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ブハラ→サマルカンドと,サマルカンド→タシケントの移動は特急列車を使った.前回もサマルカンド→タシケント間は鉄道を使ったが,そのときはまだそんな最新型の列車は走っていなかったはず.なんか3〜4時間ぐらいはかかった覚えがあるけど,今回は同じ距離で2時間ぐらいだった.座席も快適である.
サマルカンド→タシケント間は,エコノミー席が売り切れだとかでビジネスクラス席になった.何が違うかというと,一列四席ではなく三席になっててちょっと広いことと,乗車するとちょっとしたお茶とお菓子のサービスがあることである.はっきり言えば,たいして違わない.まあ値段もそんなに違わないけど.
昔は,そもそも切符を買うのが大変だったような覚えがある.まずサマルカンド駅の係員には英語が全然通じなかった.さらに,なんか窓口がよくわからない理由で閉まったりしていて,窓口が開くまで待つ必要があった.そして開いた瞬間に「今だ!」と窓口におしかけて係員と謎のやり取りをしたあげく,やっと購入できるような感じだったはず.今では,ちゃんとした常設の切符売場ができていて,係員も外国人に慣れてるし,普通に並んで買うだけで何も問題は起きなかった.
そういえばブハラでは市内の鉄道切符売り場(わざわざ駅まで行かなくても切符が買えるオフィス)が移転してて,行くのがわりと面倒になってた.中心部から歩いて行けないことはない(実際俺らは歩いた)が,バスとか使ってもいいかもしれない距離だ.しかし,バスだのタクシーだの使うなら,駅に行っても大差ない気もするな.そしてもうひとつ問題なのは,新切符売り場の看板がすげえそっけなかったことである.危うく見落とすところだった.まあ移転したばかりだから仕方ないんだろうけど.

11年前に来たとき,なんとか言うモスクを見物していたら,爺さんが何やら詠唱をはじめて,通りがかった人が聞いているので横で聞いてみたことがある.聞いてる人はときおり何かのジェスチャーをしたり声を出したりしていて,何をやるのかはみんな完全に暗記してる雰囲気だった.
そして今回,修復されたシャーヒ・ズィンダ廟群の奥のモスクで全く同じ場面に遭遇した.というか,あとで昔の日記を読み返して,「前に全く同じことがあった」ということがわかったのだ.全然覚えてなかったけど.
昔の日記と比較してみるといろいろわかって面白い.UZSは4〜5分の1の価値に落ちてるけど,USDで表してみると物価はそこまで大きくは変わってなかったりとか,11年前だとまだ「日本語の使えるネットカフェが休みだったうわーん」みたいなことを言ってたのに,今は普通にSIMカードを買ってふだんの端末でそのままメールしてたりとか.
11年前には全然関係なかった話をすると,ウズベキスタンについては「外国人と見るとすぐ現地の人が『一緒にセルフィー撮って』って言ってくる」みたいなことがあちこちのブログとかtwitterとかで書かれている.でも俺らは全然そんなこと言われてなくて,さすが陰キャ二人組はオーラからして違うなと思っていたのだが,サマルカンドのティムール廟のあたりで急に何度もそういう人につかまった.どうやら修学旅行とか団体旅行とかそのへんの人達のようで,つまり,ひとは集団になってるとテンション上がりやすいというやつだろう.
今回,ヒヴァとかブハラとかサマルカンドとか,メジャーな観光地では,国内から来てるっぽい団体客をわりと見かけた気がする.前回はそんな記憶がないので,これはつまりウズベキスタンの経済成長あるいは規制緩和なんだろうか.

11年前に来たとき,「なんという物売りのウザい町だ」と思ったものだが,今回は全然そんなことなかった.前回はオフシーズンの春先で,観光客が少なかったから必死さが違ったんだろうか.あるいは「みやげ物売りがあまりにしつこいと観光客は減少する」ということを業者や政府が理解したんなら,なかなか結構なことだ.もう一歩,「どこの店でも似たような物ばっかり売ってるとかなり萎える」という点についても改善していけばもっといいと思う.
みやげ物売りを見るたびにいつも思うんだけど,工芸品とかの類で「ハンドメイドである」ということはそんなに重要なのだろうか.高級な一点モノを買うんじゃあるまいし,たくさん作られてる柄の皿だの鞄だのが,ハンドメイドだろうがマシンメイドだろうが別にどうでもいいと思う.「ハンドメイドである」ということがウリになるには,そもそもオリジナリティが必要なんじゃないのか.
というか中央アジア全般に,おみやげに買うものってあんまりアレだよな.さらに,今回おもにYが買っていたおみやげはドライフルーツとかナッツの類がほとんどだったので,そもそも工芸品はあんまり関係ないのだった.
ところで,ブハラにはなんだかホテルがやたらに増えてると思った.これはもう供給過多と言ってもいいんじゃないだろうか.今回泊まったホテルが,値段のわりには妙に広くてきれいな部屋だったのも,そのことと無関係ではないような気がする.そもそも,予約サイトとかで部屋の相場を見た時点で,たとえばサマルカンドとかより安い感じがしたのだ.

