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オフリドはマケドニアの数少ない観光名所である.きれいな湖のそばに旧市街や古い教会,城塞跡などが残っており,風光明媚なよい所だ.観光客がわりと来るので,安宿やプライベートルームの類も充実している.今回は,コストの都合で新市街のプライベートルームに泊まることにした.家主の老夫婦は二人とも英語がほとんどわからないのだがわりと親切で,コーヒーいれてくれたり,洗濯機を使ったら干しておいてくれたり,何か色々と町の説明なんかもしてくれていた(ような感じだ).ときどきロシア語からの類推で意味がわかることがある,という程度だったけど.
ここの旧市街はそれほどビシッとスタイルが定まっているタイプではない.下のほうはトルコ風のお屋敷みたいのが何軒もあるが,上のほうはけっこう普通の家もあったりする.でも,狭い路地を歩いたりするのはやはり楽しいものである.また旧市街の一番下はそのまま繁華街とつながっており,オサレカフェとかレストランとかもいろいろある.このへんでビールだのコーヒーだの飲みながらぐだぐだ過ごす,というのも定番であり俺もそうしてみた.レストランの飯もわりとうまい.
中心部から湖岸にそって東側は,そのまま遊歩道になっていてホテルやレストランなんかもあり,湖で遊んでる人もいたりしてけっこう賑やかである.一方旧市街のある丘をまわりこんで西側に行ってみると,一気に人が減って静かになった.こっちにもビーチやコテージっぽい設備があるのだが,もう夏も終わりのせいかほとんど誰もいない.こっちは国内の客が主に来るのかな.
ところで,アルバニアは地中海文化圏に属しているので,夏の昼間は町の活動がだいぶ停止する.そして夕方になるとまた急に人が増えるのだ.しかしマケドニアまで来るともはやその文化圏ではないのかもしれない,と思った.昼でも夜でも人の量がそんなに違わないようである.あと,アルバニアではカフェや道端でのんびり話をしている連中はほとんど全員が男だったのだが,マケドニアでは別にそういうことはないようだ.アルバニアはイスラム教徒が多いからだろうか.

アルバニアとマケドニアの国境越えはそれほど便利にはなっていない.特に,旅行者の多くが行くであろうオフリド(マケドニア)とティラナ(アルバニア)の間には直行の交通手段は存在しないらしい.
国境近辺はオフリド湖があるので,図のように北を回るルートと南を回るルートとが考えられる.北回りだと,ティラナからスコピエ行きのバスに乗ってストルーガで降り,そこからミニバスでオフリドに行く.わりと楽だと思われるが,実はティラナ発スコピエ行きは9時か16時の二本しかないようだ.間抜けな話だが俺はバス会社がどこにあるか見つけられず,9時のに乗ることができなかった.
16時までぼーっと待つのもなんなので,南回りルートを試してみることにした.まずティラナからポグラデツまではミニバスで行ける.しかしまたここで軽く失敗である.ミニバス乗り場とおぼしきあたりに,確かにバス停はあるのだが,中心街に向かうバスしか来ずどうも様子がおかしい.一時間ほど待ってみたがどうも何もないので,あたりの人に聞いてみたところ場所を間違えていたことが判明.ほんの少し違っただけなのだが,絶妙に最初の位置からは見えないあたりにミニバス乗り場があった.
気をとりなおしてポグラデツ行きのミニバスに乗る.ポグラデツに着いたらタクシーでスヴェティ・ナウムまで移動し,そこからバスに乗ろうと思っていた.ミニバスの運転手にもそのように言ったつもりだったのだが,どうも英語での意思疎通にやや失敗していたようだ.ミニバスはポグラデツに着く前に国境に寄り,俺を下ろしてポグラデツに行ってしまった.しばらくして理解できたことだが,これは実は北の国境に下ろしてくれていた.つまりそのほうが近いからのようである.
それはいいのだが,この状態で国境から先に行くにはそこにいたタクシーしか方法がない.なんとオフリドまで30ユーロと言うので大変困った次第である.一時間もかからないのにずいぶん高いような気がするが,さりとて他にどうしようもない.やむなくタクシーに乗りこみ,拝み倒して24ユーロちょいで勘弁してもらった.うーん.選択権がないと交渉しようがない.ていうか,後で気付いたのだが,ストルーガでタクシーを降りたほうがマシだったのかもしれん.
アルバニアの首都だが,まあ,観光客的には見所の少ない町である.でかいわりにインフラも(先進国の基準からすると)整っていないので,滞在もそんなに楽ではない.
特に,長距離バスの乗りかたがとてもわかりにくいのは,ちょっとなんとかしてほしいと思う.一番大きなバス乗り場は市内のだいぶ西のほうにあるのだが,違う場所から出るバスもけっこうある.ミニバスで行ったほうがいい場合もあるし,私営のバス会社の場合そのオフィス前から出たりする.よくわからない場合,ホテル(ある程度以上のランクなら)やツーリストインフォメーションで聞かないとどうしようもない.インフォメーションは親切でいいのだが,土日は休みなのでそれだけ注意.
というか,ヨーロッパを旅行するときは日曜をどこに当てるか悩むよね…….首都だからまあ大丈夫じゃないかと思ってここにしたのだが,見事に店もインフォメーションも閉めてるところばかりだった.俺は「旅行中にそこの本屋で数学の参考書を買ってみる」という趣味があるのだが,結局ティラナでは開いてる本屋をほとんど見つけられなかった.残念.
ただ,飲食店はさすがにけっこうやっていた.ティラナには,首都らしくオサレ買い物エリアが存在し,レストランとかカフェとか行くとそれなりにいい感じである.lonely planetでおすすめのレストランで晩飯を食べていたら,外人観光客とちょっとおしゃれした地元の客が半々ぐらいで来ていて,ちょっと面白かった.

