海月玲二

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なぞなぞの類が好きな人はケーニヒスベルグという名前のほうが聞いたことあるかもしんない.

ポジション的にはグダンスクと似た,「プロイセン系の歴史ある町で,戦争でかなり破壊されたやつ」枠だと思うのだが,現在のグダンスクの観光都市っぷりとの落差がものすごい.まさに旧ソ連の地方都市という風情.いやカリーニングラードでも大聖堂だとか砦や城門だとかいろいろ再建したりしてるのだが,どうにももっともらしさが足りない.それぞれの地区で場当たり的にやっていて,統一的なプランが感じられないというか,すぐ横にソ連式集合住宅が並んでるので浮くというか.そこにあった建物をできるだけ再現するのではなく,なんか「それっぽい建物」を建てている場合すらあるようだ.

市の中心にある「ソ連の家」という変なビルも気になる.未完成だそうだがどう見ても廃ビルだ.あれもなんとか活用できぬものなのだろうか.旧共産圏のブルータリズム建築って現代ではもはや観光名所だと思う.ここのは地盤的にやばいという話だが,どう補強しても無理なんかな.

というか,後日,たまたま会ったドイツ人に「君はカリーニングラードにどれくらいいたの? 2泊? ああ,そんなもんで十分だよね」と言われたのが忘れられないのだ.

まあ衣食足りてナントカというやつで,長い低迷期に文化にまでリソースをさくのは無理だったんだろうな.現代では経済や治安についてはかなり改善されたそうで,よくわかってない日本人がふらふら歩いてても別に危ないようなことはなくなった.宿泊や食事の選択肢もそれなりにあるし,滞在するにあたって必要なものはだいたいある.観光客にとっての問題は,現在ここは完全にロシアなので英語の通じない人のほうが多いことである.

せめてネットで情報を得ようとSIMカードを買おうとしたら,一軒目の店員には「英語話せないです」と塩対応で返された.隣の店に行ったら,今度の店員はスマートフォンのgoogle翻訳を見せて入力しろなどと言ってくる.つまり,この店員は少なくとも外人でもコミュニケーションを取ろうという意志があるということだ.そこで後者の店員になんとかSIMカードを買いたいことを伝え,無事に購入することができたのだった.



今回のスタート地点はポーランドだ.

あとから考えると,この町はお手本のような観光地だった.実際のところ,グダンスク中心部の中世風の町並みはほぼすべて再建したものである.それにもかかわらず観光客はわんさか来ているのだ.しかも観光だけじゃなくて港湾船舶業などもそれなりにやってるというからすごい.

観光客がいるのはほぼ中心の旧市街である.その周辺にもグダンスク市域はあるのだが,中心から離れたあたりは地図を見てるだけでも「昔は別の町だったんだろうなあ」という雰囲気である.散歩するぶんには,いかにも観光名所してなくて歩きやすいし,こっちはこっちでけっこうおすすめである.なんかすごいパイプオルガンがある教会とか,展望フロアのある高層ビルとか,ちょっと時代の違う町並みとか,海水浴場のある海沿いとか,それなりに見所もある.

すごいパイプオルガンは,俺が到着した直後にたまたま演奏会が始まってラッキーだった.けっこういろんな音楽をやってくれるので面白い.まあ,俺のような音楽の素養がない者が聴いても「面白い」ぐらいしかわかんなくて,せいぜいゲームのBGMを連想したりCM曲を思い出したりする程度だが.あとここのパイプオルガンは,なんか「飾りが動く」という変わった特徴がある.仕掛時計みたいな感じで,天使のラッパが上下に動いたりとかするのだ.

ところでこのオルガンがある教会や展望ビルは北側のオリヴァ地区にあるのだが,実はもともとこっちに行く予定はなかった.それが,朝9時のバスでカリーニングラードに行こうとしたら,満席だとか言われて置いてかれて,次のバスが出る15時まで待つはめになったので,行ってみた次第である.

というかそもそも,満席だとか言われないように前日に切符を買おうと思ったのに,窓口の人は「バスで直接買え」の一点張りだったのだ.しかしながら当日バスのところに行ってみると,ほとんどの人はどこかで切符を買ってきており,もちろん切符のある人から先に乗せてもらって,最後に余った俺は乗れなかったのである.どういうことかさっぱりわからない.15時のバスもほとんどの人が切符を既に持っていたけど,こっちは座席がちょっと余っていたので乗ることができた.やれやれ.



今回の旅行はヨーロッパなのだが,タイ航空が安かったのでバンコク乗り継ぎである.

あんまりやったことないのだが,バンコクでの待ち時間が9時間ある便にして,待ち時間に入国してみることにした(この便がちょっとだけ安かったのもある).スワンナブーム空港の場合,空港鉄道を使うと30分で安価に市内に出られるので,乗り継ぎ入国にも向いている.混んでるけど.注意点としては,入国カードに入国目的はトランジットであると明記しておくことぐらいだ.最近は入国カードに宿泊先を書いてないと問題になるらしく,入国審査の列の前でわざわざ係員が確認しているほどだが,トランジットだということなら空欄でも何も言われなかった.

まあ9時間と言っても全部使えるわけでもないので,そんなたいしたことはしてないが,デパートのフードコートとかオサレ喫茶店とか行ってのんびりした.デパートにLOFTだの無印良品だのが入ってるのを眺めたりとか.

ところで,最近我が家ではドライ生姜がブームなのだが,どうもバンコクのおみやげ屋だとドライフルーツコーナーにあまり売ってないな.ドライマンゴーばっかりだ.空港には少し売ってたけど.



