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バルト三国は,ハンザ同盟あたりからドイツ文化圏だったようだ(リトアニアは微妙か?).タリンやリーガの旧市街ではハンザ都市であったことをウリにした演出がよく見られるし,ドイツ人の団体観光客がよく見られるのもそのせいらしい.
歴史はともかく,ドイツ文化圏なので食文化も強く影響を受けており,「ビールがうまい」というのがここで俺が言いたいことである.大手メーカーのも悪くないし,あちこちの地方に地ビールがいろいろあったり,レストランで自家製ビールを頼めることも多い.バーでは,ワインリストよりビールリストのほうがずっと長かったりとか.
バーとかレストランで飲むのもいいが,スーパーのビールコーナーを見るだけでもけっこういろいろあって楽しい.適当な地ビールとお惣菜やポテチを買ってきて,ホテルの部屋でいただくだけでもわりと満足感高かった.というか,バーに行っても普通に瓶ビールが出てきたりするので,それなら自分で買って部屋で飲んだほうが安あがりという気も.専門のバーだとあまり売ってないレアなやつとかも揃ってるのかもしんないけど,そもそもバルト三国の地ビールというだけで日本人にとってはぜんぶレアだ.
最近は日本でも外国ビールがけっこう手に入るようになってきたけど,バルト三国のはあまり見た記憶がない.いわゆるビジネスチャンス.観光ツアーとかでも,ビールがうまいことを推していいレベルだ.

最近,空港に自動チェックイン機というものがあることは知ってはいたのだが,自発的に使ってみようと思ったことはない.一回プラハで強制的に使わされたことがあるぐらいだ.
今回,特に深い意味もなく帰りのヘルシンキ空港で自動チェックイン機を使ってみたところ,思ったより簡単でびっくりした.パスポートを読みとらせたら,搭乗券とバゲージタグ(と言うのか? 預け荷物につける,空港の3レターコードが書いてあるやつ)が出てきて,荷物を預けて終わりだ.全然並ぶ必要がないし,事前の特別な準備も何も必要ない.これはなかなかいいな.たしかプラハのときはもう少しめんどくさかったような,チェックイン機のあとで何か並んだような記憶があるのだが.
簡単になったのは,パスポートがICカード式になって,機械で情報が読みとれるようになったからかもしれん.ヘルシンキ空港の入国出国審査でも自動化ゲートが使えるようになってて,これも楽でよかった.
しかしアレだ,最近は飛行機の搭乗券もレシート風のぺらぺら紙とか,下手するとスマートフォンの画面とかそういうの増えたね.確かに,最近はコードを読みとるだけなんだから,昔の厚紙長方形にこだわる必要は全然ないわけか.というか昔のやつは常々でかくて邪魔だなあと思っていたから,扱いやすくなるのは大歓迎だ.
そういえばヘルシンキータリン間の高速船の切符も,ネットで予約したら送られてきたpdfを見せるだけで大丈夫だった.乗るときに,カウンターに行って搭乗券を印刷してもらうものだとばかり思っていたので,そのまま搭乗口に行けとか言われて半信半疑.おっさんの俺としては,そもそもスマートフォンの画面でバーコードが読みとれるのかなんとなく不安だったので,普通に通れてちょっと感心してしまった.
エストニアの首都.旧市街はかなり観光客向け,テーマパーク寄りの町だ.いちおう学校とか雑貨店とか観光客向けでない施設もゼロではないが,ほとんどが博物館とかレストランとかおみやげ屋とかである.特におみやげ屋の多さはものすごい.別にそんなに違う物を売ってるというわけでもないのに.というかマトリョーシカとかエストニアで買ってどうするのだ.スーパーが旧市街内部に存在しないのも,どうも不便だな.
レストランがいっぱいあるわりに,予約をしたほうがいいみたいなことを言われるのもちょっと驚いた.旧市街は観光客ばっかりなので,ガイドブックに載ってるレストランはすぐ満席になるらしい.しょうがないので夕食は中心からちょっと離れたところまで行くことに.
でも首都だけあって,レストランのレベル自体はそれなりに高いようである.あまり深く考えず入った店が,けっこうちゃんとしたレストランでびっくりした.カトラリーは一品ごとに別になるし,いちいち料理の説明はしてくれるし,先に入ってた客はよそいきの格好だし,いいかげんな服ではアレだったかな? ……と思っていたら他の席がだんだん観光客で埋まってきて,こっちはみんな似たりよったりの格好だった.うーん.いや,お味はしっかりしていて,結果的には食い物にうるさいYもおおむね満足だった.たまにはまともなステーキとか食べると満足感があるな.
一方,新市街はわりとふつうである.どうでもいいが,ショッピングモールを一人でぶらぶら歩いていたら,宗教の勧誘の人にパンフレットを押しつけられてしまった.旅行中でも意外とあるよねこういうの.
ST. PETER LINEの船は仮にもクルーズ船なので,それなりにバーとかレストランとかカジノとか免税店とかの施設がある.予約のときに夕食プランをつけると,メインのレストランでバイキング形式の食事ができたりする.今回,本来は夕食プランをつけないつもりだった.
ここで一つ失敗の話.実は今回,「二人で一部屋」予約しておいたつもりが,「二人部屋に一人ずつ,二部屋」予約してしまっていた.つまり無駄に一部屋多く取ってしまっていたのである.チェックインのとき係の人が気付き,「さすがに返金はできないが,一部屋キャンセルしてそのぶんを夕食プランにまわすことは可能だよ」と言ってくれたので,そうしてもらうことにした.
というわけで,結果的に食べることになった船内の夕食バイキングであるが,これが思ったよりうまいし品数も多い.しかも,ワインとビールは飲み放題である(ロシア人からすればソフトドリンク同様の感覚なんだろうか).本来この夕食バイキングは一人29EUR(早めに予約すればもうちょっと安くなる)であるが,損した感じはしないぐらいのレベルだった.よかったよかった.
なお,このメインのレストラン以外でも,カフェテリアやバーなんかで個別に軽食を頼むことも可能だ.カフェテリアでパンとスープを頼むと5EURとかそんなもんなので,節約したければ夕食プランをつけずにこっちでしのいでも十分なのである.実際,今回も復路便はそうした.さらに言えば,いちおう飲食物は持ち込み不可ということになっているが,カバンの中にバナナとかヨーグルトとか入ってても別に取り上げられたりはしなかった.たぶん,そういう方法も可能であろう.
ところでバーのいくつかは甲板上にある.俺の感覚では,9月でも外で飲むとか寒くてとても耐えられないと思ったけど,それなりに客はいた.北国の人達はすごい.
以前サンクトペテルブルクに来たのはおよそ15年前である.15年の間にロシアもだいぶ変化した.少なくとも表通りの建物はきれいになっているし,西側風ショッピングモールもあるし,西側メーカーの新車だっていっぱい走っている.当時はマクドナルドが珍しい感じだったけど,いまやバーガーキングだろうがケンタッキーフライドチキンだろうがどこにでもある.ユニクロだってある.まあ,ちょっと通りを曲がるとまだまだボロい建物があったり,数十年ものと思われるモスクヴィッチ(ソ連車)が走ってたりすることもあるけど.
最近のロシアだと,スタローヴァヤ(セルフサービスの軽食堂)も流行らなくなってきているとか聞いたけど,ペテルブルクにはかなりあった.まあソ連時代のものではなく,きれいに新しく作ったものも多いようだった.役割としてはファストフード店に近いかもしれない.安くて味も悪くないし,ロシア語わかんなくても指差して注文できるのでそれなりにオススメ.
食べものと言えば,テレビのロシア語講座で知った「プイシキ」なる揚げドーナツも試してみた.思ったほど重いものではなく,しっかり夕食を食べた後でもいける.気軽なおやつとしていいかんじである.ただ,これはぬくいものを食べないとイマイチだ.最初よく知らずに冷えたのを食べてしまって,実はおいしいことに気付いたのは帰る直前だった.食堂とかでも(揚げたてじゃなくても)せめてレンジでぬくめたりしてもらうほうがいいようだ.
さてペテルブルク観光といえばエルミタージュ美術館だが,当初めんどうだからパスしようかななどと適当なことを考えていた.なにしろ切符を買ったり入場したりするのが一苦労だとかいう話をよく聞くし,実際俺が前回行ったときも2時間ぐらい並んだような気がするのだ.
しかし,散歩の途中でYが「どれぐらいすごい行列なのか見にいこう」とか言いだし,実際に行ってみるとこれが別に行列なんか全然ない.ついうっかり切符を買ってしまい,数時間宮殿の中をうろうろと歩き回ることになったのだった.はてどういうことだったのか.白夜シーズンか否かで全然違うんだろうか.まあ9月(新学期)はじめの平日に行ったから,ロシア人的にはあんまり休むような日ではなかっただろうけども.中もそれほど混雑してなくて,ときどき来る団体を避けて歩いてれば,のんびり絵や調度品を眺めるぐらいの余裕は十分あった.喫茶コーナーも普通に座れたし.

