海月玲二

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「チェスキー・クルムロフにはオーストリアから来れる」みたいなことを書いたが、俺らは今回さらに、ミュンヘンから直接(乗り換えなしの)バスで移動した。FlixBusとかいう会社が、「ミュンヘンからオーストリアを通り、チェコに入ってさらに東進しZlínまで行く」という長距離バスを一日一便運行していて、これを途中下車すれば可能のようだった。

なお、ミュンヘンのバスターミナルで、細かいことを言わずに聞くと「チェスキークルムロフ行きのバスというのは無いよ」とか言われる場合があるので注意が必要だ。当日のやつは無い、という意味だったのかもしれないが、それならそう言ってくれないとわからん。
そもそもFlixBusはネットで買うのが基本で、人間がいるカウンターはオマケみたいな扱いのようだ。そのわりには日本のクレジットカードの決済がはねられたりするので困る。

というか、チェスキー・クルムロフは別に重要な町ではないので、もともと交通が不便なんだよね。鉄道にしてもバスにしても支線なんだよ。今回、帰りはすぐそばのチェスケー・ブジェヨヴィツェにまずバスで移動し、そこからリンツまで鉄道に乗った。チェスケー・ブジェヨヴィツェはでかい町なので、交通機関もたくさんある。問題は、この町の名前が日本人には発音しづらい( = 切符を買うのがめんどう)ということだけだ。

チェコ南部の観光名所である。いわゆる旧首都ジャンルの町だ。
チェコ南部には違いないが、オーストリアのリンツから1〜2時間で来れる(むしろプラハから来るより近い)。この町ではユーロの現金で支払いできるところが多かったけど、おそらく、近隣の国からついでに来ていて、チェコの他の町に行っていない観光客がわりといるのだろう。

さて、旧首都(というかまあ、支配者の城があった町)ではあるが、王城が移転した後は特にこの町の重要度が戻ることがなかったようで、現在は観光で食ってる町である。それはもうコロナウイルス騒ぎで打撃を受けたことだろう。どうも宿泊施設や観光客向けレストランの数が過多な気がするが、これも2019年までは適切だったということなのかな。
しかし、今でもそれなりに観光客はいた。もし「本来期待される人数」が来たとすると、相当混雑する気がするな。今はお得なのかもしれん。

この手の町に共通することだが、旧市街が観光客向けの店ばかりで、現在の住人の生活とは別れてしまっているのは少し残念なところである。眺めて格好いい町並みには違いないが、町というのは鑑賞用のモニュメントではないと思うんだよ。
なお、スーパーの類も外周部にしかないけど、旧市街はコンパクトなので、外周部まで買い物に行くことも無理ではない(たぶん南側にある二軒が比較的行きやすいと思う)。中心部の売店と比べてみると、値段が露骨に違ってておもしろかった。

ごちゃごちゃ文句を言ってはいるが、ここに滞在した二日は晴れていたので、それなりに散歩して楽しんだ。調子こいて南の丘にある八角形の教会のところまで行ってみたりもした。実際にはなにか巡礼的なことをする場所らしいが、観光客的には要するに眺めのいい場所である。もし登ってみようという人がいたら、東側からのほうが道が整備されてて楽だよ。

ウィーン空港でY氏と合流したあと、我々は西へ向かってみたわけだが、なんだかどうにも天候に恵まれなかった。

我々が滞在している間、何故かドイツ南部では一週間ぐらい雨が降り続いており、ミュンヘン滞在の最初から最後までずっと冷たい雨だった。雨だけならともかく、8月なのに気温が12度とかいうので全くかなわない。
夏の旅行でこんなに雨ばかりだったのは初めてではなかろうか。そもそもヨーロッパの夏でこんなに雨が降り続けるってあるのか? 異常気象の類?

しょうがないので、博物館を見たりデパートをひやかしてみたりして、あとはレストランでビールを飲んだりスーパーでビールを買って部屋で飲んだりとかそんな感じだった。ミュンヘンは大都会なので、こんな天気でもやることが全然なくなったりはしないが、俺の旅行の主目的である「てきとうに散歩する」というのが全くできないのは残念だった。
まあ、品揃え豊富なスーパーはあちこちにあるので、部屋でビール飲み会をする的なことはいくらでもできた。なにしろここは先進国なので、毎回レストランに行ってるとガンガン金が出ていくしな。というか、ドイツではスーパーのビールが非常に安くてうまいので、ビールにあまりうるさくない奴(俺)にとっては部屋飲みでも十分なのではないだろうか。

ところで、ドイツはわりと犬フレンドリーな国だと思う。なんか住宅街の中にあった家族経営的レストランで食事をしていたら、すげえでかい犬が二匹歩いていてびっくりした。どうもそのレストランの犬らしい。
他の客はほとんど常連なのか、食事中に犬が挨拶に来てもぜんぜん気にしていないようだった。


ブラチスラヴァというのはスロバキアの首都であるが、日本ではほぼ知られてないと思われる。

この町に住んでる人たちは、自分たちの町についてどう思ってるのだろうか。周囲にはウィーン・プラハ・ブダペストをはじめメジャーな町がいくつもあり、観光地的にも商業都市的にも激戦区である。というか、チェコの首都プラハと比べて規模も知名度も違いすぎる。
この町にもそれなりに旧市街というものはある。観光客として路地をてきとうに散策したり、オープンカフェでのんびりコーヒーやビールなど飲んだりするぶんには、別にどこの町でもそんなに違うもんかな、という気はしないでもない。
ネットでおなじみのラーメンハゲ的に言えば、「あいつらは名建築や芸術自体を観光してるんじゃない、『情報』を観光してるんだ」ということだ。