ヒヴァからどうやって帰るかというのは,実は何も予定していなかった.日本で調べていても,鉄道ダイヤがどうなっているかどうも判然としないし,長距離タクシーがどれくらい簡単に頼めるのか,いくらぐらいかかるのかもどうもよくわからない.しょうがないので現地で聞いてから考えようということで,何も考えずに来た.
さてツーリストインフォメーションで聞いたところ,鉄道だと夜行になるらしい.しかも,そいつはブハラを経由してサマルカンド→タシケントに行くので,ブハラまで鉄道で行くことも可能なんだそうだ.しかし日程が,「ウルゲンチを夕方に出発→ブハラに23時過ぎ→サマルカンドに3時ごろ」という感じらしく,なんか大変そうである.
一方,宿で聞いてみたところ,長距離タクシーはわりと簡単に頼めそうだ.値段も45USDということでリーズナブルなので,ブハラまではタクシーを頼むことにした.「タクシー」というのは大抵普通の個人所有の車なので,来てみないとどんな車なのかも定かではないわけだが,今回は問題なかった.ちゃんと新しめの車で,ブハラ到着まで車両トラブルもなかったので当たりである.運転手も真面目に仕事してくれる人だったし.
問題はむしろ道路であった.ヒヴァからウルゲンチを出て,しばらくの間はそこそこちゃんとした舗装道路なのだ.しかしブハラまであと100kmぐらいのあたりから様子がおかしくなる.舗装はガタガタだし道幅も妙にせまく,センターラインさえないような道になるのだ.途中,鉄道の跨線橋のあたりで最高潮に達し,全く舗装してない単なる砂利道になる.あまりに砂ぼこりがひどいので,ドライバーも窓を閉めてエアコンをつけたほどだ.
むしろ「田舎のほうは道がイマイチ」というなら理解できるが,なぜブハラ周辺だけ道がへぼいのか.実に理解に苦しむ.
寒かった.
イヤほんとに.9月にウズベキスタンに行くので,かなり暑いことを覚悟して行ったのだが,ウルゲンチ空港に降りたった瞬間に長袖を持って来なかったことを後悔した.ホテルでも追加の毛布を頼みにいったくらいである.二日目は多少マシだったが,そもそもここ以外の町では別に寒いとか一度も思わなかったので,西の砂漠地帯は気候が違うのかもしれない.
ここの旧市街は,観光客としては完全にテーマパーク型の町である.ただ,テーマパーク型の古都の中でもここは貴重な部類であり,中央〜西アジアタイプの城壁都市がほぼそのまま残っているのはここだけだそうだ.「城壁に囲まれた古い都市が全体として残っている」ことが貴重なので,個別の建物がどうこう言うより,てきとうに散歩したり上から眺めたりして,町並み全体を楽しむのがいいと思う.ゲーム脳的に想像するところの「砂漠の町」そのままだ.城壁内部でも,メインストリートをはずれると住宅街になっているので,散歩ルートにはぜひそっちも入れるべきだろう.
というかね,たぶん観光客はみんな思ってるだろうけど,個別のマドラサだのモスクだの霊廟だのは,だんだんみんな一緒に見えてくるからね.そういう見かたをするなら,ブハラとかサマルカンドに加えてわざわざここまで来る必要はないかもしれないよね.けっこう来るの大変だし.
どうでもいいが,住宅街を散歩していたら,片腕に子猫を乗せたまま普通に道を歩いてる男がいて超びっくりした.
なお,西門で売ってる共通入場券は,時間がない場合は買わなくてもいいかもしれない.これはつまり「いくつか建物の中に入ることができる」というものなのであるが,その大半はたいしたものがあるわけでもない.それなりに見どころがある建物も2〜3あるのが悩むところではあるが.一人10万UZSとか取るしなあ.

タシケントからヒヴァに行くにあたって,ウルゲンチまで飛行機を使った.11年前にタシケントからブハラまで国内線に乗ったときは,旧ソ連のヤコブレフ40で,座席指定が機能してなかったりしたもんだが,今はさすがにそんなことはない.ふつうにエアバスだったし,機内サービスもまともだった.飲み物だって出たし.
そういえば,タシケント空港の国内線ターミナルの場所も昔と違う気がする.昔は,確か歩いて移動した覚えがあるので,国際線ターミナルの横の建物だったはずだ.今はその位置に国際線到着ターミナルビルが新築されていて,国内線は空港の反対側に移転している.そして問題なのは,移動がけっこう大変なのにシャトルバスの類が存在しないということだ.思うんだけど,ウズベキスタンはタクシーが安すぎるから,市内の公共交通をちゃんと整備する動機が薄いのではなかろうか.