2019-06-09(日)

高雄

俺もこの六月で四十四歳になるので,人生も後半なわけである.正直,一生懸命仕事なんかしてる場合ではなく,なんか趣味とかそういうことにもっと時間をかけていくべきな気がしている今日このごろ.

というわけで,ちょっと週末に台湾に行ってみた.おいしい旬のマンゴーを食べるなどしようと思ったのだ.

じっさいマンゴーはうまかったし,マンゴー以外もうまかった.今回,実はあまりガイドブックとかに出てる店にちゃんと行ってなくて,なんかそのへんにあった店で麺だの排骨飯だの酸辣湯だの食べてたケースが多かったけど,どれもグッドだった.

というか,多くの日本人が「台湾の食い物がうまい」と感じるということは,もともと味の好みが近いということなのだろう.逆に,台湾から日本に来る観光客が楽しめていることも道理というものだ.台湾では,わりに甘めの味付けの料理があるのがひとつのポイントなんではなかろうか,とちょっと思った.

今回はたいして観光したり散歩したりもしていない.てれてれ近所を歩いたり買い食いしたりしてたばかりである.「帰ってきて次の日は仕事」という俺にはあるまじきスケジュールだったけど,そんなに大変でもなかった.もうなんかアレだ,これは一種リゾート的な滞在とも言えるのでは.

ところで高雄は南の大都市だが,台北とは少々雰囲気が違い,もっと適当で原チャリだらけで,東南アジア感が強まっている.というか台北だけが特殊なのかもしれない.日本でも東京だけは他のどこの町とも違うからな.英語があんまり通じないことも多くて,へたすると数字さえ通じないことがあるようだ.むしろ日本語のほうがまだ通じたりして参る.


今回使ったLCCは香港エクスプレスだ.なんか妙に日本の空港にたくさん飛んでおり,どうも「香港在住の人が日本に遊びにくる」という感じの航空会社である.乗客の大半が香港人であり,すごいアウェイ感だった.関空行きの搭乗ゲートにほとんど日本人がいない,という状況ははじめて見た.

あとやはり,大阪に遊びにくる人達は大量におみやげを買う傾向にあるようで,明らかに関空→香港便のほうが機内の手荷物が多かった.LCCなので,多少多くても全部機内持ち込みに収める人が多いしね.係の人達が全部ちゃんと棚に収めるために右往左往しており,しまいには俺のかばんを取りだして「スーツケースがどうしても入らない人がいるので,このかばんの人は足元に置くようにしてください」とか言い出す始末.というか,その後から来たスーツケースは明らかに持ち込み制限を越えて重そうだったけど,そこはいいのか.

逆に香港→関空の便はみんな荷物もそんなに多くなくて,わりとすぐにおさまっていたし,出るときもそこまで手間取らない感じだった.さらに,関空での入国もほとんどが外国人の列に行くので,日本人はほぼ待たずに入国できてしまった.着陸からロビーに出るまで30分を切ったというのははじめてだ.後ろのほうの席だったから,時間的には多少不利だったはずだけど.

運転も荒っぽいしいろいろ適当な感じもしたけど,まあLCCなので気にしない.

この日は香港郊外のいわゆる新界に行ってみた.ルート的には錦田から元朗に行き,あと天水囲周辺の歴史的遺産もちょっと行った感じ.見どころ的には錦田の城壁村がわりとしっかり残ってて,わかりやすくてよいと思う.天水囲からの歴史的コースは多少案内が悪く,きつめの日差しの中で道に迷って少し苦労した.ひとやすみしておやつに老婆餅を食べたら,すごくうまく感じたことである.

新界は九龍とは全然違って,すげえ空が広い.町と町の間には何もない道路が続いている.大型犬を飼ってる人だって見かけた.というか正直,「なんでみんなこっちに住まないんだろう」とさえ思った.元朗や錦田からでも九龍に2〜30分だし,通勤できるんなら明らかに住環境の悪い九龍に住む必然性はないような気がする.ちょっとした買い物とかなら,元朗にも十分お店が並んでるし.……調べてみたら,そもそも鉄道が開通したのが21世紀になってからで,それまでのバスはけっこう不便だったのか.ふーむ,そしたら,そのわりには新界ニュータウン群は発展しているということになるのかな.

あと,新界ってけっこう場所余ってるじゃん? なんで九龍と同レベルの高層マンションを建てるんだろうか? もうちょっと住みやすそうな建物を作る余地があると思うんだけど.香港人はアゴラフォビアか何かなのか? それとも経済的な理由とか政治的な理由とかあるんだろうか?

ところで,元朗のショッピングモールに入っているスーパーは,信じがたいほど日本製品にあふれていた.日系スーパーなんだろうか? 外国で「山下うどんのお持ち帰りパック」など見たのは始めてだ.香港に限らずアジアの町では日本製品がよく流通しているけど,あれは日本企業が一生懸命売りこんでいるのか,それとも現地の業者が一生懸命仕入れているのか,どっちの傾向なんだろうか.香港ですら,いまだに日本製品にそこそこいいイメージがあるようなのは,なんか不思議な気がする.


香港に来たのはなんと実に17年ぶりだ.前どうだったか記憶は怪しくなっており,まず旺角のすごい人口密度に圧倒された.空港からバスで到着したのはもう午前1時を過ぎていたのに,昼かと思うぐらい人が歩いていて驚く.そして次の日の昼にはラッシュアワーのように人がいた.つまり,夜中の人数は,あれで「減っていた」んだということに気付き,二度驚いた.