まあアレか、観光客が大量に来たらいいというものでもないか。

今回はせつやくしてドミトリーに泊まったので、予算に余裕ができ、展望レストランで高級なメシを食べたりしてみた。西洋人の国で西洋料理に金を払えば、もちろんいいものが出てくるのだ。


2023-08-26(土)

NightJet

北海道とか東北とかでは、昔はそこまで暑くならなかったのでエアコンの無い家がときどきあり、現代では問題になっているという話あるよね。あれと同じようなことはヨーロッパでもあるんじゃないだろうか。

つまり、今回ヴロツワフからブラチスラヴァに移動するために夜行列車を使ったのだが、少なくとも俺の乗った車両にはエアコンがなくて、わりにつらかったという話である。
夜行バスよりはまあ楽だろうと思って列車にしたわけだけど、もし夜行バスは温度が快適だったりしたら、どっちが楽か微妙だな。さすがに「横になって眠れる」という点のアドバンテージは大きいだろうか。
というか、夜行列車には2等寝台よりさらに安いランクの、座席車という切符もあったのだが、これはよっぽど安くなければバス一択じゃないかしらん。

ところで、今回乗ったやつはオーストリア国鉄が運行してる便なので、運営自体は比較的ちゃんとしてて安心である。何も言わなくても降りる少し前に起こしてくれるし。
オンラインで発行される切符がぜんぶドイツ語でちょっとわかりにくいけど。このオンライン切符、俺はA4の紙に印刷して持っていったら、降りるまでこれを保管されて、なにかあれこれ書きこまれていた。オンラインのまま提示する場合はどういう処理になるんだろうか? 書きこまれてるのがドイツ語の手書きなので、大事なことなのかそうでもないのかすらわからん。


ヴロヅワフはポーランド南部の主要都市で、いわゆる大学町だ。
欧州の大学町では、「旧市街に大学の建物がいくつか点在している」というなかなかおもしろい作りのやつがある。こことかサラマンカとかそうだな。うらやましいことだが、日本ではまず無理だ。なにしろ日本の旧市街に3〜5階もあるような大きな建物はほとんどないからな。
というかまあ、中世っぽい見た目でも中身は現代人が生活できるように改修してあるわけである。ということは、日本でも復元した建物の中身をいろいろ工夫して違う目的に使えばいいのでは?

こういう欧州の古い大学は近代、へたすると中世からあるので、建物とか講堂自体が派手で、現代では観光名所である。
というかアレだ、要するにつくりが教会と同じノリなんよ。結局、昔の大学というのは教会と似たようなもんだし(暴論)。
これは日本でもアレじゃん、名刹古刹で講義とかやったらよくない?

まあついでというかなんというか、古い建物に大学博物館も入っている。展示を見ていて、残ってる資料自体が歴史的資料だからそれだけで面白い、とかズリーなと思った。
でも、科学教育の資料とかもけっこう展示してあったけど、これは本邦でも条件はほぼ同じだな。

大学を見物する以外は、ヴロツワフでもいつものようにあちこち無意味に散歩した。というか夏だと大学の機能してるところはあんまり見れないしな。欧州の町に出かけて散歩すると、多かれ少なかれ「教会連発タイム」が入ってくるので、そろそろ細かい違いとか発展の流れとかそういうことがわかるようにしとくと面白そうだなと思った。

オーストリアからチェコを通ってポーランドに行くとなると、普通に検索するとチェコ北東部のオストラヴァを経由するルートが出てくる。
でも、そうではなくて、ブルノからそのまま北上して行けないこともない。このエリアには、もはやチェコ国鉄は走ってないのだが、leo expressなる私鉄がいちおうあるのだ。

というわけで、今回はこれに乗ってみた。外国人がこいつに乗るとなると、だいたい南端のÚstí nad Orlicí駅から乗ることになると思う(ここまではチェコ国鉄で来れるので)。微妙に罠もあるので注意だ。

  • Ústí nad Orlicíと名のつく駅は2つあり、町はずれにある本駅のほうに行く必要がある。間違えると、俺のように歩いて行くはめになる。
  • Ústí nad Orlicí駅の2番ホームは何故か2つあってわかりにくい。

また、leo expressの切符はチェコ国鉄では買えない。さらにÚstí nad Orlicí駅はあくまでチェコ国鉄の駅のようで、ここでもleo expressの切符を買うことはできず、乗車後に車掌から直接買うしかない。カードも普通に使えたが、タッチ決済に対応してない場合も大丈夫かは不明。
日本の大都市でよくある鉄道会社の相互乗り入れってすごいよな。

ところで、「もはや」チェコ国鉄は走っていない、と書いたのは、たぶん前はあったらしいからだ。乗り換えのLichkov駅の駅名標を見ていて、チェコ国鉄のマークが消してあることに気づいた。
これは本邦で言うとこの3セクというやつなのか?


