海月玲二

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ここはYも一度来ているはずなのだが,あまり印象に残っていないという.まあいわゆる「日本人のイメージするヨーロッパの町」みたいな感じであって,あまり変わった特徴はないかもしれない.

しかしそんなY氏でもリーガ中央市場は記憶に残っていたらしい.飛行船格納庫の建物を元にした巨大なやつが何軒も建っててインパクトでかいからな.そもそも市場を見物するのはわりと好きなので,そのときも中まで見物したはずである.

今までは市場に行っても「面白そうだけど旅行中に食材とか買ってもなあ」とか思って特に何も買わないことが多かったところ,今回は,ためしにいろいろ買って食事をしてみた.そもそも,よく考えたら市場では計り売りが基本なので,食べきれるようにほんのちょっとだけ買うことも別に可能なのだ.まあ,ラトビア語は全然わからないし,ロシア語も複雑なことはわからないので,チーズの種類だとかはヤマカンであるが.あとチーズを買ったら何か謎の液体をかけてくれたけど,何だったのだろう.かけたほうがコクがあってうまいのはわかった.

シャウレイで食事をしたときも思ったけど,食事を分けたりできるというのは複数人で旅行することの明白なメリットだな.一人は気楽で好きだけど,食べきれる量が少ないので,どうしても楽しめる食事のバリエーションが少なくなってしまうのだ.

ところで二度目だけど観光も全然してないわけではない.わざわざ運河を回る遊覧船に乗ったりした.お高いけど楽でそこそこ楽しいぞ.あと旧市街の「三人兄弟」なる古い家を見物してみたら,中でやってた展示が思ったよりよかった.ソ連時代のリーガのいろんな地区の変遷についてやっていて,60〜70年代の地図がいっぱい出てて面白い.やはり展示というのは展示するもの自体が面白いとかたくさんあるとかが大前提で,言葉による解説はあくまで従なのだ.



ラトビアに入り,引き続き観光だ.ここはリーガ(首都)から1時間ぐらいで来れるリゾート地である.

川が作った谷に面していて,谷を渡った反対側の集落はトゥライダという別の名前になっている.もともと川の両側は別々の領主の支配下だったそうだ.ただ現在では町と言えるのはシグルダのほうだけで,トゥライダは良く言っても農村である.まあ,シグルダのほうもいちおう町ではあるけど,なんかこう木が多くて公園みたいな町だった.鉄道の南側にはもうちょっと建物があるようだけど,グーグルマップで見るかぎりはやっぱり間隔が広くて木が多いな.

ガイドブックには「やはり谷を渡ってみるべき」みたいなことが書いてあるので,試してみたらなかなか大変だった.問題は,トゥライダ側の観光エリアはほぼ自然公園のノリなので,「町を散歩する」というよりは「近所の山にハイキングに行く」という体でのぞむ必要があったことだ.

あまり何も考えず出発したため,シグルダ側で城跡や教会を見たりロープウェーで対岸に渡ったりしてる間はよかったのだが,後半体力が尽きてしまったのである.森の中や坂道を歩くので体力を使うことに加え,お店やレストランなどの設備がほとんどなく補給ができなかった.

さらに,最後にトゥライダの城に到着して見物しようとしたら,ここの建物がどこも3〜4層ぐらいの構造になっていて,階段を登るだけでもだいぶ大変だった.あと城の中の展示が正直イマイチだったのも徒労感があったことである.文章や図のパネルを主として展示を構成するのは下策であって,そもそも情報だけなら別に現地で見る必要はないと思うんだよね.

最後にトゥライダからバスに乗ってシグルダ駅まで行き,そこから鉄道でリーガまで帰る予定だったのであるが,バスの本数は少ないしリーガへの列車はなぜか30分ぐらい遅く時刻が変更になっていたので,これまた想定より時間がかかってしまった.やはりお弁当でも持っていくべきだった.



リトアニア北部の中心都市だ.観光客がこの町に来るというのは,事実上いわゆる「十字架の丘」を見に来るということだ.ほかにもいちおう名所らしきものはあるけど,そのためにわざわざ行くようなものではない.で,その,十字架の丘であるが,正直これは出オチの類のような……いやまあ,歴史的意義はあるんだろうと思うけど.思うけど.他所者がわざわざ見に来てどうこう言うようなものなんだろうか.

えーとそれはともかく,ビリニュスからリーガに行く途中でここに寄ったので,めんどくさいから一泊した.とてもがんばればその日のうちにリーガまで行けなくはないだろうけど.

泊まったところはアパートメント形式の部屋で,妙に広くてキッチンもフルスペックであった.せっかくなので,この日の夕食は自炊にしてみた.いや,ほんとのこと言うと,時期のせいかシャウレイの町にどうも活気がなくてわざわざ外食する気が起きなかった,という話だけど.去年教えてもらった「冷凍ペリメニ(水餃子みたいなやつ)を買ってきてゆでる」に加えて,黒パンとサラミやチーズを買ってオープンサンドなど作ったりした.バルト諸国では黒パンがうまいのだ.

現在のところ,旅行中の「自炊」でやったことがあるのは,せいぜい包丁か熱湯が必要なところまでである.そのうち,「煮る」か「焼く」のどっちかが入るパターンに挑戦してみたいと思う.

関係ない話.バスの時間の都合が悪くて十字架の丘までタクシーを使ったので,戻ってきてからリーガに行くバスに乗るまで数時間あいてしまった.そこで,「猫の博物館」なる施設に行ってみたところ,これが実質「ひとり3ユーロで触り放題の猫カフェ」という状態だったので,なんだか得したような気分になった.もちろん,展示自体はそんなどうこう言うようなものではなかった(絵のコーナーとかはちょっとだけ面白いかな).

