海月玲二

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2018-03-08(木)

無題

俺はバックパッカーとしては致命的なレベルで値段交渉が下手だ.下手というか全くできない.つうかめんどくさいんだよ.物を買うぐらいでいちいち何度もやりとりしたくないよ.

ただ,俺は高い買い物をしないので買い物についてはたいして問題ないし,宿泊費に関しても最近はBooking.com様に全部お任せなので交渉なんてしなくてすむようになった.でも,どうしても徒歩では行けない距離はあるから,これが最後の問題なのだ.

というわけで俺はバス代やセルビス(ルートの決まった相乗りタクシー)代やタクシー代を一切交渉してないわけだが,今回ちょっと驚いたのは,ガイドブックに載っている値段の目安より「安かった」という事例があったことだ.

考えられる原因としては,

  • 単に値段が変わった
  • アラブ世界では,本当に値段が固定でない場合がある
  • 値段を聞くのではなく,当然のような顔をして適当な額を出してお釣りをもらうほうが,結果的に安くすむ場合がある
あたりだろうか.まあ数十円の話なのでよくわからんが.バス代とかが「去年より安くなる」とかって考えにくいし,最初のは無いか?

なお,もちろん目安より高く払った回数のほうが多い.

ワディ・ムーサやサルトもそうだし,サラエヴォやヴェリコ・タルノヴォなんかもそうだが,谷の周辺に広がった斜面の多い町というのはけっこうある.アンマンはその親玉みたいなやつだ.複数の谷と丘の広がるエリアにまたがって町が続いている.もちろん移動は大変に面倒くさい.ちょっと散歩する程度であれば,「立体的で面白い」ですむけど.

ただ,いまや「気楽に散歩に行ける,一般的なアラブ世界の大都市」というのは貴重になってきている気がする.ドバイとかアブダビとかはちょっとジャンルが違うよな.ほかはせいぜいモロッコの町ぐらいじゃなかろうか? そういう意味で,アンマンはわりと散歩しがいがあると思う.まあその,いわゆる観光名所的には城塞跡の丘とローマ劇場跡ぐらいしかないんだけども(でもこの二つは思ったよりしっかりしている).

途上国にはよくあることだが,ヨルダンも格差社会のようで,地区によってかなり雰囲気が違う.他所者として散歩するぶんには興味深い.中心のダウンタウンには個人経営の小さい店がぎっしり並んでいる一方,アップタウンに行ってみるとちゃんと外資チェーンとか大型モールとかこじゃれた店とかがゆったり並んでいるのだ.たとえばアップタウンの喫茶店でコーヒーとか飲むと,普通に日本なみの値段を取られるのだが,たくさん客は来てるしどんどん注文もしているようだった.

アンマンにちゃんと滞在したのは最後の3日ぐらいだ.でも,アンマンは今回の旅程のハブになっているので,それ以外の日もけっこう通過,というか短時間滞在している.何度も行ったり来たりしていたので,最終的にはこの巨大な町もなんとなく様子がわかってきた.

  • 別の地区に移動する場合,だいたい谷を越える必要がある
  • 外食はあまり安くないが,食材は外国人でもかなり安く買える
  • ダウンタウンから一番近いスーパーは,しいて言えば1st・2nd Circleの間にあるやつ
  • アブダリ地区北側は,わりとリーズナブルで利用しやすい店が多い
  • 南バスターミナル〜北バスターミナル間のセルビス(シェアタクシー)は,外人でも利用しやすい


2018-03-04(日)

サルト

旧首都ジャンルの町である.旧首都とはいえ,今となってはアンマンと全然規模が違う,ごく小さな町である.

本来,この地域で取れる黄色い石を使った建物で伝統的な町並みが形作られている,という話である.ただまあ現状ではそこまでしっかり残ってるという感じではなくて,わりと適当なコンクリートのビルも多かった.町の入口で大規模に工事していたので,そのうちもうちょっと見栄えがする感じになるのかもしれない.

観光名所としては地味すぎるし,博物館の展示やおみやげ屋なんかもすごい素朴な感じなので,外国人観光客はほとんどいない(子供たちが好奇心で挨拶してくるレベル).でもなんだか国内からの観光客がそこそこいるような感じなので,ヨルダン的にはやはり古い伝統ある町ということなのかな.じっさい泊まったホテルでは,おそらく国内からと思われる団体客に二組ほど遭遇した.

ところでこのホテルはどうも奇妙な店だった.宿泊もできることはできるのだが,なんかレストラン営業のほうがメインのような雰囲気.そもそも宿泊用の部屋は3部屋しかないようで,それはまあいいけど,レストランとして使ってるエリアと分かれていないのが決定的に変だった.つまり俺が部屋でのんびりしてても,壁のすぐ向こうで誰かがお茶とか飲んでたりするのだ.部屋自体は伝統的イメージに合わせたつくりで,なかなかよかったんだけどね.ジュースが無料でついてきたし.

そういえば某「歩き方」には「2016年現在,宿泊施設は存在しない.ゲストハウスがオープン予定」とか書いてあったけど,そのゲストハウスだったんだろうか.そう思ってみるとなんか宿泊対応の段取りも悪いようだったし,最近宿泊客の受け入れを始めたように見えた気もしてくる.