旅行というのは短期間しか滞在しないので、その町の流儀がよくわからなかったりするものだ。
今回、ここで夕食を食べようと思ったらどうもうまくいかなかった、という話である。なんか人がたくさんいる飲み屋みたいな感じのところに入ってみたのだが、2件続けて「食べるものはないよ」と断わられてしまった。
改めてよく見てみると、確かにみんなビールだけ頼んでダベっているだけだ。ほかの店もだいたいそんな感じである。
「18時台は夕食には早すぎるので準備がない」という話なのか、「ふつうの日に夕食を外で食べたりしない」という話なのかは不明だ。
いずれにしろ、小さい町ではもともと選択肢が少なく、例外的行動もあまり対応できないだろうからどうしようもない。仕方がないので、コンビニ的なところでサンドイッチ的なものを買って帰った。
というか、そうと知ってたらスーパーでいろいろ買って自分で料理してもよかったな。

ところで、なんでこの町に泊まったかというと、単に途中だったからである。飛行機はウィーン往復なのだが、なんとなくポーランドに行ってみたくなった。しかし、ウィーンからヴロツワフまで一気に行くとそれだけで丸一日かかるので、途中で休んだ次第。


ここから夏の旅行エントリ。

さて今回はなんとヨーロッパに行くのだ。諸般の都合で台北乗り継ぎとなったので、せっかくだからちょっと余裕のあるスケジュールにして、すこしだけ入国してみた。
噂通り、台湾入国はもうほぼ制限なしであるので、こういうことをしても特に問題はない。台湾を散歩するのもひさしぶりで、なんか嬉しい。
ただ、今は家畜感染症かなにかを警戒しているらしく、日本その他の「低リスク国」から来た便の乗客は「低リスクですよ」カードをもらって区別する、という運用をしている。うっかりカードをもらい忘れると荷物をチェックされたりするかもしれない。
台北(というか桃園市だな)では、マスクをしてる人はしていて、同行の家族や友人がマスクをしてなくてもそこは気にしない、という感じ。日本と同様だ。

ところで桃園市にある中櫪(字がちがうかも)夜市は、ずいぶん地元向けの素朴な雰囲気で面白い。ゲーム機(コリントボールみたいなやつとか)の屋台がけっこうたくさんあって、しかもわりに客が来ていてびっくりした。


ペナン島は、大陸に面した側が主な町になっていて、山を越えた反対側は建物も少ない田舎のようである。香港島にちょっと似た構造だ。そして町側の部分の中心部をジョージタウンと呼ぶらしい。

ペナン島は島だけども橋が2本あって、普通にバスとかで来れる。ただ、対岸のバタワース鉄道駅のすぐそばから渡し船も出ていて、せっかくなので乗ってみるのもいいと思う。現在の注意点は2つある。

・コロナ関係で減便が継続しているようで、昼間は1時間1本しかない
・バタワース鉄道駅からフェリー乗り場までに両替所がない

特に両替所がないというのが観光客的には微妙に不便で、パダンベサールからそのまま来てマレーシアリンギットを持っていないという可能性がある。しかし渡し船の切符(1.20RM)は現金でしか買えないのだ。いちばん簡単なのは、パダンベサール駅でジュースとかをタイバーツで買っておつりをマレーシアリンギットで貰っておくことだと思う。もちろん、ジョージタウンに入りさえすれば普通に両替所があるのでその後は大丈夫。

船で入ってくると、町並みを見て一瞬「エッ西洋風?」みたいになるけど気のせいだ。いや気のせいってことはないが、コロニアル建築が残っているのはすみっこのごく一部で、基本的には中華長屋というかショップハウス形式の町並みである。地区ごとの多数派の文化によって飾りや雰囲気は変わるけど。西洋風のでかい建物は見栄えがするので、普通の観光客だけでなく、結婚式の記念写真を撮っている人達がたくさんいた。あんなにいては順番待ちとか大変だろうなあ。

さてジョージタウンはこれまで通った町と違って大観光地なので、初めて来た町だけどはっきりわかる。ここはコロナウイルス騒ぎから復旧している途中なのだ。交通手段、宿泊施設、飲食店など一旦なくなっていたのを整備が進められている。求人広告もそこらじゅうに貼ってあった。「レストランスタッフ、コックとウエイターと掃除係と会計係とフロアマネージャー募集」みたいな、じゃあ今は誰もいねえのかよみたいな広告もよく見かけたほど。

あと「中心部は主に観光業のみ、ふつうの市民生活はもうちょっと郊外が中心」みたいなタイプの町(京都みたいなやつ)だと、コロナウイルスの影響でドーナツ化現象が進んだんだな、というのも感じる。ハジャイでもそんな気がしたがこっちはさらに顕著だ。中心近くにあるモールは半分以上シャッターがおりてていかにもヤバそうだったのに、3〜4kmはなれたところにあるモールは普通に賑わっていたし、住宅街にある夜市に行ってみたら人でいっぱいだった。

実際、観光客は戻りつつあるようだった。ここだけは、西洋からの観光客らしき人々や日本人観光客でさえもときどき見かけたぐらいだ。また皆が気軽に旅行とか行くようになるとよいと思う。


タイ南部とマレーシア北部をつなぐ国境はあと2つあって、(マイナー国境はあと何箇所かあるようだ。) 今回は西側の国境を通ってマレーシアに戻った。
3つの中で、この国境はたぶん一番簡単である。なんと国際列車があり、列車に乗ってるだけでそのまま越えられるのだ。ペンカランフールーのことを考えるとマジ雲泥の差。
ちなみに一番東のスンガイコロク国境もけっこうめんどうらしい。そもそもそこまで行くのがかなり面倒。

ただ、国際列車と言っても、国境を越えたすぐのところで終点で、そこからはマレーシアの別の列車に乗りかえないといけない。バンコクからクアラルンプールに直接行ける列車みたいなものは、かつてあったかどうかよくわからんが、少なくとも2023年3月現在そういうものは存在しない。

まあ、超長距離複数国移動列車というのはロマンがあるけども、警備・管理する側からするとやってられん面はあるだろう。
実を言うと、現在の国際列車もつい最近再開したばかりである。 昨年末に爆弾テロがあって止まっていたのだ。
というわけで、少なくとも動いてることに感謝しつつ、ハジャイからパダンベサール駅まで乗る。そしてパダンベサール駅で時計を1時間進め、さらに1時間ばかり待って次のバタワース行きとかに乗るのだ。
今のところ、パダンベサール→バタワースはタイバーツで払うと117THBだった。出国時残金使い切りチャレンジをしたい人むけ情報。売店のジュースとかもタイバーツで払えるぞ。