関係ない話2.この町のバスターミナルの切符売場は19時に閉まる.某ガイドブックは「20時に閉まる」と書いてあったのだが,念のためちょっと早めに着くようにしてて助かった.あぶないところだった.



ビリニュス近郊にある湖の中にある,小さな町.古い城があることで有名なので,わりと観光客も来るところだ.

よく見られるパターンだが,城の中は博物館になっている.その中でも,ここは展示がなかなか充実してるし,お城の元々の構造がほどよく楽しめるようになっている.この手の建物としてはけっこうお勧めできるんではないか.時々ある,外観だけ古い城なんだけど中は完全にコンクリートのビル的な作り,というのはちょっともったいないと思う.建物の構造や内装自体も展示の一部として再現してほしいところだ.

お城のある島から橋を渡ってすぐのところにはお店が並んでいて,ここの郷土料理のキビナイとかいうのを食べたりできる.これはつまり,ピロシキの皮を固いパイ生地にしたような料理だ.中身がいろいろ選べるけど,ポークキビナイを試してみたら味の雰囲気が551のアレだった.

なお,もちろん別にトラカイに来なくても,他の町でもキビナイは食べれる.たぶんそんなに違わない.

ここはお城と湖の観光で成り立ってる感じの小さな町だが,それでも学校やらスーパーやら床屋やらの一般的な施設もちゃんとあって,ふつうの町としてもちゃんと機能している感じだ.たまにある,ホテルとかおみやげ屋しかない旧市街みたいな感じではない.散歩するぶんにはもちろんこのほうが面白い.近所のおばちゃんたちが教会に集まってたのを見て,やっぱりリトアニアだなあと思った.

どうでもいいけど,某ガイドブックが「トゥラカイ」という表記をしているのがどうも気になる.「トラ」だろうが「トゥラ」だろうがtraという綴りの音とはどうせ違うんだから,見慣れない表記はやめたらいいのに.



今回Yが到着する空港はビリニュス(リトアニアの首都)である.クルシュ砂州でもたもたしていてあまり時間の余裕もなかったので,ニダから一気にビリニュスまで移動してしまうことにした.クライペダまで1時間,そこからビリニュスまで4時間という感じ.ロシアに比べて超らくちんだった.バスの中のwifi接続も安定して速いので,その日の宿泊先を予約したりもできる.

前回ラトビアとリトアニアに来たときは,先にリーガに滞在してその後ビリニュスに来たので,ビリニュスはわりとボロくて適当な感じの町だなと思った.しかし今回カリーニングラード方面から来ると,ビリニュスが大変ご清潔な大都市に見えた次第である.以前ブダペストについても似たようなことを書いた覚えがあるな.

一旦来たところに再訪すると,観光名所をチェックしようと必死にならなくてもいいという安心感がある.今回はYも来たことある場所なので,旧市街の名所とか完全スルーで飯食ったり買い物したりとか,どうでもいい過ごしかたをした.Yの趣味の手芸用の布地買ったりとか.あと大聖堂の前の大通りで何かのお祭をやってたので,出店を眺めたり軽食を食べたりした.

さらには休養時間もここで入れている.つまりYが到着するのは昼過ぎの便だったので,午前中は部屋でごろごろゲームしてたのである.Raspberry pi+ポータブルモニタのセットが大活躍だ.

このとき泊まってたのはちょっと面白いところで,レトロな感じの内装で統一されたアパートの部屋だった.落ちつく雰囲気でとてもよかった.しかも小さいながらもキッチンやバスルームもちゃんとついてるし.さらに,朝になると何か猫の声がするので,ドアを開けたらふさふさした猫が入ってきて,ごはんくれ顔で歩きまわりだした.そういうのは飼い主のとこ行けよ.



今回カリーニングラード地方に入国するのには,ここでも7月から始まった電子ビザ制度を使ってみた.極東でも去年からやってたやつである.本来ロシアに観光に行くにはビザの取得が超めんどいのだが,この制度を使うとwebで申請して数日後にはビザが取れ,印刷したものを持ってくだけですむので大変楽である.

ただし,

  • 8日までしか滞在できない
  • 別の地方に移動することはできない

という二大制限がある.今回はバルト海沿岸旅行の途中でカリーニングラード地方に立ち寄るだけだったので,まさにぴったりだった.というかこの制度を使ってみることを軸として旅程を決めた感すらある.

ところで,ネットで情報を探してると,「ロシアの電子ビザは入国と出国が同じポイントじゃないと駄目」という記述を見ることがあるが,これは正確ではない.正確には「同じ地方じゃないと駄目」であり,国境は別でも問題ないのだ.今回俺はポーランドからグロノヴォ−マモノヴォ国境を通ってカリーニングラード地方に入り,モルスコエ−ニダ国境を通ってリトアニアに出ている.国境審査では何も問題は起きなかった.

この誤解が生じやすいのは,おそらくウラジオストクとハバロフスクが別の地方に属するからではないかと思う.なんとなく極東ロシアでくくると同じ地方のような気がするので,ウラジオストク入国ハバロフスク出国というのができそうな気がするが,これは駄目なのだ.ただ,国内を移動する際に電子ビザをチェックすることはないようなので,もしかするとウラジオストク入国→ハバロフスクに移動→ウラジオストクに戻って出国,みたいなのは脱法行為だが可能なのかもしれない.やめたほうがいいと思うけど.

