海月玲二

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旅行というのは短期間しか滞在しないので、その町の流儀がよくわからなかったりするものだ。
今回、ここで夕食を食べようと思ったらどうもうまくいかなかった、という話である。なんか人がたくさんいる飲み屋みたいな感じのところに入ってみたのだが、2件続けて「食べるものはないよ」と断わられてしまった。
改めてよく見てみると、確かにみんなビールだけ頼んでダベっているだけだ。ほかの店もだいたいそんな感じである。
「18時台は夕食には早すぎるので準備がない」という話なのか、「ふつうの日に夕食を外で食べたりしない」という話なのかは不明だ。
いずれにしろ、小さい町ではもともと選択肢が少なく、例外的行動もあまり対応できないだろうからどうしようもない。仕方がないので、コンビニ的なところでサンドイッチ的なものを買って帰った。
というか、そうと知ってたらスーパーでいろいろ買って自分で料理してもよかったな。

ところで、なんでこの町に泊まったかというと、単に途中だったからである。飛行機はウィーン往復なのだが、なんとなくポーランドに行ってみたくなった。しかし、ウィーンからヴロツワフまで一気に行くとそれだけで丸一日かかるので、途中で休んだ次第。


ここから夏の旅行エントリ。

さて今回はなんとヨーロッパに行くのだ。諸般の都合で台北乗り継ぎとなったので、せっかくだからちょっと余裕のあるスケジュールにして、すこしだけ入国してみた。
噂通り、台湾入国はもうほぼ制限なしであるので、こういうことをしても特に問題はない。台湾を散歩するのもひさしぶりで、なんか嬉しい。
ただ、今は家畜感染症かなにかを警戒しているらしく、日本その他の「低リスク国」から来た便の乗客は「低リスクですよ」カードをもらって区別する、という運用をしている。うっかりカードをもらい忘れると荷物をチェックされたりするかもしれない。
台北(というか桃園市だな)では、マスクをしてる人はしていて、同行の家族や友人がマスクをしてなくてもそこは気にしない、という感じ。日本と同様だ。

ところで桃園市にある中櫪(字がちがうかも)夜市は、ずいぶん地元向けの素朴な雰囲気で面白い。ゲーム機(コリントボールみたいなやつとか)の屋台がけっこうたくさんあって、しかもわりに客が来ていてびっくりした。


ペナン島は、大陸に面した側が主な町になっていて、山を越えた反対側は建物も少ない田舎のようである。香港島にちょっと似た構造だ。そして町側の部分の中心部をジョージタウンと呼ぶらしい。

ペナン島は島だけども橋が2本あって、普通にバスとかで来れる。ただ、対岸のバタワース鉄道駅のすぐそばから渡し船も出ていて、せっかくなので乗ってみるのもいいと思う。現在の注意点は2つある。

・コロナ関係で減便が継続しているようで、昼間は1時間1本しかない
・バタワース鉄道駅からフェリー乗り場までに両替所がない

特に両替所がないというのが観光客的には微妙に不便で、パダンベサールからそのまま来てマレーシアリンギットを持っていないという可能性がある。しかし渡し船の切符(1.20RM)は現金でしか買えないのだ。いちばん簡単なのは、パダンベサール駅でジュースとかをタイバーツで買っておつりをマレーシアリンギットで貰っておくことだと思う。もちろん、ジョージタウンに入りさえすれば普通に両替所があるのでその後は大丈夫。

船で入ってくると、町並みを見て一瞬「エッ西洋風?」みたいになるけど気のせいだ。いや気のせいってことはないが、コロニアル建築が残っているのはすみっこのごく一部で、基本的には中華長屋というかショップハウス形式の町並みである。地区ごとの多数派の文化によって飾りや雰囲気は変わるけど。西洋風のでかい建物は見栄えがするので、普通の観光客だけでなく、結婚式の記念写真を撮っている人達がたくさんいた。あんなにいては順番待ちとか大変だろうなあ。

さてジョージタウンはこれまで通った町と違って大観光地なので、初めて来た町だけどはっきりわかる。ここはコロナウイルス騒ぎから復旧している途中なのだ。交通手段、宿泊施設、飲食店など一旦なくなっていたのを整備が進められている。求人広告もそこらじゅうに貼ってあった。「レストランスタッフ、コックとウエイターと掃除係と会計係とフロアマネージャー募集」みたいな、じゃあ今は誰もいねえのかよみたいな広告もよく見かけたほど。

あと「中心部は主に観光業のみ、ふつうの市民生活はもうちょっと郊外が中心」みたいなタイプの町(京都みたいなやつ)だと、コロナウイルスの影響でドーナツ化現象が進んだんだな、というのも感じる。ハジャイでもそんな気がしたがこっちはさらに顕著だ。中心近くにあるモールは半分以上シャッターがおりてていかにもヤバそうだったのに、3〜4kmはなれたところにあるモールは普通に賑わっていたし、住宅街にある夜市に行ってみたら人でいっぱいだった。

実際、観光客は戻りつつあるようだった。ここだけは、西洋からの観光客らしき人々や日本人観光客でさえもときどき見かけたぐらいだ。また皆が気軽に旅行とか行くようになるとよいと思う。


タイ南部とマレーシア北部をつなぐ国境はあと2つあって、(マイナー国境はあと何箇所かあるようだ。) 今回は西側の国境を通ってマレーシアに戻った。
3つの中で、この国境はたぶん一番簡単である。なんと国際列車があり、列車に乗ってるだけでそのまま越えられるのだ。ペンカランフールーのことを考えるとマジ雲泥の差。
ちなみに一番東のスンガイコロク国境もけっこうめんどうらしい。そもそもそこまで行くのがかなり面倒。

ただ、国際列車と言っても、国境を越えたすぐのところで終点で、そこからはマレーシアの別の列車に乗りかえないといけない。バンコクからクアラルンプールに直接行ける列車みたいなものは、かつてあったかどうかよくわからんが、少なくとも2023年3月現在そういうものは存在しない。

