海月玲二

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この日はプラハの南にあるお城を見物しようと思っていたのだが,なぜか知らない町を二時間ほどさまよった上に地元のイベントでビールを飲んでいた.どうしてこうなった.

  • 朝のんびりしていたら,お城の最寄りの町に行く朝の列車に乗りそこねて,町についたときはもう14時だった
  • 土曜なのでお城までのバスが少なく,タクシーもおらず,もう見物する時間が満足に取れそうにないことが判明
  • じゃあ,この町にある有名なビール醸造所に行って,見学しつつ試飲でもしようぜ
  • 歩き方に書いてある醸造所に行くバスの情報が間違っていて,なんとかたどりつくまでにそうとう手間取る
  • どうにかこうにか着いてみると,なぜか地元民で大混雑

どうも,たまたまこの日に醸造所でイベントが開催されていたようだ.ステージでは地元の有名バンドか何かが演奏しており,みんなで飲み食いしながら見物したり談笑したりしていた.結局できたてビールは飲めたわけだから,結果的にはよかったような気もするが.

バスについても,歩き方情報とは全然別に,醸造所直行らしき妙なバスがあったんだよね.でも,別に観光客向けっぽくない外観の変なバスで,地元民が大挙して乗りこんでいくので,何かの勘違いだろうと思ってスルーしてしまった.あとから考えると,これはイベントにあわせた臨時のバスで,だから地元民で混雑してるのも当たり前だったのだ.

というかどう考えても無計画にやってきた俺が悪いですね,本当にありがとうございました.



さて,9日にYとプラハ空港で待ち合わせなので,なんとしてもそれまでにはプラハに行かなければならない.今回はわりと鉄道の旅がテーマなので,ベオグラードからプラハまでも鉄道で行くことにした.

それはいいのだが,セルビア国鉄はかなりしょぼいと言わざるを得ない.とにかく尋常じゃなく遅い.ベオグラードより北のセルビア領はほとんど平原で,線路もまっすぐ走るだけなのだが,それでも遅い.山の中を走るバール鉄道が遅いのはまだわかるのだが.

ベオグラード→ブダペスト便は,国境を越えると乗務員だけでなく機関車が変わる.そしてハンガリー国鉄の機関車になったとたん快調にスピードが上がるのだった.べつにセルビア領内で遅かったからといってブダペスト到着が遅れたりはしなかったので,つまり今回たまたまとかではなくセルビア国鉄は常に遅いのだろう.

ところで,一気にベオグラードからプラハに行こうとすると,15時間以上かかる.さすがにブダペストで一泊して休むことにした.ちなみにハンガリーもスロバキアもチェコもすべていわゆるシェンゲン国なので,ブダペスト以降は国境審査もなく非常にらくちんである.そんなら夜行にしてもいいかとも思ったのだが,ブダペスト発プラハ行きの夜行はプラハに朝4時半とかに着くというのでやめた.結果的に,二日間「日中ずっと列車で移動」の日が続いたわけで,けっこうアレな感じ.



確かに,ベオグラードという町にはさしたる観光名所がないというのは事実である.頻繁に戦場になっただけあって,歴史が長いわりに古い建築もぜんぜん残ってない.中東欧にいくとよく宿に,"In Your Pocket"というシリーズの観光ガイド冊子が置いてあるのだが,ベオグラード版はたとえばクラクフ版なんかと比べると露骨に薄いのだ.

でも,適度に都会だし居心地のいい町で,個人的にはけっこう気にいった次第.都会なのでインフラもそれなりに整ってるし,ちょっとした博物館やイベントの類はいろいろある.ツーリストインフォメーションも親切.そのわりに物価もそんなに高くない.大きなスーパーが中心部にあまりないのはちょっと不便かな.ある程度はトラムやバスを使う必要があるかもしれない.

戦争時の印象からするとちょっと意外だが,現在は治安もかなり良いと感じた.そもそも外国人観光客とかほとんど来ないのも一つの原因だと思う.スリや詐欺を狙っても割りが合わなさすぎるよな.暴動とかテロとかそういうのは,今でも危険があるのかね? あと,セルビア人はおおむねわりと感じがよく,少なくとも表面的には旅行者に親切であった.

というわけで,ここは乗りかえだけとか通過するだけとかいう旅行者も多いかと思うけど,せっかくだからちょっとだけ一休みして散歩でもしてみるといいと思うよ.街路が意外と整然としてなくて面白いし,ゼムン地区なども庶民的でいい味がある.橋から眺める市街の景色などもいいものだ.



