ゆうゆ

 無事に日本武道館でのライブが終わってから、ずっと心の中で考えていた事。
それは、たとえば今までのライブ終了後に感じた事がなかった気持ち。
「元気」とか「勇気」とかそういう言葉に置き換えられる感情。
それは、どうしてなのかと考えていた。

 これまでのライブの後は、終わってしまうと悲しくて悲しくて、声をすぐに聞きたくなっていた。
ライブまではワクワク楽しみにしていたけど、終わってしまうと「悲しさ」とか「寂しさ」が上回っていた。
もちろん、ライブの帰りには、また次に会えるまでは頑張ろうと思うんだけど・・・
そう、自分に言い聞かせて、前に進むのだけどね。
今回のライブ後のワタクシは、ちょっと違うの。
それは、なんなのだろう?

 武道館での高橋優のライブは、エンターテイメントだったという事なのね。
その満足感を感じているという事なの。
だから、今は少しも悲しさも寂しさも感じない。
また会いたいと思うけど、今からしばらくの創作期間を待ち遠しく思うだろうけど、
だからって、それはどうって事ないと思える。
箭内さんもラジオ「風とロック」で言ってたけど、大きな会場が似合う人だったって事。
もちろん、東京ドームは無謀だと思うけど、キャパが大きくてもちゃんとまとめられた。
ツアーファイナルの名古屋で感じたワタクシの小さな不安は、こっぱ微塵になったよ。
今年のすべてをこのステージに合わせて、活動をしてきたのだから、その意気込みはそうとうのもので
あったろうと思う。
緊張をしていたろうけど、それ以上のものを出せたのではないかと思った。

 会場を後にする時に、一番後ろから、ステージをじっくりと見た。
あそこにさっきまで優さんがいたと感慨にふけっていたら、PAの水江さんに結構見られたよ・・・
お仕事中、ごめんなさい。

 そうそう、ツアーパンフ!!!
思いのほか、鹿児島での写真が多くてね。
会場での写真に、ほんの隅っこの方に、ワタクシが写り込んでおりますのよ。
そうして、屋上から覗き込んでいる写真のその視線の先にいたのよね、ワタクシ・・・
これもタカラ物だわ。
ほんと、優さんからの頂き物が多すぎる。

 

 吾郎ちゃんのお誕生日は、12月8日だった。
大幅に遅れてしまったよ、ごめんね。
楽屋コンビで中間管理職の吾郎ちゃんも、介護保険料を納める年になったんだね。
いつも自分らしくしている吾郎ちゃんを見るのは、一つの安心感なの。
で、ちゃんと立場を分かっている人。

 この1年も吾郎ちゃんらしく過ごしてくださいね。

 と同時に、この日はジョンの命日。
もう33年の経つのだなぁ。
生きていれば、73歳。老後は、日本に住んでいたりしたのかなぁ~
今の世の中をどう感じたのだろうね。

 たぶん、ワタクシは人からは幸せそうに思われているタイプの人。
それゆえの弊害は、いくつも感じてきた。
ま、いわゆる言葉の暴力的なところから、小さな嫌がらせ的なところまで。

 けどね、本当に幸せかとどうかなんて、本人にしか分かんないじゃあない?
レベルの問題だけど、結婚生活が継続できている(離婚してないとか)
子供に問題がない(不登校とか非行とかニートとか・・)
親の介護がない(けど、いずれは、洩れなくやってくる)
そこは、クリアーしているけれど、いつどうなるかなんて誰にもわかんない。

 不幸せ自慢をしてくる人は、まだましで、心に何かしらの負い目を感じているから、
自分を大きく見せようとする。
その為に、対人関係を主従関係にしたがる。
そんなの家族間とかでやって。
仕事上は、仕事だけにしてね。

 ちなみに、ワタクシは幸せは、本当に小さい日常の中にあると思っている。
美味しいご飯とか、大好きな歌聞いてる時とか、モコモコの靴下に足入れる時とか・・
そういう自分なりの事を見つけられない人は、不幸な人だと思う。