ここからちょっと変則的な旅程になる.フィンランド湾を東に渡って,ロシアのサンクトペテルブルクを訪れた.
日本人がロシアに旅行する場合,ビザを取るのが大変に面倒である.基本的にはすべての旅程を決めて宿や交通機関の予約を済ませ,書類をきっちり揃えて領事部に申請しないと観光ビザはおりない.しかしながらこれには多少の例外があって,サンクトペテルブルクもその一つなのだ.ST. PETER LINEなる会社の船を使って海路で入り,観光ツアーに参加している場合は,ペテルブルク市域内に72時間までノービザで滞在できる特例が存在する.
入国〜出国が72時間ということなので,事実上2泊までだろう.最後に早朝出発して到着日の入国時刻より早く出国できれば,理論的には3泊可能かもしれないが,フェリーが朝到着で夕方出発なのに早朝に出国手続きが可能か怪しい.よしんば可能でも,狭くて何もない出国後エリアで何時間も待つはめになりそうだ.
また,もちろん俺としては「ツアー参加が条件」というのはあまり嬉しくない.でもそういう奴が多いことはこの会社も承知していて,普通のツアーのほかに「シティツアー」という名目の実質的な送迎バスを用意している.つまり,この特定の送迎バスに乗れば,会社側が「この人はツアーに参加しています」という扱いにしてくれるのだ.港から市中心部までマイクロバスで2〜30分,あとの時間はすべて自由である.ホテルでさえ,自分で勝手に予約したもので大丈夫だ.
最近この話を知り,今回はヘルシンキーペテルブルク往復のフェリーと送迎バスを予約しておいたのだ.ホテルはふつうの予約サイトで適当に安めのところを二泊取っただけ.支払いさえすませずに行ってみたが問題はなかった.ただ,このプランでノービザ入国する場合,船にチェックインするときホテル予約の証明が必要なので,予約確認書を印刷していく必要があることだけは注意が必要だ.