あとネットでは「申請ページに写真を何度アップロードしてもはじかれる」という声もよく目にするが,これはよくわからない.俺がやったときは一発で通った.申請ページのどこだったかをクリックしないと写真の詳細な条件が出ないからだろうか?

ところで,モルスコエでは,集落とその3キロぐらい手前の二箇所にバス停がある.なぜ手前にバス停があるかというと,ここから砂の山のよく見えるビューポイントや海岸に行けるようになっているからだ.タクシーもほぼこっちにいるし,おみやげ屋や売店の類もほとんどこっちにある.集落には雑貨店が1軒あるだけのようだ.さらに,どうも集落から観光ポイントへ直接は行けないようである.

で俺はまあ,一帯の観光は国境を越えてからでいいかと思っていたのに,間違えて手前のほうで降りてしまった.なにしろほとんどの人が降りるので.

しょうがないからとりあえずこっちで砂の山だとかを見物した(まだこの時点では午前中で,気持ちにも余裕があったのだ).ここで見れるものは要するに巨大な山になった砂浜であるが,あまり見れない景色であることは確かだ.問題は,この日は移動日だったので,荷物を全部持ったままだったということである.巨大な「山」を見るのだから,登り坂になるわけだし.

無駄に体力を消耗してしまい,その後交通手段を求めて右往左往する際にも大変苦労した.その後ビューポイントバス停と集落の間を歩いて行ったり来たりしたし.本来は,設備の整ったニダの町(リトアニア側)でのんびり滞在しながらちょっと砂州でも見物する予定だったのに,どうしてこうなった.ほんと人の話はちゃんと聞こう.

まあでもアレだ,国境を越えたのはかなり遅い時間で,ニダであまり滞在する余裕もなくなっていたので,結果としてはロシア側で観光しておいてよかったのかもしれない.



カリーニングラード近辺から北東には砂州が続いている.わりとでかい砂州なので,道路もあるし集落もある.そしてリトアニアとの境界には国境検問所までちゃんとある.というわけでここを通ってリトアニアに行ってみた.

なんだけど,ゼレノグラーツクの人達から,「バスは朝しかないよ」「国境を越えるタクシーはたぶんほとんど見つからないよ」とか聞いたにもかかわらず,「まあ国境付近まで行けば,何かしらローカルな交通機関があるだろ,タクシーだって全然ないってこともないだろうし」とか適当な考えで国境付近まで行ってみたところ,全然なんともならなくてえらい目にあった.

まず「バスが朝1本しかない」というのは,「朝と晩の2本ある」とか言う人もいたのでよけい混乱した.これはつまり「時期によっては2本のときもある」というのが正解らしく,俺が行った日は朝しかなかったようである.地元の人もあまり正確に把握してないようだ.

さらに「タクシーはほとんどない」というのはマジである.なにしろロシア人がシェンゲン圏に入るビザを取るのは大変だから.何台かのタクシーに確認してみたが,国境を越えてくれる人はいなかった.

というか国境に一番近いモルスコエという村まで行ってみてわかったのは,そもそもこの国境を越える人はあまりいないということである.そりゃローカルバスやタクシーなんかないわけだ.じっさいこのモルスコエはどっちかと言うと別荘地で,普通の意味での集落とは感じが違い,人も車もあまりいない.

……というような実態を理解したのは現地についてからなので,国境の直前まで来ておいてそれ以上進めなくなった状況だ(朝のバスはとっくに行っている).考えられる選択肢としては

(1)一旦カリーニングラードまで戻り,一泊して翌朝バスに乗る
(2)モルスコエ村でどこかに泊まれないか探す
(3)あとちょっとなので歩いて国境を越え,リトアニア領でタクシーでも探す

あたりだが,この時点でもうロシアルーブリの現金があまりなかったので,(1)はできればやりたくない(カードでタクシーかバスに乗る,あるいはユーロ現金をそのへんの売店の人にちょっとアレしてもらえば不可能ではない)し,なんか一旦70キロ以上戻るのもいかにもばかばかしい.(2)も,確実性に欠けるわりに,泊まれなかった場合のリスクが大きい(日が暮れてからどこかに戻る方法がない).(3)はできそうだが,なんとこの国境は歩いては越えられないのである.理由は知らない.

結局どうしたかというとヒッチハイクだ.EUナンバーで北に行く車に必死に声をかけて,国境を越えるまで乗せてもらった(ほとんどはロシアナンバーで,割合としてかなり少ないので本当に必死だった.数時間で済んでよかった).我ながらいかがなものかと思う.乗せてくれたドイツの人本当にありがとう.

というわけで,最終的にはなんとかリトアニアに入り,予約しておいた宿泊先に辿りつけたのだった.もうだいぶ遅かったが,レストランに行ってスープとパンとビールで簡単に食事をしたら,苦労したぶんこれがもう本当にうまかったことである.

もし検索で来た人がいたら,「クルシュ砂州の国境を越える場合,基本的にはカリーニングラード−クライペダの長距離バスに乗るしかないので,このバスの時間を基準に行動する」ということをよく覚えておいてほしい(2019年夏現在).確かにロシアでは掲示と実態が違うことはよくあるが,これは本当に方法がない.なにしろ国境を行き来する人自体が少ないのだから.



……ここにわざわざ宿泊した日本人はほとんどいないのでは?

カリーニングラードのちょっと北,海沿いにある町.いちおう保養地であり,海岸は海水浴場になっていて,レストランなども並んでいる.保養所的なものもあるようだった.ただ,かつては大型リゾートホテルか何かだったらしい廃ビルもけっこうあり,現在では当初の期待ほどの保養地ではないようだ.近隣の人が主に遊びに来ているらしい.