ここはアルバニアにある世界遺産のひとつなのに,某歩き方で取り上げてないのはもったいないのではなかろうか.lonely planetだとアルバニア旅行のハイライトのひとつ,とまで書いてあるのだが.
ウリはトルコ型の旧市街で,ここのは「街道に面してやたらとたくさん窓がある」という大きな特徴がある.なんか圧迫感のある光景だ.民俗学博物館的なところの説明では,窓がたくさんあるほうが空気が通って涼しいとか書いてあったけど,正直,町に来る奴を監視する目的があったんじゃないかと思ってしまう雰囲気だった.実際のところどうなんだろう.
また,旧市街中心部は丘にそって作られているのだが,さらにその丘の上には城跡も残っている.ここの城は,城壁内には(城本体以外に)家も並んでいて町になっているタイプなのだが,なんとこの城壁内の町もまだそのまま使われている(城と城壁自体はさすがにもう跡だけである).実際生活するにはかなり不便だろうと思うのだが,すごいなあ.水道とかどうしてるんだろう.
あとこの町ではけっこう馬を目にした.思うに,あれは普通に実用的なんだろう.旧市街の中心部では道がとても狭くて,坂はきついのに自動車が通れない.階段になっている道も多いし.それでも馬とかロバとかなら,荷物の上げ下ろしに働いてもらえるというわけだ.
ちなみに,旅行者として行く場合,食事をするところの選択肢はそんなにない.素直に観光客相手のレストランも行ってみることをオススメする.というか,「観光客相手の店は高くてマズい」というのは,外食文化が発達している地域の常識なんじゃないかと思った.世の中,そうでもないところもたくさんあるわけだ.
なお,カフェやバーはかなりあるので,それは心配無用である.

トルコ航空の関空→イスタンブルは朝5時半着であり,さらにイスタンブル→ティラナは夜7時発である.他に便はない.つまり,関空からティラナに行こうとすると,例によってイスタンブルで12時間以上の乗り継ぎ待ちになるわけだ.というわけで,前回と同じくトランジットホテルサービスを利用し,イスタンブル半日観光をした.前回はようすがよくわかってないので周辺を散歩しただけだったのだが,今回はもうすこし歩きまわってみたところ,前回泊まった場所のがどこだったのかも判明してちょっと面白い.
ところで,トルコ航空のトランジットサービスには「イスタンブル観光ツアー」コースと「ホテルだけ」コースとあるようだ.で,俺はどうも間違って観光ツアー組のリストに入れられていたらしく,空港で無意味に二時間以上待つはめになった(観光ツアーは朝9時が最初らしい).まあ,それでも10時間以上あるんだけどね!
外に出てみたら,大通り付近で警察がやたらにボディチェックなんかをしている.こんなに物々しい雰囲気の町だったかいなと思っていたら,どうやら大きなイベントがあるからだったようだ.後で調べたら,8月30日は独立戦争での戦勝記念日だったらしい.軍人やら警官やらがずらっと整列し,何か大統領かそれ的な人が演説したり軍楽隊が演奏したりしていて,観客もいっぱいだし貴賓席までしつらえてあった.

