海月玲二

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夜行フェリーというのは便利なものである.夕方に出港して寝てる間に海を渡り,移動と宿泊がまとめてできるよやったね.予定通りにいけば.

今回はチュニジアを18時に出港して翌朝7時に到着する予定だった.念のためちょっと早めに来たので,4時間は待つことになる.まあ,飛行機の乗り換えとか考えたら別にそれほどたいしたことではないだろう.……と思っていた.しかししばらくすると,フェリーターミナルの表示に遅延の表示が出たのである.フランス語だから自信ないけどたぶんそう.24時とか書いてあるので,さらに6時間待たねばならない.

チュニスのフェリーターミナルにはたいしたものはなく,長時間過ごすのはつらいものがあった.しかも,港の一番はじっこにあり,ターミナルから外に出てみても徒歩圏内にそれほどたいしたものはないのだ.というか夕方までならともかく,夜になってそうほいほいと外を歩くわけにもいかないし,荷物はどうすんだという問題もある.

さて,この路線は一隻の船が行ったり来たりしているだけなので,向こうから来る便が遅れるとその分出発も遅れることになる.LCC便が遅れやすいのと同じ理屈だ.それなのに,21時になっても22時になっても船が来ないので変だなあと思ってはいた.23時半ごろにいちおう出国審査が始まったけど,審査が済んだからって船がいないんだから何もしようがない.結局,日付が変わったあとやっと船が来て,それから向こうからの客が降りて再出港の準備が整うのを待ち,……実際に出港したときは午前3時を過ぎていた.出国審査の後の制限エリアでは外気に近くなるので部屋がかなり寒く,お店も全くないし,眠気も増してきてかなりつらかった.非制限エリアの10時間よりつらかったかもしれん.

さらに,9時間半遅れたなら9時間半遅れて着くのかというとそうでもなく,到着したのはなんと20時過ぎである.本来,多少時間がかかっても寝てるので問題ない,というはずが,6日の起きてる間をほとんど船で過ごすことになった.別に豪華客船でもなんでもないので,これまた暇をつぶすのが大変だった.部屋に電源があったので,raspberry piでゲームなどすることはできて,ターミナル待合室よりはマシだったかな.

ひさしぶりにかなり限界旅行だった.パレルモの宿泊先の人が,予定より大幅に遅れたのにちゃんと待っててくれて本当にありがたかった.


チュニジアの首都であり,地域きっての巨大都市だ.ここは古くから重要な町だったらしく,そもそもチュニジアの首都だからチュニスと呼ぶのではない.チュニスがある国だからチュニジアと呼んでいるのだ.

メディナもなかなかヤバい.かなりでかいし,構造も複雑である.特に,中心部の商店街地域では屋根がかかっている部分が多いので,なんとGPSが使えない.マハディアがレベル1,スースが2,カイルアンが3としたら,チュニスのメディナはいきなりレベル6ぐらいの感じだ.思ったとおりのところに行くにはかなり慣れが必要である.

もちろん,思ったところに「行かなくてもいい」のならば問題はない.散歩するだけなら適当に歩いて差し支えないので,観光客としては深く考えずに行ってもいいのだ.夜が早いということさえ注意しておけばいい.帰るときは,人通りの多い通りを一方向に進み続ければ,いずれは出られる.なんつうかアレだ,ここに限らないけど「どうしても行かなければならない」名所やお店なんて,そんなにないと思うんだよ.

ところで,夜が早いのはチュニスのメディナに限らず,この国ではだいたいそういうものらしい.夜になると車で乗りつけるような店しかやってない.なので,最終的には食事は昼をメインにして,夜は軽く食べるように行動していた.いかにも観光客とか来そうなレストランとかでも,わりと平気で5時ごろ閉まったりする.

観光客も使う公共交通機関には,強いて言えば「メトロ」と呼ばれる路面電車があるが,そんなに使いやすくはない.べつに均一料金ではないのに停留所に路線図が書いてないので,地図とかで予め降りるところを調べないと切符も買えない(検札の出現率は低いようだが).あと中心部近くに「共和国広場」なる大きな駅があるのだが,どうもときどきこの駅を通過するものがあるらしい.どこにもそんなこと書いてないし,列車を見ても全く区別がつかないのでめんどくさい.直前の駅でフランス語のアナウンスがあるだけのようだ.見ていたかぎりでは,もしかするとこの動作をするのは4号線だけなのかもしれないが,観光客が一番使う可能性が高いのは4号線なんだよな.


首都チュニスからちょっと北東に行ったところに,シディ・ブ・サイドという小さな町がある.町というか村とか集落とか呼んだほうがいいぐらいの規模だ.

ここは観光地である.神戸で言えば異人館街ぐらい観光地.白と青を基調としたオサレな町並みが観光客に大人気だ.でも,そもそもこの国のメディナはだいたい白と青を基調とした町並みだと思うんだよね.シディ・ブ・サイドは小さく小綺麗にまとまってるところがいいのかね.

まあ俺もせっかくだから,有名カフェでお茶を飲んだり高級レストランでランチをいただいたり人間好きの猫と遊んだり,観光地を楽しむことにした.酒も頼まないランチで2500円以上払うとか,俺にとっては法外な高級品である.高級レストランなので盛り付けすら凝っているし,それなりに凝った味でよかった.焼いただけとか煮ただけとかのやつとは違うのだ.最後にカードで払おうとしたら「機械のロール紙が切れた」とか言い出してやり直しになり,結果二重請求になってたとかは御愛嬌である(あとでカードのコールセンターに電話して直してもらった).

あと猫と並んで道端に座ってたら,通りすがりの兄ちゃんに「写真撮っていい?」などと言われた.

さて,このエリアにはチュニスから電車ですぐ来れる.なんか路面電車に毛がはえたような鉄道が走っているのだ.せっかく鉄道があるので,今回は,帰りにこの路線にそって港まで歩いてみた(7〜8キロぐらい).その心は,遅くなってきても,途中から電車に乗れるはずという安心感である.つまりよく知らない場所でも安心して散歩できるのだ.