ベオグラードまで一気に行かないでウジツェで下車したのは,まあ疲れるからというのもあるが,近郊のモクラ・ゴラにある保存鉄道に乗ってみようというのもあった.元はサラエボに向かう鉄道があったのが廃止になったところ,山越えで景色がいい区間を観光用に復活したものだそうな.ちなみに機関車は古そうなディーゼル(ルーマニア製)だったが,人の多い日は蒸気機関車のこともあるらしい.

山の中を走るので,こちらも景色はなかなかのものである.全行程二時間なので,バール鉄道より手軽で一般向けだ.この鉄道の名前はシャルガンスカ・オスミツァと言うのだが,オスミツァというのは数字の8のことであり,勾配のきついところを切りぬけるためにレールが8の字になっている区間があるからこの名前である.そういうループ部分では,通ってきたトンネルを上のほうから見れたりして面白い.あと,このへん一帯は映画「ライフ・イズ・ミラクル」のロケで使われたところで,そのセットとかがそのまま残っていたりするので,知ってる人にはこれも面白い.事前に見ておいてちょっと得した.

ところで,この鉄道自体は面白いのだが,モクラ・ゴラに来るのはなかなかめんどくさかった.ウジツェからのバスは二時間に一本ぐらいしかない.帰りなど,どこかからやって来てベオグラードに向かう長距離バスに,途中から乗りこむ必要がある.新手の地元民ごっこかよ.というか他の客はほとんどセルビア人で,普通に自家用車で来ていたわけだが.

ちなみに,ウジツェはふつうの地方都市である.しかし国際ATMは使えるしWiFiの使える喫茶店もある.2chに書きこみだってできてしまう.ヨーロッパを旅行する場合,昔にくらべてどこもすごく便利になったものだ.



というわけでバール鉄道だ.バールからベオグラードまで,モンテネグロ・セルビア国境周辺の山岳地帯をブチ抜いて走る路線.今回はバールから国境を越えてウジツェまで乗ったわけだが,まあ300キロかそこらに七時間強かかった.つまり時速40キロそこそこの素晴しいスピードで快走したわけである.しかも山の中を走るので当然カーブも多くて疲れるし,なかなかシンドイ代物だ.

さらに,俺の乗った車両は(たぶん全部そうだろうが)エアコンが壊れていて,コンパートメントの中が暑くてこれも大変だった.地元の人たちもシンドそうな顔をするレベル.途中から,廊下に出て窓を開けて立って過ごしたほど.七時間以上もあると全線立ってるのもそれはそれで大変だしなあ.

旅行者としては,これにわざわざ乗るのは景色がきれいだからである.海抜数メートルの海沿いの町から一気に1000メートル越えの山(写真にも写っている)に向かうので,普通の列車の車窓ではちょっとお目にかかれない景色を眺めることができる.正直,こんなところに鉄道を通しているという事実だけでも感心せざるを得ない.なんつうか今はモンテネグロ国鉄の車両と整備能力が残念すぎるので一般的にはおすすめしがたい感じだけど,どっかから上等な技術を導入できたならかなり観光客を呼べるポテンシャルはあるはずだ.投資する人いませんかね.もともとモンテネグロの沿岸部は観光地なんだし.

どうでもいいが,ものすごい山奥にもときどき駅があるのが不思議だ.誰が何のために使うのだろう.最近は秘境駅を訪ねるという趣味が認知されてるらしいが,世界を視野に入れるとそうとうに大変なことになりそうだ.



2011-09-04(日)

バール

今回の旅の目標のひとつ「バール鉄道に乗る」を実現するため,始発駅のバールまでやってきた.どうでもいいが町の名前が"Bar"だというのは微妙にまぎらわしい.店の看板とか見ててもバーなのかそうでもないのか一瞬悩む.

来てみてわかったが,この町は別に観光地ではないようだ.モンテネグロの海沿いにはよくリゾート客向けの観光地があるのだが,そういうのはブドヴァとかヘルツェグノヴィとか別の町が担当しているらしい.ここにも海水浴場はあるのだが,すごくローカルでひなびた雰囲気だった.いちおう旧市街なんぞもあるのだが,地震などで崩壊して以来使ってなくて今は遺跡になっているので(しかも現在の市中心部から離れていて,歩いて行ったら30分以上かかった),そんなに観光客が来るほどではない.まあ,ひなびた地方都市の雰囲気は,それはそれでいい味という考えかたもあるか.

さて,観光客の少ない町では,宿を探すのが若干大変になる.バスステーションのインフォメーションで聞いてみても,やはり最初は「プライベートルームの紹介はやってないよ」などと言う.しかし鉄道駅の場所など聞いてると,そのうち「鉄道に乗るのか? じゃあこの近くの部屋を探してるんだな? 30ユーロならあるけど」とか,「15時になったら仕事が終わるから,そのときまた来い」などと言う.結局,予想したとおり,この係のおばさんの家の一部屋を貸してくれる,という話だった.絶対これ認可とかそういうの無いよな.まあもう面倒だからここに泊まったし,別に何の問題もなかったわけだが.