空港からまず旺角に行ったのは,宿泊先がそこだからだが,別にランガムプレイスのところのホテルとか泊まったわけではない.今回は時期が悪く(旧正月直前)ホテルがどこも高かったので,安宿に泊まってみた.香港(というか九龍)での安宿というのは,つまり,巨大な雑居ビルの一部を「ホテル」と称して管理しているだけである.ビルの入口に小さく看板が貼ってあったりする.

さらに,今回泊まったところは「そもそもスタッフを常駐させてもいない」という豪快なスタイルだった(一応,昼に掃除の人はちゃんと来ているようだ).ホテルの管理するエリア入口と,それぞれの個室の入口にナンバーロックがあって,事前にメールとかで送ってもらった暗証番号を入れると入れる仕組みだ.おそらく毎回番号は変わっているんだと思うが,部外者とかを勝手に入れてしまえるので,原理的に多少不安ではある.ただ,ビル内でホテルとして営業してるのは3つだけだったし,もともと人の出入り自体がそんなにたくさんではない.ビル自体の入口には管理人部屋もあったし(いつも誰かいた),まあそこまでアレでもなかろう.ともかく,この時期の香港中心部で安く泊まってるわけだし,多くを期待するのは無茶である.

あと香港は物価が高いので,貧乏人としては食事もけっこう大変だった.ちょっとした食堂で食べても,一人一回40HKDは越えてしまう感じ.選択肢は多いし,いろいろおもしろい食べ物も多いんだけどね.住居費も高いし(それに伴ってキッチンが貴重だし),香港の生活はいろいろと工夫しないと大変そうである.まあ,こんなにたくさん人が住んでいるということは,何かしら稼ぎようがあるのだろうけど.

というか,最近の香港はあまりいいことがなくてテンション下がってるみたいな話も聞くけど,町はけっこう活気があるようだった.旧正月前だからだろうか.個人的に関心したのは,今でもPC部品関係の店がわりに賑わっていたことである.日本ではすっかり見なくなった光景だ.ゲーム需要かとも思ったけど,ゲーム機の店はそれはそれであるしなあ.


2018-09-09(日)

仁川

台風21号によって関西空港が使えなくなってしまったので,もちろん我々が乗るはずだったソウル→関空便もキャンセルになった.カウンターで聞いたところ別の空港行きの便に振り替えてはもらえることになったが,同日の便は名古屋行きも福岡行きも両方とも既に満席だと言う.まあ振り替えが激増しただろうからいたしかたない.札幌行きならあるらしいが,それだとソウルより遠くなる気がするしな(このときは知らなかったが,そのころ北海道は地震で混乱していたので余計駄目だ).

しょうがないので,次の日の朝の名古屋行きに振り替えてもらうことになった.この時点で午前10時半ごろだったので,ほぼまる一日待つ必要が出てきたわけである.トランジットホテルは1万6千円とかいうことらしいので,しみったれの俺としては空港を出てもう少し安いホテルに泊まることにした.

というわけで,仁川空港の周辺がどうなってるのか全く予備知識がないままてきとうにホテルを予約し,空港から出てみたわけである.まあ,しょせん空港鉄道でほんの少し移動して,駅前のホテルに行くだけなので,別にそんなにたいそうなことではないが.支払いはほとんどカードですませるしな.

空港鉄道の雲西駅周辺は,どうも仁川空港のための埋め立てをしたときに余った区画で町を作ったみたいな雰囲気である.中心部の繁華街には妙にたくさんホテルがあるので,やはりトランジット客をある程度は想定して作ったのだろう.あとは空港とか周辺に作った工業団地とかの労働力確保なのかな.

まあ今回は,ホテルでゆっくり休んで,夕方に近くの店で焼肉を食べただけなので,町がどんなんかは別に関係ない.旅行の疲れからそれなりに回復できて,一泊6000円のわりにけっこう良かった.次の日は早朝から空港まで送ってくれたし.

今回はアシアナ航空でソウルを経由して行った.中央アジア方面は,歴史的経緯からソウルとの連絡が比較的よくなっている.

……よくなってるはずなのだが,なんか知らんがタシケント便だけ妙に遅れが多かった.たまたまだろうか.Yが関空から来るときのソウル→タシケント便は,一週間ぐらい前に一時間遅れるという連絡が来て,当日そこからさらに二時間遅れたのであった.また,帰りのタシケント→ソウル便も,当日になってから一時間遅れるということになった.

航空便の遅延というのは,昔だったら無駄に待つはめになったりして大変だったろうが,現在はそこまでたいしたことではない.ネットでそれぞれの航空便が今どのへんを飛んでるかとか何時間遅れる見込みかとかは確認できるし,航空会社からの連絡メールだっていつでも受けとることができる.予定変更に合わせてこっちも行動できるのだ.SIMカードを買っておいて正解だった.

Yが来る日,「もう少しなので公園でしばらく休んでから行くか」と思ってベンチに座り,何の気なしにネットを見たら予定より二時間遅れてることに気付いた.そこで予定を変更し,先にホテルに行っていろいろ準備したり休憩したりしてから,ちょうどいい時間に空港に迎えに行ったのである.