まあ、超長距離複数国移動列車というのはロマンがあるけども、警備・管理する側からするとやってられん面はあるだろう。
実を言うと、現在の国際列車もつい最近再開したばかりである。 昨年末に爆弾テロがあって止まっていたのだ。
というわけで、少なくとも動いてることに感謝しつつ、ハジャイからパダンベサール駅まで乗る。そしてパダンベサール駅で時計を1時間進め、さらに1時間ばかり待って次のバタワース行きとかに乗るのだ。
今のところ、パダンベサール→バタワースはタイバーツで払うと117THBだった。出国時残金使い切りチャレンジをしたい人むけ情報。売店のジュースとかもタイバーツで払えるぞ。

スケジュール的には、バンコクから来る列車が8時50分にハジャイを通るので、そこから乗った。というか、駅に行ってみると客車が1両だけ待ってるので何かと思ったら、ハジャイから乗る連中はここに乗り、バンコクからやってきた寝台列車に増結するシステムだった。
バンコクから直接パダンベサール国境を越える列車は、今はこの一本しかないはずだ。
ハジャイから行きたいだけなら、7時半と14時にもハジャイ〜パダンベサール間を往復するだけの列車というのがあるので、こっちでもいい。でもどっちも時間が微妙なんだよな……

さらに微妙なトラップの話。「パダンベサール駅」というのは実は二つ存在する。タイ寄りのやつはまだ国境の手前であって、マレーシアに行きたい場合ここで降りても無意味である。よくわかってない観光客が降りそうになって、まわりの人に止められるのがこの路線あるあるだ。


ハジャイはタイ南部の中心都市だが、日本人観光客的にはあんまりわざわざここで降りたりはしないかも。でも中心都市なので、でかいビルも並んでるしそれなりに設備も整った大都会だ。
……なんだけど、どうもなんだか妙に人が少ない。シャッターを閉めてる店も目につくし、これはやはりコロナウイルス騒ぎで観光客激減とかそういう影響なんだろうか。
……と思いながら、中心から少しはなれたショッピングセンター地区に行ってみると、けっこう人がたくさんいるのでびっくりした。どこからこんなに出てきたんだ。
いわゆる都心部ドーナツ化現象ということでもあるんかな。

ショッピングセンター「地区」というのはどういう意味かというと、でかいショッピングセンターがせまい範囲に3つもあるという意味だ。しかもちゃんと住み分けがあっておもしろい。
地元民が多め、売ってる服や雑貨が安めでターゲット年齢層低めの「ナイトマーケット」と、ちょっと高めで観光客向け商品が多めになっている「バザール」、ブランド品も並んでいるちゃんとした「モール」の3つだ。まあ俺はどうせ買わないで見てるだけなので何でもいいんだが。迷惑な客だ。
なお食事コーナーは大差ない。屋台で売ってそうなものを小綺麗に並べた感じ。

あと都心部でも、人気の飲食店にはちゃんと人がたくさんいた。ちなみに、ここもわりと中華系の勢力が強いので、有名店は中華風が多い。俺も朝から点心屋に行って肉骨茶頼んだりしてご満悦だ。
日本人は行かないだろうが、日本食の店もけっこうあった。いやまあ寿司とかおやつとかはそれなりにタイ風になったやつだが、日本食がジャンルとしてそれなりに需要はあるらしい。単なるイメージとしで日本語を使ってる店もかなりあって意外だった。
タイ南部でも日系企業の人達がそれなりにがんばってきたんかね。やよい軒とかヤマザキパンの店まであった。

ところで、実際今はそれなりに観光客がいるようではあった。明らかにタイ語を話せない人とか、有名飲食店にグループでやって来て記念写真を撮る人とかをときどき目にしたのだ。
でもシャッターを降ろしてる店が多かったりするのは「まだまだこんなもんでは足りない」という話なのか、3年の間に事業が継続できなくなってしまった人がたくさんいるのか。
去年ホーチミンシティに行ったときも思ったけど、初めて来る町は2019年以前どうだったかわからないので、今どれくらい変なのかわからないな。もしかして単にのどかな雰囲気の町なんだったり、とかはないか。


2023-03-01(水)

ベトン

ペンカランフールーから国境を越えて、タイ側にある最初の町がベトンだ。

この町はいわゆる陸の孤島である。タイの最寄りの町からは車で一時間以上山を越えないと来れない。たぶんマレーシアから来たほうがまだマシだ。
そのわりに、そこそこちゃんと町なのが不思議である。どうやって経済が成立しているんだろうか。マレーシアからの観光客に依存しているのか、特産の鶏肉とかをバンコクに売るのは意外ともうかるのか。
というかそもそもなんでこんなところに町があるんだろう。タイ北部にある中華系の落人村みたいなもんだろうか。

それとこの町は中華色が強く、文化的にも独特であるとよく言われるようだ。でも、俺としてはここに来たときにあんまりそういう感じを受けなかった。なんでかというとイポー中心街と少し似ていたからである。食文化的にも共通点があると思う。
そして帰るとき、こんどは北に向かってタイ国内を進んでみたところ、ヤラーとかの周辺の町と比べたら確かにだいぶ雰囲気が違うな、と納得した。ガチムスリムの服装の人がたくさんいるとか、中国語をあまり見かけないとか、そういうことである。
つまりここは「タイ南部としては異常なぐらい」中華色が強い、ということなんだろうか。

ところで、ここで観光するというと基本的には食べ歩きである。いろいろあって面白いんだが、まあマレーシア人以外わざわざここまで来ないかなあ。あと腹は一人ひとつしかないわけで、こういうとき一人は不便だ。
あとはおねえちゃんと卡拉OKするとかいう向きも多いそうだが。確かに、カラオケ屋とマッサージ屋は明らかにたくさんある。帰りのミニバンで乗り合わせた日本人の若者が、なんか現地の女の子と飲みに行った武勇伝を話していた。


俺が陸路で国境を越えようとすると、だいたい何か失敗するものである。

そもそも国境なんだから国のはじっこであり、もれなく辺境だ。というわけで、高い確率で「どうやってそこまで行くか」が問題になるのだ。そしてタクシーに悩まされる率も高い。