ところで,そもそもこの町はずいぶんと人の少ない町だなあと思っていたのだが,夜になったらわりと人が増えた.アラブ圏とか熱帯の国みたいに,地元民は暑い昼間にはあまり外出しないとかそういう感じなんだろうか.で,この町は観光客が少ないから,昼間は人が少なくなると.

2011-09-03(土)

コトル

さて永遠の都ローマも大観光地ドブロヴニクもスルーして,わざわざモンテネグロまでやってきたわけだが.

雑に言うと,要するにコトルという街はミニ・ドブロヴニクである.普通の観光客的には「ドブロヴニク観光のオプショナルツアー」のポジションだろう.強いてサイズ以外の違いを言えば,城壁の遺跡が立派なことと,街路があまり整然としていないことぐらいか.ドブロヴニクはわりと中央通りから両側にまっすぐ道が伸びてる印象があるよな.むろん観光客としてはちょっと複雑なぐらいのほうが面白いものだ.

もう一つのポイント,城壁遺跡に登ってみるのはコトル観光のハイライトである.背後の急斜面に作られた城壁の道がかなりそのまま残っていて,一番上まで登るとかなり高いところから旧市街を見下ろすことができる.というわけで登ってみたわけだが,予想以上にしんどかった.もともとかなり急斜面な上,足元も悪いし,遮るもののない日射しが思い切り照りつけるのだ.降りてきてみると着ていた服が塩を吹いていた.やむを得ず,泊まったところの洗濯機を借りたぐらいである.でもまあ,きれいな景色だしそれなりに値打ちはあると思うよ.やたら薄着のおねえちゃんとかも見れるし.

あと泊まった部屋の家主のばあさんが話し好きな人だったのか,えらく話しかけられて驚いた.プライベートルーム(ホテルじゃなくて,個人所有の部屋を借りて泊まるやつ.ちゃんとした制度になっており,中東欧には多い)には時々泊まっているが,家主と小一時間雑談したのなんか初めてだ.



2011-09-02(金)

easyjet

さて旅行の時期であるが,今回はヨーロッパ旅行なので,前から気になっていたヨーロッパ系の格安航空会社を使ってみた.中でも大手のeasyjetである.大手とか言っても,不便なターミナルとか不便な時間帯が多めというのは一緒.今回使ったローマ→ドブロヴニク便も,なんと朝8時発であった.空港に5時半には行っとけ的な強行スケジュールなので,やむなくフィウミチーノ空港のそばに一泊することに.なんか高いよ.朝はタクシー使わざるを得ないし.ていうかフィウミチーノ空港が不便なんだよな.

またこれも格安航空会社らしい点だが,ネットでの手続きがメインな感じだ.切符を買うのはもちろんチェックインして搭乗券をもらうのもネットでやっといたほうが便利.搭乗券はpdfなので,事前に印刷しておくわけである.pdfの紙の設定はUSレターサイズなのだが,A4に印刷しても別に問題はなかった.

どうでもいいがオンラインチェックインしてない人は当然空港のカウンターでチェックインすることになるわけだが,そういう人は普通の横長厚紙の搭乗券をもらうようだった.そういう人もそれなりにいたので,A4印刷の搭乗券で本当に大丈夫なのか乗るまで不安だったよ.搭乗ゲートに来るまで,誰も搭乗券をチェックしないし.

さてフライト自体は別にどうということもなかった.不便な時間なのでガラ空きだったことと降下時に耳への負担がキツかったことが気になったぐらいか.今回はむしろ降りてからが問題だ.今回の旅のスタートはコトル(モンテネグロ)なのだが,ドブロヴニク空港からコトルまでは,大した距離でもないのに直行のバスとかが無い.しかたがないので,一旦シャトルバスでドブロヴニク市街まで行って,そこからモンテネグロ行きの国際バスに乗ったわけである.



バルセロナは,とにかく有名建築物が多すぎて,おちおち路地を散歩してるヒマもない.観光するには大変な町である.地下鉄回数券が大活躍した.ここでもやたらに雨が降ってたしな.

ガウディとかピカソとかいう人達は,つまり先駆者だってところが偉いんだろうか.今では前衛彫刻みたいなノリで建物をデザインする奴も珍しくなくなったし,現代美術館の展示を見てるとピカソももっと長生きしたらこういう路線に行ったのかもなどと思う.