中心部にほんの少しだけきれいなトラディショナル町並みに整備された通りがあって,雰囲気はわりと悪くない.海岸も家族連れとかがのんびり遊んでる感じだし,のどかな町である.

ところで,この町はなんでだか知らないが妙に猫推しだった.まず,中心部の通りにやたらめったら猫がいる.明らかに世話されてる猫で,毛並みはいいし人から全く逃げない.触れるし写真も撮り放題だ.なにより笑ったのは,通りに観光客向けのカリカリ自販機が置いてあったことである.こんなものを見たのは世界でここだけだ.

町の飾りや像なんかも妙に猫モチーフのものが多いし,なんでこんなに猫推しなのかよくわからない.猫グッズ博物館もあるけど,猫博物館があるから猫推しなのか,それとも猫推しの町だから猫博物館ができたのか.

泊まったゲストハウスにも,かわいい猫が三匹もいた.堂々と部屋に入ってきてくつろぐやつさえ出る始末.口コミ評価をおまけするレベルだ.



なぞなぞの類が好きな人はケーニヒスベルグという名前のほうが聞いたことあるかもしんない.

ポジション的にはグダンスクと似た,「プロイセン系の歴史ある町で,戦争でかなり破壊されたやつ」枠だと思うのだが,現在のグダンスクの観光都市っぷりとの落差がものすごい.まさに旧ソ連の地方都市という風情.いやカリーニングラードでも大聖堂だとか砦や城門だとかいろいろ再建したりしてるのだが,どうにももっともらしさが足りない.それぞれの地区で場当たり的にやっていて,統一的なプランが感じられないというか,すぐ横にソ連式集合住宅が並んでるので浮くというか.そこにあった建物をできるだけ再現するのではなく,なんか「それっぽい建物」を建てている場合すらあるようだ.

市の中心にある「ソ連の家」という変なビルも気になる.未完成だそうだがどう見ても廃ビルだ.あれもなんとか活用できぬものなのだろうか.旧共産圏のブルータリズム建築って現代ではもはや観光名所だと思う.ここのは地盤的にやばいという話だが,どう補強しても無理なんかな.

というか,後日,たまたま会ったドイツ人に「君はカリーニングラードにどれくらいいたの? 2泊? ああ,そんなもんで十分だよね」と言われたのが忘れられないのだ.

まあ衣食足りてナントカというやつで,長い低迷期に文化にまでリソースをさくのは無理だったんだろうな.現代では経済や治安についてはかなり改善されたそうで,よくわかってない日本人がふらふら歩いてても別に危ないようなことはなくなった.宿泊や食事の選択肢もそれなりにあるし,滞在するにあたって必要なものはだいたいある.観光客にとっての問題は,現在ここは完全にロシアなので英語の通じない人のほうが多いことである.

せめてネットで情報を得ようとSIMカードを買おうとしたら,一軒目の店員には「英語話せないです」と塩対応で返された.隣の店に行ったら,今度の店員はスマートフォンのgoogle翻訳を見せて入力しろなどと言ってくる.つまり,この店員は少なくとも外人でもコミュニケーションを取ろうという意志があるということだ.そこで後者の店員になんとかSIMカードを買いたいことを伝え,無事に購入することができたのだった.



今回のスタート地点はポーランドだ.

あとから考えると,この町はお手本のような観光地だった.実際のところ,グダンスク中心部の中世風の町並みはほぼすべて再建したものである.それにもかかわらず観光客はわんさか来ているのだ.しかも観光だけじゃなくて港湾船舶業などもそれなりにやってるというからすごい.

観光客がいるのはほぼ中心の旧市街である.その周辺にもグダンスク市域はあるのだが,中心から離れたあたりは地図を見てるだけでも「昔は別の町だったんだろうなあ」という雰囲気である.散歩するぶんには,いかにも観光名所してなくて歩きやすいし,こっちはこっちでけっこうおすすめである.なんかすごいパイプオルガンがある教会とか,展望フロアのある高層ビルとか,ちょっと時代の違う町並みとか,海水浴場のある海沿いとか,それなりに見所もある.

すごいパイプオルガンは,俺が到着した直後にたまたま演奏会が始まってラッキーだった.けっこういろんな音楽をやってくれるので面白い.まあ,俺のような音楽の素養がない者が聴いても「面白い」ぐらいしかわかんなくて,せいぜいゲームのBGMを連想したりCM曲を思い出したりする程度だが.あとここのパイプオルガンは,なんか「飾りが動く」という変わった特徴がある.仕掛時計みたいな感じで,天使のラッパが上下に動いたりとかするのだ.

ところでこのオルガンがある教会や展望ビルは北側のオリヴァ地区にあるのだが,実はもともとこっちに行く予定はなかった.それが,朝9時のバスでカリーニングラードに行こうとしたら,満席だとか言われて置いてかれて,次のバスが出る15時まで待つはめになったので,行ってみた次第である.

というかそもそも,満席だとか言われないように前日に切符を買おうと思ったのに,窓口の人は「バスで直接買え」の一点張りだったのだ.しかしながら当日バスのところに行ってみると,ほとんどの人はどこかで切符を買ってきており,もちろん切符のある人から先に乗せてもらって,最後に余った俺は乗れなかったのである.どういうことかさっぱりわからない.15時のバスもほとんどの人が切符を既に持っていたけど,こっちは座席がちょっと余っていたので乗ることができた.やれやれ.



今回の旅行はヨーロッパなのだが,タイ航空が安かったのでバンコク乗り継ぎである.