タシケント国際空港は,他ではあまり見たことない「搭乗客とスタッフ以外はターミナルビルに一切入れない」というシステムをとっている.確かに保安上はこうしたほうが楽だろうが,出迎えの人は建物の外で待つしかないので大変面倒である.というか,ウズベキスタンでは空港や鉄道駅すべてがこのスタイルなのだ.11年ほど前に来たときは,少なくとも鉄道駅はそんなんじゃなかった気がするがなあ.いずれにせよ,ここでYと合流するため空港に迎えに行くとき,今までと比べると多少厄介だった.
タシケントの町は,11年前と比べると,スーパーとか国際的チェーンの店もたくさんあるし,きれいに整備された通りも増えた.小綺麗な店に入って気のきいたドリンクで休憩,なんてのもわりと簡単にできる.でも,ちょっと横道に入るとまだ舗装の怪しいような道がたくさんあるし,いわゆる旧市街エリアもそのまま残っていた.旧市街エリアは今まさに再開発が進んでいるとかいう話も聞くけど.
シムケントの「旧市街」とかで,ガスの配管なんかが何のガードもなく空中を走ってる物騒な光景をよく見かけたけど,あれは要するに古い市街では抜本的なインフラ整備が難しいだけなんだろうと思う.そしてタシケントでは,旧市街どころか比較的高級住宅街的な場所でもあれを見るのだ.まだまだ先は長そうである.
あと昔は気付かなかったけど,タシケントにあるソ連風の集合住宅って,壁に独特の絵というか図柄が描いてあることが多いと思う.これはタシケントの特徴なんだろうか,それとも,タシケントではわりとすぐ行けるような場所にもあの手の建物がたくさん建ってるからそう感じるんだろうか.ペテルブルクとか他の旧ソ連の大都市では,郊外まで行ったことがないからよくわからん.なんかこう,「これはアステカ遺跡で新しく発見された壁画です」とか言われても一瞬信じそうな味があったりしておもしろい.
ここは旅行ブログなので(そうか?)旅行情報もちょっと書いておこう.2018年9月現在の情報なので,あとから検索で見つけた人は注意してね.
シムケントとタシケントの間の国境は観光客でも越えられるので,ここを越えた体験談はたくさん見つけることができる.ただし現在のところ,そのほとんどがミニバスとかタクシーとかを乗りついで行くパターンだ.しかし,実はシムケント←→タシケント間直行バスという楽な手段も存在している.しかも値段は1500KZT(450円弱)であり,そんなに高くもない.なぜこの情報があまりない(ガイドブックにさえ書いてない)かというと,2017年の12月にはじまったばかりだからだ.

シムケントでは,南側Darkhan地区にある旧バスターミナルから発着する.上の写真のような建物で,場所はこのへんだ(googleマップではもうちょっと東に「アフトヴァグザール」という表示が出るが,こんなに奥ではないと思う).俺は市バス27番で近くまで行ったけど,そのへんはホテルの人とかに聞いたほうがいい.がんばれば中心部から歩いて行けなくはないかな.
タシケントでは,地下鉄Olmazar駅近くのバスターミナルから発着する.現在このバスターミナルは建物を全面改修中なので一瞬休業中かと思うが,ちゃんとその裏でやってるのでご安心だ.
シムケントのバスターミナルには両替所があり,タシケントのほうではそのへんの売店にいる人が両替を持ちかけてきたりする.さらに,国境付近でも両替商が乗りこんで来たりもする.いずれにせよどこかでKZTとUZSは両替できるだろう.
そういえば,タシケント側のバスターミナルでは,ほかにアルマティ行きとかビシュケク行きとかの切符売り場も見かけた.「タシケントに直接国際バスを乗り入れては駄目」という規制は撤廃されたということなんだろうか.
あと最近噂の「ウズベキスタン入国のとき書かされるめんどくさい税関申告書は,陸路空路を問わず撤廃された」というのは事実のようだ.俺のときもそんなのは一切出てこなかったし,それで後日出国するときも何も問題なかった.
というわけで,シムケントの町中には観光客などほとんどいない.ツーリストインフォメーションにさえ誰もいなくてびっくりした.いや,客がいないだけじゃなく担当者さえいなかったのだ.しかも,二回のぞいてみて二回とも誰もいなかった.バスの情報とか聞こうと思ったのに.まあ確かにここに座っててもほとんど仕事ないだろうけどさあ.
でも,この町は雰囲気がおだやかで,比較的住みやすそうだ.いくつか現代的なショッピングモールなどあって,わりと地元の人達が集まっていてにぎやかだった.中心街のちょっとしたカフェだとかもそれなりにあり,のんびり過ごすにはいいと思う.
カザフスタン滞在最後の晩はちょっとオサレに食事しようと,大きなモールのレストランに入ってみた.しかしここでビールおつまみセットを頼んでみたところ,どうにも塩辛いやつばかりで大変だった.なんか見た目はそれっぽいんだけどなあ.まあ本来はビールを何杯も注文するという前提なのかもしれないが,国境を越える直前ってどのくらいお金使うか悩むよね.カード払いにするには中途半端に現金が残ってたし.
その後,ネットでも見ようとWiFi接続を求めて適当に喫茶店に入り,何の気なしにアイスを頼んだら,なんかむにょーんと伸びるやつで思ったよりうまかった.こっちは得した気分.どうも喫茶店というかトルコ料理店だったようだ.飲み物は緑茶ではなくて,あのいわゆるトルコ式チャイを頼むべきだったか.
ところで町並みマニア的には,ロシア勢力が来る前の古い町並みがちょっとだけ残ってるエリアをチェックするとよいと思う.この地域の他の町の旧市街と同様,土壁の小さい家が細くて曲がった通りに並んでいて,散歩すると雰囲気が違ってなかなかよい.具体的に言うと独立記念公園の北西あたりである.