しかし西側の大都市に来たのはひさしぶりだ.俺の行った場所オサレ都市ランキングではウィーンと並んでトップであろう.さらに小粋なバーで発泡ワイン飲みながら軽く夕食なんかして,どんなオサレ野郎になったかと思うが,なにしろスペインでは20時ぐらいにならないとそもそもレストランは開かないんだからしかたがない.レストランだと服や財布の中身もけっこうちゃんとしてないといけないし,結局外で食べるとカフェかバー(同じようなものだが)になってしまうのだった.

先進国の大都市だけあってここの観光案内所はでかくて頼れるのだが,ホテルを紹介・予約してもらったら10%の手数料を取られたのでびっくりした.西欧ではこういうのが当然なんだろうか.確かにあんだけしっかりしてたら維持費もかかりそうだが.

どうでもいいがコルテイングレス(デパート)が多すぎる.そんなに何軒も何軒もなくてもいいだろう.というかほかにはデパートないのか.

バルセロナから二時間ほどで行ける修道院である.奇岩聳える断崖絶壁にへばりつくようにして建っていることで有名.

ここでは少年の聖歌隊が有名なのでせっかくだから聞いてみようと思った.ところで,今回の旅のテーマは「なるべくスペイン語で通す」だったのだが,この聖歌隊のスケジュールを観光案内所で聞くのは挫折し,つい英語で聞いてしまったのである.残念.スペイン語でどう聞くのか多少想像はつくのだが全然自信がない.実は違う意味になってたりしたら困るしなあ.

ここも有名観光地なので観光客いっぱいで,聖歌隊の時刻など満員電車のような混みぐあいになる.しかしそれはそれとして,普通にお祈りをしている人もちゃんといるようだ.イスタンブルなんかでも思ったが,最近,「観光客は見ないことにする」ということが上手な人が増えてきたように思う.なんともいたしかたなし.


月面都市じゃないし全方位シューティングゲームとも関係ありません.あしからず.

ここの名物といえばアルハンブラ宮殿なのだが,見物している間ずっと雨で大変だった.もともと雨の少ない土地で,アラブ文化的に贅を尽くした宮殿としてステキな庭園だの噴水だの水路だのがいろいろあるわけだが,雨が降ってちゃありがたみもよくわからんというものである.まあしかし超有名観光地だけあって,雨だろうがなんだろうが全然関係なく観光客でいっぱいだったけどな.

それはともかく,やはり旧市街アルバイシン地区はけっこうナイスな雰囲気だった.適当な喫茶店に入ってよくわからないケーキとか頼んだりして散歩を満喫した.なんか店のおっちゃんが中国語の書かれたペンとか見せてきて,俺は中国人じゃなくて日本人なんで,とか釈明するはめになったが.アラブ風味の残るアルバイシン地区と,西洋風の中心街とでギャップがあるのも観光客には面白いね.

有名観光地のわりに,ここはけっこうアクセスが不便である.なんかニュースではAVEの駅も作っているようなことを言っていたが,いつできるのかね.今回は,マドリッドからはバスで5時間,バルセロナまでは夜行列車で一晩かけて移動した.

どうでもいいが,ある日の昼にデパートのカフェテリアで昼食を食べようと思い,入って適当にハンバーガーの小さいのを頼んでみた.そしたらかなり豪華でナイフとフォークで食べざるを得ないようなハンバーガーが出てきて,「小さいの」じゃなければどんなのが出てくるんだと思ったことである.世界有数の小食民族である俺らは,だいたいどこに行っても食事量の調整で苦労するのだ.

2011-03-08(火)

トレド

トレドはスペインでも一二を争う大観光地だが,あえて言えば,けっこう地味だと思う.いや,いい所なんだけど.名物がマサパン(英語で言うマジパン.ここのはアーモンドが入ってるのが特徴)というのもまた地味だな.いや,これも俺はけっこう好きなんだけど.ちなみに写真のショーウィンドーには家の形に作った巨大マサパンが写っている.わかりにくいけど.

まあ街並みマニア的には押さえておくべき町であることは間違いない.細くて入りくんだ路地が多く,散歩するだけで十分観光名所たりうるレベルである.クエンカと比べるとさすがにだいぶ規模が大きい.さらにこっちは旧市街の中にもわりと高低差があり,立体的な感じか.

マドリッドから簡単に日帰りできるので,夕方以降はわりと観光客が減る.商店街の小さなバルに入って,適当にトマト煮とか頼んで夕食にすると地元民ごっこが楽しめてよいと思う.味もなかなか悪くなかった.そんなに高くない宿もあるようなので(俺が泊まったホテルは25ユーロだった),時間があるなら一泊してみるのはわりとおすすめ.