スケジュール的には、バンコクから来る列車が8時50分にハジャイを通るので、そこから乗った。というか、駅に行ってみると客車が1両だけ待ってるので何かと思ったら、ハジャイから乗る連中はここに乗り、バンコクからやってきた寝台列車に増結するシステムだった。
バンコクから直接パダンベサール国境を越える列車は、今はこの一本しかないはずだ。
ハジャイから行きたいだけなら、7時半と14時にもハジャイ〜パダンベサール間を往復するだけの列車というのがあるので、こっちでもいい。でもどっちも時間が微妙なんだよな……

さらに微妙なトラップの話。「パダンベサール駅」というのは実は二つ存在する。タイ寄りのやつはまだ国境の手前であって、マレーシアに行きたい場合ここで降りても無意味である。よくわかってない観光客が降りそうになって、まわりの人に止められるのがこの路線あるあるだ。


ハジャイはタイ南部の中心都市だが、日本人観光客的にはあんまりわざわざここで降りたりはしないかも。でも中心都市なので、でかいビルも並んでるしそれなりに設備も整った大都会だ。
……なんだけど、どうもなんだか妙に人が少ない。シャッターを閉めてる店も目につくし、これはやはりコロナウイルス騒ぎで観光客激減とかそういう影響なんだろうか。
……と思いながら、中心から少しはなれたショッピングセンター地区に行ってみると、けっこう人がたくさんいるのでびっくりした。どこからこんなに出てきたんだ。
いわゆる都心部ドーナツ化現象ということでもあるんかな。

ショッピングセンター「地区」というのはどういう意味かというと、でかいショッピングセンターがせまい範囲に3つもあるという意味だ。しかもちゃんと住み分けがあっておもしろい。
地元民が多め、売ってる服や雑貨が安めでターゲット年齢層低めの「ナイトマーケット」と、ちょっと高めで観光客向け商品が多めになっている「バザール」、ブランド品も並んでいるちゃんとした「モール」の3つだ。まあ俺はどうせ買わないで見てるだけなので何でもいいんだが。迷惑な客だ。
なお食事コーナーは大差ない。屋台で売ってそうなものを小綺麗に並べた感じ。

あと都心部でも、人気の飲食店にはちゃんと人がたくさんいた。ちなみに、ここもわりと中華系の勢力が強いので、有名店は中華風が多い。俺も朝から点心屋に行って肉骨茶頼んだりしてご満悦だ。
日本人は行かないだろうが、日本食の店もけっこうあった。いやまあ寿司とかおやつとかはそれなりにタイ風になったやつだが、日本食がジャンルとしてそれなりに需要はあるらしい。単なるイメージとしで日本語を使ってる店もかなりあって意外だった。
タイ南部でも日系企業の人達がそれなりにがんばってきたんかね。やよい軒とかヤマザキパンの店まであった。

ところで、実際今はそれなりに観光客がいるようではあった。明らかにタイ語を話せない人とか、有名飲食店にグループでやって来て記念写真を撮る人とかをときどき目にしたのだ。
でもシャッターを降ろしてる店が多かったりするのは「まだまだこんなもんでは足りない」という話なのか、3年の間に事業が継続できなくなってしまった人がたくさんいるのか。
去年ホーチミンシティに行ったときも思ったけど、初めて来る町は2019年以前どうだったかわからないので、今どれくらい変なのかわからないな。もしかして単にのどかな雰囲気の町なんだったり、とかはないか。


2023-03-01(水)

ベトン

ペンカランフールーから国境を越えて、タイ側にある最初の町がベトンだ。

この町はいわゆる陸の孤島である。タイの最寄りの町からは車で一時間以上山を越えないと来れない。たぶんマレーシアから来たほうがまだマシだ。
そのわりに、そこそこちゃんと町なのが不思議である。どうやって経済が成立しているんだろうか。マレーシアからの観光客に依存しているのか、特産の鶏肉とかをバンコクに売るのは意外ともうかるのか。
というかそもそもなんでこんなところに町があるんだろう。タイ北部にある中華系の落人村みたいなもんだろうか。

それとこの町は中華色が強く、文化的にも独特であるとよく言われるようだ。でも、俺としてはここに来たときにあんまりそういう感じを受けなかった。なんでかというとイポー中心街と少し似ていたからである。食文化的にも共通点があると思う。
そして帰るとき、こんどは北に向かってタイ国内を進んでみたところ、ヤラーとかの周辺の町と比べたら確かにだいぶ雰囲気が違うな、と納得した。ガチムスリムの服装の人がたくさんいるとか、中国語をあまり見かけないとか、そういうことである。
つまりここは「タイ南部としては異常なぐらい」中華色が強い、ということなんだろうか。

ところで、ここで観光するというと基本的には食べ歩きである。いろいろあって面白いんだが、まあマレーシア人以外わざわざここまで来ないかなあ。あと腹は一人ひとつしかないわけで、こういうとき一人は不便だ。
あとはおねえちゃんと卡拉OKするとかいう向きも多いそうだが。確かに、カラオケ屋とマッサージ屋は明らかにたくさんある。帰りのミニバンで乗り合わせた日本人の若者が、なんか現地の女の子と飲みに行った武勇伝を話していた。