シムケントはまあまあでかい町だが,観光名所があるわけではない.ここに観光で来る人というのは,おそらく周辺の遺跡だとかを見にきているのである.周辺の見所はいくつかあって,その中でも一番有名だと思われるのがトルキスタンにあるヤサウィという人の霊廟だ.
イスラム式の巨大な霊廟なんだが,まあその,単にこういう雰囲気のものが見たいだけ,というならウズベキスタンに行ったほうがいいと思う.宗教上の目的というか巡礼先として来るんなら意味があると思うけど.じっさい,建物の奥のほうにヤサウィの墓本体が見える場所があるんだけど,そこでお祈りしてるひとはけっこういた.
あーでもアレだ,同じエリアにある半地下のモスクはちょっと変わってておもしろいと思った.あと,霊廟のうしろ側にすごい荒地が広がってるのは何なんだろう.発掘調査中なのか?
ところでトルキスタンはシムケントとは別の町であり,160km離れている.つまり大阪−名古屋間に近いぐらい離れており,日帰りってどうなのという気がしなくもない(ホテルの人にトルキスタンにどう行くのか聞いたら,一瞬「えっ」って顔をされた).でも道はまっすぐで車はかなり飛ばすため,実際は片道2時間ぐらいで行けるのである.
シムケントとトルキスタンのバスターミナルに行って「バス」に乗るわけだが,そのバスと称するのは実際にはちょっと大きめの乗用車に過ぎない(大型バンですらない).これはシェアタクシーと言うんじゃないかとも思うが,バスターミナル間を行き来するだけなのでやっぱり「バス」なのかな.
あとシムケントのバスターミナルは郊外にあるし,しかも複数あるのでわりと面倒だ.普通「サマール」というバスターミナルからトルキスタンに行くのだが,帰ってきたら全然別の「ベクジャン」というバスターミナルに下ろされた.てきとうに中心部に行くらしい市バスに乗ってみたら,見覚えのあるエリアに戻ることができてやっと一安心である.

ここは俺のブログなのでちょっと自慢をすると,俺はほんの少しだけロシア語ができる.そこで,探してるホテルの場所をそのへんの人に聞いてちゃんと情報を得たり,英語のほぼできない駅係員となんとか意思疎通して次の日の切符を買ったりしたのが,タラズ滞在のハイライトである.英語が通じにくいのは旧ソ連地方都市の醍醐味だ.
というかタラズは一泊しただけであり,そもそもどんな町なのかさっぱり不明なのだ.なにしろタラズの鉄道駅は町の中心部からだいぶ離れているし,滞在したのは17時〜翌朝9時ぐらいまでだし.めんどくさかったので,駅周辺を散歩しただけである.ウィキペディアで見たところによると,世界史の「タラス河畔の戦い」がこの近辺だったらしい.へー.
散歩のあと駅前のスーパーでビールとかサモサとか買って,ホテルでゲームしながらビール飲んだりしていたらわりと楽しい気分になったので,我ながら全く適当なことだなと思った.
俺の旅行はバックパッカー寄りなので,特に一人のときは,「別にたいしたことしてない日」の出現率が上がる.最近はわりと適当なホテルでもHDMI端子を備えたテレビがほとんどなので,raspberry piは外こもりのお供にいいよ.軽いし.

アルマティからどこをどう通ってタシケント(ウズベキスタン)に行くかは,実は決めてなかった.
1) 北ルート カラガンダ〜アスタナを通って飛行機でタシケント入り
2) 南ルート キルギス〜フェルガナ盆地経由で
3) 西ルート カザフ南部を鉄道で西に進み,シムケントから国境を越える
あたりが案だったのだが,カラガンダ(アスタナ)方面の鉄道がすでに満席だったので1案は没.なんか夏休みシーズンが終わるから混んでたらしい.2案はけっこう悩んだが,日程がやや厳しいのとフェルガナ盆地の国境は今だに渡航中止勧告なんか出てるのとで,今回は没.というわけで一番フツーの3案だ.
しかし,このルートの場合,シムケントまで時間がかかるので夜行列車を使うのが普通なのだが,これまた満席で昼の便しか席がなかった.アルマティからシムケントまで昼便で行くと,8時発21時過ぎ着みたいなけっこうシンドいスケジュールになるので,途中のタラズという町で降りて一泊休むことにした.
実際カザフスタンは国土が広すぎて,都市間の移動がたいへんなのである.
以前何かのサイトで見た記述で,「カザフスタンの地図を見てると,『ああ,この真ん中へんはなんもないんやな,じゃあさっさと抜けちゃうか』などと思うかもしれない.でも2点ほど間違いがある.ひとつ,何もないということはない.ふたつ,『さっさと抜ける』ことなどできない.距離をナメすぎだ」とかいうのがあってちょっと面白かった.
列車で乗り合わせた人たちが言っていたことによると,彼らは北部のセメイから来ていたそうだが,そこからアルマティまでまず21時間かかるそうである.
また,翌日タラズからシムケントまで乗った列車の時刻表には,アルマティから西部のアクトベまでの日程が書いてあって,乗り通すと丸3日ほどかかるようだ.
そういうのに比べれば,この程度の距離でいちいち途中下車してんじゃねえという気はしないでもないが,まあいい.ちなみに列車は二段寝台で,上の段はけっこう狭くて坐ることさえできず,けっこうな時間寝て過ごした.……そしたら次の日タラズから乗った列車はもっとアレで,なんと寝台が縦に三段だった.もう登るのも面倒なので,荷物だけ置いて廊下の席でずっと座っていた(こっちは4時間ほどだったので).