ミャンマーは今変革期にあるのだろうが,当然最大の都市ヤンゴンで最も変化が激しいわけである.たぶん,「あれ? がんばれば俺らもいろんな商品を買ったり,いい暮らししたりできるんじゃね?」的な時期ではないか.ショッピングセンターの類も,マンダレーとヤンゴンにだけは何軒か存在するのだ.それは世界各地から商人がぞろぞろやって来てるというものだろう.帰国時の関空の税関で,係員が開口一番「今回はお仕事ですか?」とか聞いてきたぐらいだ.
旅行者としては,都市が成長してきたらなんとか市内交通の整備をしてもらいたいものである.市内バス路線は大変複雑かつ案内もあまりなく,外国人が使うのは困難である.現状でもヤンゴンはけっこう大きな町なので,だからと言って全て徒歩で行動するのもなかなか大変だ.暑いし.それ以外にはタクシーぐらいしか選択肢はない.
でもいわゆる途上国を旅行すると思うのは,インフラの整備や維持というのには消費財の供給なんかとは比べものにならないほど金と労力がかかる,ということだ.西側先進国も最近はいろいろ落ちぶれてきてはいるが,こういう点ではまだまだ明らかに越えられない壁があるように思う.社会主義でも資本主義でも何でもいいのだが,超巨大な資金と労働力を確保する何らかの方法がどうしても必要なのだろう.
あとここではひとつ失敗談がある.ヤンゴンぐらいの大都市になると,やはり外人観光客を騙して金を巻き上げて暮らす奴が出没するのだが,うっかりその手の輩を相手にしてしまった.たぶん5000チャット(500円)ぐらいは儲けさせてしまったんじゃないだろうか.むこうから日本語で話しかけてくる奴など怪しいに決まっているのだが,なんで相手してしまったんだろうなあ.
パテインからヤンゴンに戻る際は船を使ってみた.なんと十九時間かかり,しかも42$という高額の外国人料金を取られる.行きと同じようにバスに乗りさえすれば,四時間かつ8000チャット(800円)程度で戻れるのに.ちなみに船室でなくてデッキで雑魚寝するなら外国人でも7$である.ということは,おそらく地元の人ならデッキだと相当安いのかもしれない.けっこう客は乗っているのだ.
なお船室といってもそんなに快適なものではない.この日記屈指の人気エントリであるルーシ号などとは比べるべくもない.エアコンやトイレ等が付いてるわけでもないし,内側からしか鍵がかからない.それほどきれいでもない.寝てる間吹き曝しでないこと,部屋にいれば鍵をかけられることが主なメリットである.
夜は寝るとしても,十九時間はさすがに退屈である.起きてから四時間以上あったわけだしな.テレビがあるわけでもなし,風景もそんなに変化があるわけでもない.別にどうしようもないので,青空文庫の小説など読んでヒマを潰したりした.地元の人も漫画や小説を読んだりしているようだった.
一旦川を下って海に出るのかと思っていたが,別にそういうことはなくて,複雑に拡がった支流を通って直接ヤンゴンに行くルートだった.途中にも寄港地があったので,そのためかもしれない.寄港地では乗客や荷物の乗り降りがあるほか,物売りの人が来たりもする.食べもの飲みもののほか,本屋なんかも来ていた.なるほど.

ミャンマー西部,エーヤワディー川河口付近の町.バガンからここに来るのには一旦ヤンゴンを経由するしかなく,けっこう面倒だ.ヤンゴンのバスターミナルはとてつもなく不便だし.
さてここはまあはっきり言えば単なる地方都市である.外人客もほとんどおらず,なんでわざわざ来たのかと言われると困るが,まあのんびり過ごしに来たということで.数日前に来ていれば有名な満月祭りがあったらしいが,もうそれも終わっているのだった.
というわけでのんびりそのへんを見物していたら,ある寺院の中にいたじいさんに「暑いだろうから中で休んでいけ」などと言われて,籐椅子と扇風機を使わせてもらったり,喫茶店の店員の子供(たぶん小学生ぐらい)が無料で水をくれたり,なんか親切にされてしまった.俺のような者に親切にしてくれるとは有難いことだ.
なんとなく鉄道駅も見物してみた.この国ではありがちだが,駅前は全然一等地ではなく,町の中心からだいぶはなれている.あたりは建物もだいぶ簡易な感じだ.それでも,駅はいちおうそれなりに使ってはいるらしい.たまたま一両編成の列車というかレールバス的なものが止まって,人が乗り降りしていた.そういえば,帰り道でしばらく近所の子供が無言でついてきたのだが,あれは何だったのだろう.やはり外人などはあまりお呼びでない地域だっただろうか.
ところでこの町の中央商店街では猫に何度も会った.いい町だ.