サーレマー島には,町と言っていい規模のところはクレサーレとオリサーレの二つしかない.最大の町で,観光客がよく拠点とするのがクレサーレのほうだ.最大と言っても人口1万人強とかその程度の規模で,静かなところである.某ガイドブックには「あまり生活感の感じられない箱庭のような町」とか書いてあるが,要するに人が少ないのだ.
人口のわりに,大型スーパーとかショッピングセンターとかがちゃんとあるのはちょっと不思議.ショッピングセンターなんてほとんどお客がいない感じだったけど,ちゃんと経営していけてるのだろうか?
町の南にあるお城は,島の中でもメインの観光名所である.中世からの構造がしっかり残っており,確かに見ごたえがある.外から見ると特徴のうすい立方体に見えるのだが,中に入ってみるといろいろな部屋が複雑に繋がっていて面白いのだ.その上,城の構造をそのまま使って,地域の歴史などを展示した博物館にもなっている.構造が複雑なため「博物館なのに順路が事実上存在しない」という思い切ったシステムだ.ひとつの部屋にアクセスするルートがたいてい複数あるのだ.これは大変興味深い可能性を感じる.
というか,中世の構造を再現したまま博物館としても使うって普通に可能だよなあ.大阪城なんかもそうしたらいいのに.別にレプリカでもいいからさ.
ところで,ここで泊まったところは当たりだった.中心部に近い2DKのアパート一室,リフォームしたばかりなのですごくきれいな部屋だ.ふつうのアパートなので,キッチンもちゃんとしてるし洗濯機も自由に使える.別にしっかり料理するんじゃなくても,トマトとかグレープフルーツとかを切って食べるとか,湯を沸かしてインスタントスープを作るとか,キッチンつき物件はいいものである.そのうちいっぺん「長めに滞在して,スーパーで食材を買って普通に料理する日を入れてみる」というのもやってみたい.

リトアニアやラトビアと違い,エストニアには島嶼部が存在する.その中でも最大のサーレマー島というところに行ってみることにした.
本土からはフェリーが出ている.長距離バスが直接乗りこむので,バスの切符を買うときには特にフェリーについて意識する必要はない.フェリーについたら一旦降りて,中の椅子で待つことになる.30分程度の船旅でも,ちゃんと軽食スタンドや売店が用意されているのがなんか不思議だ.港の近所に売店などが全くないからだろうか.
さて,サーレマー島では観光客としては田舎の風景を楽しむのがメインであり,町中に観光名所がまとまっていたりはしない.というか町から離れているところのほうが多い.しかし,俺は車を運転する習慣がないし,この島のバスは本数が少なくて非常に不便である.
泊まったところでは無料で自転車を貸してくれたので,「町から19キロとか37キロとか書いてあるけど,まあ丸一日あれば自転車でもなんとかなるんじゃね?」という浅い考えのもと出発してみた.もちろんなんともなるわけなく,なんとか夕方には町まで帰ってこれたけど,死ぬほど大変だった.パルヌの防波堤でも似たようなことを思ったけど,37キロ行ったら37キロ帰ってこなければならないのである.日常的に自転車に乗っていないので,すぐに足腰が痛くなった.1キロをこんなに遠く感じたのは初めてだ.
というかね,珍しい天井画が残った中世の教会とかはわかる.古い風車がたくさん残った場所とかも,まあわからなくもない.でも隕石クレーターとかは観光名所としてはどうなんだろう.なんと言うか観光客としては丸い池以外の何物でもないよなあ.
パルヌはビーチリゾートだ.エストニアのマイアミとか言うやつもいるそうだが,「マイアミはこんなに寒くねえだろ」と言いたい.北欧人の温度感覚にはついてゆけぬ.
いやまあ冗談だろうが,日本と比べても夏が短いことである.じっさい,ビーチのそばの建物を見たところによると,この週末あたりでシーズンはおしまいということらしい.28日はそれでも多少海水浴などしてる人たちをみかけたが,27日は風がすごくてとても海で遊ぶ雰囲気ではなかった.パラセーリング(というのか? でかい傘みたいのにブラ下がって飛ぶやつ)やってる人はたくさんいたけど.なにしろ,風で砂嵐が巻き起こるほどだったからな.
ここはリゾート地なので,市街中心部はほぼ観光客向けである.すごい観光名所があるというほどのことはないが,観光客向けのカフェとかレストランとかおみやげ屋とかいったものが多い.正直オフシーズンがどんな感じなのか気になる.そしてビーチまでの間のエリアは,宿泊客を受けいれるヴィラ風の建物なんかが間隔を開けて続いている.住民向けのいろいろなお店は,市街北部にある二軒のモールで主にまかなっているらしい.
……この町は,どうもなんとなく既視感がある.アレだ,熱海とか伊東とかそういう感じの雰囲気なのだ.
ところで,夏場は,浜辺の西のはじっこから長く突き出した防波堤を終端まで歩くことができる.ちょっと面白いといえば面白いのだが,防波堤と言ってもでかい丸石を並べたものに過ぎないので,2km歩ききるのは実際かなり大変であると言っておきたい.あと2km歩いたら2km帰ってこなければならないのだ.