途中,いわゆる「カルタゴ」のエリアを通った.まあカルタゴと言ってもフェニキア時代のものはほとんど残っていない.ローマ時代の遺跡ならそこそこあるので,浴場跡など多少見物した.現代のカルタゴはいわゆる高級住宅街の類であって,建物自体が少ない.しまいには大統領官邸なんか出てきて,警備の人に「反対側の(官邸から遠い側の)歩道を歩いてね」などと言われてしまった.


旧首都シリーズ2.

スースからちょっと内陸に入ったところにある町だ.政治的な力を失ったあとも宗教的には聖地だったそうで,この町にはやたらとモスクがあるし,大モスクはかなりでかい.19世紀にフランス軍が占領するまで,そもそもイスラム教徒以外は町に入れなかったんだとか.なお1世紀以上経った今では,大モスクなんか行くとちゃんと観光客から儲けようとする連中が来てくれる.

ここのメディナは,わかりやすい大通りが少ないので,大きさのわりには迷いやすい.スースのものより難しいと思う.というか大きさ自体も少し大きいし,店が特定の地域に集中していて,それ以外の場所はどこも似たような雰囲気になるのも迷いやすい原因かもしれない.

宗教都市なので,モスク以外に聖人の霊廟なんかもある.メジャーどころは観光名所でもあり,イスラム教徒でない観光客も棺の部屋以外は入ることが可能だ.せっかくなので俺もひとつ一番有名なやつを見物してみた.いわゆるアラブ風のタイル張り装飾や天井装飾がずいぶんと凝ったものであるが,イスラム開祖的には霊廟を豪華にして崇拝の対象とするのはどうなんだろうね.キリスト教でもよくあるけど.

あと見物してる途中に小中学生の一団が入ってきて,東アジア人というだけで「ヘーイコロナコロナ〜」的な声をかけられた(この時はまだ,ヨーロッパの感染拡大はそこまで深刻には思われてなかった).まあそんなこともあるだろうなと思ってスルーしたら,あとで中庭で休んでるときにその一団が戻ってきて,今度は一緒にセルフィーを撮らせろなどと言い出した.??? どういう意味? なんか友達に度胸自慢でもするのだろうか?

ところで,この町の名前の日本語表記は非常に一定していない.本によって「ケロアン」「カイルアン」「カイラーワーン」などと好き勝手に書かれている.俺が聞いた限りでは「カイルアーン」に近い音に聞こえた(最後の音節にアクセントがある).というかケルアンとかケロアンとか書くのはフランス語読みかもしれないな.そういやアラビア語は母音の長短を区別すると聞いたこともあるが,チュニジア方言ではどうなんだろう.


2020-03-01(日)

スース

チュニジア中部の中心都市.中部っていうのかな? 「砂漠じゃない部分」の真ん中へんだ.

ここは海のそばのメディナ自体がよく残っており,世界遺産であり観光名所だ.また,ビーチにも観光客が来るようである.つまり,観光客的には,マハディアの規模が大きい版だ.じっさいここのメディナはわりと大きくて散歩しがいがある.

メディナの構造としては,海側から陸側に向かって登り坂になっていて,海側の入口近くに広場やモスクや要塞があり,また一番奥の高いところにも要塞が建っている.坂に直角な方向に何本か大きめの通りがあり,低いエリアに二本ほど坂に平行な大通りがある.平行なほうは通りというか商店街だ.複雑といえば複雑だが,坂の方向が一定なので,どこにいるかわかんなくなるようなことは少ないと思う.適当に散歩するのもわりとおすすめだ.

ビーチもわりと旧市街近くにあり,町の近くのあたりでよければ歩いて行けるレベルである.早春の夕方だというのにけっこう人がいてびっくりした(さすがに泳いでる奴はいないようだった).リゾートホテルがつぶれて廃ビルのままになってる建物があったり,地元民が集まる長閑な雰囲気だったり,ゼレノグラーツクみたいな感じになっていた.でもここは夏にはヨーロッパ人客が来てにぎやかになるんだろうか.あと,廃ビルの一部だけをカフェとかでそのまま使ってるのはどうかと思う.

ビーチから旧市街につながる大通りを歩いていたら突然話しかけてくる男がおり,「俺だよ俺,入口のとこの店でセキュリティガードやってた」などと言い出す.いやお前は俺の顔を覚えとるかしらんが,セキュリティの奴の顔なんか一々覚えとらんがな.まあ要するに,マージンを貰える店で買い物しようとかコーヒーおごってくれとかそういうタカリ的なアレなのだが,わりとしつこくて参った.英語があんまりわからないフリをしてもなかなかひきさがらない.10ディナール(400円弱)くれとか,どこでコーヒー飲んだらそんなにかかるんだよ.結局,お金はホテルに置いてきてると言ったらやっとあきらめた.超めんどくせえ.

豆情報.旧市街から一番近いスーパーは,ここのやつだと思う.もしメディナの奥のほうに滞在してるなら,こっちのほうが行きやすいかもしれない.まあ市場に行くのも面白いと思うけど,スーパーは値段が決まってて楽だよね.


チュニジアの中部,海沿いにある小さい町だ.古代からある町だそうで,ファティマ朝時代は首都をやったことがあるらしい.でも,べつに今の基準では大都市ではない.メディナ(アラブ式の旧市街)もどちらかというと小さめである.というか,海に突き出した半島部分がそのままメディナになっているので,その半島より大きくはなれないのだ.

本格的な観光初日なので,小さめなのはむしろ好都合だったかも.ペースを取り戻すのだ.半島にアラブ風の白い市街ができているので,海とセットで眺めるとなかなかいい景色である.このあたりの海はたいへん綺麗だった.

