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さて今回の旅行は,ほとんどトラブルらしいトラブルもなく快調だったのだが,最後の最後に罠があった話.
帰りはワルシャワ→ヘルシンキ→関空というルートだったのだが,まず最初にヘルシンキに向かう便で,降下のときに妙に急な感じだったせいかどうにも耳ぬきがうまくいかなかった.ヘルシンキに降りても耳に違和感が残ったまま.で,乗り継ぎが二時間もなかったので,回復する間もなくあわてて関空行きに乗ったところ,上昇するにつれて耳の状態がどんどん悪化してきたのである.なんだかわからないが両耳が猛烈に痛み,水を飲もうがあくびをしようが一向に回復する気配がないのだ.
アテンダントの人が心配して点鼻薬やおしぼりを詰めた紙コップ(耳にあてて使う)なんかを持ってきてくれたのだが,結局何をやっても特に改善せず.関空までの九時間,必死に耳の痛みに耐え続けたのだった.最後の降下もかなり辛かったし,いやあ大変だった.今までの人生の中でもかなり上位にくるピンチだったと思う.飛行機には結構乗ってると思うのだが,気圧変化に対応しそこねたことは一度もなかったので油断していたよ.
で結局どうなったかと言うと,家で休んだら痛みはだんだん無くなっていったのだが,耳の違和感は実のところ四日過ぎてもまだ治っていないのである.なんだよもう.
ここのインフォメーションに宿を探してもらおうとしたところ,今日は音楽イベントがあるとかで安い宿はだいたい埋まってるとか言われてしまった.それでも何軒も電話かけ続けてくれ,最終的に市内のプライベートルームを確保してくれた.個人の部屋を借りるプライベートルームというのは当たりはずれが大きいのだが,今回のはかなり当たりのほうだったと思う.実にありがたいことだ.ていうか,なんか今回は宿の話ばっかりでアレだな.ちなみに,件の音楽イベントらしきものは夕方に駅前の広場でやってた.夜遅くまで続いてて,けっこう音がうるさい感じ.
ワルシャワ旧市街は意外に小さかったのでびっくりした.まあ,見所は旧市街中心部に限るわけでもないが.しかし,旧王宮はクラクフのものよりちょっと残念な感じがするがどうだろうか.もともとクラクフの建物のほうがかっこいい感じなのもあるが,絵画や調度品などの展示のしかたがどうも見づらい気がする.
あとショパンの心臓が安置してあるとかいう教会があるのだが,ここが思い切り修理中で,ああいう教会をどういうふうに修理するのかが見れてちょっと面白かった.

ポーランド屈指の観光地のひとつ.町だけではなく,アウシュビッツ強制収容所跡やヴィエリチカ岩塩窟への拠点としても便利.行ってないけど.
俺はヨーロッパ旅行の場合教会とか見物するのもわりと好きなのだが,ここの中央広場にある聖マリア教会はちょっとすごかった.教会の内装に赤とか青とか派手な色をばんばん使ってあるのはあんまり見ないと思う.ご本尊もかなり立派だし.あと旧王宮も建物・調度品ともに見ごたえがある.展示を全部見ると大変でお金もかかるので,事前にちょっと計画して行ったほうがいいと思うが.
というわけで,ここは散歩とかヌルい趣味がなくて具体的な観光スポットが必要な人にもそれなりにおすすめできるのである.おみやげ売りも充実してるし.でかいスーパーなんかもあるので,スーパーでおみやげ買うタイプのYにも便利であった.EU内なので,ポーランド製品を探すのに意外と手間取ったけど.あ,もちろん散歩してもいいと思うよ.適当に入った店で飲み食いしても,どこもけっこうおいしかったし.
ここでは旧ユダヤ人街の小さな宿に泊まったのだが,朝四時ぐらいにお祈りの声らしきものが聞こえてきたことがあった.ユダヤ教でも朝早くのお祈りとかあったっけ? あと,夜テレビを見てたら「マッスル行進曲」を実際にやるみたいなバラエティ番組をやってて,実に阿呆だなあと思った.どうでもいいか.
国境通過で時間をとられ到着したのが四時ごろだったため,滞在時間が短くなってしまった.ここは小さいけれども雰囲気のいい町だったのでちょっと残念.旧市街・新市街とも,散歩するのになかなかよい.
実はここの町に関する資料を何も持たずに来ていたのだが,たまたまバスステーションが旧市街に近く,しかもすぐにわかる場所にインフォメーションがあって助かった.鉄道駅はちょっと離れた場所にあるので,うっかり列車で来ていたら苦労したかもしれない.駅の人にはあまり英語が通じないし.切符を買うだけだったら紙に書いて頼めば売ってくれたんだけどね.