タルトゥはエストニア第二の都市であるが,人口過密アジア人からするとのどかな地方都市という雰囲気だ.ヨーロッパの小国だとよくあるパターンだな.
さて,ここは大学都市であり,大学が旧市街の中心と言っても過言ではないほどである.大学博物館がなかなか凝っていて,予算もありそうで感心した.また,新学期も近かったからか,町には学生がたくさん戻ってきていた.夜には何かのイベント中の学生集団が飲み屋をはしごしていたり,市庁舎裏の丘では学生がたくさん集まって騒いでいたりという具合である.これまで訪れた町の中でも,サラマンカに次ぐリア充爆発しろタウンだと言わざるを得ない.
でも,若者が多いせいか,なんかオサレ系の飲み屋とかカフェとかそういうのはいろいろあって,ぼっち飯耐性さえあればそれなりに食事が楽しめる.エストニアなので値段はそんなに安くないけどね! 地元民にも人気のクレープ屋で,ブルーチーズとか入ったやつを食べてみたりした(おやつではなく食事用のクレープ).
ところで,大学のあるエリアが丘になっているので,市街中心部と住宅地部分(丘を狭んで反対にある)の行き来がちょっと大変であった.住宅地部分にはあまり飲食店やスーパーや雑貨店などがないようだし,安い宿泊施設はけっこう住宅地にもあるんだよなあ.観光客も市バスとか使いこなしたほうがいいのかもしれない.まあ,俺はよくわからないまま適当に市バスを使おうとして,30分待っても来なかったり,思ってない方向に進みはじめたのであわてて降りたり,とかやってたわけだが.
というか,あの丘に地下道を掘ったら便利なんじゃないのかと思うんだけど,予算的にきついか.

ラトビアからエストニアに向かうには,観光客の場合リーガから海沿いに北上してタリンに至るバスが便利である.でも,ほかにもルートがないわけではない.今回は,一旦リーガに戻らなくてもいいようにするため,またエストニア東部のタルトゥに直接行くため,ツェーシスからそのまま北東に向かうルートにしてみた.
基本的には,国境の町ヴァルカまで行って,エストニア側のバスないし鉄道に乗り換えることになる.ソ連時代はヴァルカを通ってラトビアーエストニア間を直通する列車があったらしいが,今はそんなものはなく,ヴァルカで必ず乗り換える必要がある.でもまあ,鉄道で行く場合そんなに問題はなくて,ラトビア国鉄が直接エストニア側の駅に乗り入れる便が一日二本ぐらいあるらしい.このへんは未確認である.
なんで未確認かというと俺はツェーシスからバスで行ったから.ツェーシスからヴァルカに行く列車は昼まで無いので,朝から効率良く行動しようとしたらバスで行くしかなかったのだ.そしてヴァルカという町は,そもそも町の中に国境線があるところで(なお,エストニア側は「ヴァルガ」と呼ぶ),バスターミナルがラトビア側・エストニア側別々にある.バスで行く場合,どうにかして移動しないといけないのだ.
まあ,そんなにすごく大変というほどのことはない.Rigas ielaに出たら右に行くとすぐ国境があって,あとは大通りにそって進めばエストニア側の駅兼バスターミナルまで行ける.国境審査もなくなってるし,歩いてもせいぜい30分ぐらいだと思う.もともとでかい町ではないしな.なお,この道の途中あたり(エストニア側)が町の中心部らしい.大型スーパーとかもあるので,いろいろと補給は可能だ.タルトゥ行きのバスが来るまで1時間あったので,パンとかバナナとか買って食べていた.

ここからしばらく,2016年夏の旅行関係.今回の旅行の行き先は主にエストニアである.ただ,例によって,同じルートを行ったり来たりする行程をなるべく避けるようにするため,スタート地点をラトビアにしてみた.リーガから北上してエストニアに入り,いくつかの町を見ながらタリンに向かう感じ.
さて,リーガからはまず電車で北東に向かい,ツェーシスという町を見物した.中世はどうだったか知らないが今はかなり小さな町だ.実際,ツーリストインフォメーションで紹介してもらったホテルに向かうときに,地図のスケールを見誤って大回りしてしまい,30分ばかり無駄に歩くことになってしまった.実際より遠く勘違いしたというのは,あまりないパターンである.
ここの名物は中世から残っている城跡だ.構造はわりとしっかり残っていて,中を探索したりもできる.中には別に電気とかついてなくて,入口で蝋燭の入ったカンテラを貸してくれる.中世的雰囲気重点ということだろう.しょせん蝋燭なのでたいして明るいわけではなく,階段なんかもあってけっこう危ないので,日本では絶対やらなさそうなシステムだ.あと実際やってみると,こんな光源だけで地下迷宮の探索とかやってられないのがよくわかる.さっさとロミルワを覚える必要があると思う.
町の中央あたりは,小さいながらも中世からの町並みがそれなりに残っていて,雰囲気は悪くない.ただ,田舎町なので,19時過ぎるとあまり人がいなくなってしまい,ぶらぶらしてるのも悩むところだ.夏は20時過ぎても明るいから,多少マシだけども.
周辺部にはあからさまに新興住宅地みたいのがいくらか存在する.きちんと区割りされていてアメリカの住宅街みたいだ.