今回、イポーを出発して朝からバスターミナルに行ってみたところ、国境近くのペンカランフールーとかいう町まで行くバスは、なんと夜しかないとか言う。ネットでは朝からバスに乗って国境に行った的な記事も見かけるのに。そもそもバスターミナルの施設の多くが閉まってるし、やはりコロナウイルス騒ぎの影響で減便しているのだろうか。
そのままバスターミナルで半日待つのもアレだし、だいたい国境の手前でわざわざ一泊することになりそうでいかにも無駄だ。

しょうがないので、国境よりもう少し手前のゲリクなる町まで、タクシーに乗ることにした(ゲリクまでのバスもやっぱり夜しかないらしい)。
本当は国境近くまでタクシーで行こうかと思ったけど、そうすると65RM(2000円弱)ぐらい高くなるので少しケチった。いちおう定額制のようなので、そこは安心である。
これでゲリクから結局タクシーに乗るしかなかったら無意味だが、行ってみると、ゲリクからはよくわからないローカルバスでペンカランフールーまで行けるようだった(150円)。ゲリクの町は小さいが、このへんの交通の要衝のようだ。

まあローカルバスはすごいポンコツで、上り坂のたびに遅くなるのでけっこう時間はかかったけど。
そしてさらに問題なのは、このローカルバスはペンカランフールーの中心部に行くだけなので、そこから国境まで残りの6km弱をなんとかする必要があるということだ。
どうしたかというと、今回は歩いて行ってみた。ここの国境は歩いても越えられるらしい、とネットで見たので。イヤそういううろ覚えの情報で動くから苦労するのだ。

まあ6kmは6kmなので、6km歩けばちゃんと国境についた。入口を警備している人達に怪しまれていろいろ質問されたけど。
そりゃね、一人で歩いて国境に入ろうとする奴がいたら確認ぐらいするよね。警備の人たちは思ったより敵対的じゃなくて、ちゃんと旅程を説明したら納得して通してくれた。

オチとしては、国境を抜けたあとに次の町まで行くのに、また7kmぐらい歩くのは大変だったのでタクシーに乗ってしまい、しかも遠くもないのに1000円近くとられてしょんぼりした、というあたりである。
……あとで調べてみたところ、ここでタクシーに乗ると基本的に高くて、こんなモンらしい。なにかそういう規定があるのか?


2023-02-26(日)

イポー

イポーというのはマレーシアの町の名前だ。クアラルンプールから鉄道でちょっと北に行くと、瀟洒な鉄道駅が突然出てくるので、そこで降りる。
この町の中心は鉄道の東側である。いわゆるショップハウス系のクラシックな町並みで、名物料理の店や夜市などもあり、観光的にも多少は人が呼べそうなやつだ。
しかし鉄道を越えて西側に入るとぜんぜん違う。広い道路に低層大型の建物が並び、歩いてる人はほとんど見ない。商店があるエリアも、街道沿いにそのまま商店が並ぶタイプだ。要するに日本の地方都市と似たかんじのやつである。
こんなにすぱっと「郊外」と切り替わるのはあんまり見ないな。車が普及するまでは、そもそも西側は町ではなかったのだろう。

さて、東側では町のあちこちに中国語が併記されてるし、看板も中国名がほとんど、歩いてる人も中国語を喋ってる人が多い。マレーシアの町ってこんなに中華系寄りだったかなと思うほどだ。
一方西側では中国語を一気に見かけなくなる。中華系の人も見ない。町の中心部(旧市街周辺)は中華系が押さえている、ということのようだ。かつて鉱山の町として発展したときに、開発してたのが中華系だったらしいからな。

ただ西側にはマレー系の人達がそれなりに住んでるわけだし、中心部の飲食店をよく見ると "no pork/lard" だとか "muslim frendly" だとか書いてある店も多かったりする。さらにインド系の地区もあって、ヒンドゥ寺院などではほかの人達は全然見なかった。まあいろいろ大変だね。

ところで、イポーについて調べると「もやし料理が名物」とかいう情報がよく出てくる。というわけで食べてみたところ、「もやしでもうまいものはちゃんと違いがわかる」ということに感心した。
しょせんもやしなので、これだけのために来るというようなものではないが、なにかで立ち寄る機会があったら試してみてもよいと思う。
ただよく挙げられる「老黄」という有名店のゆでもやしは、もやし自体がうまいというのもあるが、かかっているタレが甘辛系で日本人に合うんじゃないかなとも思う。


ひさしぶりにバックパッカーをやろうと思い、とりあえずマレーシアまで来てみた。
去年の旅行は期間も短めだったし、たいして複雑な行程もないのであまりバックパッカー感はなかったのだ。

なんでマレーシアかというと、安く来れたからである。パッカーたるものケチくさくなくてはいけない。
いや、というか、まだ関空からの便があまり復活してなくて選択肢が少なかったのだ。夏ダイヤではだいぶ復活するようなので期待している。

で、去年の夏も使ったけど、現在関空からホーチミンシティならVietJetで安く来れる。そこで、ホーチミンシティから安く往復できそうなところ、ということでマレーシアになった次第。
前に来たときは学生だった気がするので、15年以上前だ。

というわけでVietJetからAirAsiaに乗りつぐことになったわけだが、だいぶぎりぎりだった。関係ない航空会社の切符を別々に買うので、ホーチミンシティであらためてチェックインする必要がある。
そしてこのためには、どうしても一回ベトナムに入国する必要があるようなのだ。ホーチミンシティの空港では、制限エリア内にチェックインできそうなところが見当たらなかった(まあ俺が気付かなかっただけかもしれん)。

ともかく一旦入国する場合、いちいち入出国審査や手荷物検査を受ける必要があり、チェックインだけよりかなり時間がかかるのだ。今回、乗り継ぎ時間的には2時間半はあったはずだが、30分程度しか余裕がなかった。
LCCは遅れやすいわけだし、正直無理があったかんじ。荷物を預けてたり複数人だったりしたらもっと無理かも。まあ、今回の帰りは半日以上開いてるので、よほど遅れなければ大丈夫のはず。

あ、もしかすると、Webチェックインをちゃんとやれば外に出なくてもいけるのか? でもあの空港ではスマートフォンで搭乗券を見せてる人を見かけなかったけどなあ。

2022-09-04(日)