ここ以降でも感じたが,ポーランドの町はツーリストインフォメーションがしっかりしていて,職員も熱心な感じがする.で,宿を探してもらったのだが,わりと広めの個室なのに一泊二千円しないとかいうところになって驚いた.最初俺の聞き違いかと思ったよ.いわゆる「ホテル」じゃなくて「ゲストハウス」に分類されるような宿がある町は,金のない旅行者にはありがたい.あとこの宿で面白かったのは,フロントの女の人が全く英語を話せず,俺は全くポーランド語を話せなかったにもかかわらず,問題なく希望の部屋に一泊できてしまったことである.言葉が通じない時点で諦めるタイプじゃなくて助かった.
ちなみに近くにはかのアウシュビッツに勝るとも劣らない重要ポイントのマイダネク強制収容所跡があるそうだが,スケジュールの都合で今回は行ってないのだった.

リヴィウ滞在を終えてバスでポーランドに向かったのだが,これがなかなか苦労した.
まず第一に,ウクライナの出国審査が大変.バスの乗客全員分のパスポートを係官が集め,審査するまで待つ形式のようだったのだが,何故か俺一人だけがわざわざ係官のところまで呼ばれた.で,係官の人が開口一番「ロシア語とウクライナ語とポーランド語のどれならできる?」とかなんとか言う.知らねえよと思ったが,ここの国境を通るのにこのうちどれも知らんほうが例外なのかもなあ.
しかたなく英語でなんとか通そうとするが,係官の人は英語がほとんどできなくて,お互い実に要領を得ない.どうも俺がパスポート記載の本人なのか,あと就労してたんじゃないのか確認しようとしてたみたいなのだが.結局,あまりにラチがあかないので一旦バスに返され,本部のデータベースか何かに照会してチェックしてたようである.俺だけパスポートが返ってくるのがちょっと遅くて心配したが,最終的には出国スタンプを押してもらえて,なんとか一安心.
で,大変なのはここからが本番で,ポーランドの入国に際し当然ながら税関チェックがあるのだが,これがもうびっくりするぐらい綿密なのである.乗員乗客全員の荷物をチェックするのは当然として,バスの床下から天井裏までいちいちパネルをはずしてまで確認して回るのだ.これを全通行車に対してやるもんだから,時間がかかることこの上ない.結局,出国審査が終わってからこのチェックポイントを通過するまでに二〜三時間はかかったと思う.やっぱりEU外から内に入るチェックは厳しいのかねえ.密輸か麻薬でも横行してるのかしらん.
旧ソ連の雰囲気あふるる古いホテルに泊まったのだが,各階の鍵おばさんはいなかったので残念.ハバロフスクにはまだいたのに.ていうか古いホテルだけど部屋はきれいだし設備もちゃんと使えるのに,値段はキエフのホテルの相場の五分の一というのはいかがなものだろうか.まあ,ここはキエフと違って安い宿もあればカフェの飯も安いのである.
市街中心部がわりと小さくまとまっているので,歩きで行動するのに丁度いい.ホテルもそんなに離れたところじゃなくても見つかるし.街並を見物しながら散歩してみると,それなりに古い建物が残っていて見ごたえはある.ただし,上から見ると結構な割合で屋根が雑なトタン葺きだったりするけどね.まあ,別にこれはこれで面白い.ちなみに,キエフでうろうろする場合,適宜地下鉄なんかを使わないと足が死ねる.首都が大規模になりがちなのはしかたがないか.
旧市街の真ん中へんの広場は一日中市民の憩いの場になっていて,日が暮れてもまだけっこう人がいる.ただ座って喋ってる人達とか,貸しセグウェイ屋にお金払って遊ぶ子供とか,モトクロス自転車の技の練習してる人とか,いろいろである.最初はたまたま日曜だからみんな遊びに来てるのかと思ってたら,月曜になっても別に変わらなかった.せっかくなので俺も夕食のあと意味もなく座ってみたが,東洋人が全然いないのでどうも目立つような気がするな.