一方帰る日は,タシケント駅に19時ごろ着いたので「22:20発だしまだ時間あるから,残った現金で無駄にオサレな店でも行ってのんびりしよう」などと考えた.しかし店を探したり注文したりしてるうちに20時も近くなってしまい,「なんだ結局あんまりのんびりできねえな」と思っていた.そしてここでふとメールを見たら,帰りの便が一時間遅れるという連絡が来ていて,心おきなくレモネードなど飲みながらのんびりした次第である.

いやこれアシアナ航空の話じゃねえな.えーと,アシアナ航空の機内モニタシステムは,見れる映画の本数が少なくてちょっと残念だった.あと機内食はまあまあいけるのだが,量がちょっと少なめな気がした.日系航空会社みたい.

ブハラ→サマルカンドと,サマルカンド→タシケントの移動は特急列車を使った.前回もサマルカンド→タシケント間は鉄道を使ったが,そのときはまだそんな最新型の列車は走っていなかったはず.なんか3〜4時間ぐらいはかかった覚えがあるけど,今回は同じ距離で2時間ぐらいだった.座席も快適である.

サマルカンド→タシケント間は,エコノミー席が売り切れだとかでビジネスクラス席になった.何が違うかというと,一列四席ではなく三席になっててちょっと広いことと,乗車するとちょっとしたお茶とお菓子のサービスがあることである.はっきり言えば,たいして違わない.まあ値段もそんなに違わないけど.

昔は,そもそも切符を買うのが大変だったような覚えがある.まずサマルカンド駅の係員には英語が全然通じなかった.さらに,なんか窓口がよくわからない理由で閉まったりしていて,窓口が開くまで待つ必要があった.そして開いた瞬間に「今だ!」と窓口におしかけて係員と謎のやり取りをしたあげく,やっと購入できるような感じだったはず.今では,ちゃんとした常設の切符売場ができていて,係員も外国人に慣れてるし,普通に並んで買うだけで何も問題は起きなかった.

そういえばブハラでは市内の鉄道切符売り場(わざわざ駅まで行かなくても切符が買えるオフィス)が移転してて,行くのがわりと面倒になってた.中心部から歩いて行けないことはない(実際俺らは歩いた)が,バスとか使ってもいいかもしれない距離だ.しかし,バスだのタクシーだの使うなら,駅に行っても大差ない気もするな.そしてもうひとつ問題なのは,新切符売り場の看板がすげえそっけなかったことである.危うく見落とすところだった.まあ移転したばかりだから仕方ないんだろうけど.


11年前に来たとき,なんとか言うモスクを見物していたら,爺さんが何やら詠唱をはじめて,通りがかった人が聞いているので横で聞いてみたことがある.聞いてる人はときおり何かのジェスチャーをしたり声を出したりしていて,何をやるのかはみんな完全に暗記してる雰囲気だった.

そして今回,修復されたシャーヒ・ズィンダ廟群の奥のモスクで全く同じ場面に遭遇した.というか,あとで昔の日記を読み返して,「前に全く同じことがあった」ということがわかったのだ.全然覚えてなかったけど.

昔の日記と比較してみるといろいろわかって面白い.UZSは4〜5分の1の価値に落ちてるけど,USDで表してみると物価はそこまで大きくは変わってなかったりとか,11年前だとまだ「日本語の使えるネットカフェが休みだったうわーん」みたいなことを言ってたのに,今は普通にSIMカードを買ってふだんの端末でそのままメールしてたりとか.

11年前には全然関係なかった話をすると,ウズベキスタンについては「外国人と見るとすぐ現地の人が『一緒にセルフィー撮って』って言ってくる」みたいなことがあちこちのブログとかtwitterとかで書かれている.でも俺らは全然そんなこと言われてなくて,さすが陰キャ二人組はオーラからして違うなと思っていたのだが,サマルカンドのティムール廟のあたりで急に何度もそういう人につかまった.どうやら修学旅行とか団体旅行とかそのへんの人達のようで,つまり,ひとは集団になってるとテンション上がりやすいというやつだろう.

今回,ヒヴァとかブハラとかサマルカンドとか,メジャーな観光地では,国内から来てるっぽい団体客をわりと見かけた気がする.前回はそんな記憶がないので,これはつまりウズベキスタンの経済成長あるいは規制緩和なんだろうか.


11年前に来たとき,「なんという物売りのウザい町だ」と思ったものだが,今回は全然そんなことなかった.前回はオフシーズンの春先で,観光客が少なかったから必死さが違ったんだろうか.あるいは「みやげ物売りがあまりにしつこいと観光客は減少する」ということを業者や政府が理解したんなら,なかなか結構なことだ.もう一歩,「どこの店でも似たような物ばっかり売ってるとかなり萎える」という点についても改善していけばもっといいと思う.

みやげ物売りを見るたびにいつも思うんだけど,工芸品とかの類で「ハンドメイドである」ということはそんなに重要なのだろうか.高級な一点モノを買うんじゃあるまいし,たくさん作られてる柄の皿だの鞄だのが,ハンドメイドだろうがマシンメイドだろうが別にどうでもいいと思う.「ハンドメイドである」ということがウリになるには,そもそもオリジナリティが必要なんじゃないのか.

というか中央アジア全般に,おみやげに買うものってあんまりアレだよな.さらに,今回おもにYが買っていたおみやげはドライフルーツとかナッツの類がほとんどだったので,そもそも工芸品はあんまり関係ないのだった.

ところで,ブハラにはなんだかホテルがやたらに増えてると思った.これはもう供給過多と言ってもいいんじゃないだろうか.今回泊まったホテルが,値段のわりには妙に広くてきれいな部屋だったのも,そのことと無関係ではないような気がする.そもそも,予約サイトとかで部屋の相場を見た時点で,たとえばサマルカンドとかより安い感じがしたのだ.