無題



ベトナム料理というのはバリエーションが多い。そしてその名前が要素の組み合わせでできていることが多いので、なんとなく推測できておもしろい。たとえば麺にも種類があって、日本ではいわゆるフォー(phở)というのだけ有名だが、ブン(bún)とかミー(mì)とかいろいろある。ブンはフォーと同様米粉を使った麺なのだが、平たくないやつだ。ミーのほうは、どうも小麦で作った麺を指すらしい。丸亀製麺の支店の看板には、ちゃんと"mì UDON"と書いてあった。

で、たとえばボー(bò)が牛肉らしいので、フォーボーだと牛肉のフォー、ブンボーだと牛肉のブンになるという具合だ。さらにブンはスープ麺以外の食べかたもいろいろあるらしい。あるとき、よくわからず適当に入った店でブンダウ(bún đậu)なる料理が出てきた(写真)。これはおでん用白滝よろしく小さくまとめたブンと、厚揚げその他と一緒に灰色のタレにつけて食べるものらしい。もはや麺料理と言っていいか微妙である。ダウというのは豆のことらしいが、どうもここでは揚げた豆腐を指しているようだ。

それと、ニャチャン名物らしいブンカー(bún cá)というやつがうまかった。カーというのは魚のことで、魚のダシでスープを作っている。あとすり身の天ぷらとか煮たカツオとかがそのまま入っている。日本人的には馴染みのある味だ。具としてクラゲが入っていることがあって、これはちょっと変な食感で微妙だった。

また、バインミー(bánh mì)というのは、ベトナム風サンドイッチを指すことが多いけど、これは本来単にパンを意味するそうだ。ミーはやはり小麦原料であることを指しているのだろう。そしてバインの部分は、どうも何か粉を練った系の物を指している気がする。饅頭、月餅、お好み焼き、ライスペーパーなどがすべて「バインなんとか」という表記になっていた。

2022-09-04(日)

無題

covid-19対応のいわゆる水際対策について。

帰国前にホーチミンシティの検査機関に行ってPCR検査を受け、さらに結果を紙面で受けとるために次の日にもう一度行く必要があって、なかなかめんどうくさかった。もちろんネット経由でも結果は送られてくるし、MySOSとかいうやつに登録するのはその電子的な陰性証明でも問題なかったのだが、帰国便のチェックイン時には普通に紙面も確認された。あそこで紙を持ってなかったらどうなるんだろうか。スマートフォンの画面に表示した陰性証明とかでもいいのかな?

ホーチミンシティの検査機関も一時はけっこうたくさんあったらしいが、今はだいぶ減って、観光客が主に滞在する1区には一軒しかない。これが微妙に遠くて、歩くと小一時間かかるのだった。二回目はさすがにバスで行った。あと9月1日と2日がベトナム的に休日で、検査機関も午前中しかやってないというのもめんどうだった。いやむしろ半日でもやっててくれてありがたかった、と言うべきかもしれないな。

そのような手間をかけて登録し、MySOSが青色画面の状態にしておいたので、関空ではほぼすることはなかった。着陸から30分で空港を出られたほどである。せいぜい、動線が分けられているので空港内モノレールやトイレの多くが使えなくて不便だったというぐらいだ。しかし、同じ便で降りた他の人は全然出てこなかったけど、MySOS登録などということを完全に準備してきている人は思ったより少数派なのだろうか? その場でPCR検査らしきことを受けている人も見たぐらいである。チェックインのときはどうしたんだろう。

あとMySOSに検査結果を登録するとき、俺は一発で通ったけど、Y氏の分は同じ操作をしたはずなのに一回はねられて操作しなおす羽目になったのもよくわからない。いつも完全に同じ審査をしているのだろうか? というかあれはどのくらい人間が見ててどのくらいが自動処理なんだ?

まあ、9月7日以降はさらに緩和されてるので、今ならそもそも検査を受けたり結果を登録したりする手間もなかったんだろうが。ほんとにもうどうせなら9月1日から緩和してくれればよかったのに。そういえば、VietJetで日本行きの便を予約すると、なんとPCR検査無料のクーポンがついてきたんだけど、あれも中止になったりするんだろうか。それとも3回ワクチン接種してなければ必要だから続けるのかな。本来565千ドン(3500円弱)なので微妙に気になる。

2022-09-04(日)

VietJet



「搭乗直前にもうひとつ国内線の航空券を買った」などという無茶な買いかたから、賢明な読者諸氏にはいわゆるLCCを使っているということがおわかりいただけるだろう。ふつうの航空会社なら、まとめて買ったほうが安いはずだからだ。LCCは通常、どう買っても区間ごとの運賃の合計になるので、別にあとから区間を追加してもいっしょなのである。

というわけで今回使ったのはベトナムのLCCであるVietJetだ。というか、そもそも関空への就航を再開している会社がまだ少なくて、選択肢はそんなになかったけど。VietJetは毎日関空便を飛ばしてくれているありがたい会社だ。もちろんLCCなのでいろいろと「そんなことは期待するな」という点はあれど、就航してくれているだけでありがたい今日このごろ。そろそろもうちょっと増えてくるかなあ。

「そんなことは期待するな」で一番アレだったのは、航空券を買うための公式webページや専用アプリの出来が微妙ということである。公式webで買う場合の問題は、「購入者住所の都道府県がどうやっても東京になってしまう」ということだ。専用アプリについては、「異様に重い」という点と「ときどき意味不明なエラーが出て進まない」という点がアレである。まあ、別に物理的に何か送ってもらうことはないし、郵便番号なんかはちゃんと入力できるので、総合的にはwebで買ったほうがマシか。アプリのほうの、「エラーが出て進まないんだけど、エラーメッセージを見ても何が問題なのか書いてない」というのは本当にどうしようもなくて困る。

あとLCCで定番なのは「よく遅れる」というやつだな。今回は、国際線はそこまで遅れなかった。出発は30分ぐらい遅れてたけど、到着時刻はほぼ予定どおりだったし。関空便は今のところ便数自体が少ないので、そんなに遅れる要因がないのかな。問題は国内線で、ニャチャン行きが1時間半ぐらい遅れていた。国際線の遅延を警戒して遅めの便にしていたので、最終的にニャチャンのホテルについたときは22時をまわっていたほどだ。まあ、ニャチャンの治安は悪くないのでそこまで困ったことではなかったが、ホーチミンシティの空港周辺で無意味に5時間ぐらい待つはめになった。