キエフを旅行する場合の大きな難点は,安めの宿や食堂があまり存在しないことである.ホテルやレストランはどれも高級なのだ.ウクライナの物価を考えるとなんだか釈然としないが,貸しアパートはいっぱいあるようなので普通はそういうのを使うのだろうか(現地で交渉すればそこそこ安く探せるらしい.当然,事前に英語で予約できるようなところは高い).今回は,どうにもいい案が出なかったのでユースホステルに泊まることにした.俺のような社交性に欠ける人間はほかの旅行者と雑談したりするのが苦手なわけで,ふだんはできるだけ一人部屋を確保しているのだが.まあ,面倒な人には遭遇しなかったのでそこはよかった.
食事は(ロシアなんかと同じく)レストランでなくカフェで食べれば少しは安くなるが,それでも妙に高い.ちょうどいい感じのセルフ式食堂は,結局一軒だけしか見つからなかったよ.
ここの観光のメインと言えばやっぱりペチェルスカ大修道院や聖堂の類になるのかな.俺が行ったときは何かの祭礼の日だったのか,黒山の人だかりの中心に豪華な法服を来た人が何人もいて,何やら儀式をしていた.どうでもいいが,オープンエアな懺悔コーナーというのはどうなんだろう.別に気にならないのだろうか.
あと首都だけあって博物館や美術館の類もそれなりに充実してるので,そういうのを見るのもいいのだが,英語表記は別に充実してないので注意だ.ウクライナの歴史とかざっとでも調べて,キリル文字ぐらいは覚えてから行ったほうがいいかもしれない.

今回はマレーシア航空で行ったのだが,機内の映画がいつのまにやらオンデマンド式,というか,自分で好きなプログラムを選んで再生を開始できる方式に変わっていて驚いた.ふつうこういうのは予め設定された予定通りに再生されるだけだと思うのだが.コントローラーやモニターは別に変わってなかったので,もしかして前からこうだったのだろうか?(通常の「予定通り再生」モードもあり,ちょっと操作しないとオンデマンドモードにならないので,気付かないこともありうる)
あと行きの便で「地球が静止した日」を見てみたら,あまりにもクソ映画だったのでまた驚いた.こんなの本気で劇場公開したのか.
旅行に出る前には気象情報など調べたりするものだが,ハノイの3月の平均降水量は低めだったので「3月は雨の日が少ないんだな」と考えて出かけた.実際現地で確認してみたら「3月の雨は霧雨だから総雨量はたいしたことない」という意味だったようだ.いやほんと二日半滞在して,太陽を見たのは一瞬だけだったよ.まあ,たかだか二日かそこらじゃ偶然かもしれぬが.
いずれにせよえんえん霧雨が舞っているので,とにかく湿っぽくてしかたがない.宿の部屋でもやっぱりこの湿気からは逃げられなかった.ガイドブックはふにゃふにゃになるし洗濯物は乾かないし大変である.ゴキブリも出るし.
しかも雨でもお構いなしに道路工事などあちこちでやっているので(構っていたらいつまでたっても終わらんのだろう),そこらじゅうの道がドロだらけである.ほんとここだけはサンダルで来ないほうがよかったかなと思ったね.
まあ街並はなかなかイカしてるし見所もそれなりにあるし,外食文化が発達していて食いものがうまいし,旅行者へのサポートも充実してるし,いいところなんだけどね.ネット屋の速さとか衝撃的だったよ.
あとラオスの町とくらべてあまりに大都市なんで,最初は感覚がつかめなくて大変だった.まー道に迷う迷う.市バスなんかも,地図を見ながら乗っても混乱するありさまだ.京都市バスで観光客が困るのと似たようなもんか.

さて今度はベトナムに向かって国境越えである.ポーンサワンからは,ベトナム中部のヴィンという町に直接行ってくれるバスが週四回ほど出ているので,それを使うことにした.
バスの客はは山ほど荷物をかかえたベトナムの行商人が多く,外人は俺の他三人しか乗っていなかった.あと長距離バスなんだからポーンサワンのバスターミナルからヴィンまでノンストップなのかと思っていたら,現地人は好きなところでどんどん乗り降りしている.あまつさえ荷物の搬送だけに使っている人もいて(ある程度進んだところで別の人が受けとっていた.携帯電話で連絡しているようだ),ずいぶんとフリーダムなシステムだなあと思った.
山道をどんどん進んでいると昼前になんか妙な小屋の前で停車して,何だ何だ休憩かと思って外に出てみたらなんとそこが出国審査でした.実に質素な国境オフィスである.がんばってスタンプを押してもらったら(なにしろベトナム人は行列をつくらないので,出国審査してもらうだけで一仕事だ),道端にすわっている制服のおじさんにパスポートを見せてドロ道を下りていくらしい.で,ドロ道をちょっと進むとすごく綺麗な建物があって,そこがベトナムの入国審査.えらい差ですよまったく.