あと人気なだけにマドリッドからの日帰りに使える列車はけっこう混むようだ.マドリッドの駅に昼過ぎについてみると,「今日のトレド行きは15時まで売り切れ」みたいなことが書いてあって,今回はあきらめて行きだけバスで行った.余裕があるなら事前に切符を確保しておくといいのかもしれない.


何かのアニメの元ネタとかいう話だが残念ながら見たことない.

クエンカはテーブル状の強烈な断崖の上に旧市街がまとまってるというのがウリなのだが,ということは,クエンカのかっこよさというのはもしかすると外側から見ないとピンとこないのかもしれない.内部の路地からだと全体の構造は全然わかんないもんな.ちなみに,方角的に言って午後は見晴しポイント→旧市街方向が逆光になりやすいので,可能ならば一泊するか,あるいはマドリッドを早朝に出るかするといい感じの写真が撮れる.

名物の,対岸から旧市街に渡る橋にも行ってみたのだが,これはかなりものすごい.高所恐怖症の人なら渡れない.というか俺もけっこう怖かった.特に,朝のうちに行ってみると人が誰もいなくて,にぎやかなときより怖さ倍増だ.

ところで,ここはマドリッドからわりと気軽に来ることもできるのだが,AVE(新幹線的な列車)を使う場合は注意.AVEの駅だけ別の駅になっており,市のはずれに行く必要がある.新大阪駅なんかと違って在来線では一切この駅に行くことはできず,市中心部の旧駅との間は連絡バスに乗るのだ(むしろ新神戸駅に近いな).俺はこれを知らず,しかも帰りだけAVEを使おうとしていて,時間的にギリギリの行動になって大変だった.

あとここは地方都市なので,日曜日はほとんどの店がやっていない.食事にも事欠くので注意.結局宿のレストランで夕食を食べた.

2010-09-16(木)

無題

トルコ料理は世界三大料理の一つだとかいう話もあるが,確かにトルコの食事はなかなかよかった.メニューが多彩で,しかも簡単なシステムの食堂なんかが多いため旅行者も手軽にあれこれ試せる.ブルガリアはこのへんもうひとつで,手軽に食べられるところというとピザ屋かケバブ屋がほとんどになっちゃう感じ.もちろんまともなレストランに行けばまともな西洋料理が食べられないこともないが.

ブルガリアでは伝統的冷製スープのタラトルというのを食べてみた.これが「キュウリを入れたヨーグルト」という感じの食べもので(まあさすがに多少味付けはしてあるが),スープと呼ぶのかちょっと悩んだ.もうひとつ試したカヴァルマという煮込み料理はなかなかよかったけど.

トルコで食べたものはいろいろうまいものがあったが,食堂で指差して注文したのも多かったので名前がよくわからない.豆関係の料理がけっこうよかった気がするね.スープとか肉と一緒に煮こんだやつとか.Yはサルマだかサルマスだかいう料理が気にいっていたようだった.肉とかをブドウの葉なんかで巻いた,ちっちゃいロールキャベツみたいな見ための料理.味は全然違ってて,ちょっと梅干しとかを彷彿とさせる味だった.

あとトルコはパンがおいしいとかよく言われるようだが,あれはトルコのパンが日本人の好きなモチモチ系の食感だからじゃないだろうか.

トルコ航空でソフィアまで行くと,イスタンブルで12時間の乗り継ぎ待ちになるというナイスなスケジュールになる.普通なら正直やってられないところだが,なんと乗り継ぎが11時間を越える場合は休憩のためにホテルを使わせてくれるサービスがあるのだ.しかも無料で.

イスタンブル市内のホテルを使うので,当然,一回トルコに入国する必要がある.まず入国審査を通って,外側にあるホテルカウンターに頼むとホテルまで送ってくれるのだ.これがちょっと変な感じだが,別にちゃんとしたホテルだし,ホテルに缶詰ってわけでもなく出歩くこともできるし,後から料金を要求したりもしない.帰りは,それぞれの旅客の飛行機の時間に合わせて迎えに来てくれる.なかなかナイスなサービスだ.

しかしまあ,12時間もあれば余裕でバス使ってソフィアまで行けるけどね.関係ないがソフィアの空港はヘッポコすぎる.入国後に両替所が一つも存在しなかったところは初めてだ.中心部へ行くバスチケットを買うところもないし,今まで使った国際空港で最低ランクと言っていい.仮にもブルガリアの空の玄関だろうに.

そうそう,トルコ航空は機内食が微妙にマシな気がした.気のせいかな.