キューバ料理そのものには,まあ特筆すべきことはあまりない.なお農産物はそこそこ豊富なので,味は別に悪くはない.単に,いろいろと凝った料理をする伝統に乏しいだけである.
特筆すべきなのは食事する場所だ.観光客が食事できる場所は大きくわけて二通りあって,「外人観光客向けレストラン」と「キューバ人用軽食スタンド」である.と言っても外人向けレストランのほうはまあ,だいたい予想通りであり,これも特筆すべきことはない.たまに気のきいた料理を食べたくなったり,野菜とかちゃんと食べたくなったときに行けばよい.
軽食スタンドというのは,あまりほかの国と似ていない,独特のスタイルだと思う.おおむね,通りに面した建物の窓の横にメニューが貼ってある形をとる.窓からほしい物を注文して,その場で食べたり持って帰ったりするのだ.支払いは基本的にCUPである.なお,CUP払いの食事処でも,ちゃんと店内に椅子があって,座って食事できるレストラン形式の場合もたまにある.こういうときは,ちゃんと皿に盛った肉やライスやサラダ的なものを食べられる場合が多い.また,ハバナなどでは,CUPとCUCどちらでも受けつける,観光客向けとの中間ぐらいのレストランも存在する.いずれにせよ,試しに一回ぐらいは観光客向けでないところで食べてみると面白いと思う.安いし.宿泊についても「キューバ旅行の際には,民泊をしてみると地元の生活に少し触れられていいよ」という話があったりするね.
スタンド豆知識
- スペイン語で"jugo"はジュースだが(「フーゴ」と発音する),これは果物のジュースだけを指し,コーラのようなものは"refresco"と呼ばれる.
- ジュースは果物が選べる場合がある.ひとつしかない場合も多い.
- "cafe"はコーヒーだが,ふつうはエスプレッソだ.
- "pan c/なんとか"はだいたいサンドイッチ的なものだ."c/"は"con"の略であり,英語で言うところの"with"である.
- 値段で「食べ物か飲み物か」は見当がつく.
- よくわからなかったら,ピザはわりと無難.
- まれにヨーグルトを置いてる店がある.朝食にどうぞ.
あともうひとつ別の話.ラム酒はキューバの名産のひとつであり,どこでも安価で手に入る.結果的に,キューバはカクテル天国である.外国人価格だと一杯350〜500円程度で(というか,カクテルはCUC払いの店に行かないとほぼ出てこない),だいたいうまいし種類も豊富だ.俺もふだんはカクテルなど飲まないのだが,せっかくだからダイキリとかモヒートとか頼みまくった.同じカクテルでも,店によってけっこう味付けが違ったりするのも面白い.ただ,キューバのカクテルがうまいのは,「ちゃんとしたラムをしっかり使ってるから」という面もあり,つまり,けっこう強いのだ.俺のような軟弱者は一杯か二杯が限度であり,残念なことであった.
キューバの通貨は,「兌換ペソ」CUCと「キューバペソ」CUPの二種類あり,ややこしいことで有名だ.超雑に言うと,CUCが対外用でCUPが地元用だ.輸入品とか工業製品とかはCUCを使わないと手に入らない場合があり,レストランやホテル等でもCUCしか使えないところがある.どうも,
- 工業製品等がひどく不足しているので,市民がおいそれと買えなくするため
- 外国人料金を取りやすくするため
といった理由でこのような面倒な制度になっているようだ.ひとつめの点については,CUCはCUPの25倍の価値があり,市民は基本的に給料(というのが妥当か知らないが)をCUPで受けとることになっているため,CUC商品を買うにはかなり貯めないといけなくなっている,ということらしい.ふたつめについては,つまり,たとえば入場料なんかが「外国人1CUC,キューバ人1CUP」など,同じ額面で通貨を変えてあるパターンが多い.
さて,観光客的に誤解しやすい点だが,別に外国人でもCUPを使うことは可能だ.両替所で普通に手に入るし,値段がCUPだけでついている場合CUP払いしても何も問題はないのだ.CUPで売っているものはだいたい激安で,たとえば小さいチーズピザが6CUP(30円弱)だった.激安なのは社会主義国だからで,つまり外国人が買うのはいわゆるフリーライド行為であるのは間違いない.しかし,別に禁止されているわけでもない.だいたい,外国人観光客をあまり想定していないところでは外国人価格を設定していないのである.本屋とか,青果市場とか,路地裏の軽食スタンドとか,市バスとか.これが制度の不備なのか,こんなところに来る外国人は少数だから知ってて放置しているのか,そのへんはわからない.また,CUP払いのものを,相当するCUCで払うことも可能である.たとえば,俺は25CUPの本を買い,1CUCのコインを出したところ何も問題なく売ってもらえた(逆が可能かどうかは微妙である).
というわけで,外国人観光客にとってはこの二重通貨制度は「めんどうくさいし,慣れないと間違いやすい」という以上のものではない.なにか行動が制限されるようなたぐいのものではないのだ.「キューバ人は2CUPなのに俺は2CUC払わされた」みたいなことは,単に外国人料金の問題であって,二重通貨制度そのものの問題ではない.そもそも,この二重通貨制度はいずれ廃止する,ということになってはいるらしいので,だんだん制限を無くしていっている途中なのかもしれない.来年,再来年に見たらまた状況が変わっているかな.
ていうか,いろいろ言ってみたけど,買える商品にそんなに選択肢はないけどね.しかも,社会主義的に考えて,どこで買っても値段はほぼ同じだ.市街でいろんな店をチェックしてもさほど意味はない.商品に直接消費税はかかってないので,空港のゲート後ですら,同じものなら値段は一緒である."Duty Free Shop"って何のDutyだよ.
キューバの首都であり,高層建築も多い巨大都市であるが,ほかの町と同様に建物はかなりギリギリである.4階建てのビルなのに壁が一部ないとか,だいぶヤバいかんじ.旧市街でも,観光客のあまり来ない通りでは,一見建物かと思ったら外壁しか残ってなかった,とか普通にある.しかも別にゴーストタウン化してるとか住民はあまり出歩かないとかそういうことはなくて,大都市として普通に機能はしているのだ.夜になると明かりのなくなる通りも多いけど,別におちおち歩けないとかいうほどの雰囲気ではないし(むしろ雰囲気は平和である),普通に住人が暗い中で談笑してたりする.崩壊寸前の建物に人が住んでたり,商店があったりもする.
新市街には,キューバでは数少ないショッピングモール的なものすら存在する.もちろん運営は政府だと思われ,「ショッピングモールなのに広告がほとんどない」という変わった代物である.ちょっと感心したのは,このモールは中央部が完全に上まで吹き抜けで,その周囲に螺旋状に通路が作られていることだ.このことにより,エレベーターやエスカレーターを作るコスト・動かす電気代やメンテナンス費用を節約でき,なおかつ階段だけではつらい人でも買い物を楽しむことが可能となるのだ.
実際,今後経済制裁が解除されていくと町の風景も変わっていくのだろうか.
ところで,ハバナの市バスは,ただでさえ系統が多くてわかりにくいのに加え,どうも不可解な動きをすることがある.空港近辺から新市街に向かうにはP16番に乗るとよいはずだが,どういうわけか旧市街近くに(違う行き先に)向かうようだったのであわてて途中で降り,道に迷って無駄に苦労した.あるいは,郊外に行った帰りに,来たときと同じP11番のバスに乗ったはずなのにちっとも戻っていかず,郊外の住宅地を何度も巡回したあげく,運転手に下ろされて「次に来るやつを待ってろ」とか言われたりとか.次に来たやつは,番号は同じなのに,確かに中心部に戻って行った.うーむ何か俺の知らないルールがあるようだ.
あと重要なターミナルであるParque Fraternidadのバス停が,広大な公園のあちこちに分散していて非常にわかりにくいのはなんとかしてほしい.四条河原町か.実は,一度行ってみたけど,30分あちこちうろうろしたあげくに目的のバスの乗り場がわからず諦めてしまったことは秘密だ.そのへんの人に聞いたらよかった.