まあやることは一緒で,入国審査→出国審査までは歩いて進み,入国が終わったところで待っていたバスに再度乗りこんで出発するわけである.ベトナムの入国審査はちょっと厳しくて,ノービザで入国する輩は出国用の航空券の提示を求められる.しかしこれは国境の職員ごとに対応が違うらしくて,たまたま同乗していた日本人の人によれば,別の国境では航空券が不備だとかで追いかえされたのに,ここではなぜか通れてしまったそうな.入国審査の基準が場所ごとにかわるとか理解しがたいんですが.
国境を越えたあと昼食休憩があり,そのあとはヴィンまで走るだけである.ただ,このルートの唯一にして最大の問題は「ヴィンに夜に到着する」という事実だ.ヴィンは別に観光地でもなんでもないため,普通ガイドブック等に情報はないし英語の通じる案内とかもない.つまり外人にとっては,さっぱり情報がわからないまま両替所も閉まってるような時間に放り出されることになるわけだ.ここさえどうにかできれば,わりと簡単な部類の国境越えなのだが.
結局このときは,外人四名はみなそのまま別の夜行バスに乗りつぐことにした.よくわからず言い値でキップを買ってしまっていたが.
だいぶ田舎になってまいりました.
この町では,商店などがたくさん並んでいるのは基本的にメインストリート沿い,市場周辺だけである.メインストリートをちょっとはずれると,とたんに牛が放牧されてたり広大な畑が出現したり空き地が続いてたりして,その合間にぽつぽつと建物がある感じ.Yにここの写真を見せたら「西部劇の町みたい」という感想を頂戴した次第.というかまあ,そもそもこの町は周辺の観光地への拠点というだけであって,この町自体は何も特別なことはなく,単なるラオスの地方都市なのだ.
しかしここの安宿の人達はなんだかすごく気合が薄い感じ.いくつか覗いてみたが,観光地にありがちな客引きがほぼないばかりか,中に入ってみてもカウンターに人がいなかったり熟睡してたりすることもざらであった.レストランもほとんど声かけてこないし.まあラオスは全体的にそんな傾向があるのだが,ここは特に楽だった.
正確に言うと,バスターミナルで一軒だけがんばって勧誘している安宿があった.一軒しかそういうことしてないので,結局そのときのバスでついた外人チームはほぼ全員そこの宿に泊まったようだ.それはそれでどうなんだろう.
ちなみに周辺の主な観光地はジャール平原である.よくわからない石壷が不発弾の隠れた平原にやたらとごろごろころがっているという,なんかシュールな遺跡だ.ガイドと行ったりミニツアーで行ったりする人がほとんどだったようだが,そもそもどういう遺跡なのかほとんどわかってないのにガイドの必要はあるのだろうか.まあ俺はレンタル自転車でよく調べずに出掛けて,道を間違えて山に迷いこんだりして無駄に苦労したわけだが.

ラオスの二大世界遺産の一つで,有名観光地だ.有名なのでこの町でだけは団体旅行者の姿も見かける.人口の少ないラオスに観光客がやたらに来るので,場所によっては現地人のほうが少なかったりさえする.外人向け安宿も死ぬほどあるしな.
ルアンパバーンの変わったところは,僧侶の多さである.寺がたくさん立っている町や僧侶のたくさんいる町はほかにもあるが,ここではどうにも総人口に対して僧侶の人数がやたらに多いように見える.こんなに僧侶の比率が高くて社会が成立するものなのだろうかと不思議になるほどだ.さすがにそれは言いすぎか.早朝の托鉢など見ていると,こんな量を毎日毎日対応しているのかーという感想を抱くのだが.僧侶たちはこの町でどういう役を担っているんだろう.
世界遺産登録は寺だけでなくて街並全体だそうで,伝統建築とコロニアル建築の融合したステキな街並というのが登録理由のようなのだが,えー正直街並としてはそのー,どうこう言うほどのものではないというかー.丘の上から眺めると木のほうが多いっていうかー.わりと適当な建物も多いしー.ねえ.面白くないわけではないんだけど.
ちなみに観光地としてはもう一つ船でクルージングとか洞窟ツアーとかそういう方面もありますが,俺は行ってないのでよくわかりません.

ヴィエンチャン→ルアンパバーンの移動はラオス航空の飛行機に乗ってみた.きになるお値段は660000Kipで,まあ7500円ぐらいか.キャッシュで払ってしまったので手持ちの金が一時的に激減して大変だった.あとちゃんとeチケットだったのでびっくりした(失礼な話だ).