アンコール遺跡,ボロブドゥール遺跡クラスだと称される大仏教遺跡エリア.狭い範囲に大量の仏塔や寺院が建っている.中世,王侯貴族が権勢を示すために建てまくったため,王国が滅びたあとも大量の仏塔はそのまま残っているそうな.というか,今でも普通にお参りされてる寺院が多いので,「遺跡」と言うと語弊があるかもしれない.
仏塔がとにかく大量にあるのが面白いので,上の段に登れる仏塔などに行って広く見渡したりすると面白い.正直,個々の仏塔の違いとか言われても,普通の人にはアレだろう.まあ確かに様式とかいろいろあるんだけども.
ところで,バガンは暑い.超暑い.気温自体はたぶんマンダレーとそう大きくは違わないだろうが,現在のバガン周辺は小さな村が点在するだけなので,日光を遮るものもほとんどないし,気楽に休む場所もない.クーラーの効いた店に逃げこむなど無理な相談である(ヤンゴンやマンダレーにはたまにそういう高級店もある.明らかに周囲と別世界になっている).
遺跡があるのは狭い範囲と言っても数キロぐらいはあるため,馬車をチャーターするか自転車を借りるかして見物するわけだが,自転車で行ったら一日行動しただけでもかなりギリギリだった.あやうく日射病になるかと思った.
ここはこの国きっての観光地なので,外人率がとても高い.もともと田舎なので人口がそんなに多くないぶん,余計にそういう印象が強くなる.というか,ここって別に住みやすい土地では全然ないよな.軍事的な理由とか物流上の理由とかの状況が変わった現代に,人がたくさん住んでるはずはないな.
あとバガンで一番衝撃を受けたのは,道路の舗装を直す作業で,アスファルトをバケツに入れて手で塗っていたシーンである.道を通るたびに,なんか小さいサイズで補修してあるなあと思ってはいたのだが.

バガンの近くにある山.山の途中に大きな岩があり,その上に寺院が建ててあることで有名.有名なので訪れる観光客も多いが,例によって交通手段はあまり整備されていない.
バガンからバスで行こうと思っていたのだが,宿の主人がちょっと待てと言って何やら電話をかけはじめ,タクシーのシェアでいいなら往復8000チャット(800円)で行ける,などと言いだす.ふつうにタクシーを使えば当然もっとかかるのだが,8000ならバスで行くのと2000程度しか変わらない.そりゃいいと思ってそっちにしたら,やって来たのは軽トラだ.そして荷台(椅子が設置してある)には既に親子らしき三人が乗っており,俺は助手席に乗せられた.つまり,この親子がシェア相手(というか,多めに負担してくれる人)を探していた,ということか.
件の岩山寺院をそれなりに見物する.ここの特徴は,サルがやたらにいることと,仏教じゃない土着の神もたくさん祀ってあるという点だろう.土着の神が仏教寺院に吸収されているのは,ほかの寺院でもたまに見かけた.ミャンマー以外でもときどきあることだな.
帰り道,同乗した親子と運転手が,近くにある丘の頂上にある寺院(ポッパ山とは全く別物)を指して何やら言い出した.英語がもひとつ通じないので意思疎通に苦労したが,どうやら,親子はその寺院も参拝したいらしい.しかしこの車はシェア中なので,俺をほっといて行くわけにもいかない.ついては,俺も同行し,そこまでの追加料金の一部3000チャットを負担してくれないだろうか,ということらしい.
まあたいした金額でもないし,せっかくだから同意してついていってみた.外国人からするとそんなに違う内容とも思えんが,何かこの寺にもそれなりにいわれでもあるんだろう.寺院の名前はTu Yin Taungだそうだ.

モンユワから次の目的地バガンに向かうのに,マンダレーに戻らなくてもそのまま行く方法があるとガイドブックその他で情報があった.まずエーヤワディー(イラワジ)川沿いのパコックという町までバスで行き,そこから船で一時間かそこら川を下ればバガンに着くんだとか.同じルートを戻らなくてすむし,川の風景も楽しめて,なかなかよさそうだ.
そう考えた,俺を含む八人の外人観光客が12時近くにパコックに到着.しかし,寄ってくるタクシー運転手たちに聞くとなぜか一様に「船はないよ,バスで行け」と言う.情報では昼過ぎまで船はあるはずなのだが.中年夫婦二人は,この時点でさっさとバス乗り場に行ってしまった.
残った六人はとりあえず川岸の船着場まで行ってみることにした.しかし,あたりにいる人達もやはり「客船はないよ」としか言わない.英語が微妙にしか通じないのでいまいち要領を得ないが,話を総合すると,(1)最近新しい橋ができたので,客船はあまりなくなった.(2)もうすぐ正月祭り(東南アジアによくある,いわゆる水かけ祭.四月にある)なので,状況が不確定だ.ということらしい.結局,「この船をみんなでチャーターすれば行けないこともないよ」とか言ってきた人がいるだけである.
その「チャーター」だと一人二万チャット(2000円)とかそれぐらい払うことになるらしい.俺だったらたぶんこの時点でもうそれでいいよとか言いそうなのだが,外国のバックパッカーの人はそういうのがんばるね.高すぎてご不満らしい.どうするのか見ていたら,最終的に白人の兄ちゃんが直接船主と交渉し,一人5000チャットぐらいで話をまとめてきた.いやー助かった.