待ってる間、空港の目の前に「モール」と称するビルがあるので入ってみたところ、「1階のコンビニと最上階のフードコートぐらいにしか人がいない」というだいぶ微妙なビルだった。フードコートはそこそこいいと思うけど。



ホーチミンシティの9月はクソ暑い。たぶん6月でも12月でもやっぱりクソ暑いんだろうが。この国の連中がほぼ全く外を歩かない、というのはやはりこの暑さが原因なのかね。とにかく誰も歩かずバイクに乗っている。600万の人口でこれをやるので、この町はとてつもなく歩きにくい。もともとベトナムの町にはあまり信号機とかが整備されてないので、このような量のバイクには対応できないのだと思う。

そもそも、道路の引きかたとかが明らかにバイクや車優先で、歩行者のことなどあまり考えていない。大通りになると、2kmぐらいに渡って全く横断する方法がないような道が普通にある。ヤンゴンとかと同じで、巨大都市なのに都市計画が雑で十分なインフラが整ってない系の町だ。巨大都市じゃなければイイカゲンでも何とかなるんだけどねえ。

さて、ここはこの国最大の商業都市なので、ビルがボロかろうが道が適当だろうが、オサレなお店とか高級品のお店とかも普通に存在している。ベトナム料理を食べるんでも、屋台の店から先進国っぽい小綺麗な品を出す店まで好きに選べるし、よその地方の料理だって食べられる。ベトナム料理はもともとわりとバリエーション豊富なので、そういう意味ではこの町は観光客的に便利なところだ。今回は泊まったホテルの隣にナイスなカフェがあって、朝食に具合がよかった。

Y氏が陶器など所望するので、川向こうの2区にも行ってみた。あたりにはオサレ雑貨店、外国料理店、ステキなバー、クソデカタワーマンションやオサレ邸宅にインターナショナルスクールやモンテッソーリ教育まで並んでおり、なかなかの鼻持ちならない感でおもしろかった。どうやら主に駐在員とか外国人が来る地区らしい。というか、この手の地区の店に在住外国人が来るのはわかるが、観光ガイドブックで紹介するようなもんかなとは思う。先進国の連中は、ステキなバーとか行きたきゃ自国で行けばいいのでは?

ふつうの街区での外国文化勢力としては、日本と韓国があちこちで鎬を削っていた。そして中華勢力だけが中華街周辺に固まっているようだった。ちょっと珍しいパターンだと思う。中華街だけ古くからあるからなのか、中華系はあまり歓迎されていなかったので結集するしかなかったのか。



さて、単純往復と言ってはみたが、話はそう単純ではない。今回はまず関空〜ホーチミンシティ往復の航空券を買っておいたのだが、ずーっと同じところで過ごすのもどうかなあと思ってはおり、せめてもう一カ所ぐらいは行こうかなとあれこれ悩んでいた。そして最終的に行き先を決めたのは出発便の搭乗ゲートの前である。つまり、空港で待ってる間に、国内線の航空券をもうひとつ買ったのだ。スマートフォンというものはまことに便利である。

ニャチャンというのは、ベトナム南東部のビーチリゾートである。ホーチミンシティから夜行バスでも行けるが、めんどくさいのでやめた。7時間かかる上に早朝に着くしな。夜行列車だったらもうちょっと楽なんだが、これは駅に行ってみて満席だったらもうバスに乗るしかない。というわけで最初から飛行機にした。

ビーチリゾートということなので、この町はやはりコロナウイルス騒ぎの影響がでかそうだ。町の南半分にでかいホテルが立ち並び、中国語やロシア語の看板をかかげた店が多いのであるが、そのあたりは本当に閑散としているようだった。まあ俺たちは北側に泊まったので、空港バスの窓から見ただけだけど。いや、ロシア人の客が減ったのはコロナウイルスのせいじゃないのかね?

ともかく、外国人の客が来ないので、ビーチに来ているのも国内の客ばかりだった。日本の観光地に日本人客がすげえ増えたのと同じ現象だろう。また、外国人を相手にしていたお店は閉めたり廃業したりというところも多かったが、地元の人やベトナム人が来る店は普通に賑わっていた。タイ観光フェアみたいなイベントをやっていたが、あれもベトナム人向けなんだろう。

夕食に、地元で有名な焼肉屋がホテルの近くにあるというので行ってみたら、17時にはどんどん客が入ってきており、ちょっと見ている間に二階席まで全部埋まって待ち行列ができていたほどだ。ちなみに焼き肉はなかなかうまかった。まあ、ベトナム旅行に行った感想を聞かれて「焼き肉屋がうまかった」もないもんだとは思っている。

日本から来てすぐだったので、なんという暑いところだと思っていたのだが、あとでホーチミンシティを歩いてみたら「ニャチャンはまだ過ごしやすかった」という事実に気付いて驚いた。海沿いのせいか、そこまで気温が上がらず、日陰にいるとけっこう涼しい風も吹いたりするのだ。



2年半ぶりの空港だ!

今年はついに夏の旅行を再開した。ブランクがあるので、期間も短めだし複雑な旅程は組まないしでリハビリ的にいってみる。関空からの単純往復だ。

朝早い便なので、空港は空いていた。というか国際線ターミナル自体まだまだ人が少なく、店もほとんどやっていなかった。忘れてた歯ブラシを買いに国内線フロアに戻るはめになったぐらいである(いちおう、出国審査後のエリアでひとつだけドラッグストアが開いていたので、そこでも買えたかも)。去年ぐらいから空港に限らず「どうせしばらく人来ないから改装でもしようぜ」みたいな施設をわりと見る気がするが、ここも同様である。まあ、まだまだ便数も少ないしな。

でも国内線ターミナルはそれなりに人がおり、上にも書いたとおり店も営業している。なんか「国内の移動ならアリだろ」みたいな空気があるような気がするが、どっちかというと今は国内の移動のほうが微妙では?