機材はMA60.小型のプロペラ機で,中国製のようですな.それはともかく,ここの飛行機は整備がイマイチだとか,上空で機内に謎の白煙があがることがあるとか,いろいろ噂を聞いていたのでちょっと期待してたのだが,格別何も変なことは起きなかった.やはり数少ない幹線だからそれなりに気をつかってるんだろうか.強いて言えば機内で出たオヤツが干しバナナだったことぐらいか.
あとルアンパバーンの空港に着陸するとき,かなり低い高度で町の真上を通過するのでちとこわい.まあ高い建物なんか存在しないからぶつかりはしないのだろうけど.騒音対策なんかも一体どうしてるんだと思ったが,ルアンパバーンの町でわかったのは「特に対策などしてない」という事実だった.普通に轟音が響きわたるのだ.単に便数が少ないからがまんできてるだけだな.
ところでラオスの空港では,国内線でもパスポートチェックがあるのがちょっと不思議だ.そのわりに手荷物検査はなんだかいいかげんで,液体もあっさり持ちこめるし金属探知機が鳴ってもスルーだったりするし.よくわからん基準だ.

よく知られているとおり,ヴィエンチャンは田舎だ.タイ-ラオス友好橋ルートでラオスに入ると,だいたいがタイの首都からタイの地方に移動して,その直後いきなりラオスの首都に入ることになるわけだが,正直言って全然違和感がないのである.確かに世界でもトップクラスの地味な首都だと思った.俺の中では.
これでも以前にくらべれば建物も増えたということだが,それでも全体を俯瞰してみての建物の低さ,樹木の多さはかなりのものだ.急速な経済発展があるとは考えにくいので,まだしばらくはこんな雰囲気なのではなかろうか.そもそもラオスは人口自体がかなり少ないし,巨額の資金が動くような産業もほとんど無いわけだし.
ところでヴィエンチャンは中心部だけがかなり露骨に外人街になっている.外人向けのゲストハウスやレストランが並んでいて,地元の生活はあまり感じられない.で,それ以外のところでは外人の姿をぱたっと見なくなるのだ.まあ確かにヴィエンチャンには観光名所らしきものもあまりないし,外人はメコン川を見ながらビール飲んでるぐらいしかすることないのかもしれないが,それにしても極端な感じだなあと思う.
ていうか,ルアンパバーンはいろいろな寺が観光名所になっているのに,ヴィエンチャンのはあまりそういう扱いを受けていないのは釈然としないものがある.ヴィエンチャンにだってそれなりにたくさん寺があって,素人が眺めてへえとかほうとか言うだけならどちらでもそれなりに楽しめると思うのだが.

今回の旅のテーマの一つは「陸路国境越え」である.
というわけで,まずタイからラオスへの移動だ.まず何らかの方法で北東部のノンカイまで移動する.今回は前述の夜行バスで移動したので,起きたらノンカイだった.
さて国境は橋になっているのでこれを渡るわけだが,歩いては渡れないことになっているので何かの乗り物を探さねばならない.で,一番簡単なのが,ノンカイからヴィエンチャンまで直通するバスに乗ることである.今回はバスターミナルについていたので,そのまま次のバスの切符を買って乗るだけだからますます簡単だ.
バスはまず橋の上のイミグレーションまで移動し,そこでみんな一旦バスから降りて,個別にタイ出国審査・ラオス入国審査をする.西洋の国境越えみたいに,ぼーっと乗ってれば係の人がパスポートをチェックに来ておしまい,などということはない.まあ,今は日本人ならラオス滞在15日まではビザ免除だし,審査で手間取ることはあまりないと思うが.
で,審査が終わってラオスに入るとさっきのバスが待っていて,これにみんなが乗りこんだら改めてヴィエンチャンに出発するわけだ.ヴィエンチャンは国境のすぐ近くなので,あっと言う間に到着する.結局,ノンカイ出発→ヴィエンチャン到着までせいぜい1〜2時間ぐらいではないだろうか.混みぐあいにもよるだろうが,まあ,簡単な部類だと思う.
この直通バスのありがたさは,個別のトゥクトゥクだのバイクタクシーだのと一切かかわらずに済むところにある.俺はとにかく値段交渉が苦手なので.
今回の旅行はひさしぶりに東南アジアである.バンコクがスタートでハノイがゴールにしてみた.主な滞在先はラオスになる.