俺が陸路で国境を越えようとすると、だいたい何か失敗するものである。

そもそも国境なんだから国のはじっこであり、もれなく辺境だ。というわけで、高い確率で「どうやってそこまで行くか」が問題になるのだ。そしてタクシーに悩まされる率も高い。

今回、イポーを出発して朝からバスターミナルに行ってみたところ、国境近くのペンカランフールーとかいう町まで行くバスは、なんと夜しかないとか言う。ネットでは朝からバスに乗って国境に行った的な記事も見かけるのに。そもそもバスターミナルの施設の多くが閉まってるし、やはりコロナウイルス騒ぎの影響で減便しているのだろうか。
そのままバスターミナルで半日待つのもアレだし、だいたい国境の手前でわざわざ一泊することになりそうでいかにも無駄だ。

しょうがないので、国境よりもう少し手前のゲリクなる町まで、タクシーに乗ることにした(ゲリクまでのバスもやっぱり夜しかないらしい)。
本当は国境近くまでタクシーで行こうかと思ったけど、そうすると65RM(2000円弱)ぐらい高くなるので少しケチった。いちおう定額制のようなので、そこは安心である。
これでゲリクから結局タクシーに乗るしかなかったら無意味だが、行ってみると、ゲリクからはよくわからないローカルバスでペンカランフールーまで行けるようだった(150円)。ゲリクの町は小さいが、このへんの交通の要衝のようだ。

まあローカルバスはすごいポンコツで、上り坂のたびに遅くなるのでけっこう時間はかかったけど。
そしてさらに問題なのは、このローカルバスはペンカランフールーの中心部に行くだけなので、そこから国境まで残りの6km弱をなんとかする必要があるということだ。
どうしたかというと、今回は歩いて行ってみた。ここの国境は歩いても越えられるらしい、とネットで見たので。イヤそういううろ覚えの情報で動くから苦労するのだ。

まあ6kmは6kmなので、6km歩けばちゃんと国境についた。入口を警備している人達に怪しまれていろいろ質問されたけど。
そりゃね、一人で歩いて国境に入ろうとする奴がいたら確認ぐらいするよね。警備の人たちは思ったより敵対的じゃなくて、ちゃんと旅程を説明したら納得して通してくれた。

オチとしては、国境を抜けたあとに次の町まで行くのに、また7kmぐらい歩くのは大変だったのでタクシーに乗ってしまい、しかも遠くもないのに1000円近くとられてしょんぼりした、というあたりである。
……あとで調べてみたところ、ここでタクシーに乗ると基本的に高くて、こんなモンらしい。なにかそういう規定があるのか?


2023-02-26(日)

イポー

イポーというのはマレーシアの町の名前だ。クアラルンプールから鉄道でちょっと北に行くと、瀟洒な鉄道駅が突然出てくるので、そこで降りる。
この町の中心は鉄道の東側である。いわゆるショップハウス系のクラシックな町並みで、名物料理の店や夜市などもあり、観光的にも多少は人が呼べそうなやつだ。
しかし鉄道を越えて西側に入るとぜんぜん違う。広い道路に低層大型の建物が並び、歩いてる人はほとんど見ない。商店があるエリアも、街道沿いにそのまま商店が並ぶタイプだ。要するに日本の地方都市と似たかんじのやつである。
こんなにすぱっと「郊外」と切り替わるのはあんまり見ないな。車が普及するまでは、そもそも西側は町ではなかったのだろう。

さて、東側では町のあちこちに中国語が併記されてるし、看板も中国名がほとんど、歩いてる人も中国語を喋ってる人が多い。マレーシアの町ってこんなに中華系寄りだったかなと思うほどだ。
一方西側では中国語を一気に見かけなくなる。中華系の人も見ない。町の中心部(旧市街周辺)は中華系が押さえている、ということのようだ。かつて鉱山の町として発展したときに、開発してたのが中華系だったらしいからな。

ただ西側にはマレー系の人達がそれなりに住んでるわけだし、中心部の飲食店をよく見ると "no pork/lard" だとか "muslim frendly" だとか書いてある店も多かったりする。さらにインド系の地区もあって、ヒンドゥ寺院などではほかの人達は全然見なかった。まあいろいろ大変だね。

ところで、イポーについて調べると「もやし料理が名物」とかいう情報がよく出てくる。というわけで食べてみたところ、「もやしでもうまいものはちゃんと違いがわかる」ということに感心した。
しょせんもやしなので、これだけのために来るというようなものではないが、なにかで立ち寄る機会があったら試してみてもよいと思う。
ただよく挙げられる「老黄」という有名店のゆでもやしは、もやし自体がうまいというのもあるが、かかっているタレが甘辛系で日本人に合うんじゃないかなとも思う。


ひさしぶりにバックパッカーをやろうと思い、とりあえずマレーシアまで来てみた。
去年の旅行は期間も短めだったし、たいして複雑な行程もないのであまりバックパッカー感はなかったのだ。

なんでマレーシアかというと、安く来れたからである。パッカーたるものケチくさくなくてはいけない。
いや、というか、まだ関空からの便があまり復活してなくて選択肢が少なかったのだ。夏ダイヤではだいぶ復活するようなので期待している。

で、去年の夏も使ったけど、現在関空からホーチミンシティならVietJetで安く来れる。そこで、ホーチミンシティから安く往復できそうなところ、ということでマレーシアになった次第。
前に来たときは学生だった気がするので、15年以上前だ。

というわけでVietJetからAirAsiaに乗りつぐことになったわけだが、だいぶぎりぎりだった。関係ない航空会社の切符を別々に買うので、ホーチミンシティであらためてチェックインする必要がある。
そしてこのためには、どうしても一回ベトナムに入国する必要があるようなのだ。ホーチミンシティの空港では、制限エリア内にチェックインできそうなところが見当たらなかった(まあ俺が気付かなかっただけかもしれん)。