1500年以上の歴史を誇る大都市だけに,見どころいっぱい観光客もいっぱいだ.今回の旅行中,団体客を頻繁に見たのはここだけ.超有名どころの名所だけ見るならヨーロッパ側旧市街だけ行けばいいんだけど,いろんな街並を見ようとすると広くて大変だ.一日半ではちょっと足りなかったな.メジャーどころ観光名所では,地下宮殿とかいうローマ時代の地下貯水池がちょっと面白かった.

金角湾とボスポラス海峡で町が三つに分断されてて,多少橋がある他はフェリーに頼るしかないというのは,まあ旅行者としては面白いが住んでるとすげえ不便だろうなあと思う.住んでる人もそんなに頻繁に行き来しないんだろうか? 坂のすごく多い町だという点も同じで,景色としては立体的になって大変雰囲気がいいのだが,歩いてれば当然大変である.デフテルダル通りとかいう新市街の道など,あまりにありえないレベルの急勾配で逆に関心してしまった.なぜ階段にせず道にしてあるのか疑問に思うほど.

大都市らしくトラムとか地下鉄とかがそれなりに整備されてるのだが,微妙に乗りつぎが多くてめんどくさい気もする.あと帰りに空港に向かうとき,宿まで荷物を取りに戻ったときのトラムはガラ空きだったので「なーんだ,やっぱり夜は空くんだな」と思っていたら,次に空港に向かうときはぎっしりすし詰めでえらい苦労した.なんだったんだアレ.同じ路線の同じ方面,20分かそこらしか違わないはずだが.

2010-09-13(月)

ブルサ

キュタフヤからイスタンブルまでは,普通にバスで行くと6〜7時間ほどかかる.旅行も終盤で疲れてきてたので,中間ぐらいで一泊して休むことにした.

というわけでここではほぼ飯を食って寝ただけ.しかしせっかく来たので,名物料理を試してみた.トルコではケバブにもいろいろあるが,「イスケンデル・ケバブ」というスタイルはブルサが発祥で,その元祖のお店がちゃんと今も有名店として営業中なのである.

細切れのパンにいわゆるドネルケバブの肉を乗せ,トマトソース的なもので味付けし,ヨーグルトを添えた料理.食べる直前に溶かしたバターをかける.ちょっとくどそうだが,ヨーグルトが合ってなかなかおいしい.まあ,「名物料理を食べる」というイベント性が大事なのかもしれないが.メニューがなくてこの料理を出すだけ,というのもそれらしくて面白い.

さらにここでは巨大なシルクバザールがあったり,マロングラッセの老舗も名物だったりして,ちょっとした滞在のわりにはいろいろあった感じ.マロングラッセは確かに上品な味でおいしかった.

陶器で有名な町.ホテルや町の噴水,バスターミナルまでタイルで装飾されてたりする.Yは陶器が好きなのでお店をのぞいたりもしたのだが,事前に情報を集めて狙っていたお店はどうもやっていないようだった.張り紙がトルコ語なので臨時休業なのか何なのかよくわからないが,入れないのには変わりない.残念.まあ,それでも別の店で何か小物を買ったりしていた.

というか陶器を買うにしても,あんまり豪勢なものだと俺らの質素な家では使いにくいな.家族も二人だし友達もあまりいないので,セットものも無意味だし.店の人的にはやっぱり簡素なものは客寄せで,凝ったものを売ってナンボみたいな感じだったが.

ところでこの町自体はそれほど観光名所ではないが(近所にちょっと足を延ばせば,遺跡とか温泉とかもあるそうだけど),旅行者にとってなかなか居心地のいい町である.必要な施設は全部徒歩圏内にあるし,それでいて小さすぎて物資や施設が不足しているということもない.旧市街も,古い町の雰囲気が残っていてよい感じだ.というわけで,のんびり散歩でもしたいところだったのだが,どういうわけかここに滞在中は俺が出歩いてる時間帯だけ狙ったように雨が降って大変だった.出発間際になって晴れてくるし.

あとこの町を出るとき,イスタンブルまではけっこう時間がかかるのでゆっくり休める寝台列車に乗ろうと思ったら,例によって満席.どうもいろいろアテが外れたのであった.

18〜19世紀の街並がそのまま残っていることがウリの地方都市.都市というほどの規模ではないか.ブルガリアの古い建物を見たあとなので,互いに影響があることもなんとなく想像できておもしろい.泊まるところも,古い民家を改装したものが多くて雰囲気がある.ちなみに,民家をレストアして公開してる博物館はそれなりに見ごたえがあるが,西の丘の上にある歴史博物館は正直イマイチである.