ちょっと不思議なのは,半島の先端部分は市街になっていないことである.墓地があって,その先は公園というか特に何もないような感じになっている.釣りだとかデートだとかしてる人がいるようなところだ.なんか崩れかけた門の遺跡が残っているので,本来は先端まで城壁と市街があったんじゃないかと思うのだが.ちょっと古い地図を検索してみたところ,元々先端のほうは城壁があるだけで建物はなかったらしい.

グーグルマップで評判のよさそうなレストランを適当に探して入ってみたところ,メニューがなくて,おすすめメニューを言われるがままに頼むことになった.というかここに限らず,チュニジアではけっこうメニューがないと言われるレストランが多かったと思う.もしかして,「英語のメニューは」ないよ,ということだったのかもしれないが,他の客を見ていてもメニューを見ている感じではなかった.

それはそれとして食べたのは魚のクスクスである,魚はいいとして,あわせて入っていた謎の具が一体なんだったのか今も気になっている.細切りにした大根を固めたような食感で,味もあっさりしていた.


今回の主な旅程はグダンスクinリーガoutにもかかわらず,実は日本からの航空券はストックホルム往復である(これだけ安かったのだ).ストックホルム→グダンスクはSASの飛行機に乗ったけど,リーガ→ストックホルムはフェリーに乗ってみることにした.一泊分の宿泊も入るわけだし,普通の船室(いちおうシャワーもついてる)ならそうやたらに割高なわけでもない.

同じ感じの船としては,以前に乗ったヘルシンキ−ペテルブルク便と比べると,エストニアの会社のせいか多少きれいでお店も充実していた.まあでも,別に俺は免税店であれこれ買いこむわけでもないし,夕食バイキングは同程度だったと思う.俺らは今回もバイキングで元を取ろうと,いじきたなく何度か往復したけども,ほかにあんまりそういう人はいなかったね! あ,でも,明らかに高そう(おいしそう)なローストビーフだけ速攻で無くなってたのはちょっと面白かった.

というか,そもそもバイキングの席はかなり空いていたし,ほかのレストランやカフェテリアも同様だった.実際経営とか大丈夫なのか心配になるほどだった.この日は9月に入ったばかりの平日だったし,客自体が少なかったんだと思う.9月に減便するような設定になってなくて,俺は助かったけどね.

ペテルブルク便に乗ったときも「甲板に出ると寒いなあ」と思ったものだが,今回はそんなものじゃなくて,海に出てからは船室にいても寒かった.夜遅くなってくるとだんだんマシになってきたので,暖房を入れたんだと思う.そして暖房が効いてくると,今度は空気が乾燥してきてそれはそれでちょっとつらいのだった.9月はじめなのに,冬みたいな話だ.



ここはYも一度来ているはずなのだが,あまり印象に残っていないという.まあいわゆる「日本人のイメージするヨーロッパの町」みたいな感じであって,あまり変わった特徴はないかもしれない.

しかしそんなY氏でもリーガ中央市場は記憶に残っていたらしい.飛行船格納庫の建物を元にした巨大なやつが何軒も建っててインパクトでかいからな.そもそも市場を見物するのはわりと好きなので,そのときも中まで見物したはずである.

今までは市場に行っても「面白そうだけど旅行中に食材とか買ってもなあ」とか思って特に何も買わないことが多かったところ,今回は,ためしにいろいろ買って食事をしてみた.そもそも,よく考えたら市場では計り売りが基本なので,食べきれるようにほんのちょっとだけ買うことも別に可能なのだ.まあ,ラトビア語は全然わからないし,ロシア語も複雑なことはわからないので,チーズの種類だとかはヤマカンであるが.あとチーズを買ったら何か謎の液体をかけてくれたけど,何だったのだろう.かけたほうがコクがあってうまいのはわかった.

シャウレイで食事をしたときも思ったけど,食事を分けたりできるというのは複数人で旅行することの明白なメリットだな.一人は気楽で好きだけど,食べきれる量が少ないので,どうしても楽しめる食事のバリエーションが少なくなってしまうのだ.

ところで二度目だけど観光も全然してないわけではない.わざわざ運河を回る遊覧船に乗ったりした.お高いけど楽でそこそこ楽しいぞ.あと旧市街の「三人兄弟」なる古い家を見物してみたら,中でやってた展示が思ったよりよかった.ソ連時代のリーガのいろんな地区の変遷についてやっていて,60〜70年代の地図がいっぱい出てて面白い.やはり展示というのは展示するもの自体が面白いとかたくさんあるとかが大前提で,言葉による解説はあくまで従なのだ.



ラトビアに入り,引き続き観光だ.ここはリーガ(首都)から1時間ぐらいで来れるリゾート地である.

川が作った谷に面していて,谷を渡った反対側の集落はトゥライダという別の名前になっている.もともと川の両側は別々の領主の支配下だったそうだ.ただ現在では町と言えるのはシグルダのほうだけで,トゥライダは良く言っても農村である.まあ,シグルダのほうもいちおう町ではあるけど,なんかこう木が多くて公園みたいな町だった.鉄道の南側にはもうちょっと建物があるようだけど,グーグルマップで見るかぎりはやっぱり間隔が広くて木が多いな.

ガイドブックには「やはり谷を渡ってみるべき」みたいなことが書いてあるので,試してみたらなかなか大変だった.問題は,トゥライダ側の観光エリアはほぼ自然公園のノリなので,「町を散歩する」というよりは「近所の山にハイキングに行く」という体でのぞむ必要があったことだ.

あまり何も考えず出発したため,シグルダ側で城跡や教会を見たりロープウェーで対岸に渡ったりしてる間はよかったのだが,後半体力が尽きてしまったのである.森の中や坂道を歩くので体力を使うことに加え,お店やレストランなどの設備がほとんどなく補給ができなかった.