ともかく一旦入国する場合、いちいち入出国審査や手荷物検査を受ける必要があり、チェックインだけよりかなり時間がかかるのだ。今回、乗り継ぎ時間的には2時間半はあったはずだが、30分程度しか余裕がなかった。
LCCは遅れやすいわけだし、正直無理があったかんじ。荷物を預けてたり複数人だったりしたらもっと無理かも。まあ、今回の帰りは半日以上開いてるので、よほど遅れなければ大丈夫のはず。

あ、もしかすると、Webチェックインをちゃんとやれば外に出なくてもいけるのか? でもあの空港ではスマートフォンで搭乗券を見せてる人を見かけなかったけどなあ。

2022-09-04(日)

無題



ベトナム料理というのはバリエーションが多い。そしてその名前が要素の組み合わせでできていることが多いので、なんとなく推測できておもしろい。たとえば麺にも種類があって、日本ではいわゆるフォー(phở)というのだけ有名だが、ブン(bún)とかミー(mì)とかいろいろある。ブンはフォーと同様米粉を使った麺なのだが、平たくないやつだ。ミーのほうは、どうも小麦で作った麺を指すらしい。丸亀製麺の支店の看板には、ちゃんと"mì UDON"と書いてあった。

で、たとえばボー(bò)が牛肉らしいので、フォーボーだと牛肉のフォー、ブンボーだと牛肉のブンになるという具合だ。さらにブンはスープ麺以外の食べかたもいろいろあるらしい。あるとき、よくわからず適当に入った店でブンダウ(bún đậu)なる料理が出てきた(写真)。これはおでん用白滝よろしく小さくまとめたブンと、厚揚げその他と一緒に灰色のタレにつけて食べるものらしい。もはや麺料理と言っていいか微妙である。ダウというのは豆のことらしいが、どうもここでは揚げた豆腐を指しているようだ。

それと、ニャチャン名物らしいブンカー(bún cá)というやつがうまかった。カーというのは魚のことで、魚のダシでスープを作っている。あとすり身の天ぷらとか煮たカツオとかがそのまま入っている。日本人的には馴染みのある味だ。具としてクラゲが入っていることがあって、これはちょっと変な食感で微妙だった。

また、バインミー(bánh mì)というのは、ベトナム風サンドイッチを指すことが多いけど、これは本来単にパンを意味するそうだ。ミーはやはり小麦原料であることを指しているのだろう。そしてバインの部分は、どうも何か粉を練った系の物を指している気がする。饅頭、月餅、お好み焼き、ライスペーパーなどがすべて「バインなんとか」という表記になっていた。

2022-09-04(日)

無題

covid-19対応のいわゆる水際対策について。

帰国前にホーチミンシティの検査機関に行ってPCR検査を受け、さらに結果を紙面で受けとるために次の日にもう一度行く必要があって、なかなかめんどうくさかった。もちろんネット経由でも結果は送られてくるし、MySOSとかいうやつに登録するのはその電子的な陰性証明でも問題なかったのだが、帰国便のチェックイン時には普通に紙面も確認された。あそこで紙を持ってなかったらどうなるんだろうか。スマートフォンの画面に表示した陰性証明とかでもいいのかな?

ホーチミンシティの検査機関も一時はけっこうたくさんあったらしいが、今はだいぶ減って、観光客が主に滞在する1区には一軒しかない。これが微妙に遠くて、歩くと小一時間かかるのだった。二回目はさすがにバスで行った。あと9月1日と2日がベトナム的に休日で、検査機関も午前中しかやってないというのもめんどうだった。いやむしろ半日でもやっててくれてありがたかった、と言うべきかもしれないな。

そのような手間をかけて登録し、MySOSが青色画面の状態にしておいたので、関空ではほぼすることはなかった。着陸から30分で空港を出られたほどである。せいぜい、動線が分けられているので空港内モノレールやトイレの多くが使えなくて不便だったというぐらいだ。しかし、同じ便で降りた他の人は全然出てこなかったけど、MySOS登録などということを完全に準備してきている人は思ったより少数派なのだろうか? その場でPCR検査らしきことを受けている人も見たぐらいである。チェックインのときはどうしたんだろう。

あとMySOSに検査結果を登録するとき、俺は一発で通ったけど、Y氏の分は同じ操作をしたはずなのに一回はねられて操作しなおす羽目になったのもよくわからない。いつも完全に同じ審査をしているのだろうか? というかあれはどのくらい人間が見ててどのくらいが自動処理なんだ?

まあ、9月7日以降はさらに緩和されてるので、今ならそもそも検査を受けたり結果を登録したりする手間もなかったんだろうが。ほんとにもうどうせなら9月1日から緩和してくれればよかったのに。そういえば、VietJetで日本行きの便を予約すると、なんとPCR検査無料のクーポンがついてきたんだけど、あれも中止になったりするんだろうか。それとも3回ワクチン接種してなければ必要だから続けるのかな。本来565千ドン(3500円弱)なので微妙に気になる。

2022-09-04(日)

VietJet



「搭乗直前にもうひとつ国内線の航空券を買った」などという無茶な買いかたから、賢明な読者諸氏にはいわゆるLCCを使っているということがおわかりいただけるだろう。ふつうの航空会社なら、まとめて買ったほうが安いはずだからだ。LCCは通常、どう買っても区間ごとの運賃の合計になるので、別にあとから区間を追加してもいっしょなのである。