今年の夏の旅行は,各種手続き簡略化記念ということでカザフスタンとウズベキスタンに行くことにした.
この町の名前は,キリル文字的にはАлматыと綴る.このыの文字に対応するカタカナ表記が統一されていない上,そもそもロシア語とカザフ語ではこの字の発音が違うようだ.結果としてアルマトゥだとかアルマトイだとか表記に揺らぎが出てくるんだな.めんどうなことである.ラテン文字だとAlmatyと綴るようなので,とりあえず「アルマティ」で行く.
名前はともかく,ここはカザフスタン最大の町である.中央アジア最大と言うには,タシケントのほうが人口が多いか.でもこっちのほうがより普通の先進国寄りなので,ウズベキスタンよりは外人にとって滞在が楽ではないかと思う.両替所はそこらへんにあるし,スーパーやちょっとした青果店,外国料理の店なんかもたくさんある.地下鉄乗ってもいちいち荷物見られたりしないしな.
グルジア料理店なんかけっこううまくてよかった.旅行に行ったときってつい「その国の産物を食べる」ということにこだわりたくなるけど,よく考えたらあんまり気にしなくてもいいんじゃないだろうか,と最近思う.そもそもグルジア料理なんて日本ではあまり食べられないし.さらに言えば,スシバーとかタイ料理店とかにしたって,たぶん本来の日本料理やタイ料理とは変わってる(それぞれの国の常識や好みに合わせて)だろうから,別に無意味ということもないのだ.
まあちゃんとしたレストランだと多少は金がかかるので,それなりに節約した日もある.泊まった部屋の家主に「お店で冷凍ペリメニを買ってきてゆでる」というのを聞いて試してみたら,これはなかなかよかった.「だいたい味がついてるのでゆでるだけで食べられる」というのは知らんかった.
ところでこの町では,お店の表示とかそのへんで歩いてる人の話し声とかはロシア語がだいぶ多数派という感じだったのだが,国立大学とか駅とか公共施設とかだと,新しく作ったらしいカザフ語の表示プレートがわりとたくさんあった.なんというか,「こうあるべきだ」という理想にあわせて現実を変えようとするのは大変だなあと思った.

俺はバックパッカーとしては致命的なレベルで値段交渉が下手だ.下手というか全くできない.つうかめんどくさいんだよ.物を買うぐらいでいちいち何度もやりとりしたくないよ.
ただ,俺は高い買い物をしないので買い物についてはたいして問題ないし,宿泊費に関しても最近はBooking.com様に全部お任せなので交渉なんてしなくてすむようになった.でも,どうしても徒歩では行けない距離はあるから,これが最後の問題なのだ.
というわけで俺はバス代やセルビス(ルートの決まった相乗りタクシー)代やタクシー代を一切交渉してないわけだが,今回ちょっと驚いたのは,ガイドブックに載っている値段の目安より「安かった」という事例があったことだ.
考えられる原因としては,
- 単に値段が変わった
- アラブ世界では,本当に値段が固定でない場合がある
- 値段を聞くのではなく,当然のような顔をして適当な額を出してお釣りをもらうほうが,結果的に安くすむ場合がある
なお,もちろん目安より高く払った回数のほうが多い.
ワディ・ムーサやサルトもそうだし,サラエヴォやヴェリコ・タルノヴォなんかもそうだが,谷の周辺に広がった斜面の多い町というのはけっこうある.アンマンはその親玉みたいなやつだ.複数の谷と丘の広がるエリアにまたがって町が続いている.もちろん移動は大変に面倒くさい.ちょっと散歩する程度であれば,「立体的で面白い」ですむけど.
ただ,いまや「気楽に散歩に行ける,一般的なアラブ世界の大都市」というのは貴重になってきている気がする.ドバイとかアブダビとかはちょっとジャンルが違うよな.ほかはせいぜいモロッコの町ぐらいじゃなかろうか? そういう意味で,アンマンはわりと散歩しがいがあると思う.まあその,いわゆる観光名所的には城塞跡の丘とローマ劇場跡ぐらいしかないんだけども(でもこの二つは思ったよりしっかりしている).
途上国にはよくあることだが,ヨルダンも格差社会のようで,地区によってかなり雰囲気が違う.他所者として散歩するぶんには興味深い.中心のダウンタウンには個人経営の小さい店がぎっしり並んでいる一方,アップタウンに行ってみるとちゃんと外資チェーンとか大型モールとかこじゃれた店とかがゆったり並んでいるのだ.たとえばアップタウンの喫茶店でコーヒーとか飲むと,普通に日本なみの値段を取られるのだが,たくさん客は来てるしどんどん注文もしているようだった.
アンマンにちゃんと滞在したのは最後の3日ぐらいだ.でも,アンマンは今回の旅程のハブになっているので,それ以外の日もけっこう通過,というか短時間滞在している.何度も行ったり来たりしていたので,最終的にはこの巨大な町もなんとなく様子がわかってきた.
- 別の地区に移動する場合,だいたい谷を越える必要がある
- 外食はあまり安くないが,食材は外国人でもかなり安く買える
- ダウンタウンから一番近いスーパーは,しいて言えば1st・2nd Circleの間にあるやつ
- アブダリ地区北側は,わりとリーズナブルで利用しやすい店が多い
- 南バスターミナル〜北バスターミナル間のセルビス(シェアタクシー)は,外人でも利用しやすい