2018-03-03(土)

マダバ

ヨルダンに戻って,ちょっと南のマダバなる町に行ってみた.ここはビサンツ帝国時代の教会跡,特にモザイクで有名である.調べてみたところ,どうも8世紀ぐらいに地震で壊滅して,そのあと最近まで誰も住んでなかったらしいので,そのせいで直前の時代の建物跡がよく残っているということかな.

せっかく来たので,まず中東地図を描いた大作をはじめいろんなモザイクを見物したわけである.さて,そのあと丘の上にある教会に行ってみたら,展示室に各所のモザイクのレプリカが展示されていた.そしたらこのレプリカが,レプリカだけに色あざやかで綺麗なのである(本物は当然経年変化で色あせている).まとまって見れるし,もうこれでいいんじゃないかという気さえしたほどだ.

考古学的資料の展示というのは,そもそも実物である必要はないのではないだろうか? というか,芸術作品だとしても,違いがわからないぐらい精巧なレプリカならそれで問題ないのではなかろうか? というのが,俺がこの町で思ったことである.そういえば,エルサレムにあったいわゆる「死海文書」の展示も,傷んできてるやつはコピーだったりしたな.あれこそ実物じゃなくても全然問題ない気がする.

ところでホテルの展望レストランで夕食を食べたとき,鶏の焼いたのを頼んだら「すいません,鶏肉を切らしてるので別のメニューにしてもらえませんか」とか言われてびっくりした.仮にもホテルのレストランで鶏肉がないってすごいな.まあ,かわりに頼んだ牛肉のシュワルマがけっこううまかったので,個人的には不満はない.というかイスラム教って牛肉もアリだったっけ.


これはキングフセイン橋と同じものである.イスラエルではアレンビー橋と呼ぶのだ.同じ国境を往復するのははじめてだが,別にだから簡単ということもなかった.なにしろヨルダンとイスラエルのイミグレは別物だからな.

ここを通る場合のイスラエル出国税はべらぼうに高いことで有名だ.俺が通った時点では180NIS(5500円ぐらい)だった.現金がほんとうにギリギリで,財布からもたもたと小さなコインまで出して数えてたら,隣で出国税を払っていたアメリカ人に「大丈夫? なんなら余ったコインあげようか?」などと哀れまれる始末.そもそもカードで払えるんだから,無理して現金で残さなくてもよかったのだ.

高い出国税にしろ,橋を渡るバスの外国人用がどうなってるのかすごくわかりにくいことにしろ,ここでビザが出ないことにしろ,やはりイスラエル的にはこの国境で外国人も通してるのは「あくまでついで」なんだろうなあ.バスなんか,パレスチナ人向けのものはどんどん来るし.

まあでも,一番の問題はヨルダン側についた後の話で,国境からアンマンまで行くバスが全然見あたらなかったことである.周りにはタクシーしかいないようだし,警察の人に聞いてみてもタクシーの話しかしない.実に困ったものである.ネットの体験記を見るとバスに乗ってる人もいるようなのだが,なんか探す場所が違ったのだろうか?

しょうがないので,俺はてきとうにそのへんにいた台湾人とタクシーをシェアしてアンマンまで行ったのだった.

さすがに,散歩してまわってもなかなか楽しめるところだった.旧市街はそれなりに複雑(ガイドがないと歩けないほどではない,というのもポイント)だし,地区ごとに雰囲気が変わるというのがすごい.普通の旧市街の4つ分楽しめるわけである(言いすぎ).しかも,ここではおみやげ売りとかのセールスをスルーするのが非常に楽である.観光客が多すぎるので,一人あたりの対応の必要が減るのだ.観光客があまり通らない通りでは,セールスもほとんどなくなるし.

一方西エルサレムの新市街では現代的な町並みを楽しむことができる.けっこう広いのだが,ちゃんと路面電車やバスもあちこち走ってて,外国人でも使いやすいのでご安心だ.停留所に「あと○○分で来ます」みたいな表示さえあって,もう完全に先進国の雰囲気である.レストランやカフェなんかも,先進国的に洗練されたものを出す店が多く,それなりにグッドだった.

さて先進国みたいということで予想できることだが,エルサレムは物価が周辺と比べて超絶に高い.あまりに高いので,さすがの俺もドミトリーに泊まらざるを得なかった.食事も,外食は一日一回までに制限して,ホステルのキッチンにはお世話になった.新しいホステルなので設備もわりと綺麗で快適だったし,ふつうの観光客より早寝早起きなのでシャワー等の時間が他人とかちあうことも少なかったけど,やはり部屋で一人になれないというのは落ちつかないな.

新市街の博物館を見ていたら,「一時期たくさん来たソ連系の移民とそれ以外の市民との軋轢」みたいのをテーマに,わりとえげつない画風の絵を描いてる人の展示がなかなか面白かった.「ユダヤ人」というアイデンティティをもってしても,それでも人は「あいつらは俺らと違う」とかいうようなことをやりたがるものなんだなあ.