さらに,最後にトゥライダの城に到着して見物しようとしたら,ここの建物がどこも3〜4層ぐらいの構造になっていて,階段を登るだけでもだいぶ大変だった.あと城の中の展示が正直イマイチだったのも徒労感があったことである.文章や図のパネルを主として展示を構成するのは下策であって,そもそも情報だけなら別に現地で見る必要はないと思うんだよね.

最後にトゥライダからバスに乗ってシグルダ駅まで行き,そこから鉄道でリーガまで帰る予定だったのであるが,バスの本数は少ないしリーガへの列車はなぜか30分ぐらい遅く時刻が変更になっていたので,これまた想定より時間がかかってしまった.やはりお弁当でも持っていくべきだった.



リトアニア北部の中心都市だ.観光客がこの町に来るというのは,事実上いわゆる「十字架の丘」を見に来るということだ.ほかにもいちおう名所らしきものはあるけど,そのためにわざわざ行くようなものではない.で,その,十字架の丘であるが,正直これは出オチの類のような……いやまあ,歴史的意義はあるんだろうと思うけど.思うけど.他所者がわざわざ見に来てどうこう言うようなものなんだろうか.

えーとそれはともかく,ビリニュスからリーガに行く途中でここに寄ったので,めんどくさいから一泊した.とてもがんばればその日のうちにリーガまで行けなくはないだろうけど.

泊まったところはアパートメント形式の部屋で,妙に広くてキッチンもフルスペックであった.せっかくなので,この日の夕食は自炊にしてみた.いや,ほんとのこと言うと,時期のせいかシャウレイの町にどうも活気がなくてわざわざ外食する気が起きなかった,という話だけど.去年教えてもらった「冷凍ペリメニ(水餃子みたいなやつ)を買ってきてゆでる」に加えて,黒パンとサラミやチーズを買ってオープンサンドなど作ったりした.バルト諸国では黒パンがうまいのだ.

現在のところ,旅行中の「自炊」でやったことがあるのは,せいぜい包丁か熱湯が必要なところまでである.そのうち,「煮る」か「焼く」のどっちかが入るパターンに挑戦してみたいと思う.

関係ない話.バスの時間の都合が悪くて十字架の丘までタクシーを使ったので,戻ってきてからリーガに行くバスに乗るまで数時間あいてしまった.そこで,「猫の博物館」なる施設に行ってみたところ,これが実質「ひとり3ユーロで触り放題の猫カフェ」という状態だったので,なんだか得したような気分になった.もちろん,展示自体はそんなどうこう言うようなものではなかった(絵のコーナーとかはちょっとだけ面白いかな).

関係ない話2.この町のバスターミナルの切符売場は19時に閉まる.某ガイドブックは「20時に閉まる」と書いてあったのだが,念のためちょっと早めに着くようにしてて助かった.あぶないところだった.



ビリニュス近郊にある湖の中にある,小さな町.古い城があることで有名なので,わりと観光客も来るところだ.

よく見られるパターンだが,城の中は博物館になっている.その中でも,ここは展示がなかなか充実してるし,お城の元々の構造がほどよく楽しめるようになっている.この手の建物としてはけっこうお勧めできるんではないか.時々ある,外観だけ古い城なんだけど中は完全にコンクリートのビル的な作り,というのはちょっともったいないと思う.建物の構造や内装自体も展示の一部として再現してほしいところだ.

お城のある島から橋を渡ってすぐのところにはお店が並んでいて,ここの郷土料理のキビナイとかいうのを食べたりできる.これはつまり,ピロシキの皮を固いパイ生地にしたような料理だ.中身がいろいろ選べるけど,ポークキビナイを試してみたら味の雰囲気が551のアレだった.

なお,もちろん別にトラカイに来なくても,他の町でもキビナイは食べれる.たぶんそんなに違わない.

ここはお城と湖の観光で成り立ってる感じの小さな町だが,それでも学校やらスーパーやら床屋やらの一般的な施設もちゃんとあって,ふつうの町としてもちゃんと機能している感じだ.たまにある,ホテルとかおみやげ屋しかない旧市街みたいな感じではない.散歩するぶんにはもちろんこのほうが面白い.近所のおばちゃんたちが教会に集まってたのを見て,やっぱりリトアニアだなあと思った.

どうでもいいけど,某ガイドブックが「トゥラカイ」という表記をしているのがどうも気になる.「トラ」だろうが「トゥラ」だろうがtraという綴りの音とはどうせ違うんだから,見慣れない表記はやめたらいいのに.



今回Yが到着する空港はビリニュス(リトアニアの首都)である.クルシュ砂州でもたもたしていてあまり時間の余裕もなかったので,ニダから一気にビリニュスまで移動してしまうことにした.クライペダまで1時間,そこからビリニュスまで4時間という感じ.ロシアに比べて超らくちんだった.バスの中のwifi接続も安定して速いので,その日の宿泊先を予約したりもできる.

前回ラトビアとリトアニアに来たときは,先にリーガに滞在してその後ビリニュスに来たので,ビリニュスはわりとボロくて適当な感じの町だなと思った.しかし今回カリーニングラード方面から来ると,ビリニュスが大変ご清潔な大都市に見えた次第である.以前ブダペストについても似たようなことを書いた覚えがあるな.

一旦来たところに再訪すると,観光名所をチェックしようと必死にならなくてもいいという安心感がある.今回はYも来たことある場所なので,旧市街の名所とか完全スルーで飯食ったり買い物したりとか,どうでもいい過ごしかたをした.Yの趣味の手芸用の布地買ったりとか.あと大聖堂の前の大通りで何かのお祭をやってたので,出店を眺めたり軽食を食べたりした.

さらには休養時間もここで入れている.つまりYが到着するのは昼過ぎの便だったので,午前中は部屋でごろごろゲームしてたのである.Raspberry pi+ポータブルモニタのセットが大活躍だ.