あんまりやったことないのだが,バンコクでの待ち時間が9時間ある便にして,待ち時間に入国してみることにした(この便がちょっとだけ安かったのもある).スワンナブーム空港の場合,空港鉄道を使うと30分で安価に市内に出られるので,乗り継ぎ入国にも向いている.混んでるけど.注意点としては,入国カードに入国目的はトランジットであると明記しておくことぐらいだ.最近は入国カードに宿泊先を書いてないと問題になるらしく,入国審査の列の前でわざわざ係員が確認しているほどだが,トランジットだということなら空欄でも何も言われなかった.

まあ9時間と言っても全部使えるわけでもないので,そんなたいしたことはしてないが,デパートのフードコートとかオサレ喫茶店とか行ってのんびりした.デパートにLOFTだの無印良品だのが入ってるのを眺めたりとか.

ところで,最近我が家ではドライ生姜がブームなのだが,どうもバンコクのおみやげ屋だとドライフルーツコーナーにあまり売ってないな.ドライマンゴーばっかりだ.空港には少し売ってたけど.



2019-06-09(日)

高雄

俺もこの六月で四十四歳になるので,人生も後半なわけである.正直,一生懸命仕事なんかしてる場合ではなく,なんか趣味とかそういうことにもっと時間をかけていくべきな気がしている今日このごろ.

というわけで,ちょっと週末に台湾に行ってみた.おいしい旬のマンゴーを食べるなどしようと思ったのだ.

じっさいマンゴーはうまかったし,マンゴー以外もうまかった.今回,実はあまりガイドブックとかに出てる店にちゃんと行ってなくて,なんかそのへんにあった店で麺だの排骨飯だの酸辣湯だの食べてたケースが多かったけど,どれもグッドだった.

というか,多くの日本人が「台湾の食い物がうまい」と感じるということは,もともと味の好みが近いということなのだろう.逆に,台湾から日本に来る観光客が楽しめていることも道理というものだ.台湾では,わりに甘めの味付けの料理があるのがひとつのポイントなんではなかろうか,とちょっと思った.

今回はたいして観光したり散歩したりもしていない.てれてれ近所を歩いたり買い食いしたりしてたばかりである.「帰ってきて次の日は仕事」という俺にはあるまじきスケジュールだったけど,そんなに大変でもなかった.もうなんかアレだ,これは一種リゾート的な滞在とも言えるのでは.

ところで高雄は南の大都市だが,台北とは少々雰囲気が違い,もっと適当で原チャリだらけで,東南アジア感が強まっている.というか台北だけが特殊なのかもしれない.日本でも東京だけは他のどこの町とも違うからな.英語があんまり通じないことも多くて,へたすると数字さえ通じないことがあるようだ.むしろ日本語のほうがまだ通じたりして参る.


今回使ったLCCは香港エクスプレスだ.なんか妙に日本の空港にたくさん飛んでおり,どうも「香港在住の人が日本に遊びにくる」という感じの航空会社である.乗客の大半が香港人であり,すごいアウェイ感だった.関空行きの搭乗ゲートにほとんど日本人がいない,という状況ははじめて見た.

あとやはり,大阪に遊びにくる人達は大量におみやげを買う傾向にあるようで,明らかに関空→香港便のほうが機内の手荷物が多かった.LCCなので,多少多くても全部機内持ち込みに収める人が多いしね.係の人達が全部ちゃんと棚に収めるために右往左往しており,しまいには俺のかばんを取りだして「スーツケースがどうしても入らない人がいるので,このかばんの人は足元に置くようにしてください」とか言い出す始末.というか,その後から来たスーツケースは明らかに持ち込み制限を越えて重そうだったけど,そこはいいのか.

逆に香港→関空の便はみんな荷物もそんなに多くなくて,わりとすぐにおさまっていたし,出るときもそこまで手間取らない感じだった.さらに,関空での入国もほとんどが外国人の列に行くので,日本人はほぼ待たずに入国できてしまった.着陸からロビーに出るまで30分を切ったというのははじめてだ.後ろのほうの席だったから,時間的には多少不利だったはずだけど.

運転も荒っぽいしいろいろ適当な感じもしたけど,まあLCCなので気にしない.

この日は香港郊外のいわゆる新界に行ってみた.ルート的には錦田から元朗に行き,あと天水囲周辺の歴史的遺産もちょっと行った感じ.見どころ的には錦田の城壁村がわりとしっかり残ってて,わかりやすくてよいと思う.天水囲からの歴史的コースは多少案内が悪く,きつめの日差しの中で道に迷って少し苦労した.ひとやすみしておやつに老婆餅を食べたら,すごくうまく感じたことである.

新界は九龍とは全然違って,すげえ空が広い.町と町の間には何もない道路が続いている.大型犬を飼ってる人だって見かけた.というか正直,「なんでみんなこっちに住まないんだろう」とさえ思った.元朗や錦田からでも九龍に2〜30分だし,通勤できるんなら明らかに住環境の悪い九龍に住む必然性はないような気がする.ちょっとした買い物とかなら,元朗にも十分お店が並んでるし.……調べてみたら,そもそも鉄道が開通したのが21世紀になってからで,それまでのバスはけっこう不便だったのか.ふーむ,そしたら,そのわりには新界ニュータウン群は発展しているということになるのかな.

あと,新界ってけっこう場所余ってるじゃん? なんで九龍と同レベルの高層マンションを建てるんだろうか? もうちょっと住みやすそうな建物を作る余地があると思うんだけど.香港人はアゴラフォビアか何かなのか? それとも経済的な理由とか政治的な理由とかあるんだろうか?