2018-02-27(火)

分離壁

いわゆる分離壁を見た.パレスチナ自治区とイスラエル領の間に建てられたコンクリートの壁である.反対の落書がどっさり描いてあって,監視塔からは普通にイスラエル兵が見てたりする.こんなところが観光地化するというのもどうなのかと思うが,普通に観光客が来て記念写真とか撮ってた.まあ,イスラエル軍としてもそうおいそれと外国人観光客などに手は出せんだろうけど.

ベツレヘム近郊には実際観光以外の産業はあまりないわけで,ある意味飯の種にもなってるのかもしれない.ベツレヘムを散歩していると,タクシー運転手の「バンクシーの絵を案内するぞ」という営業がわりと来る.バンクシーというのは有名なストリートアーティストらしいが,壁の落書の意味的に考えて,そこだけピンポイントで見て回るのはなんか変な気もする.

ところで,そもそも外国人観光客は普通に壁を越えられる.というか,壁の一部が開いていて,その中に国境チェックポイントがあるので,パレスチナ自治区からイスラエルに入国できる者はそこも越えられるのだ.だから,ベツレヘム旧市街から歩いて分離壁まで来て(30分かそこらだと思う),チェックポイントを歩いて越え,イスラエル領に入ってからバスに乗ってそのままエルサレムに向かう,ということは普通に可能である.たまに「バス乗り場はベツレヘムの町のほうにしかないから,タクシーに乗る必要があるよ」などと言ってくるタクシー運転手もいるので注意.

ただ,車で通るためのチェックポイント入口と,徒歩の入口は別なので,これまた注意が必要だ.車用の入口の(ベツレヘムから見て)左のほうに,タクシー乗り場みたいな広場があって,その奥から徒歩で通路に入れるようになっている.


「あの男」の生誕の地だそうである.エルサレムの名所を見物してても思うけど,人間というのは妄想だけでここまで壮大で複雑なものを構築できてしまうものである,という事実に感銘を受ける.人間の知能の本質とは,頭の中で考えただけのことと現実とを区別しないことである.

さて,町を見物したあと,夕食を食べようとレストランでメニューをしばらく睨んでいたら,なんか横の席で食べていた人が「メニューを見ても何なのかわからなくて悩んでない? 俺が頼んだ料理を実際見てみたらどうかな」などと言いにきて大変びっくりした.別に店の関係者とかではなくて,単に親切な人だったらしい.まあその,俺はフムスとかファラフェルとかが何なのかは知っていたのだが,それでもこの店の分量とかトッピングとかがわかったのはありがたかった.

食い終わって外に出てみると,観光地にもかかわらず,夜になると通りにほとんど人がいなくなっている.つまり,だいたいの観光客はエルサレムから日帰りで来ているんだなフーン,でも俺はここであえて泊まっちゃうんだもんねーなどと低能なことを考えていたら,あとで旧市街の外側にけっこうな数の大型ホテルが建っていることに気づいた.よく考えたら,ここの旧市街はかなり狭いので,そもそも大型ホテルが旧市街近くに建ってるわけないのだ.

どうも,聖誕教会とかそのへんに巡礼にくる団体というのがけっこういるようである.おみやげ屋やホテルでロシア語表記をかなり見たので,ロシア人の団体とか多いのかもしれない.


トランプ大統領のせいでどうも不安は残るのだが,まあとりあえずテロ等の情報もないので,エルサレムまで足を伸ばしてみることにした.

アンマンからエルサレムまで往復するとき,最短ルートとなるキングフセイン橋を通るルートがよく知られている.よく知られているので,このルートのめんどうさもよく知られている.ちょっと検索すれば,日本語ですら体験記がいろいろ出てくるぐらいだ.

詳細はそのへんと違いはないので割愛.しいて言えば,「今ではイスラエル入国でパスポートにスタンプは押されないので,必死でノースタンプとかアピールしなくてもいい」というのは事実のようだった.というかそんなことより,ヨルダン出国手続きの待合室に猫がいたことを特筆しておきたい.イスラム教の国はだいたい猫に甘いものだが,イミグレにまでいるとは……

あとイスラエル入国の審査がけっこう厳しいみたいな話も聞くけど,俺のときはすげえフレンドリーで簡単だった.たぶん運がよかったのだろう.たまに別室送りになる人が出て,そうなると数時間拘束されるらしいね.

そもそもイスラエル人も,世界からどういうイメージを持たれてるかぐらい知ってると思うんだよね.だったら,特に問題がなさそうな状況では,愛想よくするぐらいのことは考えるのかもしれないな.

ペトラ遺跡最寄りの町で,中心部から遺跡エリアの入口までは1キロ半ほどある.距離はそんなでもないのだが,坂がきついので帰りが大変だった.ただ坂になってるぶん,町並みの見た目はおもしろくて,夜景など意外にきれいでよかった.

ヨルダンの町にはよくあることだが,涸れ川というか谷のあるところに町ができているので,坂が多いのはわからなくはない.でも,なんでわざわざ急坂になってるところをメインストリートにするのか謎だ.勾配と平行に通りを作ったらいいのに.予約サイトとかで宿泊先を選ぶとき,地図上でたいした距離じゃないように見えてもすげえ坂があったりするので要注意である.ちょっと離れただけでかなり行き来が面倒になる.