滞在したのが前述したとおりラマダン明けのお祭り期間だったため,トルコ人観光客と思われる人々でにぎわっていた.たぶん普段とは様子が違っていたと思われる.おみやげコーナーで売ってるもののチープな感じもあって,なんとなく昔の日本の観光地を思い出させる,懐かしい雰囲気であった.夜になったらわたあめの屋台なんかも出てきてたし.ていうか,今の若い人はもうああいう雰囲気は知らないのか,もしかすると.

予想通り,宿探しや帰りのバスの確保にはちょっと苦労した.インフォメーションで宿を斡旋してくれたりはしなかったので(普段もそうなのかは不明)直接歩いて探すことになったのだが,空いてる部屋がみつかるまでに五軒ぐらい断られた.バスもちょうどUターンラッシュにぶつかるので,やっぱり満席ばかり.一社だけ6時45分発というのが残っていて,なんとかその切符を買うことができた.ここで泊まったホテルの朝食はわりとおいしかったので,最終日に食べられなかったのは残念である.

そういえば,このバス会社の人は最初日付を一日間違えて切符を発行していて,あとで気付いてあわてて修正してもらいに行くはめになった.ここ以外でもときどき思ったのだが,トルコの人は英語が完全に通じてない場合があるようだ.でも通じてるみたいに処理はしてくれちゃったりするのでトラブルが起きることもある.日付や時間はわりとしっかり確認したほうがよさそうだった.

トルコでの国内旅行は主にバスで行われるため,イスタンブルの主バスターミナル(「エセンレル・オトガル」と呼ぶ)はとてつもなく大きい.写真に写っているのは全体の四分の一以下である.小さい看板がごちゃごちゃあるのは全部バス会社で,150以上ある.この建物の裏側に,それぞれの会社のバスがぎっしり待機しているのだ.オトガル内にはお店や飲食店もたくさんあるし,地下鉄や市バスも直結している.大阪駅あたりと同じぐらいかそれ以上の規模の施設だ.

で,(写真にもちょっと写っているが)ホテルも二軒入っており,このうち片方を利用してみたのだが,なかなか悪くなかった.部屋もきれいで設備はひととおり揃っているし,バスターミナルだけあってフロントは24時間開いている.俺は予約しないで行ってみたが,特に問題なく泊まれた.おねだんは60TL(当時1TL=55円ぐらいか).旅程によっては活用する価値ありだと思う.

さて,ここで翌日の移動のためバスの切符を買おうとして,ちょっと苦労した.出発前まで全然気付いていなかったのだが,ラマダンが今年は9月9日までなのだ.ラマダン明けはお祝い期間になり,トルコでは日本の年末年始のように帰省ラッシュになるらしく,バスが大変混雑する.いくつかカウンターをまわったところ,大手のバス会社は全部満席で,ちょっと小さめの会社の切符をなんとか買うことができた.

プロヴディフからイスタンブルまでは結構多くの会社が国際バスを出しているのだが,だいたいが夜行である.俺はもう若くないので夜行バスはなるべく避けたいところ.一日複数回走らせてるのはMETRO社ぐらいのようだったが,乗ってみて納得した.そもそも数人しか乗客が来てなくてガラガラなのである.いや,この朝9時15分発の便が最近始めたものだから,あまりまだ知られてなかったんだろうか?

さて,プロヴディフから3時間ぐらい走るとカピタン・アンドレエヴォなる国境地点に到着する.まあ,手順自体は普通で,乗客が降りて,パスポートを審査したあとバスに再度合流,通関チェックをしておしまい.なにしろ人数が少なかったため(さらに国境自体,混雑してなかった),時間がかかるほうなのかは不明.あんまり厳しい感じではなかったけど.今回は全体で一時間かそこらで通過できた.

ここの国境で一番びっくりしたのは,陸路国境にもかかわらず巨大な免税店・飲食コーナーがあったことである.ただ,二階の銀行がやってなかったので(というか二階に行けなかった),トルコリラが無くて買いものできなかったわけだが.もしかしたら,言ったらユーロとかも受けとってくれたのだろうか? 値段は全部トルコリラで書いてあったけど.

トルコに入ると,明らかにハイウェイがグレードアップしてるのが,まあ何かアレだ.

この町はかなり歴史が古く,ところどころに突然遺跡とか古い建物とかが出てきたりするし,旧市街中心部はけっこう複雑な構造をしていて面白い.ただアップダウンが激しいので,調子にのってうろうろしていたらかなり体力を使って大変だった.石畳は足に優しくないしな.旧市街には19世紀ぐらいの邸宅をレストアして公開してる所なんかもあって,建物とかには興味があるのでこれもなかなか.あんまり人いなくてゆっくり見れるし.あと,旧市街を見下ろすには西側にあるサハト・テペの丘からが一番眺めがよかったと思う.