で,とりあえずバンコクから夜行バスで国境近くまで移動する予定を立てていたのだが,危うく失敗するところであった.飛行機の到着時刻からバスの発車まで2時間はあるからまあ大丈夫かなと思っていたら,狙ったように飛行機が遅れ,到着したのはバス発車20分前.そりゃもうあわてて入管を抜けて最低限の両替をすませてバスターミナルに移動しましたよ.しかもバンコクの今の空港はかなりでかいし,バスターミナルまではシャトルバスで10分かかるし,何より来たことのない空港なので勝手がわからない.
出口の場所を聞きまわったり発車しそうになるシャトルバスにかけこんだり大慌てで切符を買ったりして,なんとか目的の夜行バスに乗れたのは発車する5分前でした.Majiで5分前掛け値なし.
旅の始めから超ディレイ発生で不幸なのか,そんな状況でもぎりぎり乗れて幸運なのか.いやこれが噂の,不幸な状況に追いこまれるほど開運するとかいうJD流開運術ですか.
どうでもいいが,夜行バスの切符を買おうとしたら横にいた女の子二人組が不要な切符を買ってくれとか言い出して(タイ語だからさっぱりわからないが,どうやらそう言っているらしい),結局そのままそれを買って乗りこんでしまった.前で見ていた切符売り係の人も特に文句はないらしい.適当だなあ.
外国人にとって,ロシアの旅行は今だに不可解なルールが多いようだ.まず例の滞在登録の制度がいまいちよくわからない.泊まったホテルで変な登録カードみたいのを渡されたが,結局このカードの提示を求められることは一度もなかった.出あった日本人の旅行者と相談してみても,二泊以上だと必要なんだとかそんなの初めて聞いたとかいや必ず持ってないととかみんな言うことが違い,誰一人正確なルールを把握してない始末.入国時からパスポートにくっつけられる入国カードみたいのは,係の人たちも必ずチェックしているようではあったのだが.
そういえばウラジオストク空港で出国する際,パスポートコントロールとは別にイミグレーションなるカウンターもあって,ここでも何やらパスポートをチェックされた.あれは一体何のカウンターだったのか今だによくわからない.7年前にサンクトペテルブルクに行ったときはそんなものなかった気もするし.
あとロシア旅行は(少なくとも建前上は)事前に全部手配しないとできないので,ほとんどの人が旅行社を通して宿を予約しておくのだが,結果として日本人旅行者は同一の宿に集中しやすい模様.旅先でお友達を探したい向きには好都合かもね.あとハバロフスクのホテルインツーリストでの日本人対応っぷりにかなり笑った.日本語案内やレストランどころか,日本人対応のナイトクラブまで用意してあるし,「世界人類が平和でありますように」が貼ってあったりする.どこのどいつがわざわざこんなとこまで来て貼ったのやら.
そういえば,ロシアでは鉄道や空港で写真を撮ってると没収されるとかいう話もちょくちょく耳にするが,これは今回発生しなかった.わざわざメモリーカードを別にして警戒していたのだが.まあ,単に運がよかっただけかもしれない.
でましたよまたヤコブレフ40.ウラジオストク→新潟の国際線はちゃんとエアバスだったのだが,ハバロフスク→ウラジオストクはヤコブレフでした.旧ソ連の国内線ではまだけっこう現役なんだろうか.いいかげんどうにかしたほうがいいと思うけどなあ.
ウズベキスタンのときとは違って自由席だったり変な貨物が置いてあったりはしなかったが,機材にかなりガタが来てたのは一緒だ.特にシートがヤバく,加速に応じてぐいぐい動くのでシートベルトの意味が疑問になるほどである.一応シートベルトは閉まるんだが.ていうかエアバスのほうもそんなにきれいではなくて,液晶モニタが開いたり閉じたり不可解な動きをする場面なんかもあったり.
あとウラジオストクの空港で,国内線ターミナルと国際線ターミナルの扱いの違いがものすごかった.国内線は広くてきれいでお店なんかもいろいろあるのだが,国際線のほうはずいぶん狭くて内装なんかも適当な感じ.お店もちょっぴりしかないので,出国まぎわにお土産でも買おうかと思うとかなりあてが外れるので注意が必要.建物に入るときの保安検査もないし,カウンターも簡易的だ.搭乗ゲート(的なもの)に行くまで荷物も預けられないのである.まあ国際線は日に数本ぐらいしかないので,ある程度はしかたないことだろうが.
この日出る国際線は,新潟行きともうひとつは平壌行きだった.なんともコメントしづらいね.