あとアンマンに帰るとき,泊まってたホテルの人にバスについて聞いたら「うんうん,じゃあ明日バスを呼ぶから」とか不可解な返答を受けた.「呼ぶ」? アンマンからは普通のバスで来たので,帰りも普通のバスがあるはずで,俺はその乗り場とか時間とか聞いたつもりだったのだが.さらに次の日の朝には「タクシーが来たよ」とか言われ,ますます何だかわからん.別に値段はバスと違わなかったのもわけがわからない.「タクシー」と称する車は単なる自家用車で,相乗りだったし.


ヨルダン南部の砂漠というか岩山の中にある遺跡群.なんか世界七不思議のひとつだそうで.

ここを訪れる楽しみというのは,遺跡自体より,遺跡を見ながら峡谷を歩くトレッキング的楽しさのほうが大きいような気がした.歩くのはちょっと大変だが,峡谷の景色はかなりよいと思う.というか,前から俺は疑問なのだが,みんなは遺跡だけを見てそんなに楽しめてるもんなんだろうか? 俺はどうも想像力が貧困なのか,遺跡だけ見ても往時の活況とかなかなか想像できなくてぴんと来ない.

いやまあそのつまり,ヨルダン最大の観光名所だけあって,別に面白くないとかそういうことはないのだ.確かにエル・ハズネはすげえ出オチだが,それ以外にもいろいろ見どころがあり,一日二日いても楽しめるだろう.問題は,だからと言って入場料に八千円弱も払う気が起きるかどうかである.俺は結局払ったわけだが,うーん.

ところで,入場料を払うのにカードはちゃんと使える.手数料は1JD(150円ほど)だけど,決済時の換算レートに比べればたいした問題ではないだろう.ヨルダンでは,「カード使えます」みたいに書いてあっても実際は機械が動かないとか言い出すのはよくあることなので,ちゃんと使えるのはわりとありがたい.

もうひとつ旅行情報としては,SIMカードを入手しておけば,遺跡エリアの奥のほうとかでも普通にメールしたりできる.写真撮って「ペトラなう」とかやりたい向きにも安心だ.俺はメールとかしただけだが.


日本でLCCを使ったのははじめてだ.まあ別に欧州と違うということもないか.関空のLCCターミナルは,さすがにはっきりと外国人観光客向けの感じ.軽食屋も日本食だしおみやげ屋も日本の商品がほとんどだし.国内線のほうはまた違うのかな.

帰りは30分ほど遅れた(たぶん,前の便がちょっと遅れたせいであり,LCCにはよくあること)けど,おおむね問題ないフライトだった.3時間程度であれば,食事とかいちいち回ってこないほうがむしろ気が楽だと思う.

というか,何が一番びっくりしたかと言うと,フライトアテンダントの人が機内でペンを貸してくれたことである.いつも,飛行機で入国カードの類が配られてから,「しまったペン持ってきてねえ」とか思うんだよな.いや,もしかするとふつうは貸してくれるのだろうか? 普通,飛行機でアテンダントにそんなことを頼んでる人を見たことがないのでよくわからない.今回はなぜか何人もそういう人がいたのだ.アテンダントの人達も,ピーチのロゴの入ったペンを何本も持っていて,どうも想定内のような感じだった.

LCCで近くの国に遊びに行くというのは,いわゆる「海外旅行」と言うより,東京とか大阪とかに遊びに行くのの延長の感じだった.ガイドブックより,新しくできたお店とかが載ってる情報誌が必要な感じ.住んでるところと似た町でも似てない町でも,散歩すればそれぞれの面白さがあると思う.


2018-02-04(日)

台南

というわけで,新企画の単発短編型旅行である.

台南というのは台湾最古の都市であり,旧首都ジャンルの町であるが,なんというか京都と言うよりは奈良の感じだった.全体にわりとヌルい雰囲気.京都はもっとサツバツと(以下略).さらに,古い建物や町並みが残っているところをきれいに改装して,オサレな雑貨屋だとか喫茶店だとかを入れて観光名所化しているのも,現代の奈良と似た感じである.というか,これは最近ひさしぶりに奈良を訪れたときに知ってびっくりしたんだけども.

ヌルい雰囲気といえば,町の中心がどこなのかがどうもよくわからなくて不思議だった.どの地域にもそれなりにぽつぽつ人がいて,みんなが集まるところというのが見当たらないのだ.ただ,単に寒くて出歩いてる人が少なかったからという可能性はある.店に入ると突然人がたくさんいて驚くことも多かったし.でも,店もいろんな地域にばらばらとあるような気がしたなあ.

まあ,この日は十年に一度級の大寒波が来ていたらしく,南国のはずなのにわりと本格的に寒かったのは確かである.日本で空港まで移動するためにフリースを着ていたのだが,そのまま台南でも必要になるとは思わなかった.

ほかの人はどうか知らないが,俺としては台湾旅行というと,露店だとか夜市のような外の席で軽食を食べたりかき氷を食べたりするイメージだ.しかしながら今回は,室内のお店で鍋ものを食べたりぬくい麺やスープを食べたりして,ずいぶん想定と違った感じ.いわゆる小籠包も食べてないし.鍋料理にもいろいろおいしいものがあるとは知らなかった.