そういや,ここでも宿を紹介してもらうのにちょっと手間取った.最初に到着した日は,「今日はプロヴディフの祝日だからツーリストインフォメーションはお休みだよ!」とか貼り紙が.なんたる間の悪さ.次の日,今度は格安プライベートルームを紹介してもらえたのだが,行ってみて呼び鈴を鳴らしても誰も出ない.ノックしようが声で呼ぼうが全然入れてもらえないので,例によってインフォメーションまで戻って連絡してもらうはめになった.今度は家主のおっさんが出てきて無事部屋を借りることができたのだが,どうもこのおっさん,単に寝ていただけらしい.やれやれ.

ちなみに初日の「祝日」とやらは,オスマントルコから独立した際に取り残された領土が再統合された記念日だったらしい.中央広場ではいろいろイベントやってるし,別の広場では国旗が広げられたり祝砲をばんばん撃ったりしていた.どうでもいいが,コンサートイベントをやってる途中,広場のすみっこで何かを紙に巻いて吸ってる奴がいたんだが,妙な行動を始める前にどっか行ってくれてほっとした.

それからここはブルガリア第2の都市で大きな町なので,それなりに商店とかは存在して滞在するにも便利である.ネット屋も多少あるし,スーパーも三軒ほどみつけた.一番わかりやすいのは鉄道駅の東にある奴だろうか.

今年も夏の旅行の時期である.今回は,ブルガリアからトルコに向かう予定にしてみた.

最初に見に行ったのはヴェリコ・タルノヴォであるが,途中イスタンブルで乗りついだりソフィアで一泊したりしているので,家を出てから結局丸二日ぐらいかかっている.まあそれはともかく,ここはブルガリアでも比較的観光地と言っていいところで,観光ポイントもあるし,狭い峡谷の斜面に作られた街並自体がかっこいい.日本では「琴欧州の出身地」ぐらいにしか知られてないが.

ツーリストインフォメーションで宿を紹介してもらったら,ホテルの扉の入口に「扉は閉めてあるから,入りたい人は以下の携帯に電話してね!」とか書いてあって参った.最近は旅行者も携帯持ってきてるほうが普通か.結局,インフォメーションまで戻って電話してもらうはめに.さらに,ホテルの人が来て曰くそこは今満室だとかいう話で,さらに別の建物を紹介された.でもこっちは全然ホテルではなくすごく普通の家で,こういうのはプライベートルームと言うんじゃないかと思った.まあ,ベランダからの眺めはよかったしバスルームも独占できたので快適だったけど.

あと近所にあるアルバナシという村も合わせて見物に行ってみたところ,こちらも大変シブい街並でよかった.タクシー10分かそこらで行けるし,ここまで来たんなら行ってみる価値はあると思う.でも,散歩するとすごくいいと思うのに,来てる観光客がみんなカフェでだらだらしてるようなのがちょっと不思議だった.

ひとつ困ったのは,旧市街中心部で買いものがちょっとしづらいこと(食料や日用品的な意味で).スーパーの類は郊外にしかないっぽいし(少なくとも俺は見つけられなかった),たまにある小さな店は商品の種類がもうひとつ頼りなく,しかもどの店も売ってるものが似ていた.パンとかヨーグルトとか,どこ行っても同じやつ一種類だったしなあ.


今回はカタール航空を使ってドーハ経由で行ってみた.9時間→乗りつぎ→7時間などというわりとしんどいスケジュールだ.まあ日本からトップクラスで遠い地域なのでしかたがない.カサブランカ行きは乗りつぎ時間が最小限(1時間.店を眺めるひまもない)なので一見効率よさそうだが,ドーハ→カサブランカの途中でトリポリに止まるので,そうでもないかも.

関空→ドーハ線の機体はちょっと古いのか,機内モニターのコントローラーが使いにくい代物だったのがちょっといただけなかった.ひじかけから取りはずせなくて物理的に操作しにくい上,インターフェースが非常に直感的でない.ドーハ→カサブランカの機体はよくあるスーパーファミコンもどきコントローラーだったのにな.

そういえば今回もまた機内モニターシステムの不調で再起動していたが,フィンエアーと同じく組みこみlinuxのようだった.起動コンソールからXが起動する様までまる見えである.あの手のはlinuxを使うことが多いのだろうか?

あとどこかでカタール航空は機内食がマズいとか書いてあった気がするが,べつにそんなこともないと思った.というか最近思うが,国際線のエコノミーのサービスなんかどの会社でも五十歩百歩なのではないだろうか.あ,でも,カサブランカ→ドーハ便で出てきた,カップ山盛りのオリーブはちょっとつらかったな.確かにモロッコではよくそういうの見たけど.