ヒヴァからどうやって帰るかというのは,実は何も予定していなかった.日本で調べていても,鉄道ダイヤがどうなっているかどうも判然としないし,長距離タクシーがどれくらい簡単に頼めるのか,いくらぐらいかかるのかもどうもよくわからない.しょうがないので現地で聞いてから考えようということで,何も考えずに来た.

さてツーリストインフォメーションで聞いたところ,鉄道だと夜行になるらしい.しかも,そいつはブハラを経由してサマルカンド→タシケントに行くので,ブハラまで鉄道で行くことも可能なんだそうだ.しかし日程が,「ウルゲンチを夕方に出発→ブハラに23時過ぎ→サマルカンドに3時ごろ」という感じらしく,なんか大変そうである.

一方,宿で聞いてみたところ,長距離タクシーはわりと簡単に頼めそうだ.値段も45USDということでリーズナブルなので,ブハラまではタクシーを頼むことにした.「タクシー」というのは大抵普通の個人所有の車なので,来てみないとどんな車なのかも定かではないわけだが,今回は問題なかった.ちゃんと新しめの車で,ブハラ到着まで車両トラブルもなかったので当たりである.運転手も真面目に仕事してくれる人だったし.

問題はむしろ道路であった.ヒヴァからウルゲンチを出て,しばらくの間はそこそこちゃんとした舗装道路なのだ.しかしブハラまであと100kmぐらいのあたりから様子がおかしくなる.舗装はガタガタだし道幅も妙にせまく,センターラインさえないような道になるのだ.途中,鉄道の跨線橋のあたりで最高潮に達し,全く舗装してない単なる砂利道になる.あまりに砂ぼこりがひどいので,ドライバーも窓を閉めてエアコンをつけたほどだ.
むしろ「田舎のほうは道がイマイチ」というなら理解できるが,なぜブハラ周辺だけ道がへぼいのか.実に理解に苦しむ.

2018-09-05(水)

ヒヴァ

寒かった.

イヤほんとに.9月にウズベキスタンに行くので,かなり暑いことを覚悟して行ったのだが,ウルゲンチ空港に降りたった瞬間に長袖を持って来なかったことを後悔した.ホテルでも追加の毛布を頼みにいったくらいである.二日目は多少マシだったが,そもそもここ以外の町では別に寒いとか一度も思わなかったので,西の砂漠地帯は気候が違うのかもしれない.

ここの旧市街は,観光客としては完全にテーマパーク型の町である.ただ,テーマパーク型の古都の中でもここは貴重な部類であり,中央〜西アジアタイプの城壁都市がほぼそのまま残っているのはここだけだそうだ.「城壁に囲まれた古い都市が全体として残っている」ことが貴重なので,個別の建物がどうこう言うより,てきとうに散歩したり上から眺めたりして,町並み全体を楽しむのがいいと思う.ゲーム脳的に想像するところの「砂漠の町」そのままだ.城壁内部でも,メインストリートをはずれると住宅街になっているので,散歩ルートにはぜひそっちも入れるべきだろう.

というかね,たぶん観光客はみんな思ってるだろうけど,個別のマドラサだのモスクだの霊廟だのは,だんだんみんな一緒に見えてくるからね.そういう見かたをするなら,ブハラとかサマルカンドに加えてわざわざここまで来る必要はないかもしれないよね.けっこう来るの大変だし.

どうでもいいが,住宅街を散歩していたら,片腕に子猫を乗せたまま普通に道を歩いてる男がいて超びっくりした.

なお,西門で売ってる共通入場券は,時間がない場合は買わなくてもいいかもしれない.これはつまり「いくつか建物の中に入ることができる」というものなのであるが,その大半はたいしたものがあるわけでもない.それなりに見どころがある建物も2〜3あるのが悩むところではあるが.一人10万UZSとか取るしなあ.



タシケントからヒヴァに行くにあたって,ウルゲンチまで飛行機を使った.11年前にタシケントからブハラまで国内線に乗ったときは,旧ソ連のヤコブレフ40で,座席指定が機能してなかったりしたもんだが,今はさすがにそんなことはない.ふつうにエアバスだったし,機内サービスもまともだった.飲み物だって出たし.

そういえば,タシケント空港の国内線ターミナルの場所も昔と違う気がする.昔は,確か歩いて移動した覚えがあるので,国際線ターミナルの横の建物だったはずだ.今はその位置に国際線到着ターミナルビルが新築されていて,国内線は空港の反対側に移転している.そして問題なのは,移動がけっこう大変なのにシャトルバスの類が存在しないということだ.思うんだけど,ウズベキスタンはタクシーが安すぎるから,市内の公共交通をちゃんと整備する動機が薄いのではなかろうか.



タシケント国際空港は,他ではあまり見たことない「搭乗客とスタッフ以外はターミナルビルに一切入れない」というシステムをとっている.確かに保安上はこうしたほうが楽だろうが,出迎えの人は建物の外で待つしかないので大変面倒である.というか,ウズベキスタンでは空港や鉄道駅すべてがこのスタイルなのだ.11年ほど前に来たときは,少なくとも鉄道駅はそんなんじゃなかった気がするがなあ.いずれにせよ,ここでYと合流するため空港に迎えに行くとき,今までと比べると多少厄介だった.