このとき泊まってたのはちょっと面白いところで,レトロな感じの内装で統一されたアパートの部屋だった.落ちつく雰囲気でとてもよかった.しかも小さいながらもキッチンやバスルームもちゃんとついてるし.さらに,朝になると何か猫の声がするので,ドアを開けたらふさふさした猫が入ってきて,ごはんくれ顔で歩きまわりだした.そういうのは飼い主のとこ行けよ.



今回カリーニングラード地方に入国するのには,ここでも7月から始まった電子ビザ制度を使ってみた.極東でも去年からやってたやつである.本来ロシアに観光に行くにはビザの取得が超めんどいのだが,この制度を使うとwebで申請して数日後にはビザが取れ,印刷したものを持ってくだけですむので大変楽である.

ただし,

  • 8日までしか滞在できない
  • 別の地方に移動することはできない

という二大制限がある.今回はバルト海沿岸旅行の途中でカリーニングラード地方に立ち寄るだけだったので,まさにぴったりだった.というかこの制度を使ってみることを軸として旅程を決めた感すらある.

ところで,ネットで情報を探してると,「ロシアの電子ビザは入国と出国が同じポイントじゃないと駄目」という記述を見ることがあるが,これは正確ではない.正確には「同じ地方じゃないと駄目」であり,国境は別でも問題ないのだ.今回俺はポーランドからグロノヴォ−マモノヴォ国境を通ってカリーニングラード地方に入り,モルスコエ−ニダ国境を通ってリトアニアに出ている.国境審査では何も問題は起きなかった.

この誤解が生じやすいのは,おそらくウラジオストクとハバロフスクが別の地方に属するからではないかと思う.なんとなく極東ロシアでくくると同じ地方のような気がするので,ウラジオストク入国ハバロフスク出国というのができそうな気がするが,これは駄目なのだ.ただ,国内を移動する際に電子ビザをチェックすることはないようなので,もしかするとウラジオストク入国→ハバロフスクに移動→ウラジオストクに戻って出国,みたいなのは脱法行為だが可能なのかもしれない.やめたほうがいいと思うけど.

あとネットでは「申請ページに写真を何度アップロードしてもはじかれる」という声もよく目にするが,これはよくわからない.俺がやったときは一発で通った.申請ページのどこだったかをクリックしないと写真の詳細な条件が出ないからだろうか?

ところで,モルスコエでは,集落とその3キロぐらい手前の二箇所にバス停がある.なぜ手前にバス停があるかというと,ここから砂の山のよく見えるビューポイントや海岸に行けるようになっているからだ.タクシーもほぼこっちにいるし,おみやげ屋や売店の類もほとんどこっちにある.集落には雑貨店が1軒あるだけのようだ.さらに,どうも集落から観光ポイントへ直接は行けないようである.

で俺はまあ,一帯の観光は国境を越えてからでいいかと思っていたのに,間違えて手前のほうで降りてしまった.なにしろほとんどの人が降りるので.

しょうがないからとりあえずこっちで砂の山だとかを見物した(まだこの時点では午前中で,気持ちにも余裕があったのだ).ここで見れるものは要するに巨大な山になった砂浜であるが,あまり見れない景色であることは確かだ.問題は,この日は移動日だったので,荷物を全部持ったままだったということである.巨大な「山」を見るのだから,登り坂になるわけだし.

無駄に体力を消耗してしまい,その後交通手段を求めて右往左往する際にも大変苦労した.その後ビューポイントバス停と集落の間を歩いて行ったり来たりしたし.本来は,設備の整ったニダの町(リトアニア側)でのんびり滞在しながらちょっと砂州でも見物する予定だったのに,どうしてこうなった.ほんと人の話はちゃんと聞こう.

まあでもアレだ,国境を越えたのはかなり遅い時間で,ニダであまり滞在する余裕もなくなっていたので,結果としてはロシア側で観光しておいてよかったのかもしれない.



カリーニングラード近辺から北東には砂州が続いている.わりとでかい砂州なので,道路もあるし集落もある.そしてリトアニアとの境界には国境検問所までちゃんとある.というわけでここを通ってリトアニアに行ってみた.

なんだけど,ゼレノグラーツクの人達から,「バスは朝しかないよ」「国境を越えるタクシーはたぶんほとんど見つからないよ」とか聞いたにもかかわらず,「まあ国境付近まで行けば,何かしらローカルな交通機関があるだろ,タクシーだって全然ないってこともないだろうし」とか適当な考えで国境付近まで行ってみたところ,全然なんともならなくてえらい目にあった.

まず「バスが朝1本しかない」というのは,「朝と晩の2本ある」とか言う人もいたのでよけい混乱した.これはつまり「時期によっては2本のときもある」というのが正解らしく,俺が行った日は朝しかなかったようである.地元の人もあまり正確に把握してないようだ.

さらに「タクシーはほとんどない」というのはマジである.なにしろロシア人がシェンゲン圏に入るビザを取るのは大変だから.何台かのタクシーに確認してみたが,国境を越えてくれる人はいなかった.

というか国境に一番近いモルスコエという村まで行ってみてわかったのは,そもそもこの国境を越える人はあまりいないということである.そりゃローカルバスやタクシーなんかないわけだ.じっさいこのモルスコエはどっちかと言うと別荘地で,普通の意味での集落とは感じが違い,人も車もあまりいない.

……というような実態を理解したのは現地についてからなので,国境の直前まで来ておいてそれ以上進めなくなった状況だ(朝のバスはとっくに行っている).考えられる選択肢としては

(1)一旦カリーニングラードまで戻り,一泊して翌朝バスに乗る
(2)モルスコエ村でどこかに泊まれないか探す
(3)あとちょっとなので歩いて国境を越え,リトアニア領でタクシーでも探す

あたりだが,この時点でもうロシアルーブリの現金があまりなかったので,(1)はできればやりたくない(カードでタクシーかバスに乗る,あるいはユーロ現金をそのへんの売店の人にちょっとアレしてもらえば不可能ではない)し,なんか一旦70キロ以上戻るのもいかにもばかばかしい.(2)も,確実性に欠けるわりに,泊まれなかった場合のリスクが大きい(日が暮れてからどこかに戻る方法がない).(3)はできそうだが,なんとこの国境は歩いては越えられないのである.理由は知らない.