旧首都ジャンルの町である.旧首都とはいえ,今となってはアンマンと全然規模が違う,ごく小さな町である.
本来,この地域で取れる黄色い石を使った建物で伝統的な町並みが形作られている,という話である.ただまあ現状ではそこまでしっかり残ってるという感じではなくて,わりと適当なコンクリートのビルも多かった.町の入口で大規模に工事していたので,そのうちもうちょっと見栄えがする感じになるのかもしれない.
観光名所としては地味すぎるし,博物館の展示やおみやげ屋なんかもすごい素朴な感じなので,外国人観光客はほとんどいない(子供たちが好奇心で挨拶してくるレベル).でもなんだか国内からの観光客がそこそこいるような感じなので,ヨルダン的にはやはり古い伝統ある町ということなのかな.じっさい泊まったホテルでは,おそらく国内からと思われる団体客に二組ほど遭遇した.
ところでこのホテルはどうも奇妙な店だった.宿泊もできることはできるのだが,なんかレストラン営業のほうがメインのような雰囲気.そもそも宿泊用の部屋は3部屋しかないようで,それはまあいいけど,レストランとして使ってるエリアと分かれていないのが決定的に変だった.つまり俺が部屋でのんびりしてても,壁のすぐ向こうで誰かがお茶とか飲んでたりするのだ.部屋自体は伝統的イメージに合わせたつくりで,なかなかよかったんだけどね.ジュースが無料でついてきたし.
そういえば某「歩き方」には「2016年現在,宿泊施設は存在しない.ゲストハウスがオープン予定」とか書いてあったけど,そのゲストハウスだったんだろうか.そう思ってみるとなんか宿泊対応の段取りも悪いようだったし,最近宿泊客の受け入れを始めたように見えた気もしてくる.

ヨルダンに戻って,ちょっと南のマダバなる町に行ってみた.ここはビサンツ帝国時代の教会跡,特にモザイクで有名である.調べてみたところ,どうも8世紀ぐらいに地震で壊滅して,そのあと最近まで誰も住んでなかったらしいので,そのせいで直前の時代の建物跡がよく残っているということかな.
せっかく来たので,まず中東地図を描いた大作をはじめいろんなモザイクを見物したわけである.さて,そのあと丘の上にある教会に行ってみたら,展示室に各所のモザイクのレプリカが展示されていた.そしたらこのレプリカが,レプリカだけに色あざやかで綺麗なのである(本物は当然経年変化で色あせている).まとまって見れるし,もうこれでいいんじゃないかという気さえしたほどだ.
考古学的資料の展示というのは,そもそも実物である必要はないのではないだろうか? というか,芸術作品だとしても,違いがわからないぐらい精巧なレプリカならそれで問題ないのではなかろうか? というのが,俺がこの町で思ったことである.そういえば,エルサレムにあったいわゆる「死海文書」の展示も,傷んできてるやつはコピーだったりしたな.あれこそ実物じゃなくても全然問題ない気がする.
ところでホテルの展望レストランで夕食を食べたとき,鶏の焼いたのを頼んだら「すいません,鶏肉を切らしてるので別のメニューにしてもらえませんか」とか言われてびっくりした.仮にもホテルのレストランで鶏肉がないってすごいな.まあ,かわりに頼んだ牛肉のシュワルマがけっこううまかったので,個人的には不満はない.というかイスラム教って牛肉もアリだったっけ.