ところで,元朗のショッピングモールに入っているスーパーは,信じがたいほど日本製品にあふれていた.日系スーパーなんだろうか? 外国で「山下うどんのお持ち帰りパック」など見たのは始めてだ.香港に限らずアジアの町では日本製品がよく流通しているけど,あれは日本企業が一生懸命売りこんでいるのか,それとも現地の業者が一生懸命仕入れているのか,どっちの傾向なんだろうか.香港ですら,いまだに日本製品にそこそこいいイメージがあるようなのは,なんか不思議な気がする.


香港に来たのはなんと実に17年ぶりだ.前どうだったか記憶は怪しくなっており,まず旺角のすごい人口密度に圧倒された.空港からバスで到着したのはもう午前1時を過ぎていたのに,昼かと思うぐらい人が歩いていて驚く.そして次の日の昼にはラッシュアワーのように人がいた.つまり,夜中の人数は,あれで「減っていた」んだということに気付き,二度驚いた.

空港からまず旺角に行ったのは,宿泊先がそこだからだが,別にランガムプレイスのところのホテルとか泊まったわけではない.今回は時期が悪く(旧正月直前)ホテルがどこも高かったので,安宿に泊まってみた.香港(というか九龍)での安宿というのは,つまり,巨大な雑居ビルの一部を「ホテル」と称して管理しているだけである.ビルの入口に小さく看板が貼ってあったりする.

さらに,今回泊まったところは「そもそもスタッフを常駐させてもいない」という豪快なスタイルだった(一応,昼に掃除の人はちゃんと来ているようだ).ホテルの管理するエリア入口と,それぞれの個室の入口にナンバーロックがあって,事前にメールとかで送ってもらった暗証番号を入れると入れる仕組みだ.おそらく毎回番号は変わっているんだと思うが,部外者とかを勝手に入れてしまえるので,原理的に多少不安ではある.ただ,ビル内でホテルとして営業してるのは3つだけだったし,もともと人の出入り自体がそんなにたくさんではない.ビル自体の入口には管理人部屋もあったし(いつも誰かいた),まあそこまでアレでもなかろう.ともかく,この時期の香港中心部で安く泊まってるわけだし,多くを期待するのは無茶である.

あと香港は物価が高いので,貧乏人としては食事もけっこう大変だった.ちょっとした食堂で食べても,一人一回40HKDは越えてしまう感じ.選択肢は多いし,いろいろおもしろい食べ物も多いんだけどね.住居費も高いし(それに伴ってキッチンが貴重だし),香港の生活はいろいろと工夫しないと大変そうである.まあ,こんなにたくさん人が住んでいるということは,何かしら稼ぎようがあるのだろうけど.

というか,最近の香港はあまりいいことがなくてテンション下がってるみたいな話も聞くけど,町はけっこう活気があるようだった.旧正月前だからだろうか.個人的に関心したのは,今でもPC部品関係の店がわりに賑わっていたことである.日本ではすっかり見なくなった光景だ.ゲーム需要かとも思ったけど,ゲーム機の店はそれはそれであるしなあ.


2018-09-09(日)

仁川

台風21号によって関西空港が使えなくなってしまったので,もちろん我々が乗るはずだったソウル→関空便もキャンセルになった.カウンターで聞いたところ別の空港行きの便に振り替えてはもらえることになったが,同日の便は名古屋行きも福岡行きも両方とも既に満席だと言う.まあ振り替えが激増しただろうからいたしかたない.札幌行きならあるらしいが,それだとソウルより遠くなる気がするしな(このときは知らなかったが,そのころ北海道は地震で混乱していたので余計駄目だ).

しょうがないので,次の日の朝の名古屋行きに振り替えてもらうことになった.この時点で午前10時半ごろだったので,ほぼまる一日待つ必要が出てきたわけである.トランジットホテルは1万6千円とかいうことらしいので,しみったれの俺としては空港を出てもう少し安いホテルに泊まることにした.

というわけで,仁川空港の周辺がどうなってるのか全く予備知識がないままてきとうにホテルを予約し,空港から出てみたわけである.まあ,しょせん空港鉄道でほんの少し移動して,駅前のホテルに行くだけなので,別にそんなにたいそうなことではないが.支払いはほとんどカードですませるしな.

空港鉄道の雲西駅周辺は,どうも仁川空港のための埋め立てをしたときに余った区画で町を作ったみたいな雰囲気である.中心部の繁華街には妙にたくさんホテルがあるので,やはりトランジット客をある程度は想定して作ったのだろう.あとは空港とか周辺に作った工業団地とかの労働力確保なのかな.

まあ今回は,ホテルでゆっくり休んで,夕方に近くの店で焼肉を食べただけなので,町がどんなんかは別に関係ない.旅行の疲れからそれなりに回復できて,一泊6000円のわりにけっこう良かった.次の日は早朝から空港まで送ってくれたし.

今回はアシアナ航空でソウルを経由して行った.中央アジア方面は,歴史的経緯からソウルとの連絡が比較的よくなっている.

……よくなってるはずなのだが,なんか知らんがタシケント便だけ妙に遅れが多かった.たまたまだろうか.Yが関空から来るときのソウル→タシケント便は,一週間ぐらい前に一時間遅れるという連絡が来て,当日そこからさらに二時間遅れたのであった.また,帰りのタシケント→ソウル便も,当日になってから一時間遅れるということになった.