タシケントの町は,11年前と比べると,スーパーとか国際的チェーンの店もたくさんあるし,きれいに整備された通りも増えた.小綺麗な店に入って気のきいたドリンクで休憩,なんてのもわりと簡単にできる.でも,ちょっと横道に入るとまだ舗装の怪しいような道がたくさんあるし,いわゆる旧市街エリアもそのまま残っていた.旧市街エリアは今まさに再開発が進んでいるとかいう話も聞くけど.

シムケントの「旧市街」とかで,ガスの配管なんかが何のガードもなく空中を走ってる物騒な光景をよく見かけたけど,あれは要するに古い市街では抜本的なインフラ整備が難しいだけなんだろうと思う.そしてタシケントでは,旧市街どころか比較的高級住宅街的な場所でもあれを見るのだ.まだまだ先は長そうである.

あと昔は気付かなかったけど,タシケントにあるソ連風の集合住宅って,壁に独特の絵というか図柄が描いてあることが多いと思う.これはタシケントの特徴なんだろうか,それとも,タシケントではわりとすぐ行けるような場所にもあの手の建物がたくさん建ってるからそう感じるんだろうか.ペテルブルクとか他の旧ソ連の大都市では,郊外まで行ったことがないからよくわからん.なんかこう,「これはアステカ遺跡で新しく発見された壁画です」とか言われても一瞬信じそうな味があったりしておもしろい.

ここは旅行ブログなので(そうか?)旅行情報もちょっと書いておこう.2018年9月現在の情報なので,あとから検索で見つけた人は注意してね.

シムケントとタシケントの間の国境は観光客でも越えられるので,ここを越えた体験談はたくさん見つけることができる.ただし現在のところ,そのほとんどがミニバスとかタクシーとかを乗りついで行くパターンだ.しかし,実はシムケント←→タシケント間直行バスという楽な手段も存在している.しかも値段は1500KZT(450円弱)であり,そんなに高くもない.なぜこの情報があまりない(ガイドブックにさえ書いてない)かというと,2017年の12月にはじまったばかりだからだ.



シムケントでは,南側Darkhan地区にある旧バスターミナルから発着する.上の写真のような建物で,場所はこのへんだ(googleマップではもうちょっと東に「アフトヴァグザール」という表示が出るが,こんなに奥ではないと思う).俺は市バス27番で近くまで行ったけど,そのへんはホテルの人とかに聞いたほうがいい.がんばれば中心部から歩いて行けなくはないかな.

タシケントでは,地下鉄Olmazar駅近くのバスターミナルから発着する.現在このバスターミナルは建物を全面改修中なので一瞬休業中かと思うが,ちゃんとその裏でやってるのでご安心だ.

シムケントのバスターミナルには両替所があり,タシケントのほうではそのへんの売店にいる人が両替を持ちかけてきたりする.さらに,国境付近でも両替商が乗りこんで来たりもする.いずれにせよどこかでKZTとUZSは両替できるだろう.

そういえば,タシケント側のバスターミナルでは,ほかにアルマティ行きとかビシュケク行きとかの切符売り場も見かけた.「タシケントに直接国際バスを乗り入れては駄目」という規制は撤廃されたということなんだろうか.

あと最近噂の「ウズベキスタン入国のとき書かされるめんどくさい税関申告書は,陸路空路を問わず撤廃された」というのは事実のようだ.俺のときもそんなのは一切出てこなかったし,それで後日出国するときも何も問題なかった.

というわけで,シムケントの町中には観光客などほとんどいない.ツーリストインフォメーションにさえ誰もいなくてびっくりした.いや,客がいないだけじゃなく担当者さえいなかったのだ.しかも,二回のぞいてみて二回とも誰もいなかった.バスの情報とか聞こうと思ったのに.まあ確かにここに座っててもほとんど仕事ないだろうけどさあ.

でも,この町は雰囲気がおだやかで,比較的住みやすそうだ.いくつか現代的なショッピングモールなどあって,わりと地元の人達が集まっていてにぎやかだった.中心街のちょっとしたカフェだとかもそれなりにあり,のんびり過ごすにはいいと思う.

カザフスタン滞在最後の晩はちょっとオサレに食事しようと,大きなモールのレストランに入ってみた.しかしここでビールおつまみセットを頼んでみたところ,どうにも塩辛いやつばかりで大変だった.なんか見た目はそれっぽいんだけどなあ.まあ本来はビールを何杯も注文するという前提なのかもしれないが,国境を越える直前ってどのくらいお金使うか悩むよね.カード払いにするには中途半端に現金が残ってたし.

その後,ネットでも見ようとWiFi接続を求めて適当に喫茶店に入り,何の気なしにアイスを頼んだら,なんかむにょーんと伸びるやつで思ったよりうまかった.こっちは得した気分.どうも喫茶店というかトルコ料理店だったようだ.飲み物は緑茶ではなくて,あのいわゆるトルコ式チャイを頼むべきだったか.

ところで町並みマニア的には,ロシア勢力が来る前の古い町並みがちょっとだけ残ってるエリアをチェックするとよいと思う.この地域の他の町の旧市街と同様,土壁の小さい家が細くて曲がった通りに並んでいて,散歩すると雰囲気が違ってなかなかよい.具体的に言うと独立記念公園の北西あたりである.



シムケントはまあまあでかい町だが,観光名所があるわけではない.ここに観光で来る人というのは,おそらく周辺の遺跡だとかを見にきているのである.周辺の見所はいくつかあって,その中でも一番有名だと思われるのがトルキスタンにあるヤサウィという人の霊廟だ.