二十階建てのビルにも匹敵する超巨大な仏像と,そこらじゅうびっしりと大量の仏像で埋めつくされた変な寺が二大名物だ.前者はおそらく世界最大の人型建造物ではないだろうか.いやもう本当アホかと思うが,別にネタではなく普通に参拝している人がたくさんいるわけである.ただ,現地の人にしても観光気分で来てる側面もあるようだ.マンダレーの名所マンダレーヒルでも思ったが,要するにこの国では,有名寺院がテーマパークとして機能しているらしい.というか,テーマパークのネタが基本的に仏教になることが多い,と言ってもいいのかもしれん.それが何故なのかはいろいろ理由はあろうが.
この町では,着いたのが15時過ぎで,次の朝には出発だったので,観光に取る時間があまり取れない.そこで,バイクタクシーをチャーターして見どころを回ってもらうという,普段やらない行動をする羽目になった.そもそも,件の二大名物は町からやや離れており,公共交通機関などももちろん発達していない.
ところでそのバイクタクシーであるが,最初に運転手のおっさんに金額を聞いたら全部で10000チャット(1000円)だと言うので,まあそんな高くもないかなと思い頼んでみた.さて観光がひととおり終わって,俺が「10000Kって言ったよね?」と言うと一瞬言いよどみ「あと1000上乗せしてくれ」などと言い出す.タクシー運転手が後から違う値段を言うのはよくある話だが,あまりにもささやかな吹っ掛けかたなのでちょっと笑ってしまった.
あとこの町ぐらい田舎になるとあまり英語が通じない.通じないのだが,ミャンマーの人はわりと親切に応対してくれるので,なんとかなる場合も多い.食堂で困っていたら厨房に並んでるのから選ばせてくれたりとか.

ミャンマー第二の大都市.ここは普通に暑い.
碁盤目状に区画分けされた町で,地図で見るとかなり広い範囲に碁盤目が広がっているので,行く前はずいぶん広い町なのかと思っていた.実際は,碁盤目状に道路がひいてあるからと言って,各ブロックに建物がすきまなく建っているとは限らないのである.東のほうは建物より木のほうが多く,ほとんど単なる田舎道だ.西にはずれていくと,だんだん建物が籐で編んだ素朴な形式になってくる.都市になっているのは碁盤目の中心部分だけなわけだな.
ここは中心部に城壁でとりかこまれた王宮ブロックがあって,再建された王宮の建築群を見物することができる.ただ,城壁の内部が隙間なく王宮というわけではなく,城壁内部のそのまた中央部に王宮建築群がある.じゃあその間は何なのかということだが,見たところでは普通に人が暮らしているようだった.店や学校らしきものもある.
「城の周りを町が囲み,その周囲を城壁や堀が囲む」という形式はわりとよくあるので,それ自体は別に驚くようなこともない.ただマンダレー王宮での奇妙な点は,なぜかそのエリアには外人は一切立入禁止という点である.ただの集落にしか見えないが,一体何があるというのだろう.
ところでミャンマーの経済はかなりの部分を中華系資本が動かしているのではないかと思うが,この町では特にその印象が強かった.お店もホテルもそれ系ばっかりである.
ミャンマー東部の高原にある町.三月のミャンマーはもう暑季に入っていてかなり暑いのだが,いちおう高原にあるのでそこまで暑くはならない,というのがウリ.さりとて人里離れた山奥というほどでもなく,大都市マンダレーから一,二時間で到達できる(タクシーなら一時間,トラックの荷台なら二時間だった).
というわけで風光明媚な避暑地,ということになっているのだが,どっちかというと国内向けで,外人観光客的にはわりとどうでもいいような気がしないでもない.推して知るべし.なんかそれなりにテーマパークとか植物園とか観光名所もあるのだが.
ここでびっくりしたのは,喫茶店でたまたま近くにいた人が「お近付きの印に」とか言ってお茶をおごってくれる,などというテレビ番組の仕込みのようなことが実際に起きたことである.本当にどうでもいい雑談などをしていただけで,俺がちょっとトイレに行っている間にその人は立ち去っていたし,そのあと会うこともなかった.日本円にすれば30円ぐらいの話ではあるが,実に驚いた.
あと,某歩き方の情報では「マンダレーからのトラックは町中心部が終点」みたいに書いてあるのに,ぼんやり乗ってたら町外れのバスターミナルに着いてしまった.まあGPSと地図があるから別に迷ったわけではないが,無駄に苦労したな.

