所の多いクロアチアではわりと残念扱いにされるかわいそうな子でもある.いや,大都市でインフラもまあまあだし,町歩きするぶんには十分おもしろいところだと思うよ.買い物や食べ歩きしてもいいし.
某ガイドブックの読者投稿欄で,あるレストランについて全然だめとか時間の無駄とかぼろかすに書かれていて,むしろ逆に気になったので入ってみた.確かに大衆食堂ふうでそれほど洗練されてない料理だったけど,別にまずいとか時間の無駄だとかまでは思わなかったなあ.ビールもつけて二人で1700円ほどだったし,コストパフォーマンスは悪くないと思ったんだけど.カツレツとかむしろうまいほうだと思った.

スロベニアの首都.10年前に一度来ているのだが,そのときは雨が降っていたのでろくに観光もせずにショッピングセンターとかに引きこもっていた記憶しかない.まったく雨は苦手である.今回は雨じゃなかったので,それなりに散策できて満足だ.
リュブリャーナはなんというかオサレにちいさくまとまった町だな.正直言って目玉となる観光名所は別にこれといってないんだけど,ヨーロッパの町の雰囲気を楽しむにはなかなかよいと思う.町のディスプレイなどもなかなか洗練されているし,なによりヨーロッパの大都市としては飛び抜けて安全だし.それとヨーロッパの大都市ではときどきあることだが,ここでも,中世からのいわゆる旧市街だけでなく,外側の新市街もみどころのひとつだと思う.なかなかいいビルが並んでいておもしろい.
いちおう丘の上の城跡が観光名所であるが,なんというかアレは市民の憩いの場というか,公園の豪華な奴というか,そういう感じがした.普通にイベントごととか写真ギャラリーとか結婚式とかそういう用途に使われてるし.
ところでリュブリャーナは,一応観光客が来る町にもかかわらず,安い宿の選択肢が限られてるのがちょっとつらい(ノヴァ・ゴリツァなんかも宿の選択肢が少ないが,あそこはそもそも来る観光客が少なかろう).スロベニアはもともと物価が高めなので,ある程度はしょうがないのだが.前回来たときは,安めのゲストハウスを探すのにけっこう苦労して,しかも町の中心からだいぶ離れたところになり,めんどくさかった覚えがある.今回は,インフォメーションに行ってみたら,中心部近くなのに一泊58ユーロの宿が紹介してもらえて助かった.

スロベニアとイタリアの国境にある町だ.
第二次大戦後,ゴリツィア市(イタリア)の郊外がユーゴスラビアに割譲
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冷戦で東西に分断されたままそれぞれ発展
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冷戦終了,ユーゴスラビア解体
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スロベニアがシェンゲン圏加入,イタリアとの国境審査も撤廃
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再び往来が自由に
というような歴史を辿った町で,冷戦期はベルリンよろしく分断されていたそうである.スロベニア側のノヴァ・ゴリツァはもともと郊外だったので,旧市街だとかそういうものは一切ない.中心部はまっすぐな道路に四角いビルが等間隔で並び,いかにも20世紀後半に新しく作った町である.いかにもイタリア風の旧市街が残るイタリア側ゴリツィアと,ずいぶん違ってておもしろい.
実際,今ではある種役割分担のようなことが起きているのかもしれない.ノヴァ・ゴリツァのカジノにはイタリア側から客が来ているらしいし,駐車場完備の巨大ショッピングモールなどもイタリア側にはなさそうである(どうでもいいが,スロベニアには妙にこの手の巨大モールが多い気がする.どんだけ車社会なんだ).逆にイタリア側でスロベニアナンバーの車を見かけることもあった.どういう用事なのかは知らないが.
夕食はノヴァ・ゴリツァのレストランで食べた.人気の店らしく混雑していたのだが,けっこうイタリア語を話すお客も来ているようだった.店員の人達も,普通に両方の言葉を使って応対していた.さらに当然俺達には英語であり,いろいろ大変だと思った.スロベニア語とイタリア語と英語ってそれほど似てないよなあ.なお,主なメニューはピザなどのイタリア料理であった.

鍾乳洞やピランに観光に行く拠点としては,この地方の中核都市たるコペルに滞在していた.ここはいわゆる港町である.クレーンやコンテナがいっぱいだ.
コペル自体にも旧市街はあって,それなりに雰囲気がよさそうではあった.でも周囲の観光をするにあたって大変非効率的に行きあたりばったりで動いた結果,コペルの町自体を観光する時間がなくなってしまった.結果として,コペルの町については宿泊した家とか(一般家庭の一部を借りて泊まるタイプ),住宅地にあるちょっとした商店街とか,バスターミナルの窓口がひとつしかなくていつも行列ができてることとか,てきとうな店に入ってアイスを食べたりしたこととか,そんなことばかり記憶に残っている.
それでも鍾乳洞から戻ってきた夜,夕食を食べに旧市街に行ってみたりもした.この町自体に観光に来る人は少ないせいか,ふつうの店はほとんど閉まっていたしカフェやレストランの類も静かなものだった.そのわりには,ときどき人が歩いているのが不思議な感じである.静かだけど雰囲気はわりと平和な感じだ.あと夕食で食べたイワシの空揚げみたいのが思いのほかうまくてびっくりした.
ところで,この町も周囲の住宅地はものすごい坂道ばっかりである.今回の旅行は山国が多いので,こういうパターンが多いなあ.

俺は雨と寒さが苦手である.大変残念なことに,スロベニア西部に滞在していた数日間は,ほとんどずっと冷たい雨が降っていた.ピランはアドリア海岸の古い町で,ヴェネツィア風の町並みを散歩するのが楽しいステキな観光名所……というはずなのだが,どうにもそういう気分じゃない雰囲気だった.雨もさることながら,なにしろ海に突き出した半島なので,風もけっこう強いのだ.特に外周の道はひどくて,観光シーズンなのに閉めてる店まであったほどだ.
あとオープンカフェが多いのも,いい天気ならよかろうけども悪天候ではつらかった.路地裏にあった小さなカフェに一旦逃げこんで,やっとなにかする気力が出てきたものである.というかそのままカフェにこもってようかと思ったぐらいだ.でもヨーロッパ人の観光客たちはわりと寒さに強いのか,普通にオープンカフェにも客がいたりしてびっくりした.
まあせっかく来たのでがんばって散策してみたところ,確かに小規模ながらそれなりに入りくんでいて,わりといい路地ではあると思った.これで天気がよければ猫の一匹や二匹出てきただろうに.あとはまあ,町を見下ろせる城壁に登って,ありがちな写真を撮ってみたりとか.