ハバナとマタンサス間を3時間半程度で結ぶ小さな鉄道で,キューバ唯一の電気鉄道だ.もともとハーシー(チョコレートで有名な会社)が砂糖農園を経営してたころ,輸送のために作った鉄道らしい.もう何十年も前の話であり,ハーシー社は撤退して久しい.キューバ政府は慢性的に物資も予算も不足しているので,現在ではそうとうボロくなった鉄道だ.ネットで少々旅行記など探してみると,「この鉄道に乗ってみようと思って行ってみたものの,故障中であきらめた」などという記述もけっこう見つかった.俺が今回行ってみて,ちゃんと予定通り運行していたというのは,単に幸運だったのかもしれない.
実際,ハバナまでかかった時間はほぼ予定の時刻表通りだった.これには少々驚いた.俺の向かいに座ったカナダ人氏と話をしていたら,彼もタクシー運転手に「え,あの電車で行くの? 5時間はかかるよ?」とか脅されていたらしい.たまたま修理直後で調子がよかった,とかかしらん.見た目ボロくて振動もアレだけど,すぐ止まるとか異常に遅いとか,そういうことはなかったのだ.
というか,沿線住民にとってはそれなりに貴重な交通手段らしく,けっこう混んでいた.何かの荷物を運んでる人や,小鳥だとかヤギだとかを運んでる人もいた(「動物は禁止」とか書いてある気がするんだけど).通学に使ってるらしい,制服の子までいた.朝と昼と夕方に一本ずつあるので,一応通学可能であるとは思うけど,壊れて運休になったらどうするんだろう.
ちなみに,ハバナ−マタンサス間はバスなら2時間かからないだろう.まあアレだ,カナダ人氏も言っていたが,リッチなはずの観光客がなぜわざわざこういうのに乗るのか,現地の人に説明するのはとても難しいのだった.ほかにも物好きな観光客が何人か乗っていたけど.

世界的に名高いビーチリゾートであるバラデロの,最寄りの町である.観光客的には,バラデロには行ってもこっちにはあまり来ない感じ.でもそのぶん,ふつうのキューバの町の生活が垣間見えていいよ.広場にでかい遊具が設置されてて子供がいつも遊んでるとか,中心街の本屋に市民が行列してるとか.
地元の人で賑わうレストランで夕食を食べていたら,なんか全然知らないじいさんが突然隣に座ってきて,なんかどうでもいいことを喋ったあげく「ビール一杯おごってくれ」とか言い出した.いわゆるタカりである.でも,バラデロならともかく,この町には外国人観光客とかそもそもあんまりいないんだけど,普段どうしてるんだろう.いずれにせよ,英語がいまいち通じないフリをしていたら,そのうちあきらめてしまった.
夕食のあと,なんとなく一杯飲みたくなってバーに入ったら,ちゃんとウェルカムドリンクとかナッツとか出てきて超びびった.うーむこれは外人向けクオリティの店というわけなんだろうか.でもこの町には観光客とかあまり(略).あとでお勘定を見たら,頼んだカクテルの値段しかついてなくてまたびっくりした.なんか席チャージとかそういうのあるかと思った.多少チップはつけたが,そういうものだったかどうかも不明である.なにしろ,俺がいた一時間近くの間,ほかに誰も客がいなかったからね!涼しい部屋でのんびり日記書いたりできたよ!
ところで,ここに来たのは,いつもの「別に観光地じゃない町に一泊してみよう」の一環とも言えるわけだが,それだけでもない.ここからハバナまで,古い電気鉄道が走っているというので乗りにきたのだ.