航空便の遅延というのは,昔だったら無駄に待つはめになったりして大変だったろうが,現在はそこまでたいしたことではない.ネットでそれぞれの航空便が今どのへんを飛んでるかとか何時間遅れる見込みかとかは確認できるし,航空会社からの連絡メールだっていつでも受けとることができる.予定変更に合わせてこっちも行動できるのだ.SIMカードを買っておいて正解だった.

Yが来る日,「もう少しなので公園でしばらく休んでから行くか」と思ってベンチに座り,何の気なしにネットを見たら予定より二時間遅れてることに気付いた.そこで予定を変更し,先にホテルに行っていろいろ準備したり休憩したりしてから,ちょうどいい時間に空港に迎えに行ったのである.

一方帰る日は,タシケント駅に19時ごろ着いたので「22:20発だしまだ時間あるから,残った現金で無駄にオサレな店でも行ってのんびりしよう」などと考えた.しかし店を探したり注文したりしてるうちに20時も近くなってしまい,「なんだ結局あんまりのんびりできねえな」と思っていた.そしてここでふとメールを見たら,帰りの便が一時間遅れるという連絡が来ていて,心おきなくレモネードなど飲みながらのんびりした次第である.

いやこれアシアナ航空の話じゃねえな.えーと,アシアナ航空の機内モニタシステムは,見れる映画の本数が少なくてちょっと残念だった.あと機内食はまあまあいけるのだが,量がちょっと少なめな気がした.日系航空会社みたい.

ブハラ→サマルカンドと,サマルカンド→タシケントの移動は特急列車を使った.前回もサマルカンド→タシケント間は鉄道を使ったが,そのときはまだそんな最新型の列車は走っていなかったはず.なんか3〜4時間ぐらいはかかった覚えがあるけど,今回は同じ距離で2時間ぐらいだった.座席も快適である.

サマルカンド→タシケント間は,エコノミー席が売り切れだとかでビジネスクラス席になった.何が違うかというと,一列四席ではなく三席になっててちょっと広いことと,乗車するとちょっとしたお茶とお菓子のサービスがあることである.はっきり言えば,たいして違わない.まあ値段もそんなに違わないけど.

昔は,そもそも切符を買うのが大変だったような覚えがある.まずサマルカンド駅の係員には英語が全然通じなかった.さらに,なんか窓口がよくわからない理由で閉まったりしていて,窓口が開くまで待つ必要があった.そして開いた瞬間に「今だ!」と窓口におしかけて係員と謎のやり取りをしたあげく,やっと購入できるような感じだったはず.今では,ちゃんとした常設の切符売場ができていて,係員も外国人に慣れてるし,普通に並んで買うだけで何も問題は起きなかった.

そういえばブハラでは市内の鉄道切符売り場(わざわざ駅まで行かなくても切符が買えるオフィス)が移転してて,行くのがわりと面倒になってた.中心部から歩いて行けないことはない(実際俺らは歩いた)が,バスとか使ってもいいかもしれない距離だ.しかし,バスだのタクシーだの使うなら,駅に行っても大差ない気もするな.そしてもうひとつ問題なのは,新切符売り場の看板がすげえそっけなかったことである.危うく見落とすところだった.まあ移転したばかりだから仕方ないんだろうけど.


11年前に来たとき,なんとか言うモスクを見物していたら,爺さんが何やら詠唱をはじめて,通りがかった人が聞いているので横で聞いてみたことがある.聞いてる人はときおり何かのジェスチャーをしたり声を出したりしていて,何をやるのかはみんな完全に暗記してる雰囲気だった.

そして今回,修復されたシャーヒ・ズィンダ廟群の奥のモスクで全く同じ場面に遭遇した.というか,あとで昔の日記を読み返して,「前に全く同じことがあった」ということがわかったのだ.全然覚えてなかったけど.

昔の日記と比較してみるといろいろわかって面白い.UZSは4〜5分の1の価値に落ちてるけど,USDで表してみると物価はそこまで大きくは変わってなかったりとか,11年前だとまだ「日本語の使えるネットカフェが休みだったうわーん」みたいなことを言ってたのに,今は普通にSIMカードを買ってふだんの端末でそのままメールしてたりとか.

11年前には全然関係なかった話をすると,ウズベキスタンについては「外国人と見るとすぐ現地の人が『一緒にセルフィー撮って』って言ってくる」みたいなことがあちこちのブログとかtwitterとかで書かれている.でも俺らは全然そんなこと言われてなくて,さすが陰キャ二人組はオーラからして違うなと思っていたのだが,サマルカンドのティムール廟のあたりで急に何度もそういう人につかまった.どうやら修学旅行とか団体旅行とかそのへんの人達のようで,つまり,ひとは集団になってるとテンション上がりやすいというやつだろう.

今回,ヒヴァとかブハラとかサマルカンドとか,メジャーな観光地では,国内から来てるっぽい団体客をわりと見かけた気がする.前回はそんな記憶がないので,これはつまりウズベキスタンの経済成長あるいは規制緩和なんだろうか.


11年前に来たとき,「なんという物売りのウザい町だ」と思ったものだが,今回は全然そんなことなかった.前回はオフシーズンの春先で,観光客が少なかったから必死さが違ったんだろうか.あるいは「みやげ物売りがあまりにしつこいと観光客は減少する」ということを業者や政府が理解したんなら,なかなか結構なことだ.もう一歩,「どこの店でも似たような物ばっかり売ってるとかなり萎える」という点についても改善していけばもっといいと思う.