まあアレだ、すいてるから楽なのは楽だった。ほとんど行列なし。

2020-03-12(木)

無題

ところで,俺はイタリアに数日間滞在していたわけだが,特に何の問題もなく日本に帰国している.11日の時点ではカターニア→ドバイ便はまだ普通に飛んでいたし,UAEも日本もイタリアから来た奴を問答無用で強制隔離とまではいっていなかったのだ.というか,特に何の症状もない状態で,イタリアに滞在したことを検疫官にわざわざ正直に申告までしている.でも,イタリア滞在で自動的に2週間隔離になるのはもうちょっと後で,俺は北部やローマあたりには(トランジットも含め)一歩も踏み入れてなかったので,普通に通されたのだった.

別に何も違法行為やズルはしていないことに注意されたい.つまり,そうやって入ってきてる奴は日本国内にある程度いると思われる.俺はとりあえず3月に授業があるわけじゃないし,授業以外では人と会うこと自体少ないから,仮に無症状で感染してたとしても人にうつす危険は少ないと思うけどね.

UAEの王族がイタリアに対して「新型コロナウイルス対策で協力する」的な声明を出してたので,ドバイ行きはそこそこねばって飛ばすだろうと思っていた.じっさい11日にも既にロンドン行きやパリ行きは欠航になっていて,ドバイ行きが飛んでてよかったと思ったものだ.しかしまさか空港自体が閉鎖になるとか,EU全体が閉鎖になるとかそういう事態になるとはね…….チュニジア〜イタリア間のフェリーも,乗った数日後には欠航になったようだし,わりとぎりぎりだった.

帰りのドバイ→関空便もいつもより空席が目立ったし,なによりドバイ空港があんなにガラガラだったのは初めて見た.これはかなりやばい経済危機の予感.

到着したとき(8日夕方〜夜)はまだ,町は普通の様子だった.しかし二日目あたりから様子が変わってくる.まず美術館・博物館や遺跡の類が全て閉鎖になった.ただこの時点ではまだそれなりに町に人がいて,喫茶店には人がときどきやってきてコーヒーなど飲んだりしていた.三日目になると,飲食店は閉めているところが多くなり,スーパーが入場制限をし始めていた.この日に移動原則禁止令が全国に広がり,次の日には食料品店・薬局以外全部閉鎖という強力な措置が出た.マジで急速に事態が悪化してて興味深かった.

というわけでどんどん食事する先がなくなっていったので,キッチンつき物件に滞在していてとても助かった.サラミを炒めたりカットサラダにバルサミコ酢振ったりして食べていた.部屋でもそもそ食事してても,それなりに旅行してる気分になるのが変なものである.スーパーで買った安物のピザとか紙パックワインすらうまくてびっくりした.

ちなみにこの宿泊先だが,いわゆる民泊の類である.ふつうの住宅用建物の一部を管理して客に貸しているかんじ.それはいいけど,オーナー(だかスタッフだか)が一度も姿を見せなかったのはちょっとどうかと思った.宿泊料金の受け渡しですら「セキュリティボックスに入れといて」ってメッセージ送ってくるんだもんな.ほかの宿泊客はスタッフに会ってた人もいたらしいので,アジア系が避けられてた?

しかしまあ,俺の旅行は散歩することが主体で観光名所を回ることにそれほどこだわりがないとは言え,ほぼ全く観光できないというのはさすがに残念だった.カターニアには古い大学があるので,ここを見物するのはわりと楽しみにしていたのだが.カターニアから日帰りでシラクーサなども観光しようかと思っていたけど,これも中止した.いつかまた来よう.


さて賢明なる読者諸氏はお気づきかもしれないが,フェリーの行き先のパレルモというのはシチリア島の中心都市だ.つまり,イタリア領である.もしかするとやたらに遅延したのは検疫等の手続きに時間がかかっていたのかもしれない(何の説明もなかったけど).

ただ,シチリア島は新型コロナウイルス感染の中心ではなく,というか最初のうちはほとんど関係なかったのである(今でもまだ死者は3人なので,日本とそう変わらん).俺がパレルモにいた時点では,まだわりかし他人事の雰囲気だった.観光客もそれなりにいて,店も普通にやっていた.おそらく,ここで滞在中に受けた印象は,まだ平時のときと大きくは違ってないと思う.

観光名所もまだちゃんと開いていて,ノルマン宮殿のクソ派手な礼拝堂を眺めたりとか大聖堂の屋根に登ったりとかできたし,大聖堂ではミサまでやっていた.たぶんあれが3月最後のミサになったんだろうと思うが.

チュニジアから来るとパレルモはいかにもイタリアの町で,旧市街中心部など装飾過多で豪華である.中心部をはずれるともちろんあまり豪華ではない,というかだんだん雰囲気がアレなので,夜歩いたりとかはやめたほうがいいかもしれないね.中心部は構造も単純なので散歩するのは簡単だ.「タテのメインストリート」のマクエダ通りと,「ヨコのメインストリート」のヴィットリオ・エマヌエレ通りを把握しておけば,観光客的にはおおむね十分である.

イタリアなので,おいしい食堂の類もいくらでもある.ネットを探せば日本語情報すら山のようにあるので,無難な食事場所を探すにも苦労はなかった.ふだんとは違うな.というか,それなりに繁盛してるとこを選べば,適当に入ってもそんなにはずれはないんじゃなかろうか? 喫茶店でなんの気なしに食べた菓子パンがうまかったので,ちょっと感心した.

ところで,フェリーから降りたあとの入国審査を屋外でやっていたのにはびっくりした.屋外というか,港の敷地を仕切ったエリアの中に審査官のブースが建ててあって,その前に歩いて行くのだ.雨の日はどうしてるんだろう?


夜行フェリーというのは便利なものである.夕方に出港して寝てる間に海を渡り,移動と宿泊がまとめてできるよやったね.予定通りにいけば.

今回はチュニジアを18時に出港して翌朝7時に到着する予定だった.念のためちょっと早めに来たので,4時間は待つことになる.まあ,飛行機の乗り換えとか考えたら別にそれほどたいしたことではないだろう.……と思っていた.しかししばらくすると,フェリーターミナルの表示に遅延の表示が出たのである.フランス語だから自信ないけどたぶんそう.24時とか書いてあるので,さらに6時間待たねばならない.