トリニダの近くの町だ.中規模の地方都市であり,わりと静かな町である.夜になると,開いてるお店も少ないし,そもそも明かり自体が少ない.でもときどき道端で人が涼んでいるのでちょっと驚く.
なお,町の名前は英語にすれば「ハンドレッド・ファイヤー」である.なんかの技っぽい.しかもこの名前,もともと人名だというところも面白いと思う.どういう由来の苗字なんだ.
ここはキューバでは珍しいフランスが基礎を築いた町で,建物のかざりとかの雰囲気が若干ほかの町と違っている.もちろん現在は,目立つ通りや広場周辺以外,残念な状態の建物のほうが多いけど.ツアーの場合は,トリニダに行く途中でちょっと寄って,世界遺産になってる中央広場周辺だけ見物して行くようだ.
碁盤目構造で,中心部には広場があり,あまり迷うようなところではない.ちょっと特徴的なのは,一本だけ異様に長い通りがあることだ.市街中心部のメインストリートが,どんどん進んで行くと途中から海岸通りになり,最終的に海に突き出した岬のあたりで終点となる.中心部から終点まで3キロ近くあり,反タクシー派には若干つらい距離である.ていうかじゃあバス乗れよ.
そして岬の先端は公園になっている.海岸通りからこの公園まで,特に夕刻などいかにもカップル御用達の雰囲気である.しかし俺としては,我々非リア充組にも,このようなところを自由に闊歩する権利があるのだと申し上げたい.わざわざ無意味に一人で岬のベンチに座り,海を眺めてきたのだった.
当日記はぼっち充生活を常に応援しています.

ここは,植民地時代のかたちをとどめた町並み自体が世界遺産であり,観光客比率は非常に高い.昔の町並みが,地域の衰退によってそのまま保全されたという点を考えても,シギショアラ(ルーマニア)と似たようなタイプの町だ.でも,こっちは中心部にも住民の生活がないわけではなく,住民が主に利用する商店や軽食スタンドなどもたまに存在している.もちろん,ちょっと周辺部に行くと一気に観光客は減る.今も生きた古い町並みを見たいという向きは,やはりそっちを散策するのがよいだろう.
広い町ではぜんぜんないのだが,特に最初は,どうも道を歩いてて迷いやすいように思った.たぶん,この町は町並みの統一感が強いことと,小さな地方都市なので目立った商店やらランドマーク的建物やらが少ないことで,どの通りも似たような印象になるからだと思う.さらに,ラテンアメリカにありがちな碁盤目の道ではないので,ますます迷いやすい.日差しを遮る高い建物が少ないこと,けっこう坂が多いことで,迷ってると意外に体力を消耗するのだった.
ところで,トリニダは裏に山があり,頂上にある電波塔のあたりまで登ると,それなりに眺めがよい.30分程度のちょっとしたハイキングである.なお,トリニダ市街よりはインヘニオス渓谷のほうがよく見える.トリニダ市街の方向は木が多いんだよね.
俺が登ったときは,電波塔のところに着くと男が現れ,ちょうど疲れたところでペットボトルの水を割高な値段で売ってくれた.ははは.その後,施設のはじっこの小屋の屋根に登らせてくれて,眺めを堪能することができたのだが,はたして彼から水を買わなくても登らせてくれたのだろうか,とかは思わないでもない.

キューバ中部,トリニダ周辺の地域.いわゆる砂糖黍プランテーションの跡地である.まあそのそんな大したものが残ってるわけではなくて,見どころは主に農園主の屋敷とか監視塔(奴隷が逃げないように見はってたやつ)ぐらいである.
むしろ観光客が来るのは,ここに来る交通手段が「観光用列車」とか「馬」とかそういうアレで,交通手段自体がアトラクションだからだと考えたほうがよい.なお観光用列車は,もともとみんな大好き蒸気機関車だったのだが,残念ながら故障中らしい.俺が乗った列車はディーゼル機関車だった.しかもディーゼル機関車のほうもだいぶ状態が怪しく,前日にトリニダの旅行会社で「観光列車のスケジュールとかわかりませんか,あと切符買ったりできませんか」と聞いたら「ちゃんと動くかわからないし,当日に直接駅に行ったほうがいいんじゃない」と追い返される始末であった.
まあそれでも俺が行ったときはちゃんと動いたので,車窓からの風景とか見ながら楽しんだわけだ.観光列車の終点は邸宅跡で,ここで希望者は食事したりもできる.希望してみたところ,これがけっこう出てくるのが遅くて,停車時間内に食べきるのに必死だった.邸宅跡自体は見てるヒマがなかったぐらいである.素朴な料理ながら味は悪くないんだけども.
あと俺は運動神経がアレなので,乗馬というのは選択肢外である.予算もかかるし.

