昨夜は中学校の同窓会だった。私の卒業した中学校は越境通学していた江戸川区の公立中学だったので、いつも江戸川区内の施設で行われている。それでも単一年度の卒業生の同窓会は実に9年ぶりで、前回は葛西のホテル、今回は船堀のタワーホールで開かれ、そのどちらの町でも当時を想像できないほど近代化された風景に驚かされた。

当時7クラス、二百数十名いた卒業生のうち今回集まったのは80名ほど。でも今回初めて全クラスの担任と学年主任の先生方が揃った。我々の代の同窓生が生まれた年にこの中学校も開校したと言うから来年で創立50周年だそうだ。どうりで受付係やロビーでたむろしている連中の姿はどっちが先生だかわからないようなOYAJI世代である。でも、それぞれどこかに当時の面影を残しているのが何とも可笑しい。

卒業以来、去年までで12名の同窓生がすでに亡くなっている。約5%の人数というのは高いのか低いのかわからないが、人生50年すら生きられなかったのだからあまりに短い。彼らの名前が発表される度に、あの頃の坊主頭の顔がひとりひとりはっきりと蘇ってきた。悲しい記憶である。

さて、11歳の孫を持つ73歳の先生を筆頭に、皆さん退職された後それぞれボランティアなどの活動をなさっていたのも驚いた。「まだまだ勉強する事が山のようにあるんですよ」とおっしゃる。さすが勉強や学問にも貪欲だった時代の方らしい言葉である。我々の時代は十分な教育環境があって、それが当たり前だった。だから受験以外で勉強する事に決してハングリーじゃないし、学習意欲も低い。思わず考えさせられた言葉だった。

同窓生に区議会議員になったヤツがいて、その選挙活動の一環として同窓会が使われている面があるので参加しないという者もいた。彼や彼を応援している連中が某宗教団体系なので、なおさらイヤだと言う者もいる。だがこの歳まで来るとそういう事情が出てくるのもある意味しょうがないとも思えるし、何より先生方の歳を考えれば、この先元気にお会いできる機会も減ってくる。私が今回出席を決めた理由はそこにある。もとより江戸川区民でもないし。

親の仕事を継いだヤツ、会社を興したヤツ、地元でレストランやパブを経営しているヤツ、あいかわらずサラリーマンのヤツ、そういう連中の中で一番多いのは主婦業に子育てに奮闘してきた普通のオバサン連中である。ほとんどが地元で結婚し、そこに住んでいる。孫が2人もいるオバサンもいた。彼女はフィリピンパブのママでもある。

地元に根付いているゆえ、このような会も開きやすいし集まりやすい。これも下町の公立中学ならではの良さである。我々の時代でも高校へ進学した者が殆どだったが、就職の道に進んだ者も少なからずいた。思えば、中学校までが皆同じ境遇でいられた最後の時だったのだ。だからこそかけがえの無い貴重な時なのだと思う。

校則も厳しかった。校内放送のチャイムが鳴ると、何をしていてもその場で直立不動で聞かねばならない。公共交通機関を使っての外出は、制服着用で親同伴。映画も事前に届出をして親同伴。当時はやったドロップハンドルの自転車に乗りたければ、筋骨隆々の生活指導の先生に腕相撲で勝たなければならなかった。つまりはドロップハンドルを操作するにはそれ程の力が要ると学校側が判断したからである。当然、勝った者はおろか挑んだ者もいなかった。スカートの長さは膝まで、髪は肩に付くまでで、左右に束ねる。今だったら生徒の人権問題だと騒がれるようなものばかりである。

おかげで卒業後も後遺症が残った。高校生になってもデパートでチャイムが鳴ると思わずその場で気をつけをしてしまった。校則違反といえば、初めて同級生と山手線に乗って一周してきたのがバレてビンタを喰らったり、ボウリングに行った連中が職員室に呼び出され、長時間正座の上コンコンと説教されたりと、事件には事欠かなかった。今考えればかわいいモンだが、当時はずいぶんとヘコまされた。

その半面、毎年クラスの歌を作ったり、清掃コンクールでは家庭用漂白剤とタワシを持ち込み、クラス全員で木造校舎の教室と廊下を真っ白に磨きあげたり、壁新聞コンクールで初めて取材写真を使ったりと前向きな情熱も持っていた。全ては学校から始まり学校で終わるような、学校生活が生活の舞台そのものだったと言える。ケンカはあったが陰湿ないじめなどはなかったし、先生方の目もしっかり行き届いていた。

先生方も悪い事をした生徒には手を上げた。あの頃の先生は、生徒にとって確実に恐い面を持った存在だったし、同時に愛情を込めて接してくれた存在でもあった。ある先生がしみじみと言った。「校則は厳しいですが、人生のうちの3年間ぐらいはこういう時期があって良いと思います。必ず成長しますから」近年になって金八先生が注目される遥か前から、我々の周りはそんな先生ばかりだった。当たり前のようにプロであり聖職者だった。

ちょっと薄らいだ記憶の備忘録を繕いつつ、全てが笑い話となったそれぞれの思い出を懐かしむ。30数年の時を経て、その当時のメンバーがそこに実在する同じ空気の中で・・・。

同窓会は心のタイムマシンである。