フィンエアーのプラハ→ヘルシンキ便はチェコ航空のコードシェアである.前回来たときはKLMだったし,行きはローマに降りたので,チェコ航空に乗るのは今回が初めてだ.チェコ航空の飛行機は,なんかモニタが壊れてたりとか,多少くたびれていた.でも当然ながらチェコビールが飲めるのはいいね.
チェコ航空のチェックイン・搭乗券受けとりは,少なくともプラハ空港では,「必ず」自動チェックイン機でやることになっているらしい.ちょっと変わっている.荷物を預ける人はそれでもカウンターに並ぶ必要はあるが,カウンターに並ぶ時点でもう搭乗券を持っているかチェックされるのだ.そんなパターンは初めて見た.
あとヘルシンキで乗りつぐはずなのに一旦外に出るパターンだったのも初めてだ.ヘルシンキ空港でもそういうことあるんだな.
旅行の趣味を始めて以来,一度来たことのある町をもう一度観光するのは今回が初めてだ.これはこれでなかなかいいものだと思う.けっこう前来たときのことも覚えてるもんで,前に泊まったホテルを探して満足してみたり,前にはなかった店をみつけてびっくりしてみたりとか.共和国広場の前ってあんなオサレなショッピングセンター無かったよな.プラハ中央駅なんかもかなり変わってて,店がいろいろできてたし.前はもっとガランとしてた気がする.大きな書店が入ったのはポイント高いな.
というか,プラハみたいな規模の大都市だと,もともと数日いたぐらいでは全部見つくしてしまうわけでもない.今回はYもいたので,プラハ城ぐらいはもう一度見たけど,前行ってない地区や店もいろいろ行ってみた.泊まったホテルのそばにあった,なんてことない感じの飲み屋に入ってみたりなどもしたが,けっこう感じがよい店で当たりだった.店員の兄ちゃんが暇さえあればサッカー中継見てたけど.あとプラハのスタロプラメンとかいうビールはバランスが良くておいしいと思う.
ちなみに写真に写ってるのはそれとは別の超有名ビアホールだ.おいしいけどけっこう高い.プラハも観光客の多いところと少ないところがかなりはっきり分かれていて,たとえば旧市街広場の店で飲む場合と住宅地近くの店で飲む場合だと,同じビールでも値段が倍くらい違うのだった.カルロヴィ・ヴァリも,温泉街の周辺にある通常の町だと物価も普通なんだろうな.
そういえば,今回もツーリストインフォメーションで宿を紹介してもらったのだが,ここはなんか変わった方法だった.検索とか予約に,PCから普通のホテル予約サイトを使ってやってるのだ.予約する場合,キーボードを貸してくれてこっちで個人情報を入力したりさえする.まあ,プラハはホテルも安宿も数が多いから,全部把握しておくとか無理だとは思う.検索して出てきたのから適当におすすめしてくれるだけでも助かるけどね.