というわけで今回使ったのはベトナムのLCCであるVietJetだ。というか、そもそも関空への就航を再開している会社がまだ少なくて、選択肢はそんなになかったけど。VietJetは毎日関空便を飛ばしてくれているありがたい会社だ。もちろんLCCなのでいろいろと「そんなことは期待するな」という点はあれど、就航してくれているだけでありがたい今日このごろ。そろそろもうちょっと増えてくるかなあ。

「そんなことは期待するな」で一番アレだったのは、航空券を買うための公式webページや専用アプリの出来が微妙ということである。公式webで買う場合の問題は、「購入者住所の都道府県がどうやっても東京になってしまう」ということだ。専用アプリについては、「異様に重い」という点と「ときどき意味不明なエラーが出て進まない」という点がアレである。まあ、別に物理的に何か送ってもらうことはないし、郵便番号なんかはちゃんと入力できるので、総合的にはwebで買ったほうがマシか。アプリのほうの、「エラーが出て進まないんだけど、エラーメッセージを見ても何が問題なのか書いてない」というのは本当にどうしようもなくて困る。

あとLCCで定番なのは「よく遅れる」というやつだな。今回は、国際線はそこまで遅れなかった。出発は30分ぐらい遅れてたけど、到着時刻はほぼ予定どおりだったし。関空便は今のところ便数自体が少ないので、そんなに遅れる要因がないのかな。問題は国内線で、ニャチャン行きが1時間半ぐらい遅れていた。国際線の遅延を警戒して遅めの便にしていたので、最終的にニャチャンのホテルについたときは22時をまわっていたほどだ。まあ、ニャチャンの治安は悪くないのでそこまで困ったことではなかったが、ホーチミンシティの空港周辺で無意味に5時間ぐらい待つはめになった。

待ってる間、空港の目の前に「モール」と称するビルがあるので入ってみたところ、「1階のコンビニと最上階のフードコートぐらいにしか人がいない」というだいぶ微妙なビルだった。フードコートはそこそこいいと思うけど。



ホーチミンシティの9月はクソ暑い。たぶん6月でも12月でもやっぱりクソ暑いんだろうが。この国の連中がほぼ全く外を歩かない、というのはやはりこの暑さが原因なのかね。とにかく誰も歩かずバイクに乗っている。600万の人口でこれをやるので、この町はとてつもなく歩きにくい。もともとベトナムの町にはあまり信号機とかが整備されてないので、このような量のバイクには対応できないのだと思う。

そもそも、道路の引きかたとかが明らかにバイクや車優先で、歩行者のことなどあまり考えていない。大通りになると、2kmぐらいに渡って全く横断する方法がないような道が普通にある。ヤンゴンとかと同じで、巨大都市なのに都市計画が雑で十分なインフラが整ってない系の町だ。巨大都市じゃなければイイカゲンでも何とかなるんだけどねえ。

さて、ここはこの国最大の商業都市なので、ビルがボロかろうが道が適当だろうが、オサレなお店とか高級品のお店とかも普通に存在している。ベトナム料理を食べるんでも、屋台の店から先進国っぽい小綺麗な品を出す店まで好きに選べるし、よその地方の料理だって食べられる。ベトナム料理はもともとわりとバリエーション豊富なので、そういう意味ではこの町は観光客的に便利なところだ。今回は泊まったホテルの隣にナイスなカフェがあって、朝食に具合がよかった。

Y氏が陶器など所望するので、川向こうの2区にも行ってみた。あたりにはオサレ雑貨店、外国料理店、ステキなバー、クソデカタワーマンションやオサレ邸宅にインターナショナルスクールやモンテッソーリ教育まで並んでおり、なかなかの鼻持ちならない感でおもしろかった。どうやら主に駐在員とか外国人が来る地区らしい。というか、この手の地区の店に在住外国人が来るのはわかるが、観光ガイドブックで紹介するようなもんかなとは思う。先進国の連中は、ステキなバーとか行きたきゃ自国で行けばいいのでは?

ふつうの街区での外国文化勢力としては、日本と韓国があちこちで鎬を削っていた。そして中華勢力だけが中華街周辺に固まっているようだった。ちょっと珍しいパターンだと思う。中華街だけ古くからあるからなのか、中華系はあまり歓迎されていなかったので結集するしかなかったのか。



さて、単純往復と言ってはみたが、話はそう単純ではない。今回はまず関空〜ホーチミンシティ往復の航空券を買っておいたのだが、ずーっと同じところで過ごすのもどうかなあと思ってはおり、せめてもう一カ所ぐらいは行こうかなとあれこれ悩んでいた。そして最終的に行き先を決めたのは出発便の搭乗ゲートの前である。つまり、空港で待ってる間に、国内線の航空券をもうひとつ買ったのだ。スマートフォンというものはまことに便利である。

ニャチャンというのは、ベトナム南東部のビーチリゾートである。ホーチミンシティから夜行バスでも行けるが、めんどくさいのでやめた。7時間かかる上に早朝に着くしな。夜行列車だったらもうちょっと楽なんだが、これは駅に行ってみて満席だったらもうバスに乗るしかない。というわけで最初から飛行機にした。

ビーチリゾートということなので、この町はやはりコロナウイルス騒ぎの影響がでかそうだ。町の南半分にでかいホテルが立ち並び、中国語やロシア語の看板をかかげた店が多いのであるが、そのあたりは本当に閑散としているようだった。まあ俺たちは北側に泊まったので、空港バスの窓から見ただけだけど。いや、ロシア人の客が減ったのはコロナウイルスのせいじゃないのかね?