チュニスのフェリーターミナルにはたいしたものはなく,長時間過ごすのはつらいものがあった.しかも,港の一番はじっこにあり,ターミナルから外に出てみても徒歩圏内にそれほどたいしたものはないのだ.というか夕方までならともかく,夜になってそうほいほいと外を歩くわけにもいかないし,荷物はどうすんだという問題もある.

さて,この路線は一隻の船が行ったり来たりしているだけなので,向こうから来る便が遅れるとその分出発も遅れることになる.LCC便が遅れやすいのと同じ理屈だ.それなのに,21時になっても22時になっても船が来ないので変だなあと思ってはいた.23時半ごろにいちおう出国審査が始まったけど,審査が済んだからって船がいないんだから何もしようがない.結局,日付が変わったあとやっと船が来て,それから向こうからの客が降りて再出港の準備が整うのを待ち,……実際に出港したときは午前3時を過ぎていた.出国審査の後の制限エリアでは外気に近くなるので部屋がかなり寒く,お店も全くないし,眠気も増してきてかなりつらかった.非制限エリアの10時間よりつらかったかもしれん.

さらに,9時間半遅れたなら9時間半遅れて着くのかというとそうでもなく,到着したのはなんと20時過ぎである.本来,多少時間がかかっても寝てるので問題ない,というはずが,6日の起きてる間をほとんど船で過ごすことになった.別に豪華客船でもなんでもないので,これまた暇をつぶすのが大変だった.部屋に電源があったので,raspberry piでゲームなどすることはできて,ターミナル待合室よりはマシだったかな.

ひさしぶりにかなり限界旅行だった.パレルモの宿泊先の人が,予定より大幅に遅れたのにちゃんと待っててくれて本当にありがたかった.


チュニジアの首都であり,地域きっての巨大都市だ.ここは古くから重要な町だったらしく,そもそもチュニジアの首都だからチュニスと呼ぶのではない.チュニスがある国だからチュニジアと呼んでいるのだ.

メディナもなかなかヤバい.かなりでかいし,構造も複雑である.特に,中心部の商店街地域では屋根がかかっている部分が多いので,なんとGPSが使えない.マハディアがレベル1,スースが2,カイルアンが3としたら,チュニスのメディナはいきなりレベル6ぐらいの感じだ.思ったとおりのところに行くにはかなり慣れが必要である.

もちろん,思ったところに「行かなくてもいい」のならば問題はない.散歩するだけなら適当に歩いて差し支えないので,観光客としては深く考えずに行ってもいいのだ.夜が早いということさえ注意しておけばいい.帰るときは,人通りの多い通りを一方向に進み続ければ,いずれは出られる.なんつうかアレだ,ここに限らないけど「どうしても行かなければならない」名所やお店なんて,そんなにないと思うんだよ.

ところで,夜が早いのはチュニスのメディナに限らず,この国ではだいたいそういうものらしい.夜になると車で乗りつけるような店しかやってない.なので,最終的には食事は昼をメインにして,夜は軽く食べるように行動していた.いかにも観光客とか来そうなレストランとかでも,わりと平気で5時ごろ閉まったりする.

観光客も使う公共交通機関には,強いて言えば「メトロ」と呼ばれる路面電車があるが,そんなに使いやすくはない.べつに均一料金ではないのに停留所に路線図が書いてないので,地図とかで予め降りるところを調べないと切符も買えない(検札の出現率は低いようだが).あと中心部近くに「共和国広場」なる大きな駅があるのだが,どうもときどきこの駅を通過するものがあるらしい.どこにもそんなこと書いてないし,列車を見ても全く区別がつかないのでめんどくさい.直前の駅でフランス語のアナウンスがあるだけのようだ.見ていたかぎりでは,もしかするとこの動作をするのは4号線だけなのかもしれないが,観光客が一番使う可能性が高いのは4号線なんだよな.


首都チュニスからちょっと北東に行ったところに,シディ・ブ・サイドという小さな町がある.町というか村とか集落とか呼んだほうがいいぐらいの規模だ.

ここは観光地である.神戸で言えば異人館街ぐらい観光地.白と青を基調としたオサレな町並みが観光客に大人気だ.でも,そもそもこの国のメディナはだいたい白と青を基調とした町並みだと思うんだよね.シディ・ブ・サイドは小さく小綺麗にまとまってるところがいいのかね.

まあ俺もせっかくだから,有名カフェでお茶を飲んだり高級レストランでランチをいただいたり人間好きの猫と遊んだり,観光地を楽しむことにした.酒も頼まないランチで2500円以上払うとか,俺にとっては法外な高級品である.高級レストランなので盛り付けすら凝っているし,それなりに凝った味でよかった.焼いただけとか煮ただけとかのやつとは違うのだ.最後にカードで払おうとしたら「機械のロール紙が切れた」とか言い出してやり直しになり,結果二重請求になってたとかは御愛嬌である(あとでカードのコールセンターに電話して直してもらった).

あと猫と並んで道端に座ってたら,通りすがりの兄ちゃんに「写真撮っていい?」などと言われた.

さて,このエリアにはチュニスから電車ですぐ来れる.なんか路面電車に毛がはえたような鉄道が走っているのだ.せっかく鉄道があるので,今回は,帰りにこの路線にそって港まで歩いてみた(7〜8キロぐらい).その心は,遅くなってきても,途中から電車に乗れるはずという安心感である.つまりよく知らない場所でも安心して散歩できるのだ.

途中,いわゆる「カルタゴ」のエリアを通った.まあカルタゴと言ってもフェニキア時代のものはほとんど残っていない.ローマ時代の遺跡ならそこそこあるので,浴場跡など多少見物した.現代のカルタゴはいわゆる高級住宅街の類であって,建物自体が少ない.しまいには大統領官邸なんか出てきて,警備の人に「反対側の(官邸から遠い側の)歩道を歩いてね」などと言われてしまった.


旧首都シリーズ2.