温泉地である.日本みたいに入浴するよりは,温泉の湯を飲んで湯治するのが普通のスタイルらしい.観光客が変なカップを持って,町のあちこちでじょぼじょぼ出てるお湯を飲み歩いてる町だ.高級ホテルに泊まったりそれなりの施設に行ったりすれば,入浴する場合もあるらしいが.俺たちもとりあえず変な猫の形したカップを買って,飲み歩くのを真似してみた.予想通り硫黄とか鉄の味で,お世辞にもうまいとは言えない.「良薬は口に苦し」的な発想って西洋にもあるんだろうか.
ここは世界各地から観光客がうじゃうじゃ来る町なので,中心部ではホテルもレストランも何でも値段が高めである.夕方に着いて飛び込みでホテルに泊まったので,かなり高くついてしまった(一泊75ユーロ).もっと真面目に探したら多少は安いところもあったのだろうが,昼過ぎまでプルゼニの観光をしてたので疲れていた次第.あとプルゼニからここまで来るバスの冷房がほとんときいてなくて,意識を失いかけるほど暑かったのも疲れを増幅させた気がする.値段も安いし車体もきれいだしWiFi接続もできるし,ほかは全然文句なかったんだけどなあ.
泊まったホテルのフロントのじいさんには,日本のパスポートなど初めて見たとか言って驚かれた.本当か冗談か知らないが,三つ星ホテルでそんなこと言われたのは初めてである.まあ確かに,町の中で日本人は全然見なかったな.ここのホテルの客はロシア人が主体らしく,注意書きなんかもロシア語が多かった.最近ではけっこうロシア資本も幅をきかせてるらしいから,客も増えてるんだろうか.
ところでこんなところまでわざわざ来てみたのは,中心部の町並みがけっこう変わってておもしろいからだ.湯治客でそれなりに潤うのか,妙に豪華な建物が突然森の中に並んでいる.温泉のまわりも大層な飾りのついた屋根で覆ってあったりする.昔は王侯貴族も来てたらしいしな.ちょこちょこ建て直したりもしてるようなので,別に中世の町並みが保存されてるとかそういうのではないが.さらに,町の東側の丘にはちょっとしたハイキングルートが作ってあって,十字架が三本立ってるあたりまで登ると,件のおもしろい町並みを上から眺めることができてなかなかよい.東側なので,朝から行くとちょうど町に日が当たる感じ.西側の丘にはケーブルカーがあってそれで上まで登れるらしいが,そっちは行ってないので知らない.
チェコに入ってからは,旅行のテーマがビール特集に変更されているので,プルゼニにも来てみた.ここは世界に冠たるピルスナービールの元祖,ピルスナーウルケルの地元である.ちなみに先のエントリに出てきたブドヴァルも同じく世界的に有名だ.
というわけで,歴史の古いビアホールなんかも行ってみたり,俺の旅行としては珍しく昼間もビールを飲みまくる.大変うまくて俺様ご満悦.チェコ料理というのは「ビールに合うかどうか」を基準に考えられているような気さえする今日このごろである.ところで,チェコの店でビールを飲んでいると,無くなったらどんどんおかわりを勧めてくる.さらに,この辺の店では,勧めるときに既にジョッキに注いで持ってきてるのはちょっとびっくりした.断ったら断れるから客としては別にいいのだが,誰も頼まなかったらあのもう入れちゃったビールはどうするのかな.
あ,観光もちゃんとしたよ! 中央広場の教会の塔に登ったり,中世からある地下道に入ってみたり,市庁舎の展示を眺めてみたり.市庁舎の展示は普通に市民の写真作品を展示してたみたいで,地味によかった.あと奥のほうに高崎市から送られたとかいう鎧兜が置いてあってちょっとびっくりした.
ところでこの町にいたのは土曜の夜〜日曜の昼なので,すごく人が少なかった.ていうかそもそも人口だって17万ぐらいだし,日本のような混雑した国とはわけが違うのかもしれないけど.チェコでは百万都市はプラハだけだしな.あと,チェコはプラハとそれ以外で観光客の数がものすごく違うのも,静かに感じた原因かもしれない.観光客はほとんど,プラハとせいぜいチェスキー・クルムロフを見るだけで帰っちゃうんだろうか.
この日はプラハの南にあるお城を見物しようと思っていたのだが,なぜか知らない町を二時間ほどさまよった上に地元のイベントでビールを飲んでいた.どうしてこうなった.
- 朝のんびりしていたら,お城の最寄りの町に行く朝の列車に乗りそこねて,町についたときはもう14時だった
- 土曜なのでお城までのバスが少なく,タクシーもおらず,もう見物する時間が満足に取れそうにないことが判明
- じゃあ,この町にある有名なビール醸造所に行って,見学しつつ試飲でもしようぜ
- 歩き方に書いてある醸造所に行くバスの情報が間違っていて,なんとかたどりつくまでにそうとう手間取る
- どうにかこうにか着いてみると,なぜか地元民で大混雑
どうも,たまたまこの日に醸造所でイベントが開催されていたようだ.ステージでは地元の有名バンドか何かが演奏しており,みんなで飲み食いしながら見物したり談笑したりしていた.結局できたてビールは飲めたわけだから,結果的にはよかったような気もするが.
バスについても,歩き方情報とは全然別に,醸造所直行らしき妙なバスがあったんだよね.でも,別に観光客向けっぽくない外観の変なバスで,地元民が大挙して乗りこんでいくので,何かの勘違いだろうと思ってスルーしてしまった.あとから考えると,これはイベントにあわせた臨時のバスで,だから地元民で混雑してるのも当たり前だったのだ.
というかどう考えても無計画にやってきた俺が悪いですね,本当にありがとうございました.

さて,9日にYとプラハ空港で待ち合わせなので,なんとしてもそれまでにはプラハに行かなければならない.今回はわりと鉄道の旅がテーマなので,ベオグラードからプラハまでも鉄道で行くことにした.
それはいいのだが,セルビア国鉄はかなりしょぼいと言わざるを得ない.とにかく尋常じゃなく遅い.ベオグラードより北のセルビア領はほとんど平原で,線路もまっすぐ走るだけなのだが,それでも遅い.山の中を走るバール鉄道が遅いのはまだわかるのだが.
ベオグラード→ブダペスト便は,国境を越えると乗務員だけでなく機関車が変わる.そしてハンガリー国鉄の機関車になったとたん快調にスピードが上がるのだった.べつにセルビア領内で遅かったからといってブダペスト到着が遅れたりはしなかったので,つまり今回たまたまとかではなくセルビア国鉄は常に遅いのだろう.
ところで,一気にベオグラードからプラハに行こうとすると,15時間以上かかる.さすがにブダペストで一泊して休むことにした.ちなみにハンガリーもスロバキアもチェコもすべていわゆるシェンゲン国なので,ブダペスト以降は国境審査もなく非常にらくちんである.そんなら夜行にしてもいいかとも思ったのだが,ブダペスト発プラハ行きの夜行はプラハに朝4時半とかに着くというのでやめた.結果的に,二日間「日中ずっと列車で移動」の日が続いたわけで,けっこうアレな感じ.