まあ,台湾土産の定番パイナップルケーキは今回もたくさん買いこんできたけども.好きなんだよねアレ.


ヴァレッタのまわりにも町が続いていて,海を隔てて南東にあるのがスリーシティズ,北西にあるのがスリーマやサンジュリアンといった町である.観光客がいるのはだいたいこのあたりまで.正直,ヴァレッタ周辺全部まとめてひとつの市扱いでもよくね,と思わなくもない.小さい国の行政は日本などとは全然違うんだろうか.

スリーシティズは,ヴァレッタとあわせて,観光におけるいわゆる「旧市街」のポジションだ.ヴァレッタと比べると小規模でおちついた感じである.特にビルグについては,道が他と比べて入り組んでいてまっすぐではないので,また雰囲気が違って面白い.たぶんヴァレッタ都市計画より古い町だからだろう.さらに,ヴァレッタよりはだいぶ観光客が少ない点も,観光における雰囲気として重要だ.まんなかの広場にある店では地元のおっさんたちがビールとか飲んでた.

スリーシティズの先にもまだ岬があって,なんか砦跡なんかも見える.しかし,試しに歩いて行ってみたところ,どうも工事中のようで入れなかった.炎天下にはるばる小一時間歩いたあげく収穫なしで,ひとけのないバス停で帰りのバスを待ったりして,わりといつもの俺の旅行っぽい.途中に超小さい海水浴場があったのもちょっと面白かった.

一方スリーマやサンジュリアンは,首都圏の「新市街」の一部だ.新市街の中でも,観光客向けの施設が多いエリアである.最後の二日はここに滞在してみたところ,買い物も食事も不自由せず大変便利だった.スーパーもショッピングセンターもあるし,お店が22時ぐらいまで普通に営業してたりする.便利さだけで言えば,滞在するのは旧市街より圧倒的にこっちである.町並みはすごい普通のビルとかだけど.


騎士団がやってきてヴァレッタ周辺が首都になる以前は,島中央部の高台にある町が首都であったそうな.中世にアラブ人が中心部を要塞化して,イムディーナの町(城壁で囲まれた部分)がラバトの町(それ以外)と別ものということになったが,基本的にひとつの町と言っても差し支えないと思う.

というか,観光客としては,イムディーナというのは全体で「この町におけるアトラクションのひとつ」というポジションではなかろうか.中世からある町に多い,高台の要塞みたいなポジションである.そもそもイムディーナは現代の町としては小さすぎるし,今は町としてはほぼ機能していない.住人も数百人だし,店はレストランや土産物屋だけ,通りを歩いているのはほぼ全員が観光客である.シギショアラ旧市街と同様で,ここを観光するのはいわゆる「街歩き」ではないのだ.

イムディーナには「静寂の町」というニックネームがあるそうだが,静寂というか,住人が去った町なのだ.古い国にはときどきこういう,「町の思い出」みたいなエリアがあると思う.建物だけはしっかり残ってたりするのが,むしろ寂しげである.

一般的な商店とか,公的施設とか,実質的な町の機能はラバトにある.ある日の昼,腹がすいたので広場にあったてきとうな店に入ったら,地元の人が大勢いて雑談などしており,憩いの場的な感じだった.どうでもいいがこの店,バーかカフェにしか見えない店構えなのに,メニューには普通に食べものが載っているので,ちょっとびっくりした.ピザを頼んでみたら,どこからともなく焼きたてピザが出てきたし,料理は別の場所で作っていたんだろうか.

なお,このエリアのもうひとつの観光客アトラクションは,ラバトにある大量の地下墓地だ.行ってみる場合,何度も階段昇降運動をするハメになる点は覚悟しておくとよい.あと,地下墓地の「入口に」注目すべき点が全部書かれたパネルがあって,内部では何も書いてない方式はどうかと思った.短期記憶に厳しい.内部に「ここに古代の壁画が残っています」とか案内板を置けばいいのに.


ヴァレッタはマルタ共和国の首都である.

クリーム色に統一された中世っぽい町並みでかっこいい.まずクエンカのように「外から見たときのまとまった感じがかっこいい」に加え,「石の旧市街が海から突然にゅっと生えてるのがかっこいい」という点もある.さらに,「中の街路がまっすぐな上アップダウンがあるので,妙に遠くまで見渡せてかっこいい」というのもポイントだ.外側から見ても中に入って見ても楽しめて二度おいしいと思う.

というか,丘の傾斜を無視して直線の街路を作ったから変な景色になった,という気もするな.ハバロフスクと一緒だ.坂や階段がきつくて歩くのがちょっと大変,というのも同じ.

ヨーロッパの古い町にはよくあることだが,今のヴァレッタは観光を主目的とした作りになっている.滞在したらしたで朝や晩の様子が見られていいのだが,生活するのにあまり便利ではない.いろいろと慣れが必要だ.例えば,スーパーの類はたぶん存在しない.食料品や生活用品の小さい店はないこともないが,19時とかに閉まることが多いし,日曜日はだいたい閉まっている.