今回の旅行の行き先はキューバである.さて,今年中にもアメリカ−キューバ間の飛行機が運行をはじめるという話であるが,今のところはまだであって(だから今のうちに行っておいた,というのはある),日本からの主な便はカナダ経由かメキシコ経由となる.今回はカナダのトロント経由にしてみた.
さらに,今回はトロントで一泊する必要があった.航空券を買った時点で,一泊する便のほうが同日接続より安かったからだ.トロントは物価の高い町だが,一泊分の宿泊費を考慮に入れても安かった.貧民としては選ばない手はない.booking.comとかそういうサイトを使えば,トロントでも5000円台ぐらいで泊まれないこともないのだ.もちろん食事などはしないのだ.というかダウンタウンまで行かないのだ.
トロント空港周辺ホテルには,無料の空港送迎サービスつきのホテルがけっこうあってありがたい.今回みたいに,暑いところに行くのにトロントは雪景色,なんて場合もよくあるし.でもホテル→空港はフロントとかで頼めばいいけど空港→ホテルはどうするのかな,と思いながら到着したら,トロント空港の到着ロビーには「周辺のホテルに無料で電話できる端末」というのが設置してあった.よくできている.宿泊料をカードで払えば,カナダドルを全く用意しなくても大丈夫だ.

「安宿で携帯電話が必要」問題はますます深刻になってきている.Booking.comなんかだと,携帯番号を入力しないと先に進めなくなってるほどだ.とりあえず日本の携帯の番号を入れておいたら,ブダペストで泊まった貸しアパートの人が電話してきて留守録サービスにつながり,「あれれ?」ってなってるらしい様子が残っていた.予約したときは全然わからなかったのだが,ここは結構特殊なシステムで,ユースホステルが貸しアパートも所有していて「アパートの受付も別の場所にあるユースホステルで行っている」という事情がある.そういうことは予約サイトの文章に書いておいてほしいものだ.明らかに,外国からの客に対しても「うまく会えなかったら電話すればいいだろ」と考える奴が増えている.
シギショアラの宿では,到着が遅くなって21時を過ぎてしまったところ,入口に鍵がかけられていて電話番号が貼ってあった.まあこのときは,通りががりの人が彼の携帯電話でかけてくれて事なきを得たのであるが,単に親切な人がいてラッキーだったというだけだ.ここは貸しアパートとかじゃない普通のゲストハウスなので大丈夫かと思っていたのに.
せめてメールで連絡してくれるとこちらも対処しようがあるというものだが(コシツェではこれで済んだ),どうしたもんだろう.やはりこれからはプリペイドSIMとかを買うしかないだろうか.複数の国を旅行する場合は確認がめんどくさいなあ.
9年半前にはじめて来たときには,大都市なのにボロい町だと思ったものだ.でもバルカン半島の他の町をいろいろ行ってみたあとで来ると,別にそんなでもないような気がしてきた.いや,もしかすると実際綺麗になってきているのかもしれない.ザグレブもそうだったし.
でも,建物のサイズがむやみに大きい町だなあ,とか思ったのは,今でも別に印象は変わらない.
ある日の夕食で,ガイドブックに載っていた「青いバラ」なるレストランに入ったところ,店内を見た瞬間に前回も来たことを思い出した.しかし帰ってから当時使ったガイドブックを見たところ,別にこのレストランのことは載ってなかったのである.当時は適当に入ったんだろうか? しかしまだ旅行に慣れてなかったのにそんなことしたかなあ?
ところで,キリスト教国特有の「日曜にほとんどの店が一斉に休む」という習慣はなんとかならんもんだろうか.定休日なんか適当に交代で取ればいいじゃねえかと思うけど,そういうわけにもいかんのかね.泊まったところのすぐそばが古書店街だったという事実に,帰国直前に気付く始末だ.ショッピングモールでさえ,一見開いてると見えて実際はフードコートとトイレぐらいしか入れない.フードコートにはぼちぼち人が来てるのが,日本人からするとますます変な気がする.
スロバキア第二の都市だが,でかい町ではない.まあ首都ブラチスラバにしたってそんなにアレだしな…….観光客としてはお手ごろサイズでいいとも言える.雰囲気もよくて滞在しやすい.
さらに,今回泊まったところは大当りだった.市の中心部だし,洗濯機キッチン冷蔵庫バスタブと設備も完璧,内装もオサレで清潔,広さも申し分なし.これで二人一泊45EURだというのだから有難いことだ.加えて,ここの家主が,周辺のオススメ飲食店を詳しく書いたテキストを用意してくれていたので,いろいろ試して楽しめた.市場のところにあるgolemとかいう店はけっこうよかったと思う.自家製ビールあるし.
主な観光名所はスロバキア最大の大聖堂がある中央広場近辺だ.ある日,この大聖堂の横を通ったらパイプオルガンの音が聞こえてきた.でもなんだか変な感じで,中に入っても別に特別なことをしてるふうでもない.そもそも演奏がよく途切れるし,同じフレーズの繰り返しが多いような気がする.もしかすると練習中だったのかもしれない.
ところで,旧共産圏の国々では,ときどき,旧時代の百貨店と西側資本の入った後のショッピングモールが両方存在する町があり,なんというか哀愁が感じられる.もちろん旧時代の店はだいたい薄暗くて,どうもあかぬけない感じなのだ.でも,ここの(旧)百貨店は,格安ファッションアウトレット的な店を入れてみたり,改装してきれいにしてみたりして,それなりに努力が感じられて面白かった.もちろん,新しいモールのほうがずっといろんな物が売ってるし,人もたくさん来てるのは今のところ事実だけど.
モールのドラッグストアで日焼止めを買ってみたら,妙に高くてびっくりした(50mlで10EUR以上した).売場も少ないし,あんまり需要ない感じ.やはり西洋人的には「夏にわざわざ日焼けを防ぐとか何なの? 病気なの?」みたいな感覚なんだろうか.