これはキングフセイン橋と同じものである.イスラエルではアレンビー橋と呼ぶのだ.同じ国境を往復するのははじめてだが,別にだから簡単ということもなかった.なにしろヨルダンとイスラエルのイミグレは別物だからな.
ここを通る場合のイスラエル出国税はべらぼうに高いことで有名だ.俺が通った時点では180NIS(5500円ぐらい)だった.現金がほんとうにギリギリで,財布からもたもたと小さなコインまで出して数えてたら,隣で出国税を払っていたアメリカ人に「大丈夫? なんなら余ったコインあげようか?」などと哀れまれる始末.そもそもカードで払えるんだから,無理して現金で残さなくてもよかったのだ.
高い出国税にしろ,橋を渡るバスの外国人用がどうなってるのかすごくわかりにくいことにしろ,ここでビザが出ないことにしろ,やはりイスラエル的にはこの国境で外国人も通してるのは「あくまでついで」なんだろうなあ.バスなんか,パレスチナ人向けのものはどんどん来るし.
まあでも,一番の問題はヨルダン側についた後の話で,国境からアンマンまで行くバスが全然見あたらなかったことである.周りにはタクシーしかいないようだし,警察の人に聞いてみてもタクシーの話しかしない.実に困ったものである.ネットの体験記を見るとバスに乗ってる人もいるようなのだが,なんか探す場所が違ったのだろうか?
しょうがないので,俺はてきとうにそのへんにいた台湾人とタクシーをシェアしてアンマンまで行ったのだった.
さすがに,散歩してまわってもなかなか楽しめるところだった.旧市街はそれなりに複雑(ガイドがないと歩けないほどではない,というのもポイント)だし,地区ごとに雰囲気が変わるというのがすごい.普通の旧市街の4つ分楽しめるわけである(言いすぎ).しかも,ここではおみやげ売りとかのセールスをスルーするのが非常に楽である.観光客が多すぎるので,一人あたりの対応の必要が減るのだ.観光客があまり通らない通りでは,セールスもほとんどなくなるし.
一方西エルサレムの新市街では現代的な町並みを楽しむことができる.けっこう広いのだが,ちゃんと路面電車やバスもあちこち走ってて,外国人でも使いやすいのでご安心だ.停留所に「あと○○分で来ます」みたいな表示さえあって,もう完全に先進国の雰囲気である.レストランやカフェなんかも,先進国的に洗練されたものを出す店が多く,それなりにグッドだった.
さて先進国みたいということで予想できることだが,エルサレムは物価が周辺と比べて超絶に高い.あまりに高いので,さすがの俺もドミトリーに泊まらざるを得なかった.食事も,外食は一日一回までに制限して,ホステルのキッチンにはお世話になった.新しいホステルなので設備もわりと綺麗で快適だったし,ふつうの観光客より早寝早起きなのでシャワー等の時間が他人とかちあうことも少なかったけど,やはり部屋で一人になれないというのは落ちつかないな.
新市街の博物館を見ていたら,「一時期たくさん来たソ連系の移民とそれ以外の市民との軋轢」みたいのをテーマに,わりとえげつない画風の絵を描いてる人の展示がなかなか面白かった.「ユダヤ人」というアイデンティティをもってしても,それでも人は「あいつらは俺らと違う」とかいうようなことをやりたがるものなんだなあ.

いわゆる分離壁を見た.パレスチナ自治区とイスラエル領の間に建てられたコンクリートの壁である.反対の落書がどっさり描いてあって,監視塔からは普通にイスラエル兵が見てたりする.こんなところが観光地化するというのもどうなのかと思うが,普通に観光客が来て記念写真とか撮ってた.まあ,イスラエル軍としてもそうおいそれと外国人観光客などに手は出せんだろうけど.
ベツレヘム近郊には実際観光以外の産業はあまりないわけで,ある意味飯の種にもなってるのかもしれない.ベツレヘムを散歩していると,タクシー運転手の「バンクシーの絵を案内するぞ」という営業がわりと来る.バンクシーというのは有名なストリートアーティストらしいが,壁の落書の意味的に考えて,そこだけピンポイントで見て回るのはなんか変な気もする.
ところで,そもそも外国人観光客は普通に壁を越えられる.というか,壁の一部が開いていて,その中に国境チェックポイントがあるので,パレスチナ自治区からイスラエルに入国できる者はそこも越えられるのだ.だから,ベツレヘム旧市街から歩いて分離壁まで来て(30分かそこらだと思う),チェックポイントを歩いて越え,イスラエル領に入ってからバスに乗ってそのままエルサレムに向かう,ということは普通に可能である.たまに「バス乗り場はベツレヘムの町のほうにしかないから,タクシーに乗る必要があるよ」などと言ってくるタクシー運転手もいるので注意.
ただ,車で通るためのチェックポイント入口と,徒歩の入口は別なので,これまた注意が必要だ.車用の入口の(ベツレヘムから見て)左のほうに,タクシー乗り場みたいな広場があって,その奥から徒歩で通路に入れるようになっている.