結局どうしたかというとヒッチハイクだ.EUナンバーで北に行く車に必死に声をかけて,国境を越えるまで乗せてもらった(ほとんどはロシアナンバーで,割合としてかなり少ないので本当に必死だった.数時間で済んでよかった).我ながらいかがなものかと思う.乗せてくれたドイツの人本当にありがとう.

というわけで,最終的にはなんとかリトアニアに入り,予約しておいた宿泊先に辿りつけたのだった.もうだいぶ遅かったが,レストランに行ってスープとパンとビールで簡単に食事をしたら,苦労したぶんこれがもう本当にうまかったことである.

もし検索で来た人がいたら,「クルシュ砂州の国境を越える場合,基本的にはカリーニングラード−クライペダの長距離バスに乗るしかないので,このバスの時間を基準に行動する」ということをよく覚えておいてほしい(2019年夏現在).確かにロシアでは掲示と実態が違うことはよくあるが,これは本当に方法がない.なにしろ国境を行き来する人自体が少ないのだから.



……ここにわざわざ宿泊した日本人はほとんどいないのでは?

カリーニングラードのちょっと北,海沿いにある町.いちおう保養地であり,海岸は海水浴場になっていて,レストランなども並んでいる.保養所的なものもあるようだった.ただ,かつては大型リゾートホテルか何かだったらしい廃ビルもけっこうあり,現在では当初の期待ほどの保養地ではないようだ.近隣の人が主に遊びに来ているらしい.

中心部にほんの少しだけきれいなトラディショナル町並みに整備された通りがあって,雰囲気はわりと悪くない.海岸も家族連れとかがのんびり遊んでる感じだし,のどかな町である.

ところで,この町はなんでだか知らないが妙に猫推しだった.まず,中心部の通りにやたらめったら猫がいる.明らかに世話されてる猫で,毛並みはいいし人から全く逃げない.触れるし写真も撮り放題だ.なにより笑ったのは,通りに観光客向けのカリカリ自販機が置いてあったことである.こんなものを見たのは世界でここだけだ.

町の飾りや像なんかも妙に猫モチーフのものが多いし,なんでこんなに猫推しなのかよくわからない.猫グッズ博物館もあるけど,猫博物館があるから猫推しなのか,それとも猫推しの町だから猫博物館ができたのか.

泊まったゲストハウスにも,かわいい猫が三匹もいた.堂々と部屋に入ってきてくつろぐやつさえ出る始末.口コミ評価をおまけするレベルだ.



なぞなぞの類が好きな人はケーニヒスベルグという名前のほうが聞いたことあるかもしんない.

ポジション的にはグダンスクと似た,「プロイセン系の歴史ある町で,戦争でかなり破壊されたやつ」枠だと思うのだが,現在のグダンスクの観光都市っぷりとの落差がものすごい.まさに旧ソ連の地方都市という風情.いやカリーニングラードでも大聖堂だとか砦や城門だとかいろいろ再建したりしてるのだが,どうにももっともらしさが足りない.それぞれの地区で場当たり的にやっていて,統一的なプランが感じられないというか,すぐ横にソ連式集合住宅が並んでるので浮くというか.そこにあった建物をできるだけ再現するのではなく,なんか「それっぽい建物」を建てている場合すらあるようだ.

市の中心にある「ソ連の家」という変なビルも気になる.未完成だそうだがどう見ても廃ビルだ.あれもなんとか活用できぬものなのだろうか.旧共産圏のブルータリズム建築って現代ではもはや観光名所だと思う.ここのは地盤的にやばいという話だが,どう補強しても無理なんかな.

というか,後日,たまたま会ったドイツ人に「君はカリーニングラードにどれくらいいたの? 2泊? ああ,そんなもんで十分だよね」と言われたのが忘れられないのだ.

まあ衣食足りてナントカというやつで,長い低迷期に文化にまでリソースをさくのは無理だったんだろうな.現代では経済や治安についてはかなり改善されたそうで,よくわかってない日本人がふらふら歩いてても別に危ないようなことはなくなった.宿泊や食事の選択肢もそれなりにあるし,滞在するにあたって必要なものはだいたいある.観光客にとっての問題は,現在ここは完全にロシアなので英語の通じない人のほうが多いことである.

せめてネットで情報を得ようとSIMカードを買おうとしたら,一軒目の店員には「英語話せないです」と塩対応で返された.隣の店に行ったら,今度の店員はスマートフォンのgoogle翻訳を見せて入力しろなどと言ってくる.つまり,この店員は少なくとも外人でもコミュニケーションを取ろうという意志があるということだ.そこで後者の店員になんとかSIMカードを買いたいことを伝え,無事に購入することができたのだった.



今回のスタート地点はポーランドだ.

あとから考えると,この町はお手本のような観光地だった.実際のところ,グダンスク中心部の中世風の町並みはほぼすべて再建したものである.それにもかかわらず観光客はわんさか来ているのだ.しかも観光だけじゃなくて港湾船舶業などもそれなりにやってるというからすごい.

観光客がいるのはほぼ中心の旧市街である.その周辺にもグダンスク市域はあるのだが,中心から離れたあたりは地図を見てるだけでも「昔は別の町だったんだろうなあ」という雰囲気である.散歩するぶんには,いかにも観光名所してなくて歩きやすいし,こっちはこっちでけっこうおすすめである.なんかすごいパイプオルガンがある教会とか,展望フロアのある高層ビルとか,ちょっと時代の違う町並みとか,海水浴場のある海沿いとか,それなりに見所もある.