イスラム式の巨大な霊廟なんだが,まあその,単にこういう雰囲気のものが見たいだけ,というならウズベキスタンに行ったほうがいいと思う.宗教上の目的というか巡礼先として来るんなら意味があると思うけど.じっさい,建物の奥のほうにヤサウィの墓本体が見える場所があるんだけど,そこでお祈りしてるひとはけっこういた.

あーでもアレだ,同じエリアにある半地下のモスクはちょっと変わってておもしろいと思った.あと,霊廟のうしろ側にすごい荒地が広がってるのは何なんだろう.発掘調査中なのか?

ところでトルキスタンはシムケントとは別の町であり,160km離れている.つまり大阪−名古屋間に近いぐらい離れており,日帰りってどうなのという気がしなくもない(ホテルの人にトルキスタンにどう行くのか聞いたら,一瞬「えっ」って顔をされた).でも道はまっすぐで車はかなり飛ばすため,実際は片道2時間ぐらいで行けるのである.

シムケントとトルキスタンのバスターミナルに行って「バス」に乗るわけだが,そのバスと称するのは実際にはちょっと大きめの乗用車に過ぎない(大型バンですらない).これはシェアタクシーと言うんじゃないかとも思うが,バスターミナル間を行き来するだけなのでやっぱり「バス」なのかな.

あとシムケントのバスターミナルは郊外にあるし,しかも複数あるのでわりと面倒だ.普通「サマール」というバスターミナルからトルキスタンに行くのだが,帰ってきたら全然別の「ベクジャン」というバスターミナルに下ろされた.てきとうに中心部に行くらしい市バスに乗ってみたら,見覚えのあるエリアに戻ることができてやっと一安心である.



2018-08-30(木)

タラズ

ここは俺のブログなのでちょっと自慢をすると,俺はほんの少しだけロシア語ができる.そこで,探してるホテルの場所をそのへんの人に聞いてちゃんと情報を得たり,英語のほぼできない駅係員となんとか意思疎通して次の日の切符を買ったりしたのが,タラズ滞在のハイライトである.英語が通じにくいのは旧ソ連地方都市の醍醐味だ.

というかタラズは一泊しただけであり,そもそもどんな町なのかさっぱり不明なのだ.なにしろタラズの鉄道駅は町の中心部からだいぶ離れているし,滞在したのは17時〜翌朝9時ぐらいまでだし.めんどくさかったので,駅周辺を散歩しただけである.ウィキペディアで見たところによると,世界史の「タラス河畔の戦い」がこの近辺だったらしい.へー.

散歩のあと駅前のスーパーでビールとかサモサとか買って,ホテルでゲームしながらビール飲んだりしていたらわりと楽しい気分になったので,我ながら全く適当なことだなと思った.

俺の旅行はバックパッカー寄りなので,特に一人のときは,「別にたいしたことしてない日」の出現率が上がる.最近はわりと適当なホテルでもHDMI端子を備えたテレビがほとんどなので,raspberry piは外こもりのお供にいいよ.軽いし.



アルマティからどこをどう通ってタシケント(ウズベキスタン)に行くかは,実は決めてなかった.

1) 北ルート カラガンダ〜アスタナを通って飛行機でタシケント入り
2) 南ルート キルギス〜フェルガナ盆地経由で
3) 西ルート カザフ南部を鉄道で西に進み,シムケントから国境を越える

あたりが案だったのだが,カラガンダ(アスタナ)方面の鉄道がすでに満席だったので1案は没.なんか夏休みシーズンが終わるから混んでたらしい.2案はけっこう悩んだが,日程がやや厳しいのとフェルガナ盆地の国境は今だに渡航中止勧告なんか出てるのとで,今回は没.というわけで一番フツーの3案だ.

しかし,このルートの場合,シムケントまで時間がかかるので夜行列車を使うのが普通なのだが,これまた満席で昼の便しか席がなかった.アルマティからシムケントまで昼便で行くと,8時発21時過ぎ着みたいなけっこうシンドいスケジュールになるので,途中のタラズという町で降りて一泊休むことにした.

実際カザフスタンは国土が広すぎて,都市間の移動がたいへんなのである.
以前何かのサイトで見た記述で,「カザフスタンの地図を見てると,『ああ,この真ん中へんはなんもないんやな,じゃあさっさと抜けちゃうか』などと思うかもしれない.でも2点ほど間違いがある.ひとつ,何もないということはない.ふたつ,『さっさと抜ける』ことなどできない.距離をナメすぎだ」とかいうのがあってちょっと面白かった.

列車で乗り合わせた人たちが言っていたことによると,彼らは北部のセメイから来ていたそうだが,そこからアルマティまでまず21時間かかるそうである.
また,翌日タラズからシムケントまで乗った列車の時刻表には,アルマティから西部のアクトベまでの日程が書いてあって,乗り通すと丸3日ほどかかるようだ.

そういうのに比べれば,この程度の距離でいちいち途中下車してんじゃねえという気はしないでもないが,まあいい.ちなみに列車は二段寝台で,上の段はけっこう狭くて坐ることさえできず,けっこうな時間寝て過ごした.……そしたら次の日タラズから乗った列車はもっとアレで,なんと寝台が縦に三段だった.もう登るのも面倒なので,荷物だけ置いて廊下の席でずっと座っていた(こっちは4時間ほどだったので).



今年の夏の旅行は,各種手続き簡略化記念ということでカザフスタンとウズベキスタンに行くことにした.