レストランも,だいたい観光客向けのようだ.ただ,ウォーターフロント地区(フェリーとか来るあたり)だけはそうでもないらしく,わりと地元の客で混雑している感じだった.なんというか「最近近所にできたオサレスポット」みたいな雰囲気で,それはそれで面白かった.なお,別に地元客が多いエリアだからと言って安いわけではない.ヴァレッタは全面的に物価が高いのだ.

ウォーターフロントのお店で,ワインとマルタ風つまみ盛り合わせみたいのを頼んだところ,なんかドライトマトをオリーブオイルに漬けたみたいなやつがうまかった.マルタの名産でもあるらしいが,そもそもオイル漬けドライトマトなどというものを初めて食べたので,単にドライトマトが俺の好みに合っただけかもしれない.


2017-09-01(金)

ナポリ

ナポリを見たので,あとは死ぬだけである.

いや,そもそも件の名言はナポリのどの景色を差して言っているのか知らんけども.とりあえず丘の上から眺めた景色はそれなりにかっこよかった.

そもそも今回は飛行機(easyjet)に乗りに来ただけなので,散策したと言っても2〜3時間程度である.実はryanairのバーリ→マルタ便というのも存在しており,これにすればわざわざナポリまで行く必要はなかったのだが,こっちはちょっとスケジュールの都合で避けたのだ.

ナポリにはそんなに観光客は多くないようだった.みんなカプリ島だのアマルフィだのに移動しちゃうのかな.ナポリはナポリで旧市街は広いしいろいろ凝った建物もあるし,またいつかちゃんと見たいと思う.

まあ確かに,なんか建物は薄汚れてるし,観光客があんまり安心できなさそうな,スリぐらいは出そうなアトモスフィアがあるのも事実ではある.特に,鉄道中央駅の周辺はすごくアレな感じだ.あのあたりだけ,通りに屯してる人達がほとんど黒人なのも,どうも気になる.別に何をされたということもないのだが.朝起きてみたら,駅前のでかい広場が青空モスクと化していた.もともと住んでたイタリア人はどう思っているのだろうか.

せっかくナポリに来たので,ホテルの人におすすめの店とか聞いてピザを食べてみた.さすがになかなかうまくて満足.うまいピザというのは要するに,生地やトマトソースがもともとうまいのだ.具がチーズだけみたいなピザってあるけど,あれは,あれでもうまいから成立するんだな.あと「コーラは本場のピザにも合う」という事実を知った.地元の人も普通にコーラ飲んでたし.


バーリに渡ったあと,ナポリからマルタ行きの飛行機に乗るまでイタリア国内で二泊ほど余裕がある.まずバーリから1時間ほど電車に乗ってアルタムーラという町に向かった.正直,南イタリアにはほかにマテーラの洞窟住居とかアルベロベッロの妙な形の家とかいろいろ観光名所がある中,なんでこの町にわざわざ来たかと言うと,パンを買うためである.この町は独特のパンで大変有名なのだ.

さて,31日の午前中にパンを買ってそれからナポリに移動するというスケジュールだ.バーリの港に着いたのが30日の朝で,それから喫茶店でWiFi接続してホテルを予約→アルタムーラまで移動してチェックインしても,まだ昼過ぎだった.だから午後は別にマテーラに観光に行ったりしてもよかったのだが,今回はアルタムーラを散策したりホテルでのんびり休憩したりという感じで過ごした.マテーラはマテーラで別の機会にゆっくり見たいものだ.いや別に,ホテルの綺麗な部屋でシャワーを浴びて休んだらめんどくさくなった,というわけではない.と思う.

というか,そもそもアルタムーラで過ごすのだってそれなりに面白いものである.旧市街は小さいけどしっかり旧市街してるし,ここ特有の袋小路が多い構造もちょっと面白い.なんかアラブ圏の町みたいだ.実際イタリアというのはさすが観光大国だけあって,別に観光で有名な町じゃなくてもけっこう町並みが凝ってたり,料理がうまかったりする.すげえ.

12時前に駅からホテルに向かっていたときは,旧市街の大通りにもカフェにもたくさん人がいてにぎやかだったのに,13時を過ぎてあらためて町に出てみたら,店は全部閉まってるしほとんど人もいなくてびっくりした.さらに,夜になるとまたたくさん人が出てきて,大聖堂前の広場など22時を過ぎても人でいっぱいだった.イタリア南部では,地中海周辺によくある「夏の午後は誰も出歩かない」文化のようだが,とても極端だな.


フェリーに乗ったのは19時半過ぎである.切符は事前にネットで買ってあったので,フェリーターミナルでは,謎のチェックイン作業(カウンターで用紙を貰ったあと,謎の端末で何か操作をしないといけない)をした後はひたすら待っただけだ.ニンジャスレイヤーとか読んでた.フェリーターミナルにはコインロッカーのようなものがあったので,もしかすると,荷物を預けて町でのんびりすることもできたのかもしれない.誰も使ってなかったからよくわからないけど.

さてフェリーの切符だが,(客船にはよくあることだが)いろんなクラスがある.最低ランクが「デッキ」という切符で,これは別に甲板で寝るという意味ではなくて,「専用の場所はないのでそのへんの椅子で適当に過ごす」という意味の切符である.荷物管理とか場所取りとかがちょっと大変だ.