すごいパイプオルガンは,俺が到着した直後にたまたま演奏会が始まってラッキーだった.けっこういろんな音楽をやってくれるので面白い.まあ,俺のような音楽の素養がない者が聴いても「面白い」ぐらいしかわかんなくて,せいぜいゲームのBGMを連想したりCM曲を思い出したりする程度だが.あとここのパイプオルガンは,なんか「飾りが動く」という変わった特徴がある.仕掛時計みたいな感じで,天使のラッパが上下に動いたりとかするのだ.

ところでこのオルガンがある教会や展望ビルは北側のオリヴァ地区にあるのだが,実はもともとこっちに行く予定はなかった.それが,朝9時のバスでカリーニングラードに行こうとしたら,満席だとか言われて置いてかれて,次のバスが出る15時まで待つはめになったので,行ってみた次第である.

というかそもそも,満席だとか言われないように前日に切符を買おうと思ったのに,窓口の人は「バスで直接買え」の一点張りだったのだ.しかしながら当日バスのところに行ってみると,ほとんどの人はどこかで切符を買ってきており,もちろん切符のある人から先に乗せてもらって,最後に余った俺は乗れなかったのである.どういうことかさっぱりわからない.15時のバスもほとんどの人が切符を既に持っていたけど,こっちは座席がちょっと余っていたので乗ることができた.やれやれ.



今回の旅行はヨーロッパなのだが,タイ航空が安かったのでバンコク乗り継ぎである.

あんまりやったことないのだが,バンコクでの待ち時間が9時間ある便にして,待ち時間に入国してみることにした(この便がちょっとだけ安かったのもある).スワンナブーム空港の場合,空港鉄道を使うと30分で安価に市内に出られるので,乗り継ぎ入国にも向いている.混んでるけど.注意点としては,入国カードに入国目的はトランジットであると明記しておくことぐらいだ.最近は入国カードに宿泊先を書いてないと問題になるらしく,入国審査の列の前でわざわざ係員が確認しているほどだが,トランジットだということなら空欄でも何も言われなかった.

まあ9時間と言っても全部使えるわけでもないので,そんなたいしたことはしてないが,デパートのフードコートとかオサレ喫茶店とか行ってのんびりした.デパートにLOFTだの無印良品だのが入ってるのを眺めたりとか.

ところで,最近我が家ではドライ生姜がブームなのだが,どうもバンコクのおみやげ屋だとドライフルーツコーナーにあまり売ってないな.ドライマンゴーばっかりだ.空港には少し売ってたけど.



2019-06-09(日)

高雄

俺もこの六月で四十四歳になるので,人生も後半なわけである.正直,一生懸命仕事なんかしてる場合ではなく,なんか趣味とかそういうことにもっと時間をかけていくべきな気がしている今日このごろ.

というわけで,ちょっと週末に台湾に行ってみた.おいしい旬のマンゴーを食べるなどしようと思ったのだ.

じっさいマンゴーはうまかったし,マンゴー以外もうまかった.今回,実はあまりガイドブックとかに出てる店にちゃんと行ってなくて,なんかそのへんにあった店で麺だの排骨飯だの酸辣湯だの食べてたケースが多かったけど,どれもグッドだった.

というか,多くの日本人が「台湾の食い物がうまい」と感じるということは,もともと味の好みが近いということなのだろう.逆に,台湾から日本に来る観光客が楽しめていることも道理というものだ.台湾では,わりに甘めの味付けの料理があるのがひとつのポイントなんではなかろうか,とちょっと思った.

今回はたいして観光したり散歩したりもしていない.てれてれ近所を歩いたり買い食いしたりしてたばかりである.「帰ってきて次の日は仕事」という俺にはあるまじきスケジュールだったけど,そんなに大変でもなかった.もうなんかアレだ,これは一種リゾート的な滞在とも言えるのでは.

ところで高雄は南の大都市だが,台北とは少々雰囲気が違い,もっと適当で原チャリだらけで,東南アジア感が強まっている.というか台北だけが特殊なのかもしれない.日本でも東京だけは他のどこの町とも違うからな.英語があんまり通じないことも多くて,へたすると数字さえ通じないことがあるようだ.むしろ日本語のほうがまだ通じたりして参る.


今回使ったLCCは香港エクスプレスだ.なんか妙に日本の空港にたくさん飛んでおり,どうも「香港在住の人が日本に遊びにくる」という感じの航空会社である.乗客の大半が香港人であり,すごいアウェイ感だった.関空行きの搭乗ゲートにほとんど日本人がいない,という状況ははじめて見た.

あとやはり,大阪に遊びにくる人達は大量におみやげを買う傾向にあるようで,明らかに関空→香港便のほうが機内の手荷物が多かった.LCCなので,多少多くても全部機内持ち込みに収める人が多いしね.係の人達が全部ちゃんと棚に収めるために右往左往しており,しまいには俺のかばんを取りだして「スーツケースがどうしても入らない人がいるので,このかばんの人は足元に置くようにしてください」とか言い出す始末.というか,その後から来たスーツケースは明らかに持ち込み制限を越えて重そうだったけど,そこはいいのか.

逆に香港→関空の便はみんな荷物もそんなに多くなくて,わりとすぐにおさまっていたし,出るときもそこまで手間取らない感じだった.さらに,関空での入国もほとんどが外国人の列に行くので,日本人はほぼ待たずに入国できてしまった.着陸からロビーに出るまで30分を切ったというのははじめてだ.後ろのほうの席だったから,時間的には多少不利だったはずだけど.

運転も荒っぽいしいろいろ適当な感じもしたけど,まあLCCなので気にしない.

この日は香港郊外のいわゆる新界に行ってみた.ルート的には錦田から元朗に行き,あと天水囲周辺の歴史的遺産もちょっと行った感じ.見どころ的には錦田の城壁村がわりとしっかり残ってて,わかりやすくてよいと思う.天水囲からの歴史的コースは多少案内が悪く,きつめの日差しの中で道に迷って少し苦労した.ひとやすみしておやつに老婆餅を食べたら,すごくうまく感じたことである.