この町の特筆すべき点はまずその地形を無視した強引な構造だと思う.いや無視してはないのだが,ふつうこういうふうには作らないと思うね.もともとこの町の中心部は図のような構造で,丘が三本並んでいて間の谷に小川があったそうだ.で,まずこの丘の頂上の部分をメインストリートに,小川の部分を公園通りにして(埋めたのか?),さらに丘と直角の方向に何本も街路を作って全体を碁盤目状の町にしてある.当然ながら,ひとつのメインストリートから別のに移るだけで坂道を下りて上ってしなければならない.これがけっこう急な坂なのでかなりしんどいのだ.坂道ばかりだから建物の設計も大変になるし.なんか地図だけ見ながら計画立てたんじゃないかという感じすらするね.
あとこの設計のおかげで巨大な公園通りが二つもできてるのだが,さらに市に隣接するアムール川沿いとか中心部のはじっこの広場のあたりとかも広大な公園になっているので,この町はやたらと公園が多くて妙な感じである.でも別に無駄になってるわけでもないようで,いつも公園の各所で休んでる人やのんびり歩いてる人などを見かけた.
街並みは地味だ.碁盤目状の構造に加え,建物の多くが似た感じの集合住宅(旧ソ連型か,最近のマンションタイプのどちらか)で,どうも変化に乏しい風景が延々と続く.一応中央のメインストリートはそれなりにヨーロッパ風の建物が並んでいるが(再建もののようだけど).
ていうかそもそもあんまり観光に来るような町ではないっぽい.いわゆる観光名所的なものもほとんどない.ロシアの地方都市の生活に触れるという意味でも,べつにここである必然性はないのである(中央市場が見学に便利な場所にある,というのはちょっとメリットかな).まぁ,アムール川を船に乗りながらぼんやり眺めたりするのは悪くはない.公園とかを散策するのだってそれなりに楽しみもあるのだ.ただ,こういうのは旅行者というよりは住んでる人に向いてるような気はする.

ウラジオストクからハバロフスクまでは列車で移動することにした.いわゆるシベリア鉄道の,はじっこの部分になる.この区間だけ往復するオケアン号(英語で言うならオーシャン号になるのかな)というちょうどいい列車があるのだ.基本的にはロシア号(ウラジオストクからモスクワまで)と同じ車体だが,青い塗装になっていて,ちょっと新しい車両を使ってるところが違うらしい.
新しい車両と言っても,別に部屋が広いとかシャワーがついてるとかそういうことはない.ふつうの四人一部屋の寝台列車である.洗面台の類も部屋ごとにはなくて,トイレの洗面台で顔を洗ったり歯を磨いたりする.車両一台につき二箇所しかないので,空いてるところを狙うとかそれなりに気をつかう必要があるようだ.あ,エアコンもちゃんとついていて,まだちょっと暑かったので助かった.
今回同室になったのは,ロシア人の男女一名ずつであった(互いに知り合いではない).ふつうに男女同室に混ぜてくるんだな.女の人はわりとすぐに寝てしまったし,男の人は別室の知り合いとずっと話してて部屋にいなかったので,別に会話も何もなかったわけだが.まあ一晩だからそれで済んだけど,四日だの七日だのの期間だったらずっと会話なしってのも難しいのかもね.ごはん食べたりとかもするし.
ていうか今回乗ってみて思ったが,これでモスクワまで行くのは確かになかなかハードだろうな.とりあえず今回は,それなりに寝ることもできてまあそれほど問題はなかった.ただちょっとだけ悔やまれるのは,夜中に目がさめたとき,窓の外をのぞいてみたらよかったかなということである.Yによると,人家もほとんどないシベリアだけにそれはそれはものすごい星空が見えたらしい.
坂の多い港町.軍港でもあるので,外国人が入れるようになったのはほんの10数年前のことである.
観光客としては,坂の多いのには本当に参る.散歩するのが超疲れる.もっと公共交通機関を整備すればいいと思うなあ.実際,架線がだいたいの道路にあるのにもかかわらず,路面電車やトロリーバスはたまーにしか走ってないように見える.みんな右ハンドルの中古車を乗り回すばかりで.路面電車や故障中のケーブルカーなんかをもっと整備すれば,観光にはいいと思うんだが.
街並自体は,地形の制約から立体的で複雑な構造もできるので,変化があって悪くはない.抜け道的な階段通路とかも面白い.建物自体は,まあヨーロッパ調ではあるが,わりに地味である.超有名な目玉建築的なものはあまり無い.あとだいぶガタが来てる建物も多いな.