「あの男」の生誕の地だそうである.エルサレムの名所を見物してても思うけど,人間というのは妄想だけでここまで壮大で複雑なものを構築できてしまうものである,という事実に感銘を受ける.人間の知能の本質とは,頭の中で考えただけのことと現実とを区別しないことである.
さて,町を見物したあと,夕食を食べようとレストランでメニューをしばらく睨んでいたら,なんか横の席で食べていた人が「メニューを見ても何なのかわからなくて悩んでない? 俺が頼んだ料理を実際見てみたらどうかな」などと言いにきて大変びっくりした.別に店の関係者とかではなくて,単に親切な人だったらしい.まあその,俺はフムスとかファラフェルとかが何なのかは知っていたのだが,それでもこの店の分量とかトッピングとかがわかったのはありがたかった.
食い終わって外に出てみると,観光地にもかかわらず,夜になると通りにほとんど人がいなくなっている.つまり,だいたいの観光客はエルサレムから日帰りで来ているんだなフーン,でも俺はここであえて泊まっちゃうんだもんねーなどと低能なことを考えていたら,あとで旧市街の外側にけっこうな数の大型ホテルが建っていることに気づいた.よく考えたら,ここの旧市街はかなり狭いので,そもそも大型ホテルが旧市街近くに建ってるわけないのだ.
どうも,聖誕教会とかそのへんに巡礼にくる団体というのがけっこういるようである.おみやげ屋やホテルでロシア語表記をかなり見たので,ロシア人の団体とか多いのかもしれない.

トランプ大統領のせいでどうも不安は残るのだが,まあとりあえずテロ等の情報もないので,エルサレムまで足を伸ばしてみることにした.
アンマンからエルサレムまで往復するとき,最短ルートとなるキングフセイン橋を通るルートがよく知られている.よく知られているので,このルートのめんどうさもよく知られている.ちょっと検索すれば,日本語ですら体験記がいろいろ出てくるぐらいだ.
詳細はそのへんと違いはないので割愛.しいて言えば,「今ではイスラエル入国でパスポートにスタンプは押されないので,必死でノースタンプとかアピールしなくてもいい」というのは事実のようだった.というかそんなことより,ヨルダン出国手続きの待合室に猫がいたことを特筆しておきたい.イスラム教の国はだいたい猫に甘いものだが,イミグレにまでいるとは……
あとイスラエル入国の審査がけっこう厳しいみたいな話も聞くけど,俺のときはすげえフレンドリーで簡単だった.たぶん運がよかったのだろう.たまに別室送りになる人が出て,そうなると数時間拘束されるらしいね.
そもそもイスラエル人も,世界からどういうイメージを持たれてるかぐらい知ってると思うんだよね.だったら,特に問題がなさそうな状況では,愛想よくするぐらいのことは考えるのかもしれないな.
ペトラ遺跡最寄りの町で,中心部から遺跡エリアの入口までは1キロ半ほどある.距離はそんなでもないのだが,坂がきついので帰りが大変だった.ただ坂になってるぶん,町並みの見た目はおもしろくて,夜景など意外にきれいでよかった.
ヨルダンの町にはよくあることだが,涸れ川というか谷のあるところに町ができているので,坂が多いのはわからなくはない.でも,なんでわざわざ急坂になってるところをメインストリートにするのか謎だ.勾配と平行に通りを作ったらいいのに.予約サイトとかで宿泊先を選ぶとき,地図上でたいした距離じゃないように見えてもすげえ坂があったりするので要注意である.ちょっと離れただけでかなり行き来が面倒になる.
あとアンマンに帰るとき,泊まってたホテルの人にバスについて聞いたら「うんうん,じゃあ明日バスを呼ぶから」とか不可解な返答を受けた.「呼ぶ」? アンマンからは普通のバスで来たので,帰りも普通のバスがあるはずで,俺はその乗り場とか時間とか聞いたつもりだったのだが.さらに次の日の朝には「タクシーが来たよ」とか言われ,ますます何だかわからん.別に値段はバスと違わなかったのもわけがわからない.「タクシー」と称する車は単なる自家用車で,相乗りだったし.

ヨルダン南部の砂漠というか岩山の中にある遺跡群.なんか世界七不思議のひとつだそうで.
ここを訪れる楽しみというのは,遺跡自体より,遺跡を見ながら峡谷を歩くトレッキング的楽しさのほうが大きいような気がした.歩くのはちょっと大変だが,峡谷の景色はかなりよいと思う.というか,前から俺は疑問なのだが,みんなは遺跡だけを見てそんなに楽しめてるもんなんだろうか? 俺はどうも想像力が貧困なのか,遺跡だけ見ても往時の活況とかなかなか想像できなくてぴんと来ない.
いやまあそのつまり,ヨルダン最大の観光名所だけあって,別に面白くないとかそういうことはないのだ.確かにエル・ハズネはすげえ出オチだが,それ以外にもいろいろ見どころがあり,一日二日いても楽しめるだろう.問題は,だからと言って入場料に八千円弱も払う気が起きるかどうかである.俺は結局払ったわけだが,うーん.
ところで,入場料を払うのにカードはちゃんと使える.手数料は1JD(150円ほど)だけど,決済時の換算レートに比べればたいした問題ではないだろう.ヨルダンでは,「カード使えます」みたいに書いてあっても実際は機械が動かないとか言い出すのはよくあることなので,ちゃんと使えるのはわりとありがたい.
もうひとつ旅行情報としては,SIMカードを入手しておけば,遺跡エリアの奥のほうとかでも普通にメールしたりできる.写真撮って「ペトラなう」とかやりたい向きにも安心だ.俺はメールとかしただけだが.