新界は九龍とは全然違って,すげえ空が広い.町と町の間には何もない道路が続いている.大型犬を飼ってる人だって見かけた.というか正直,「なんでみんなこっちに住まないんだろう」とさえ思った.元朗や錦田からでも九龍に2〜30分だし,通勤できるんなら明らかに住環境の悪い九龍に住む必然性はないような気がする.ちょっとした買い物とかなら,元朗にも十分お店が並んでるし.……調べてみたら,そもそも鉄道が開通したのが21世紀になってからで,それまでのバスはけっこう不便だったのか.ふーむ,そしたら,そのわりには新界ニュータウン群は発展しているということになるのかな.

あと,新界ってけっこう場所余ってるじゃん? なんで九龍と同レベルの高層マンションを建てるんだろうか? もうちょっと住みやすそうな建物を作る余地があると思うんだけど.香港人はアゴラフォビアか何かなのか? それとも経済的な理由とか政治的な理由とかあるんだろうか?

ところで,元朗のショッピングモールに入っているスーパーは,信じがたいほど日本製品にあふれていた.日系スーパーなんだろうか? 外国で「山下うどんのお持ち帰りパック」など見たのは始めてだ.香港に限らずアジアの町では日本製品がよく流通しているけど,あれは日本企業が一生懸命売りこんでいるのか,それとも現地の業者が一生懸命仕入れているのか,どっちの傾向なんだろうか.香港ですら,いまだに日本製品にそこそこいいイメージがあるようなのは,なんか不思議な気がする.


香港に来たのはなんと実に17年ぶりだ.前どうだったか記憶は怪しくなっており,まず旺角のすごい人口密度に圧倒された.空港からバスで到着したのはもう午前1時を過ぎていたのに,昼かと思うぐらい人が歩いていて驚く.そして次の日の昼にはラッシュアワーのように人がいた.つまり,夜中の人数は,あれで「減っていた」んだということに気付き,二度驚いた.

空港からまず旺角に行ったのは,宿泊先がそこだからだが,別にランガムプレイスのところのホテルとか泊まったわけではない.今回は時期が悪く(旧正月直前)ホテルがどこも高かったので,安宿に泊まってみた.香港(というか九龍)での安宿というのは,つまり,巨大な雑居ビルの一部を「ホテル」と称して管理しているだけである.ビルの入口に小さく看板が貼ってあったりする.

さらに,今回泊まったところは「そもそもスタッフを常駐させてもいない」という豪快なスタイルだった(一応,昼に掃除の人はちゃんと来ているようだ).ホテルの管理するエリア入口と,それぞれの個室の入口にナンバーロックがあって,事前にメールとかで送ってもらった暗証番号を入れると入れる仕組みだ.おそらく毎回番号は変わっているんだと思うが,部外者とかを勝手に入れてしまえるので,原理的に多少不安ではある.ただ,ビル内でホテルとして営業してるのは3つだけだったし,もともと人の出入り自体がそんなにたくさんではない.ビル自体の入口には管理人部屋もあったし(いつも誰かいた),まあそこまでアレでもなかろう.ともかく,この時期の香港中心部で安く泊まってるわけだし,多くを期待するのは無茶である.

あと香港は物価が高いので,貧乏人としては食事もけっこう大変だった.ちょっとした食堂で食べても,一人一回40HKDは越えてしまう感じ.選択肢は多いし,いろいろおもしろい食べ物も多いんだけどね.住居費も高いし(それに伴ってキッチンが貴重だし),香港の生活はいろいろと工夫しないと大変そうである.まあ,こんなにたくさん人が住んでいるということは,何かしら稼ぎようがあるのだろうけど.

というか,最近の香港はあまりいいことがなくてテンション下がってるみたいな話も聞くけど,町はけっこう活気があるようだった.旧正月前だからだろうか.個人的に関心したのは,今でもPC部品関係の店がわりに賑わっていたことである.日本ではすっかり見なくなった光景だ.ゲーム需要かとも思ったけど,ゲーム機の店はそれはそれであるしなあ.


2018-09-09(日)

仁川

台風21号によって関西空港が使えなくなってしまったので,もちろん我々が乗るはずだったソウル→関空便もキャンセルになった.カウンターで聞いたところ別の空港行きの便に振り替えてはもらえることになったが,同日の便は名古屋行きも福岡行きも両方とも既に満席だと言う.まあ振り替えが激増しただろうからいたしかたない.札幌行きならあるらしいが,それだとソウルより遠くなる気がするしな(このときは知らなかったが,そのころ北海道は地震で混乱していたので余計駄目だ).

しょうがないので,次の日の朝の名古屋行きに振り替えてもらうことになった.この時点で午前10時半ごろだったので,ほぼまる一日待つ必要が出てきたわけである.トランジットホテルは1万6千円とかいうことらしいので,しみったれの俺としては空港を出てもう少し安いホテルに泊まることにした.

というわけで,仁川空港の周辺がどうなってるのか全く予備知識がないままてきとうにホテルを予約し,空港から出てみたわけである.まあ,しょせん空港鉄道でほんの少し移動して,駅前のホテルに行くだけなので,別にそんなにたいそうなことではないが.支払いはほとんどカードですませるしな.

空港鉄道の雲西駅周辺は,どうも仁川空港のための埋め立てをしたときに余った区画で町を作ったみたいな雰囲気である.中心部の繁華街には妙にたくさんホテルがあるので,やはりトランジット客をある程度は想定して作ったのだろう.あとは空港とか周辺に作った工業団地とかの労働力確保なのかな.

まあ今回は,ホテルでゆっくり休んで,夕方に近くの店で焼肉を食べただけなので,町がどんなんかは別に関係ない.旅行の疲れからそれなりに回復できて,一泊6000円のわりにけっこう良かった.次の日は早朝から空港まで送ってくれたし.