みやげ物売りを見るたびにいつも思うんだけど,工芸品とかの類で「ハンドメイドである」ということはそんなに重要なのだろうか.高級な一点モノを買うんじゃあるまいし,たくさん作られてる柄の皿だの鞄だのが,ハンドメイドだろうがマシンメイドだろうが別にどうでもいいと思う.「ハンドメイドである」ということがウリになるには,そもそもオリジナリティが必要なんじゃないのか.

というか中央アジア全般に,おみやげに買うものってあんまりアレだよな.さらに,今回おもにYが買っていたおみやげはドライフルーツとかナッツの類がほとんどだったので,そもそも工芸品はあんまり関係ないのだった.

ところで,ブハラにはなんだかホテルがやたらに増えてると思った.これはもう供給過多と言ってもいいんじゃないだろうか.今回泊まったホテルが,値段のわりには妙に広くてきれいな部屋だったのも,そのことと無関係ではないような気がする.そもそも,予約サイトとかで部屋の相場を見た時点で,たとえばサマルカンドとかより安い感じがしたのだ.


ヒヴァからどうやって帰るかというのは,実は何も予定していなかった.日本で調べていても,鉄道ダイヤがどうなっているかどうも判然としないし,長距離タクシーがどれくらい簡単に頼めるのか,いくらぐらいかかるのかもどうもよくわからない.しょうがないので現地で聞いてから考えようということで,何も考えずに来た.

さてツーリストインフォメーションで聞いたところ,鉄道だと夜行になるらしい.しかも,そいつはブハラを経由してサマルカンド→タシケントに行くので,ブハラまで鉄道で行くことも可能なんだそうだ.しかし日程が,「ウルゲンチを夕方に出発→ブハラに23時過ぎ→サマルカンドに3時ごろ」という感じらしく,なんか大変そうである.

一方,宿で聞いてみたところ,長距離タクシーはわりと簡単に頼めそうだ.値段も45USDということでリーズナブルなので,ブハラまではタクシーを頼むことにした.「タクシー」というのは大抵普通の個人所有の車なので,来てみないとどんな車なのかも定かではないわけだが,今回は問題なかった.ちゃんと新しめの車で,ブハラ到着まで車両トラブルもなかったので当たりである.運転手も真面目に仕事してくれる人だったし.

問題はむしろ道路であった.ヒヴァからウルゲンチを出て,しばらくの間はそこそこちゃんとした舗装道路なのだ.しかしブハラまであと100kmぐらいのあたりから様子がおかしくなる.舗装はガタガタだし道幅も妙にせまく,センターラインさえないような道になるのだ.途中,鉄道の跨線橋のあたりで最高潮に達し,全く舗装してない単なる砂利道になる.あまりに砂ぼこりがひどいので,ドライバーも窓を閉めてエアコンをつけたほどだ.
むしろ「田舎のほうは道がイマイチ」というなら理解できるが,なぜブハラ周辺だけ道がへぼいのか.実に理解に苦しむ.

2018-09-05(水)

ヒヴァ

寒かった.

イヤほんとに.9月にウズベキスタンに行くので,かなり暑いことを覚悟して行ったのだが,ウルゲンチ空港に降りたった瞬間に長袖を持って来なかったことを後悔した.ホテルでも追加の毛布を頼みにいったくらいである.二日目は多少マシだったが,そもそもここ以外の町では別に寒いとか一度も思わなかったので,西の砂漠地帯は気候が違うのかもしれない.

ここの旧市街は,観光客としては完全にテーマパーク型の町である.ただ,テーマパーク型の古都の中でもここは貴重な部類であり,中央〜西アジアタイプの城壁都市がほぼそのまま残っているのはここだけだそうだ.「城壁に囲まれた古い都市が全体として残っている」ことが貴重なので,個別の建物がどうこう言うより,てきとうに散歩したり上から眺めたりして,町並み全体を楽しむのがいいと思う.ゲーム脳的に想像するところの「砂漠の町」そのままだ.城壁内部でも,メインストリートをはずれると住宅街になっているので,散歩ルートにはぜひそっちも入れるべきだろう.

というかね,たぶん観光客はみんな思ってるだろうけど,個別のマドラサだのモスクだの霊廟だのは,だんだんみんな一緒に見えてくるからね.そういう見かたをするなら,ブハラとかサマルカンドに加えてわざわざここまで来る必要はないかもしれないよね.けっこう来るの大変だし.

どうでもいいが,住宅街を散歩していたら,片腕に子猫を乗せたまま普通に道を歩いてる男がいて超びっくりした.

なお,西門で売ってる共通入場券は,時間がない場合は買わなくてもいいかもしれない.これはつまり「いくつか建物の中に入ることができる」というものなのであるが,その大半はたいしたものがあるわけでもない.それなりに見どころがある建物も2〜3あるのが悩むところではあるが.一人10万UZSとか取るしなあ.



タシケントからヒヴァに行くにあたって,ウルゲンチまで飛行機を使った.11年前にタシケントからブハラまで国内線に乗ったときは,旧ソ連のヤコブレフ40で,座席指定が機能してなかったりしたもんだが,今はさすがにそんなことはない.ふつうにエアバスだったし,機内サービスもまともだった.飲み物だって出たし.

そういえば,タシケント空港の国内線ターミナルの場所も昔と違う気がする.昔は,確か歩いて移動した覚えがあるので,国際線ターミナルの横の建物だったはずだ.今はその位置に国際線到着ターミナルビルが新築されていて,国内線は空港の反対側に移転している.そして問題なのは,移動がけっこう大変なのにシャトルバスの類が存在しないということだ.思うんだけど,ウズベキスタンはタクシーが安すぎるから,市内の公共交通をちゃんと整備する動機が薄いのではなかろうか.