ちょっと意外だったのが,9月でも晴れてるとけっこう暑いことだ.ふつうに海水浴なども可能なほどである.海水浴場のあたりは地元の人たちが休日を過ごすエリアになっていて,アイスの屋台だとか小さな水族館や遊園地などがにぎわっててなごやかな感じだった.
ところで,昼間は別に変な奴もうろついてないし平和な町に見えたのだが,町のあちこちにビール瓶の破片が散乱してたりしてけっこう散らかっているのが気になった.もしかすると夜は面倒な人たちが出没するのかもしれない.俺は旅行中あまり夜に出歩かないのでよくわからないが.

さて今年の旅行であるが,今回は「いろいろ乗り物に乗ってみる」というのもひとつのテーマである.サーチャージが嫌がらせ的な金額になっているのもあって,出国を船でしてみた.
富山からウラジオストクまで行けるフェリーである.よく見ると車を吊ってるのが見えるが,このフェリーは日本からロシア極東地域に中古車を輸出する業者の人がよく利用するらしい.
おかげで,日本→ロシア便の船上は中古車でいっぱいで,自動車用スペースや甲板ばかりかプールの中まで大事な商品が満載されている.ロシア→日本の便ではプールを普通に使えるらしいのだが.基本的に車のための船で人間を乗せるのはついでみたいな雰囲気さえする.
まあだからといって人間は船倉に押しこめられるとかそういうことはなくて,ちゃんと写真のようにそれなりの部屋がある.本当は上のベッドを倒して一部屋を四人で使うのだが,今回は満員ではなかったらしくこの部屋を二人だけで使えたので,けっこう快適であった.四人だったり知らない人と相部屋だったりすると,多少窮屈にはなるかもしれない.ちなみに,ちゃんときれいなお湯の出るシャワーもついている.
基本はここで一日中ごろごろして,ごはんの時間になったら食堂に食べに行き,たまに甲板で海を眺めたりする.二泊ほどごろごろしてるとウラジオストクに着くという寸法で,思ったより楽でいい感じだった.食事も悪くないし(前から思っているが,ロシア人の料理の味付けは日本人にもそんなに違和感ないものだと思う).
食事のときにロシア人の中年夫婦と相席で(基本的に毎回食堂の同じ席で食べる),突然きれいな日本語で話しかけられてびっくりした.よく考えたら,わざわざ日本に来てるロシア人なんだから日本語ができる可能性は当然あるよな.社交的な旅人ならここでロシアについていろいろ聞いたりして盛り上がるのかもしれないが,俺は非社交的なのでそういうのは別にない.
ちなみに,アナウンスに日本語をつけてくれる場合もあるらしいが,今回はほとんどロシア語だけだった.でもまあごはんの時間ですよとか出国手続きしますよとかもうすぐ着きますよとかそういう重要なお知らせは英語でもしてくれるので,そんなに困ったことはなかった.
つまらんことだが,船体の色をパンフレットと違う色に塗りかえてたり船名の書きかたを変えてたりするのは勘弁してほしかった.この船でいいのかちょっと迷ったよ.
ヴィリニュスは,旧市街メインストリートとそれ以外の差が非常に大きい.メインストリートは一日中観光客いっぱい土産物いっぱいなのだが,しかし一本路地に入るととたんに人がいなくなるのだ.でも慣れてくると,いりくんだ路地をさまよう楽しみもある.ただここはわりに坂の多い町なので,調子に乗って歩きまわってると意外に疲れるので注意だ.
ところで,ここでの俺的観光のメインはヴィリニュス大学である.中世からある大学で,建物も付属の聖堂もりっぱだ.あちこち修理中だったりはするが.現代の大学としては手狭かもしれないが.
思い切り観光地になっているというのに,大学としても普通に運営してるのはちょっとすごい.休み時間になると大量の学生たちが中庭に出てきたり,観光客が歩いてるような庭から研究室が見えてたりした.付属の本屋も,観光客向けと学生向けを狭い敷地でなんとか両立させようと努力していた.
大学付属のおみやげコーナーなんかもあって,笑ったのが"I love Lithuania! ..Hmm, but where is it?"だとか書いてあるTシャツ.いや,買ってないけど.
ところでヴィリニュスは今回行った町で唯一,ちょっと不安を感じるような荒れた場所が目についたところでもある.まあ実際に事件にまきこまれたというわけではないのだが.ていうか,まず第一にそこらじゅう落書きが多すぎると思う.
そうそう,猫も多少は見た.中心部にはあまりいないようだが.