ともかく、外国人の客が来ないので、ビーチに来ているのも国内の客ばかりだった。日本の観光地に日本人客がすげえ増えたのと同じ現象だろう。また、外国人を相手にしていたお店は閉めたり廃業したりというところも多かったが、地元の人やベトナム人が来る店は普通に賑わっていた。タイ観光フェアみたいなイベントをやっていたが、あれもベトナム人向けなんだろう。

夕食に、地元で有名な焼肉屋がホテルの近くにあるというので行ってみたら、17時にはどんどん客が入ってきており、ちょっと見ている間に二階席まで全部埋まって待ち行列ができていたほどだ。ちなみに焼き肉はなかなかうまかった。まあ、ベトナム旅行に行った感想を聞かれて「焼き肉屋がうまかった」もないもんだとは思っている。

日本から来てすぐだったので、なんという暑いところだと思っていたのだが、あとでホーチミンシティを歩いてみたら「ニャチャンはまだ過ごしやすかった」という事実に気付いて驚いた。海沿いのせいか、そこまで気温が上がらず、日陰にいるとけっこう涼しい風も吹いたりするのだ。



2年半ぶりの空港だ!

今年はついに夏の旅行を再開した。ブランクがあるので、期間も短めだし複雑な旅程は組まないしでリハビリ的にいってみる。関空からの単純往復だ。

朝早い便なので、空港は空いていた。というか国際線ターミナル自体まだまだ人が少なく、店もほとんどやっていなかった。忘れてた歯ブラシを買いに国内線フロアに戻るはめになったぐらいである(いちおう、出国審査後のエリアでひとつだけドラッグストアが開いていたので、そこでも買えたかも)。去年ぐらいから空港に限らず「どうせしばらく人来ないから改装でもしようぜ」みたいな施設をわりと見る気がするが、ここも同様である。まあ、まだまだ便数も少ないしな。

でも国内線ターミナルはそれなりに人がおり、上にも書いたとおり店も営業している。なんか「国内の移動ならアリだろ」みたいな空気があるような気がするが、どっちかというと今は国内の移動のほうが微妙では?

まあアレだ、すいてるから楽なのは楽だった。ほとんど行列なし。

2020-03-12(木)

無題

ところで,俺はイタリアに数日間滞在していたわけだが,特に何の問題もなく日本に帰国している.11日の時点ではカターニア→ドバイ便はまだ普通に飛んでいたし,UAEも日本もイタリアから来た奴を問答無用で強制隔離とまではいっていなかったのだ.というか,特に何の症状もない状態で,イタリアに滞在したことを検疫官にわざわざ正直に申告までしている.でも,イタリア滞在で自動的に2週間隔離になるのはもうちょっと後で,俺は北部やローマあたりには(トランジットも含め)一歩も踏み入れてなかったので,普通に通されたのだった.

別に何も違法行為やズルはしていないことに注意されたい.つまり,そうやって入ってきてる奴は日本国内にある程度いると思われる.俺はとりあえず3月に授業があるわけじゃないし,授業以外では人と会うこと自体少ないから,仮に無症状で感染してたとしても人にうつす危険は少ないと思うけどね.

UAEの王族がイタリアに対して「新型コロナウイルス対策で協力する」的な声明を出してたので,ドバイ行きはそこそこねばって飛ばすだろうと思っていた.じっさい11日にも既にロンドン行きやパリ行きは欠航になっていて,ドバイ行きが飛んでてよかったと思ったものだ.しかしまさか空港自体が閉鎖になるとか,EU全体が閉鎖になるとかそういう事態になるとはね…….チュニジア〜イタリア間のフェリーも,乗った数日後には欠航になったようだし,わりとぎりぎりだった.

帰りのドバイ→関空便もいつもより空席が目立ったし,なによりドバイ空港があんなにガラガラだったのは初めて見た.これはかなりやばい経済危機の予感.

到着したとき(8日夕方〜夜)はまだ,町は普通の様子だった.しかし二日目あたりから様子が変わってくる.まず美術館・博物館や遺跡の類が全て閉鎖になった.ただこの時点ではまだそれなりに町に人がいて,喫茶店には人がときどきやってきてコーヒーなど飲んだりしていた.三日目になると,飲食店は閉めているところが多くなり,スーパーが入場制限をし始めていた.この日に移動原則禁止令が全国に広がり,次の日には食料品店・薬局以外全部閉鎖という強力な措置が出た.マジで急速に事態が悪化してて興味深かった.

というわけでどんどん食事する先がなくなっていったので,キッチンつき物件に滞在していてとても助かった.サラミを炒めたりカットサラダにバルサミコ酢振ったりして食べていた.部屋でもそもそ食事してても,それなりに旅行してる気分になるのが変なものである.スーパーで買った安物のピザとか紙パックワインすらうまくてびっくりした.

ちなみにこの宿泊先だが,いわゆる民泊の類である.ふつうの住宅用建物の一部を管理して客に貸しているかんじ.それはいいけど,オーナー(だかスタッフだか)が一度も姿を見せなかったのはちょっとどうかと思った.宿泊料金の受け渡しですら「セキュリティボックスに入れといて」ってメッセージ送ってくるんだもんな.ほかの宿泊客はスタッフに会ってた人もいたらしいので,アジア系が避けられてた?

しかしまあ,俺の旅行は散歩することが主体で観光名所を回ることにそれほどこだわりがないとは言え,ほぼ全く観光できないというのはさすがに残念だった.カターニアには古い大学があるので,ここを見物するのはわりと楽しみにしていたのだが.カターニアから日帰りでシラクーサなども観光しようかと思っていたけど,これも中止した.いつかまた来よう.