スースからちょっと内陸に入ったところにある町だ.政治的な力を失ったあとも宗教的には聖地だったそうで,この町にはやたらとモスクがあるし,大モスクはかなりでかい.19世紀にフランス軍が占領するまで,そもそもイスラム教徒以外は町に入れなかったんだとか.なお1世紀以上経った今では,大モスクなんか行くとちゃんと観光客から儲けようとする連中が来てくれる.

ここのメディナは,わかりやすい大通りが少ないので,大きさのわりには迷いやすい.スースのものより難しいと思う.というか大きさ自体も少し大きいし,店が特定の地域に集中していて,それ以外の場所はどこも似たような雰囲気になるのも迷いやすい原因かもしれない.

宗教都市なので,モスク以外に聖人の霊廟なんかもある.メジャーどころは観光名所でもあり,イスラム教徒でない観光客も棺の部屋以外は入ることが可能だ.せっかくなので俺もひとつ一番有名なやつを見物してみた.いわゆるアラブ風のタイル張り装飾や天井装飾がずいぶんと凝ったものであるが,イスラム開祖的には霊廟を豪華にして崇拝の対象とするのはどうなんだろうね.キリスト教でもよくあるけど.

あと見物してる途中に小中学生の一団が入ってきて,東アジア人というだけで「ヘーイコロナコロナ〜」的な声をかけられた(この時はまだ,ヨーロッパの感染拡大はそこまで深刻には思われてなかった).まあそんなこともあるだろうなと思ってスルーしたら,あとで中庭で休んでるときにその一団が戻ってきて,今度は一緒にセルフィーを撮らせろなどと言い出した.??? どういう意味? なんか友達に度胸自慢でもするのだろうか?

ところで,この町の名前の日本語表記は非常に一定していない.本によって「ケロアン」「カイルアン」「カイラーワーン」などと好き勝手に書かれている.俺が聞いた限りでは「カイルアーン」に近い音に聞こえた(最後の音節にアクセントがある).というかケルアンとかケロアンとか書くのはフランス語読みかもしれないな.そういやアラビア語は母音の長短を区別すると聞いたこともあるが,チュニジア方言ではどうなんだろう.


2020-03-01(日)

スース

チュニジア中部の中心都市.中部っていうのかな? 「砂漠じゃない部分」の真ん中へんだ.

ここは海のそばのメディナ自体がよく残っており,世界遺産であり観光名所だ.また,ビーチにも観光客が来るようである.つまり,観光客的には,マハディアの規模が大きい版だ.じっさいここのメディナはわりと大きくて散歩しがいがある.

メディナの構造としては,海側から陸側に向かって登り坂になっていて,海側の入口近くに広場やモスクや要塞があり,また一番奥の高いところにも要塞が建っている.坂に直角な方向に何本か大きめの通りがあり,低いエリアに二本ほど坂に平行な大通りがある.平行なほうは通りというか商店街だ.複雑といえば複雑だが,坂の方向が一定なので,どこにいるかわかんなくなるようなことは少ないと思う.適当に散歩するのもわりとおすすめだ.

ビーチもわりと旧市街近くにあり,町の近くのあたりでよければ歩いて行けるレベルである.早春の夕方だというのにけっこう人がいてびっくりした(さすがに泳いでる奴はいないようだった).リゾートホテルがつぶれて廃ビルのままになってる建物があったり,地元民が集まる長閑な雰囲気だったり,ゼレノグラーツクみたいな感じになっていた.でもここは夏にはヨーロッパ人客が来てにぎやかになるんだろうか.あと,廃ビルの一部だけをカフェとかでそのまま使ってるのはどうかと思う.

ビーチから旧市街につながる大通りを歩いていたら突然話しかけてくる男がおり,「俺だよ俺,入口のとこの店でセキュリティガードやってた」などと言い出す.いやお前は俺の顔を覚えとるかしらんが,セキュリティの奴の顔なんか一々覚えとらんがな.まあ要するに,マージンを貰える店で買い物しようとかコーヒーおごってくれとかそういうタカリ的なアレなのだが,わりとしつこくて参った.英語があんまりわからないフリをしてもなかなかひきさがらない.10ディナール(400円弱)くれとか,どこでコーヒー飲んだらそんなにかかるんだよ.結局,お金はホテルに置いてきてると言ったらやっとあきらめた.超めんどくせえ.

豆情報.旧市街から一番近いスーパーは,ここのやつだと思う.もしメディナの奥のほうに滞在してるなら,こっちのほうが行きやすいかもしれない.まあ市場に行くのも面白いと思うけど,スーパーは値段が決まってて楽だよね.


チュニジアの中部,海沿いにある小さい町だ.古代からある町だそうで,ファティマ朝時代は首都をやったことがあるらしい.でも,べつに今の基準では大都市ではない.メディナ(アラブ式の旧市街)もどちらかというと小さめである.というか,海に突き出した半島部分がそのままメディナになっているので,その半島より大きくはなれないのだ.

本格的な観光初日なので,小さめなのはむしろ好都合だったかも.ペースを取り戻すのだ.半島にアラブ風の白い市街ができているので,海とセットで眺めるとなかなかいい景色である.このあたりの海はたいへん綺麗だった.

ちょっと不思議なのは,半島の先端部分は市街になっていないことである.墓地があって,その先は公園というか特に何もないような感じになっている.釣りだとかデートだとかしてる人がいるようなところだ.なんか崩れかけた門の遺跡が残っているので,本来は先端まで城壁と市街があったんじゃないかと思うのだが.ちょっと古い地図を検索してみたところ,元々先端のほうは城壁があるだけで建物はなかったらしい.

グーグルマップで評判のよさそうなレストランを適当に探して入ってみたところ,メニューがなくて,おすすめメニューを言われるがままに頼むことになった.というかここに限らず,チュニジアではけっこうメニューがないと言われるレストランが多かったと思う.もしかして,「英語のメニューは」ないよ,ということだったのかもしれないが,他の客を見ていてもメニューを見ている感じではなかった.

それはそれとして食べたのは魚のクスクスである,魚はいいとして,あわせて入っていた謎の具が一体なんだったのか今も気になっている.細切りにした大根を固めたような食感で,味もあっさりしていた.