俺が買ったのはその次に安いランクの「座席」切符で,これは(船室には入れないが)少なくとも専用の座席は確保される,というものだ.実際にはどうなってるかというと,普通の船室のほかに「座席室」的なものがあるのだ.飛行機みたいに座席だけ並んでいて,指定された場所に座って寝る.

俺の割り当てられた席がある部屋に行ってみると,どういうわけだかガラ空きだった.けっこうたくさん座席があるのに,俺のほか二人しか来なかったのだ.別にこの船自体がガラ空きということはなくて,多少混雑してる座席室もちゃんとあったのに.単なるラッキーなんだろうか.まあ,空いてるぶんには文句はない.床に寝転がっても誰も気にしないので楽だ.

問題はそんなことではない,問題は,異常に冷房が効いていて超寒かった,ということである.これに乗ろうという人がいたら,毛布か上着か何かを用意しておくことを強く強くお勧めする.ひとばん寝て,風邪を引いてなかったので驚いたほどだ.

ところで,この路線は場合によっては数時間単位で遅れてめんどくさい場合もあるらしい.日によって運行している会社が違うようなので,ネットの口コミ的なやつで比較的マシな評判の,GNVなる会社が運行している日にしてみた.そのおかげか,遅れることもなく定刻通り朝8時にバーリに到着したのだった.偶然かもしれない.


アルバニアのドゥラスという町と,イタリアのバーリという町の間には定期航路があり,フェリーに乗って渡ることができる.ちなみに,ドゥラスは首都ティラナからバス等で行くのが普通だが,シュコダルからの直行バスというのも日に二回ぐらいは存在していて,乗り換える手間が省ける.

シュコダルを13時に出発し,ドゥラスに着いたのは15時半ごろ.出航まではかなりあるので,時間をつぶすのがわりと大変だった.多少は周囲の町の様子を見てみたけど,荷物を持ったままなので,あんまりうろうろするのはつらいものがある.バスが到着した鉄道駅前広場と,フェリー乗り場はほぼ隣接しているので,それは楽でよかった.

というわけでドゥラスの町についてはあまりよくわからない.鉄道駅周辺はいちおう繁華街のようで,店だとか食堂だとかショッピングセンターみたいなのはあるようだった.ショッピングセンターはびっくりするほど人がいなかったのに,わざわざ二軒並んで立っている(SC的な建物が二軒ある)のが不思議だ.まあ,トイレが無料で使えて便利ではある.

とりあえず買いものしたり軽く食事をとったりした.ピザ屋がやたらあるけど,イタリアに向かうのにピザでもなかろうと思い,ケバブ屋に行ったのだった.けっこう悪くなかった.

あとこの町は,海岸沿いというか港に沿ったエリアにだけ,でかいマンションが並んでいるのも奇妙な感じだった.需要あるのか? もちろん,その他のエリアは普通にアルバニアンスタンダードな感じである(ぼろい).


コソボを観光したあとはフェリーでイタリアまで渡り,そこからマルタに渡る予定である.フェリーの港まで行く途中,アルバニアで一泊してみた.アルバニアの中でもここに来たというのは,「ティラナは前回滞在したことがあるから」程度の意味しかないんだけども.

実は,プリズレンとシュコダルの間を行き来する場合,「シュコダル東にあるダム湖をフェリーで渡る」という観光客的に人気の方法があるらしい.でも,プリズレンから行こうとするとダム湖フェリーの時間がいまいち都合が悪いため,あっさり諦めた.

さて,シュコダルはアルバニア北部の中心都市だ.観光客的には,そんなに用のないところである.というか,前述のダム湖エリアとか,北部山岳地帯とかにアクセスする拠点,という感じだ.まあいちおう観光名所がないことはなくて,町はずれの丘に砦跡があるのと,西にでかい湖がある.湖のほとりにある町ということで,それなりに景色のいい町なのかなと思っていたら,どうも町の中心から湖までは3〜4キロぐらいあるようだ.あんまり町から湖の雰囲気はしない.さらに言えば砦跡もけっこう離れている.観光しようと思ったら,自転車でも用意したほうが便利だ.

せっかくなので砦跡ぐらいは行ってみようと思い,泊まったホテルで自転車を借りることにした.最初は1時間5ユーロとか言ってきて,でも俺が難色を示していたら1ユーロでも貸してくれた.えらい違うけど,最初のは俺の聞き違いだったんだろうか? まあ,1ユーロなら,サドルの角度が変で乗りにくいとかブレーキがなんかイマイチとか,その程度のことはたいした問題には感じなかった.

砦跡はわりと大型だ.プリズレンのものよりかなりでかい(歴史的にもわりと重要らしい)し,建物もそれなりにあったりする.だから何というほどのものではないけど.とりあえず湖のほうまで見わたすことができて,なんとなくここの町で観光した気分にはなった.


プリズレンからはアルバニア北部の町シュコダルに向かった.別に一旦首都のティラナを経由する必要はなくて,直接シュコダルへ行くバスが存在する.というか,国境を越えてウルツィニ(モンテネグロ)に行くバスの途中で降りる感じだ.