この町の名前は,キリル文字的にはАлматыと綴る.このыの文字に対応するカタカナ表記が統一されていない上,そもそもロシア語とカザフ語ではこの字の発音が違うようだ.結果としてアルマトゥだとかアルマトイだとか表記に揺らぎが出てくるんだな.めんどうなことである.ラテン文字だとAlmatyと綴るようなので,とりあえず「アルマティ」で行く.

名前はともかく,ここはカザフスタン最大の町である.中央アジア最大と言うには,タシケントのほうが人口が多いか.でもこっちのほうがより普通の先進国寄りなので,ウズベキスタンよりは外人にとって滞在が楽ではないかと思う.両替所はそこらへんにあるし,スーパーやちょっとした青果店,外国料理の店なんかもたくさんある.地下鉄乗ってもいちいち荷物見られたりしないしな.

グルジア料理店なんかけっこううまくてよかった.旅行に行ったときってつい「その国の産物を食べる」ということにこだわりたくなるけど,よく考えたらあんまり気にしなくてもいいんじゃないだろうか,と最近思う.そもそもグルジア料理なんて日本ではあまり食べられないし.さらに言えば,スシバーとかタイ料理店とかにしたって,たぶん本来の日本料理やタイ料理とは変わってる(それぞれの国の常識や好みに合わせて)だろうから,別に無意味ということもないのだ.

まあちゃんとしたレストランだと多少は金がかかるので,それなりに節約した日もある.泊まった部屋の家主に「お店で冷凍ペリメニを買ってきてゆでる」というのを聞いて試してみたら,これはなかなかよかった.「だいたい味がついてるのでゆでるだけで食べられる」というのは知らんかった.

ところでこの町では,お店の表示とかそのへんで歩いてる人の話し声とかはロシア語がだいぶ多数派という感じだったのだが,国立大学とか駅とか公共施設とかだと,新しく作ったらしいカザフ語の表示プレートがわりとたくさんあった.なんというか,「こうあるべきだ」という理想にあわせて現実を変えようとするのは大変だなあと思った.



2018-03-08(木)

無題

俺はバックパッカーとしては致命的なレベルで値段交渉が下手だ.下手というか全くできない.つうかめんどくさいんだよ.物を買うぐらいでいちいち何度もやりとりしたくないよ.

ただ,俺は高い買い物をしないので買い物についてはたいして問題ないし,宿泊費に関しても最近はBooking.com様に全部お任せなので交渉なんてしなくてすむようになった.でも,どうしても徒歩では行けない距離はあるから,これが最後の問題なのだ.

というわけで俺はバス代やセルビス(ルートの決まった相乗りタクシー)代やタクシー代を一切交渉してないわけだが,今回ちょっと驚いたのは,ガイドブックに載っている値段の目安より「安かった」という事例があったことだ.

考えられる原因としては,

  • 単に値段が変わった
  • アラブ世界では,本当に値段が固定でない場合がある
  • 値段を聞くのではなく,当然のような顔をして適当な額を出してお釣りをもらうほうが,結果的に安くすむ場合がある
あたりだろうか.まあ数十円の話なのでよくわからんが.バス代とかが「去年より安くなる」とかって考えにくいし,最初のは無いか?

なお,もちろん目安より高く払った回数のほうが多い.

ワディ・ムーサやサルトもそうだし,サラエヴォやヴェリコ・タルノヴォなんかもそうだが,谷の周辺に広がった斜面の多い町というのはけっこうある.アンマンはその親玉みたいなやつだ.複数の谷と丘の広がるエリアにまたがって町が続いている.もちろん移動は大変に面倒くさい.ちょっと散歩する程度であれば,「立体的で面白い」ですむけど.

ただ,いまや「気楽に散歩に行ける,一般的なアラブ世界の大都市」というのは貴重になってきている気がする.ドバイとかアブダビとかはちょっとジャンルが違うよな.ほかはせいぜいモロッコの町ぐらいじゃなかろうか? そういう意味で,アンマンはわりと散歩しがいがあると思う.まあその,いわゆる観光名所的には城塞跡の丘とローマ劇場跡ぐらいしかないんだけども(でもこの二つは思ったよりしっかりしている).

途上国にはよくあることだが,ヨルダンも格差社会のようで,地区によってかなり雰囲気が違う.他所者として散歩するぶんには興味深い.中心のダウンタウンには個人経営の小さい店がぎっしり並んでいる一方,アップタウンに行ってみるとちゃんと外資チェーンとか大型モールとかこじゃれた店とかがゆったり並んでいるのだ.たとえばアップタウンの喫茶店でコーヒーとか飲むと,普通に日本なみの値段を取られるのだが,たくさん客は来てるしどんどん注文もしているようだった.

アンマンにちゃんと滞在したのは最後の3日ぐらいだ.でも,アンマンは今回の旅程のハブになっているので,それ以外の日もけっこう通過,というか短時間滞在している.何度も行ったり来たりしていたので,最終的にはこの巨大な町もなんとなく様子がわかってきた.

  • 別の地区に移動する場合,だいたい谷を越える必要がある
  • 外食はあまり安くないが,食材は外国人でもかなり安く買える
  • ダウンタウンから一番近いスーパーは,しいて言えば1st・2nd Circleの間にあるやつ
  • アブダリ地区北側は,わりとリーズナブルで利用しやすい店が多い
  • 南バスターミナル〜北バスターミナル間のセルビス(シェアタクシー)は,外人でも利用しやすい