確かに,ベオグラードという町にはさしたる観光名所がないというのは事実である.頻繁に戦場になっただけあって,歴史が長いわりに古い建築もぜんぜん残ってない.中東欧にいくとよく宿に,"In Your Pocket"というシリーズの観光ガイド冊子が置いてあるのだが,ベオグラード版はたとえばクラクフ版なんかと比べると露骨に薄いのだ.
でも,適度に都会だし居心地のいい町で,個人的にはけっこう気にいった次第.都会なのでインフラもそれなりに整ってるし,ちょっとした博物館やイベントの類はいろいろある.ツーリストインフォメーションも親切.そのわりに物価もそんなに高くない.大きなスーパーが中心部にあまりないのはちょっと不便かな.ある程度はトラムやバスを使う必要があるかもしれない.
戦争時の印象からするとちょっと意外だが,現在は治安もかなり良いと感じた.そもそも外国人観光客とかほとんど来ないのも一つの原因だと思う.スリや詐欺を狙っても割りが合わなさすぎるよな.暴動とかテロとかそういうのは,今でも危険があるのかね? あと,セルビア人はおおむねわりと感じがよく,少なくとも表面的には旅行者に親切であった.
というわけで,ここは乗りかえだけとか通過するだけとかいう旅行者も多いかと思うけど,せっかくだからちょっとだけ一休みして散歩でもしてみるといいと思うよ.街路が意外と整然としてなくて面白いし,ゼムン地区なども庶民的でいい味がある.橋から眺める市街の景色などもいいものだ.

ベオグラードまで一気に行かないでウジツェで下車したのは,まあ疲れるからというのもあるが,近郊のモクラ・ゴラにある保存鉄道に乗ってみようというのもあった.元はサラエボに向かう鉄道があったのが廃止になったところ,山越えで景色がいい区間を観光用に復活したものだそうな.ちなみに機関車は古そうなディーゼル(ルーマニア製)だったが,人の多い日は蒸気機関車のこともあるらしい.
山の中を走るので,こちらも景色はなかなかのものである.全行程二時間なので,バール鉄道より手軽で一般向けだ.この鉄道の名前はシャルガンスカ・オスミツァと言うのだが,オスミツァというのは数字の8のことであり,勾配のきついところを切りぬけるためにレールが8の字になっている区間があるからこの名前である.そういうループ部分では,通ってきたトンネルを上のほうから見れたりして面白い.あと,このへん一帯は映画「ライフ・イズ・ミラクル」のロケで使われたところで,そのセットとかがそのまま残っていたりするので,知ってる人にはこれも面白い.事前に見ておいてちょっと得した.
ところで,この鉄道自体は面白いのだが,モクラ・ゴラに来るのはなかなかめんどくさかった.ウジツェからのバスは二時間に一本ぐらいしかない.帰りなど,どこかからやって来てベオグラードに向かう長距離バスに,途中から乗りこむ必要がある.新手の地元民ごっこかよ.というか他の客はほとんどセルビア人で,普通に自家用車で来ていたわけだが.
ちなみに,ウジツェはふつうの地方都市である.しかし国際ATMは使えるしWiFiの使える喫茶店もある.2chに書きこみだってできてしまう.ヨーロッパを旅行する場合,昔にくらべてどこもすごく便利になったものだ.

というわけでバール鉄道だ.バールからベオグラードまで,モンテネグロ・セルビア国境周辺の山岳地帯をブチ抜いて走る路線.今回はバールから国境を越えてウジツェまで乗ったわけだが,まあ300キロかそこらに七時間強かかった.つまり時速40キロそこそこの素晴しいスピードで快走したわけである.しかも山の中を走るので当然カーブも多くて疲れるし,なかなかシンドイ代物だ.
さらに,俺の乗った車両は(たぶん全部そうだろうが)エアコンが壊れていて,コンパートメントの中が暑くてこれも大変だった.地元の人たちもシンドそうな顔をするレベル.途中から,廊下に出て窓を開けて立って過ごしたほど.七時間以上もあると全線立ってるのもそれはそれで大変だしなあ.
旅行者としては,これにわざわざ乗るのは景色がきれいだからである.海抜数メートルの海沿いの町から一気に1000メートル越えの山(写真にも写っている)に向かうので,普通の列車の車窓ではちょっとお目にかかれない景色を眺めることができる.正直,こんなところに鉄道を通しているという事実だけでも感心せざるを得ない.なんつうか今はモンテネグロ国鉄の車両と整備能力が残念すぎるので一般的にはおすすめしがたい感じだけど,どっかから上等な技術を導入できたならかなり観光客を呼べるポテンシャルはあるはずだ.投資する人いませんかね.もともとモンテネグロの沿岸部は観光地なんだし.
どうでもいいが,ものすごい山奥にもときどき駅があるのが不思議だ.誰が何のために使うのだろう.最近は秘境駅を訪ねるという趣味が認知されてるらしいが,世界を視野に入れるとそうとうに大変なことになりそうだ.