それはまあいいのだが,プリズレンのバスターミナルには若干疑問が残った.まず,そもそもここは中央窓口的なものがないようで,バスターミナルと言っても周辺にいくつもあるバス会社のオフィスで直接切符を買うしかないらしい.近距離はバスで直接買うようだ.

さらに,俺は事前にシュコダル行きの切符を買って,当日バスを探していたところ,そのへんにいたおっさんが案内してくれるようなことを言う.ためしについていったところ,切符を買った会社(A)のとは全然別のバス会社(B)につれて行かれ,持ってた(会社Aの)切符を見せると,会社Bのシュコダル行きの切符に交換されてしまった.結局,予定通り10時に発車したしちゃんとシュコダルには着いたのだが,どういうシステムなのかさっぱりわからない.「会社Aから会社Bが客を横取りした」という状況かとも思ったけど,会社Bには別に金は払ってないのに,一体どうしたんだろう.会社Aにそのぶんの金を請求するのか? でも会社Aの切符は破ってたように見えたけど……

あとシュコダルで降りた場所が市街中心部からかなり離れてて苦労した.これは,ウルツィニに向かう分岐点がそこにあるから,まあ仕方ないのかもしれない.

ところでシュコダルまでは20ユーロもした.これはさすがにぼられたのではないかと思う.失敗失敗.

コソボ南部の都市.コソボではほぼ唯一の観光都市である.そう,ちゃんと観光が成り立つような町があるのだ.

具体的には,中心部にトルコ風の古い町並みが残っていて,でかいモスクとかハマム跡とかもある.丘の上には城塞跡があって,旧市街を一望できる.これはまあわりとなかなかの眺めだ.ヨーロッパっぽい色の町なのに,モスクがあったりするのも面白いかもしれない.ただ,サラエボに行ったときも思ったけど,トルコ風の町並みや文化を楽しみたいんならトルコに行けばいいじゃん,という気はする.今はそうもいかないかな?

さて,バルカン諸国あたりでは,単に「みんなで町にくりだして延々ダベる」というのが娯楽として広く行われており,喫茶店を長々占拠したり通りを無意味に行ったり来たりし続ける人などがよく見られる.プリズレンでも,旧市街,特に噴水広場周辺は喫茶店だらけだ.さらに,夜になると観光客比率が減り(ここに日帰りで観光に来るのだろうか?どこから?),喫茶店や通りにたむろする住人はますます増えるのだ.ちょっと奥のほうにある店では,大音量で音楽などかけながら盛りあがっていたりする.通りに面したテラス席で,だ.

まことに平和でのどかな光景であるが,基本的にみんな「仲間と一緒に」ダベりに来ているわけで,先進国みたいに一人で何かしてるような奴などほぼいない.ぼっち民は若干の気合いを必要とするので注意だ.別に,一人でコーヒーとか飲んだり本を読んでたりしても,嫌な顔されたり追い出されたりはしないけども.実践して確認済みである.

コソボの住民はわりと気のいい奴が多く,バーなどでてきとうに声をかければ仲間に入れてもらえたりもするそうだ.だが,そんなことができるような奴はそもそもぼっち民ではないな.


コソボの首都だ.セルビア政府に言わせれば「セルビアの地方都市だ」なのかもしれん.

わりと最近戦争があった町なので,正直古い町並みとか期待するのは無駄だ.というか観光名所はほとんどなく,町自体があちこち作りかけの感じである.まあそうだな,国立図書館の変な建物とか,ビル・クリントンの銅像とか,NEWBORNモニュメントとか,その程度かな.実際クリントン氏の銅像などというものは世界にも少なそうだ.

ここの大学をちょっとのぞいてみたところ,ひとつのキャンパスに文系理系両方の学部があるようで,建物の大きさや数もそれほどではない.あまり大きな大学ではなさそうだ.あと,食堂とか本屋とか売店とか,教室研究室以外の施設がほとんど見当たらないのが不思議な感じだった.なんか無意味な空き地もあったりするし,単に戦争で被害を受けたせいで殺風景なのかもしれない.人も減っただろうしなあ.あ,なんか新入生向けの自己啓発コーナーがあったのはちょっと面白かった.どこの学校も,ドロップアウト組には頭を悩ませているとみえる.

観光客としては,この町には外国料理レストランがそれなりに存在する,というのはチェックしてもいいかもしれない.コソボの料理というのはたいがい「肉を焼いたやつ」のバリエーションなわけだが,そういうのにちょっと疲れたときにも普通にイタリア料理とかタイ料理とか食べられる.変なコーヒーを飲みながらMacBookで仕事したりするような,オサレカフェ的な店だって存在する.1ユーロでネスカフェを飲むような店じゃなくてだ.たぶん,NGOとか国連とかの外国人スタッフが多いせいだろう.

ところで,プリシュティナの空港はアクセスが不便で,ほぼタクシーを使うしかない感じらしい.バスターミナルは町の中心から歩けないこともないので,バスで行ったほうが簡単だと思う.実際,今回はスコピエ(隣国マケドニアの首都)まで飛行機で行き,そこから2時間半ほどバスに乗ってプリシュティナまで到達した.まあそれ以前に,フライドバイもエミレーツもプリシュティナ便がないわけだが.